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高天原異聞 ~女神の言伝~  作者: ラサ
第十章 還神ーかえる神々ー

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6 神臨



 凍えた沈黙が、時すら止めた。


 無音の刹那が、永遠とも思えた。



「――」



 荒ぶる神が振り下ろした剣は、確かに斬った。



 だが、それは闇の主ではなかった。



 闇の主を斬るはずの神殺しの剣は、

 闇の主を護るために姿を顕した九十九神(つくもがみ)を斬ったのだ。



――主を傷つけることは許さぬ――荒ぶる神であっても。



 暗闇を纏い、(かたち)を持たぬ闇の集合体である九十九神が、

 確固たる己の意志を以って、荒ぶる神の前に立ち塞がる。


 神殺しの剣に斬られた部位は、

 蒸発したように音もなく白い陽炎を立ち昇らせている。


 闇の集合体であろうと神としての神格を増した九十九神には、

 激しい苦痛であった。


 その痛みは、闇の主にも伝わっていた。



「我を護るか、九十九神」



――お護りします……何時如何なる時も。

  我らの命は貴方様のもの。



 その苦痛を越える揺らがぬ意志に、

 闇の主は初めてその美しい(かんばせ)を歪めた。



――荒ぶる神よ、我々にとって主が父神。

  命を授けし父神を護るも理なり。



 九十九神の神気(しんき)が揺らぎ、神威(かむい)が満ちる。



 だが、その神気も神威も不可思議に揺らめいていた。



 闇と光が混ざり合い、明滅する。



 それは闇を切り裂くような稲妻の光とは違って、

 闇と光が互いを慈しみ合うように調和した

 優しい融合の一対だった。



「これは――月の光……?

