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高天原異聞 ~女神の言伝~  作者: ラサ
第九章 希神ーこいねがう神々ー

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4 崩壊



 言い捨てるように言霊を告げて去っていく月神を、

 思兼(おもいかね)はうっすらと嗤いながら視ていた。


 それから視線を戻すと、

 閉じられた天の岩屋戸と傍で不安げに控える天津神達の後ろ姿が視える。


 その中から、二柱の男神が此方に向かってくるのが視えた。


「思兼殿」


 思兼を呼んだのは、神直毘(かむなおび)大直毘(おおなおび)の兄弟神であった。


 創世神である伊邪那岐命が黄泉国から返った際の禊で成った神々の内の二柱だ。


 禍事(まがごと)を吉事に変える神々。


 その(かんばせ)は今は憂いを帯びてはいるが、涼やかで優しげであった。


「神直毘様、大直毘様、どうなされました。高天原にお出でになるとは」


 思兼は一礼する。


「豊葦原までが闇に閉ざされ、一向に朝が来ぬもので

 私達は国津神々の名代として参った」


「豊葦原と対である高天原に禍事が在るなら、

 我らの神威が要るのではと思ってな」


 その言霊に、思兼は嬉しそうに咲った。


「――それはそれは。私もたった今、月神様よりお役目を賜った処。

 お二方にもお救け頂きたき事が」


「おお。何でも言ってくれ」


「我らに出来ることが在れば何でも」


「実は、天照様が天の岩屋戸に籠もられたことで、

 高天原の秩序も乱れております。

 この事態を収拾するべく、月神様をお呼び致しましたが、

 どうやら月神様はお加減が優れぬご様子。

 どうかお二方には、お傍で月神様を御護りして頂きたいのです」


「月読様が?」


「お加減が優れぬとは?」


「対である太陽の女神がお隠れになったことで、

 陰陽の調和が崩れております。

 恐らく陽の神気が足りぬのでしょう。

 どうぞ、お二方がお傍で離れず神気を満たして下さいませ。

 禍事を返すお二方の神威でなければ出来ぬこと」


「三貴神で在らせられる月読様にそのような禍事が――」


「何とおいたわしい――」


「私がこのように申したなどとは、月神様にはご内密に。

 太陽の女神がお隠れの今、ご自身のことなど省みずに、

 気丈に振る舞っておいでです。

 無理をなされば月神様も喪われてしまいます。

 それだけは避けねば」


「我らに任せよ」


「月読様は我らがお救けしよう」


 神直毘と大直毘は大きく頷くと思兼に言われるまま、月神を追った。






 ほどなく、神直毘と大直毘は月の宮に向かう途中の茂みの近くに

 膝を着いている月神を視つける。


「月読様!!」


 呼ばれて、月神は駆け寄ってくる二柱の兄弟神に気づく。


「兄上方……何故此方に……?」


「国津神の名代として参ったのです」


「お加減が優れぬご様子、我らにお任せを」


 言うなり、神直毘が月神を抱き上げる。


 抗う気力のない月神は、神直毘から伝わる陽の神気を受けながら、

 大直毘に先導され月の宮へ運ばれる。


 神直毘が月神を褥へと運び入れ、大直毘が誰も入れぬよう結界を敷く。


 褥へ下ろされた月神は、咄嗟に膝を着いてにじり寄り、

 神直毘の首元に腕を回して縋り付く。


 このまま身体が離れては、陽の神気が伝わらなくなる――無我夢中だった。


 そうして抱きついたまま少しでも神気を受けようとする月神を、

 神直毘は愛しげに抱きしめ返す。


「陽の神気が足りぬのですね」



 神気が揺らぎ、神威が満ちる。



 大直毘が月神の(くつ)を脱がす為に、月神の背後から脚に触れる。


 触れた手から、陽の神気が伝わる。


「ああ……」


 その心地良さに、月神は喘ぐように息をついた。


「ならば、我らの神気を」


 神直毘の言霊に、月神は何故と問うことも忘れ、

 神直毘の頭を引き寄せ唇を合わせた。


 舌を絡め合い、貪るように求めるも、

 弱った意識の中で何かが違うと感じていた。


