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第14話 戦いと記録と記憶と

 魔獣の襲撃が始まって、どれくらいの時が経ったのだろうか。

 砂時計をひっくり返したように、時間の流れが歪んでいく。

 ある者は、時の移ろいを感じぬほどにその一瞬一瞬を戦い続け、またある者は、永遠とも感じる感覚に身を焦がしているだろう。


 砦の影が長くなり、灰色と黒の混ざった魔獣たちの背後まで闇が覆う。

 その闇に溶け込むように、魔獣たちの後方に広がる森の下草から、男たちが駆け出してくるのが見えた。先頭の男が掲げた魔剣特有の翠色をした閃きが、塗りつぶされた背景によく映えた。


 (私に報告や相談がないとは補佐役失格だが…さすがだ、レオン)


 物見櫓で戦場を俯瞰していたエリザベートの声が、レオンたちの動きと重なる。


「私に続け!」

 その声は、戦場の混沌を一瞬で貫いた。


 短い一言。

 それだけで十分だった。


 弓を捨て、抜刀したオスカーとシエルを従えて駆け下りたエリザベートに、元『茨の聖域』の若者たちが武器を持って追随する。


「門を開けろ。私と一緒に突っ込め!」

 レオン達の襲撃に気づいた魔獣が、砦に背を向けた瞬間、魔剣を煌めかせたエリザベートたちが戦場に躍り出る。


 その一瞬の差が──


 勝敗を決めた。



 戦いは長くは続かなかった。

 だが、短くもなかった。


 敬愛する領主の檄に即座に反応したガレスは、エリザベートとレオンの挟撃に呼応して、機を逃さず砦の全兵士を束ねて突撃する。

 残った魔獣を一体ずつ。

 確実に削る。


 焦らない。

 崩さない。


 やがて、最後の一体が倒れる。

 重い音を立てて、地面に沈む。


 静寂が戻る。

 だがそれは、先ほどの不気味な静けさではない。

 戦いの後の熱を孕んだ重たい、だがどこか穏やかな静けさだった。



 誰もすぐには動けなかった。

 ただ、自分が、仲間が、敬愛する領主様が、息をしている者が周りにいることを噛みしめていた。

 

 あちらこちらに、多くのけが人の泥と汗と血にまみれた顔が見えた。

 そして、自分の手を見る。生きていることを、確かめるように。そこには、土にまみれた震えた手があった。俺は生きている。生き残ったんだ。


 やがて──


 誰かが笑った。

 

 小さく。

 それが広がる。

 安堵。

 そして、実感。


 生き残ったという事実。



 ガレスは、血のついた剣を見下ろしていた。


 それから、ゆっくりと視線を上げる。

 そこには、部下が笑っている。

 その中には、先日、敵として相対していた茨の聖域のメンバーたちもいる。


 ふと、穏やかな表情でシエルに話しかけていたオスカーと目が合った。


 一瞬の沈黙。


 そして──


 お互い小さく、頷く。

 ただそれだけ。

 だが、そこには確かな変化があった。



 兵士たちが笑顔で称えあう場所から少し離れると、エリザベートもまた自身の剣を収めた。

 黄昏が近づき、さらに伸びた砦の影に浮かんでいた翠色の光が、名残惜しげに消える。

 美貌にうっすらと笑みを浮かべた領主の濃い紅の長髪と蒼い瞳のコントラストは、まるで絵画のように現実感がない。


 呼吸はもう乱れていない。

 邪魔にならないように束ねていた髪を、風に解き放つ。

 うっすらとかいた汗が体温を下げるのに、胸の奥がわずかに熱い。

 視線が、レオンを探す。


 見つける。

 無事だ。

 それを確認して──


 ほんのわずかに、力が抜ける。


(……なるほどな)


 理解する。

 この男のやり方は、戦いをなくすものではない。


 だが──

 “戦い方を変える”。

 (義賊の戦力化、評価の明確化、記録の活用、軍馬による歩兵の輸送…)