 月読(つくよみ)か――?」


「――」



 闇の主の美しい琥珀の瞳が、

 荒ぶる神の言霊に僅かに揺らいだ。


 その揺らぎを、荒ぶる神は視逃さなかった。



(いにしえ)約定(やくじょう)に従いて、建速(たけはや)須佐之男命(すさのおのみこと)が奏上致す。


 死には死を。


 生には生を。


 かつて与えし命を今、返さん」



 結界の内が、再び白い光で満たされた。


 しかし、今度はすぐに光は消え、

 美咲の身体が結界の中央で静かに横たわっている。


 傍らに佇んでいたはずの八塚(やつか)の身体も静かに横たわったままだ。


 慎也も意識を失ったまま横たわっている。


 不思議なことに、子供の姿の八塚の御魂(みたま)のみ消えていた。


 美咲の御魂と葺根(ふきね)が、その中で座り込んでいた。



「母上様……現世(うつしよ)に返られる時でございます」



 葺根が空を視据えて呟いた。


「……?」


 葺根の言霊の意味が分からず、美咲は葺根の視線の先を追った。


 そこには、神々しく輝く国津神々(くにつかみがみ)が在った。


 結界の中に入ってくる国津神は憑坐(よりまし)を出て、神代の姿に戻っていた。


 美しい神気を身に纏い、神威に満ち溢れたその姿は、

 憶えてもいないのに懐かしく、愛おしさがこみあげてくる。


 大山津見命(おおやまつみのみこと)を先頭に、次々と国津神々が結界に入り込んでくる。


 美咲は自分の手に触れながら、

 礼をして結界から去っていく国津神々達を見ていた。


 結界を出た国津神は、闇に向かって飛んでいく。


 国津神の神威が闇とぶつかり合って、

 散り逝く花火のように煌めいては神気とともに消えた。


「ねえ――待って。神気が消えていくわ。

 神威を使い続けたら、あなた達はどうなるの?」


久久能智(くくのち)の表情が切なげに揺らいだ。


「我らは還るのです、貴女様の命の中に……」


 美咲を視つめて、石楠(いわくす)微咲(ほほえ)む。


 その(かんばせ)は、どこまでも慈しみに満ちていた。


「それって、死ぬってこと……? だめよ……」


 美咲が慌てて立ち上がろうとするのを、久久能智が跪いて止める。


「ご安心ください。憑坐から出る頃合いです。

 すでに、中つ国の民草は己を忘れ、我らを忘れ、

 そうして、我らは消え逝く神々と成り果てました」


 石楠も跪く。


「信じるものがいなければ、神など無用の長物。

 役に立たぬ我らが最後に捧げられるものがこの命であるなら、

 これ以上の喜びがございましょうか」


 すでにここには、神々が生きることを許さぬ強い力がある。



 彼らは忘れ去られた神々なのだ。


 そして、滅び逝く定めの神々だった。



「母上様……お会いしとうございました。

 貴女様の御還(おかえ)りを、

 我等国津神はずっとずっと、お待ちしていたのです……」



 神気が揺らぎ、神威が満ちる。



 自分を愛おしむ、自分が愛おしむ、

 懐かしさに満ち溢れた神気だった。


 それを、全身で感じた。



 なぜ、忘れてしまったのだろう。



 こんなにも、狂おしいほどに、懐かしく、恋しいのに、

 なぜ、自分には記憶が無いのだろう。


 この最後の時に、かけてやるべき相応しい言葉も探せない。


 愛しい気持ちを伝えられないもどかしさで、胸がつまる。



 女神の記憶は何処に。


 彼女の本当の想いは何処に。



 溢れる思いに、美咲は胸を押さえた。


 久久能智と石楠が静かに結界を去っていく。



「お願い……いかないで……」



 そう思っているのは、自分だけではない。


 伊邪那美(いざなみ)こそが、そう思っているはずなのに。



 神威が去る。


 神気が消えて逝く。



 激しい喪失感に、美咲は震えた。


 自分の中の、何か別のものが

 消え逝く神々を悼んで泣いていた。


 記憶が無くても、美咲も泣いた。


 この身を引き裂かれるような、深い悲しみ。



 喪った子を思って泣く、それは母の涙だった。



 国津神全ての神威が消え、神気が滅した後、

 美咲の身体が首にかけていた勾玉が壊れた。





 死の神威が押し戻された。


 国津神がその(みこと)を以ってして理を覆したのだ。



――父上様、黄泉国へ返りましょう。



 傷ついた九十九神が囁く。


 未だ現世は黄泉の領界であった。



 だが、闇の主は動けなかった。



 言霊を巧みに操る自分が、

 荒ぶる神の言霊に囚われたことがわかったからだ。



 初めから得てもいないもの。


 己の心が、求めるもの。


 対の命とは――



 たくさんの記憶と思いが巡る。



 何を間違えたのか――永き時を経て、今、()(とき)、思い知るのか。



「そなたらに力を与えたのは、夜か――?」


 静かに問う。



――すでに父上様には全てお分かりの筈。

  返りましょう。



 九十九神の言霊に、闇の主は抗わなかった。



「――我は動けぬ。往け」



 九十九神が闇の主を抱きしめる。



 そして、闇の中へ消えて往った。






「美咲!!」


 荒ぶる神の言霊に、美咲ははっと目を開けた。


「建速――」


 荒ぶる神に抱きかかえられていた美咲は、身体を起こす。


 生身の身体がある。



 生きている。



 自分が現世に返ってきたこともわかる。


 それでも、自分は未だ女神ではなかった。


 女神であるという記憶は残っている。


 だが、それは物語を読んだような知識と共感でしかない。


 国津神が消えてしまったのに、

 なぜ、八塚は返らず、神威も神気も戻らないのか。


 そしてなぜ、現世の闇が消えないのか。



 何が足りないのだ。



 いくら考えてもわからない。


 美咲は自分を抱きかかえている荒ぶる神を見据える。


「建速、あなた伊邪那岐(いざなぎ)の息子でしょう?

 どうして私を救けるの?」


「俺はあんたの敵じゃない。

 伊邪那岐から現象したが、あんたの息子でも在る」


 世界は闇に閉ざされ、陽の光も月の光もない。


 建速によって護られている美咲と葺根以外に、

 動いている人間は誰もいなかった。


 八塚と慎也の身体は、横たわったまま動かない。


 結界は消え、少し離れた暗闇の空間に

 たくさんの国津神の憑坐達が同じように倒れていた。


「国津神の命を使って、私生き返ったのよね?