「兄上……足りませぬ……」


 荒ぶる神の神気と違って、二柱の神の神気は弱い。


 女体であった月神の身体を一夜で元に戻すほどの陽の神気は、

 肌を重ね、唇を重ねていても得られない。


「では、もっと」



 再び神気が揺らぎ、神威が満ちる。



 月神の変若水が、兄弟神の神気と神威をさらに増し満ちさせた。


 神直毘は再びくちづけながら上衣を脱いで、

 月神の上衣も脱がせ、肌を合わせる。


 沓を脱がせ終わった大直毘は一度褥を離れ、

 程なくして手に香油を持って戻ってきていた。


 向かい合って抱き合う月神の背後に回り、

 美しく白いその背中に手を触れ、神気を伝える。


 くちづけを受けながら、その白い背中がびくびくと震えた。


「そう、もっと」


 呟くなり、大直毘の手は前に回り、月神の腰帯を解き、褌を引き下ろした。


 香油に濡れた指が月神の肌に触れる。


「ああ……っ、何を」


 突然の所作に身を仰け反らせるも、

 指とともに陽の神気が入り込み、違和感よりも心地良さが勝った。


「ここに陽の神気を注げば良いのです」


「それは……ああっ……」


 送られる神気に、月神の身体が震える。


 苦しさと心地良さが入り交じり、

 どうすることもできない。


「あ……っ、ぁ――――っっ!!」


 言霊は神直毘のくちづけに呑み込まれ、

 同時に大直毘の神気と神威を送られ続けた月神は、

 ついには心地良さに屈した。


「……っ、ぅっ」


 月神の全身にはすでに力が入らない。


 俯せに倒れ込み、震える身体。


 それを神直毘と大直毘は愛し気に視つめていた。


 そして、優しく大直毘が月神を背後から抱え上げる。



 三度(みたび)、神気が揺らぎ、神威が満ちる。



 大直毘は柔らかくしどけない月神に先程よりも強く神気を送る。


「あぁ―――」


 初めての感覚と衝撃に、月神は弱々しく叫んだ。


 必死で上半身を起こすも、神直毘が目の前に座り込み、

 再び唇を重ねて陽の神気を流し込む。


「月読様、さあ、我らの神気を」


 神直毘が動けない月神の上半身を抱きしめる。


 神気と神威を送る大直毘と月神の唇を塞ぐ神直毘に挟まれ、

 陽の神気を注がれる月神は艶めかしく美しい。


神気を受け止めながら、月神は兄弟神と交合い続けた。






「天照」


 名を喚ばれた時、幻聴だと思った。


 だから、閉じていた目を開けなかった。


 喚ばれる筈がないのだ。


 此処は天の岩屋戸。


 扉を塞いだ今、此処には自分独りだけ。


「天照」


 だが、もう一度、聞こえた。


 太陽の女神は、閉じていた目を開けた。


「――」


 闇の中に、自分を喚んだ者の姿が鮮やかに浮かび上がっている。


「建速――」


 名を喚び返され、荒ぶる神は小さく咲った。


「どうして此処に入ったのだ」


「入るだけなら出来る。お前がいるから。

 出ることは出来んがな」


 近づこうと踏み出す荒ぶる神に、


「近づくな!!」


 鋭く告げる。


「よくも私の前に姿を顕わせたな」


「お前が籠もれば高天原の秩序が崩れる。

 早く出て天津神々を安心させてやれ」


「秩序? 其れを先に崩したのはそなたではないか!?」


 あまりの怒りに目が眩む。


「そなたは、何をしたかわかっているのか!?

 織女は、神御衣(かむみそ)を織る巫女神だったのだぞ!!」


 しかも、自分を裏切り、月読と交合った。


「天照。俺は、神逐(かむやら)いされても構わん。

 高天原にはどのみち留まれぬ。天命を受けた以上は。

 だが、斑駒(ふちこま)は罪に問うな」


「罪に問うな? 天之斑駒は畏れ多くも

 太陽の女神の神御衣を織る巫女神を殺めたのだ!!

 それが天に叛く大罪だと知りながら、

 後先も考えずに唆したというのか。

 そなた独りが正しいのか!!

 全てを壊し、何もかも踏みにじり、

 裏切り去っていくことが正しいことか!?」


 こんなにも自分を傷つけて、

 平気な顔で去って往こうとする男が憎かった。


「いつかお前にもわかる」


「わかりたくもない。いつかだと?