 その結果が、今ここにある。


 彼女はゆっくりと歩み寄る。


「レオン」


「はい」


「……悪くない」


 短い言葉。

 だが、その中に含まれるものは、以前とは違う。

 認めている。

 はっきりと。


 レオンはわずかに目を見開き、蒼い瞳を見つめながら、穏やかな笑顔で答えた。

「ありがとうございます」



 夕暮れ。黄昏まではあと少し。

 空は赤く染まり、影が長く伸びる。

 戦いの痕が残る中で、その余韻を振り払うように人が動き始める。


 安否確認。

 傷の手当て。

 荷の整理。


 そして──


 互いに声を掛ける。

 元からいた兵士と茨の聖域から加入した “兵士”。


 ぎこちなく。

 だが確かに。


 この日。


 彼らは初めて、“同じ側で戦った”。

 それは、言葉よりも強く。

 記録よりも深く。

 確かな形で、心に強く残った。



 戦いのあとの森は、奇妙な静けさを孕んでいた。


 夕暮れはすでに過ぎ、空は深い藍へと沈み始めている。西の端にわずかに残る赤が、雲の裏を鈍く照らし、その色は血の名残のようにも見えた。


 地面には、踏み荒らされた痕が広がっている。


 抉れた土。

 折れた槍。

 黒く染みた跡。

 そして、倒れ伏した魔獣の骸。


 風が吹くたびに、鉄と血と、獣の臭気が混ざり合って鼻を刺した。

 その臭気が、否が応でも生きていることを実感させる。


 だが、それでも──


 人の声がある。

 低く、かすれた声。

 互いに名を呼び、無事を確かめ合う声。


 それが、この場に“生きている者”が残っていることを教えてくれた。



「こっちだ、まだ息がある!」

 兵士の一人が叫ぶ。

 すぐに周りにいた数人が駆け寄ってくる。


 布が裂かれ、水が運ばれ、酒精の高い酒が持ち込まれる。誰かの震える手が傷口に触れようとして、躊躇した。


 医者はいない。専門家もいない。戦場での手当てはもちろん粗い。

 だが必死だった。


 その隣りで、あの日腹を空かせていた少年、リオが両膝をついていた。焦る心で考えがまとまらない、手が震える、そして視界がにじんでくる。


 目の前に倒れている若い男は、『茨の聖域』のメンバーの一人だった。

 魔獣の牙か爪で腹を深く裂かれている。

 呼吸は浅く不規則で、焦点は定まらず、小刻みに震えている。


「……っ」


 リオは何もできない。

 手を伸ばすことすらためらう。

 どうすればいいのかわからない。


 ただ──怖い。

 逃げたいのに、足が地面に縫い付けられたように動かない。


「早く押さえろ」

 低い声がした。


 振り向くと、ドーガンがいた。

 無骨な手で、傷口に布を強く押し当てながら、短く言う。


「離すな。何があっても離すなよ」

 リオは一瞬迷うように声のする方を見て、それから必死に頷いた。


 震える手で、傷口を押さえる。

 温かい。

 そして、滑る。

 血だ。大量の血がとめどなくあふれる。


 その感触に、息が詰まる。気持ち悪い。命がこぼれ落ちていくその感覚がただひたすら怖かった。


「……っ、俺は……」


「いいから押さえろ」

 ドーガンの声は荒い。

 怒鳴り声ではない、が、それは命令だ。歴戦の古強者の指示だ。


 そして、その声には従わせるだけの重みがあった。

 リオは歯を食いしばり、力を込める。

 涙が滲む。視界がゆがむ。怖い想像が、何度も脳裏をよぎる。


 だが、それでも手を離さなかった。ただただ押さえ続けた。こぼれ続ける命を少しでも押しとどめるために。生きてほしい。ただひたすらに願いながら。



 少し離れた場所で、サラは帳簿を開いていた。

 砦の南方で軍馬たちを回収し、薬などの衛生用品、砦の補強資材、食糧、予備の兵装などを運んできた荷馬車とともにサラが到着したのは、戦いが終わった直後だった。


 紙の上には、戦いの前に記された数字が並んでいる。


 物資の量と内容。

 配属されていた兵士たちの属性と役割。

 他にもたくさん記載されている。

 中には、魔獣から採取できるであろう魔素石の相場などもあった。


 整然とした記録。


 だが今、その整然さは現実と乖離していた。


 失われたもの。

 壊れたもの。

 動けなくなった人。


 それらはまだ、記録に反映されていない。


(……修正しなきゃ)


 思考が冷静に告げる。


 補給の再配分。

 復興計画を踏まえた優先順位の見直し。

 採取した魔素石の活用先。

 

 すべてを考え直しやり直す必要がある。

 それは理解している。


 だが──


 サラはふと、記録する手を止めた。

 黒に近い濃紺の髪が肩口で揺れている。見上げた視線が、二人の男をとらえる。

 そこには、これまでも兵士だった男と、今日本当の意味で兵士になった若者が並んで座っていた。

 疲れ果てた様子で、水を回し飲みしている。


 言葉はない。

 だが、拒絶もない。


 あの日、刃を向け合っていた者同士。


 それが今は──

 同じ戦いを経た者として、同じ地面に座っている。


(……そっか、変わってもいいんだ)


 変化は数字では測れない。だが、確かにそこに息づいている。

 その事実が、静かに胸に落ちる。


 帳簿にはまだ書けない変化。

 だが、確かに存在しているもの。


 サラはゆっくりと息を吐き、再び筆を取った。


(なら、記すべきは)


 感情だけでも、数字だけでも、足りない。

 今、記録した“変化”を前提に、復興計画を組み直さなければならない。


 それが、自分の役目だと理解していた。


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