 何故現世は暗闇のままなの? 豊葦原はどうなるの?」


「伊邪那美が返るにはまだ何かが足りないのか――」


 荒ぶる神が美咲を視つめ、次に何故か傍らの神殺しの剣を視た。



「そうだ、足りないのだ。

 国津神最後の神が――

 だから、伊邪那美は顕われない――」



 荒ぶる神のそれ以上の言霊を遮るように、

 眩い光が突如暗闇を照らした。


「っ⁉」


 荒ぶる神が咄嗟に美咲を抱きしめる。


 あまりの眩さに目を開けていられない。


 美咲は目を閉じ、顔を背けて強い光が落ち着くのを待った。


「た、建速様……」


 葺根の震える声音が耳に届く。


 目を開けて、美咲は葺根を見た。


 そして、葺根が視ているものを見た。


「――」


 そして、葺根の驚きを理解した。



 国津神々の憑坐が皆起き上がっていた。



 だが、それは国津神ではなかった。


 人間でもなかった。



 神気が違う。


 神威が違う。



 姿形は同じでも、全く別の神々だった。


 たくさんの憑坐の中から、前に進み出たのは、

 天津神(あまつかみ)巫女神(みこがみ)――美咲達には馴染み深い、

 天之宇受売命(あめのうずめのみこと)の憑坐であった。



「国津神が神去ることにより、天津神が参りました。母上様」



 そう告げて跪いたのは、正しく宇受売だった。


「宇受売――天津神の先駆けか」


「建速様、国津神が神去りし今、天津神が豊葦原に降りました。

 高天原の総意をお伝えするために」


「天津神の総意だと?

 それならば天照(あまてらす)が降ればいいこと。

 疚しきことが在る故、姿を顕さぬのか」


「そのようなもの、在る筈がない」


 天津神々が脇へ避ける。


 その中を進んで来たのは太陽の女神だった。


 少し下がって傍らに控えているのは美里と莉子の憑坐だった。


 明らかに天津神が降りていた。


「天照」


「建速よ、豊葦原が黄泉国の領界より解き放たれぬ以上、

 高天原は母上様の帰還を認めぬ」


「それを聴いて俺が従うとでも?」


「それ故、天津神全てが降ったのだ。

 何としても、母上様には黄泉国にお返りいただく」


 莉子と美里が前に進み出る。


 美里の中に在る神が手を伸ばすと美しい剣が顕れる。


「それは――」


「覚えておられますか、建速様。

 これは神剣草那芸(くさなぎ)

 八俣遠呂智(やまたのおろち)より(いづ)るもの。

 遥か彼方となった過ぎし神代で

 御身が高天原に献上した御刀(みはかし)でございます」



 美しい剣から神気が揺らぎ、神威が満ちる。



 その途端、葺根がその場に膝をつく。


「く……う……」


「葺根よ、天津神で在りながら、高天原に叛くなど許されぬ。

 暫し眠っているがいい」


 その言霊に、葺根は(くずお)れる。


「さあ、荒ぶる神よ。母上様を御渡し下さい。

 貴方様がいくら貴神と云えども御独りでは

 太陽の女神と天津神の全てを敵に回して闘えるとは思えませぬ」


 荒ぶる神は、美咲に視線を向けた。



「美咲、どうする。あんたが許せば、俺は闘える」



「天津神を殺さないと、誓ってくれる?」


「誓おう」


「では、許すわ」


 荒ぶる神は(わら)って立ち上がり、

 天津神に向き直る。



 神気が揺らぎ、神威が満ちる。



 同時にその手には神殺しの剣が顕現する。



思兼(おもいかね)、俺の剣を覚えているか?」



 美里の中の思兼の容が色を失くす。


天之尾羽張(あめのおはばり)!! 何故御身が高天原の神剣を!?」


 神代の時代に伊邪那岐が火之迦具土(ほのかぐつち)を斬った御刀。


 それが、今荒ぶる神が持つ神殺しの剣だった。



 荒ぶる神の神気が揺らぎ、神威が満ちる。



「無駄だ。そなた達全てでも俺には勝てん。

 これに斬られれば、天津神とて死すべき定めから免れぬ。

 神代が戻りし今この(とき)、神去ることを望むというのか」



 荒ぶる神の言霊に、神々が畏れをなす。


 太陽の女神の無慈悲な言霊が、怯む天津神に無情に響く。



「よかろう。

 ならば斬って視せよ。斬れるものならな」



 太陽の女神の神気が揺らぎ、神威が満ちる。



 その手に、黄金の錫杖が顕われる。


「天照、よせ」



「天津神の――高天原の総意と申したぞ、建速。

 この私を斬り捨てよ。

 さすれば退いてやる」



「なりませぬ、天照様!!」


「御身は高天原のみならず

 世界に在らねばならぬ唯独りの神なのですぞ!!」


 宇受売と思兼が必死で言霊を継ぐ。


 だが、太陽の女神の眼差しは強い覚悟で満ちている。



「すでに豊葦原は黄泉国の領界となった。

 太陽など必要ない!!」






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