 今わからぬのならば、いつかなど何の意味もない。

 これがそなたの言う天命ならば、永久にわからずともよい」


 涙を視せるまいと、太陽の女神はその美しい容を背けた。


 衣擦れの音がして、荒ぶる神が黙って座り込んだのがわかった。


「――」


 ともに在れぬのはわかっていた。


 だから、せめて自分の織った布で御衣を作り、

 咲って送り出したかったのだ。


 全てを覆す天命を受けたから、追い縋ったりしないよう、

 心も視せなかった。


 それなのに。


 月読とともに、自分を裏切った。


 それが、許せない。


 それ以上考えたくなくて、再び太陽の女神は目を閉じた。







「……」


 目を覚ました月神は、違和感に気づいた。


 部屋が明るい。


 朝が来ている――其処で、身を起こしてさらに具合の悪かった身体が

 驚くほど軽く感じられることにも驚いた。


 身体には何も身に付けておらず、振り返れば、

 神直毘と大直毘の兄弟神が倒れ込むように眠っている。


「……あぁ、そんな……」


 兄弟神を視たことで、昨夜の出来事がまざまざと甦ってきた。


 月神の身体から、血の気が引く。


 陽の神気を受けるためとはいえ、兄弟神と交合ってしまったのだ。


 男神としての身体が、大宜津比売に穢されただけでなく、

 兄弟神にも穢されてしまった。


 しかも、最後には自分から進んで受け入れた。



 自分は穢れてしまった。



 絶望に、月神は泣いた。



 どうすればいい。



 こんな事が、自分に起こるなんて。


「違う……違う……こんな事は、嘘だ。起こる筈がない」


 陽の神気を補い、今、月神は完全な状態だった。



 月神の神気が揺らぎ、神威が満ちる。



 月神の神威が、神直毘と大直毘に向けられ、放たれた。


 交合いの名残が、瞬く間に消える。


 昨夜の記憶を、神直毘と大直毘から奪わなくてはならない。


 意識のないまま記憶を奪われる神直毘と大直毘は苦痛に喘いだ。


 それでも、三貴神である月神の神威には抗えない。


「忘れるのです、全て。兄上達は、私には会わなかった。

 誰にも会わず、豊葦原に返ってお眠り下さい」


 月神の言霊に、神直毘と大直毘は従った。


 意識のないまま、何事もなかったように

 二柱の兄弟神は部屋を出て往った。


「……」


 月神は、自身の身体にも神威を向ける。


 交合いの痕跡が視る間に消えていく。


 身支度を整え、部屋からも全て交合いの跡を消し去り、部屋を出る。


「姉上……姉上……」


 今、月神が会いたいのは、自分の対で在る筈の太陽の女神だった。






 思兼の策が功を奏し、太陽の女神は天之岩屋戸から戻っていた。


 月神はようやく(まみ)えた太陽の女神に安堵したが、

 返ってきたのは冷たい一瞥であった。


「そなたは、高天原に在ってはならぬ。夜の食国に戻れ」


 月神の容から、血の気が引いた。


「姉上……」


「豊葦原で、大宜津比売と一夜を過ごしたとか。

 ならば、大宜津比売を娶るしかあるまい」


 何故太陽の女神が豊葦原でのことを知っているのか――

 今の月神は動揺しすぎていて考えが及ばない。


「あれは、謀られたのです。私の意志ではありませぬ」


「そのようなことはどうでも良い」


 蔑むような太陽の女神の視線に、月神の震えが止まらない。


 すでにこの身は穢れてしまった。


 こんなにも穢れてしまった身体で、

 この美しい太陽の女神に触れることは叶わない。


「姉上……姉上」


「良いか、月読。そなたの変若水(おちみず)は、誰にも奪われてはならぬ。

 そなたの神威は、天津神にも国津神にも奪われてはならぬのだ。

 私を煩わせずに、夜の食国でおとなしくしておれ」


「姉上、私は――」


「大宜津比売を妻とし、夜の食国へ往くのだ。

 それで、そなたの名誉も変若水も護れる。

 これ以上私を失望させるな。

 失望させられるのは、建速だけで十分だ」


 それ以上の言霊を語らず、太陽の女神は月神に背を向けた。



 月神の中で、何かが壊れた。








 太陽の女神の部屋を出た後、

 どのように歩いてきて月の宮へ辿り着いたのか記憶はなかった。


 蒼白な容に、部屋の前で待っていた荒ぶる神が駆け寄る。


「月読、何があった?」


 荒ぶる神の言霊も耳に入らない。


 月神の心はただ一つに囚われていた。



 穢れを祓わねばならない。



 自分を支える荒ぶる神の腕にしがみつきながら、月神が問う。


「建速。大宜津を殺せるか」


 眉を顰める荒ぶる神の容を視ても、何も感じない。


「月読――?」


 ただ一つ。


 それだけが心を占める。



 穢れを払わねばならない。



 すでに、月神の内側は軋み、罅割れ、壊れていた。



「あやつを殺さねば、私が死んでしまう」






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