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高天原異聞 ~女神の言伝~  作者: ラサ
第九章 希神ーこいねがう神々ー

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1 二心


 夜の食国(おすくに)には、

 領界の狭間に位置するため夜明けは来ない。


 黄泉大神が創り出す闇の異界同様、朝も昼もない。


 けれど、根の堅州国同様、暗闇の中でもその姿を隠さず、

 美しく静謐な光景が広がる。


「此処は――」


 思兼(おもいかね)は、戸惑った。


 夜の食国に来たはずなのに、

 其処は自分が望んだ領界ではなかったからだ。


 月の館は視えず、何処までも続く闇ばかり。


 以前、夜の食国に至るまでには神宝(かんだから)である鏡の神威を使ったが、

 路筋(みちすじ)を視つけた今、鏡が無くとも路を違えるわけがない。


 それなのに。


「此処は何処なのだ――」


 辺りを視回すと、不意に、淡い(かす)かな揺らめきが視えた。


「――」


 揺らめきは、徐々に思兼に近づき、その輪郭を顕わにした。


 思いがけぬものを視界にとらえ、思兼は驚愕する。


 それは、青ざめてはいるが美しい女神の首であった。


――思兼様……


大宜津比売(おおげつひめ)!? 何故、此処に――」


――お恨み申し上げます……貴方様の言霊を信じたばかりに、

  私の四肢は、この様に切り刻まれ、散り散りに


 首だけの女神は、思兼が後退ると同じだけ、

 揺らめきながら近づいてくる。


――私の身体を、お返し下さいませ……

  このままでは、黄泉国にも向かえませぬ……


「よせ、来るな!! そなたを殺したのは、月神と荒ぶる神だ。

 私の処に来るなど、おかしいではないか!!」


――私を(たばか)っておきながら、そのような物言いをなさるのですか?

  月神と荒ぶる神は、神逐(かむやら)いされたではありませぬか。

  彼らを陥れた貴方様は、何故罪に問われぬのですか?


 大宜津比売の言霊に、思兼が我に返る。


「――そのようなこと、死したそなたが何故知っているのだ?」


「我が、教えたからだ」


 不意に横からかかった言霊。


 思兼は驚いてそちらに視線を向ける。


「!!」


 息を呑むほど美しい(かんばせ)が、

 手を伸ばすだけで触れられるほどすぐ近くに在った。


 その容に、こちらを視据える美しい琥珀の瞳に、思兼は一時我を忘れた。


 そして。


 自分の額に触れる、白く美しい指先。


「よ、黄泉大神(よもつおおかみ)――」


 そう呟く以外、何も出来なかった。


 闇の主に囚われた思兼は、抗うことも出来ず、

 ただ、その琥珀の瞳を視つめるのみ。


「確かめてみよう。そなたの罪を」



 美しい言霊が、思兼の罪を暴いていく――






 高天原の太陽の宮にある大広間には、八百万(やおよろず)の神々が集っていた。


 上座に座する太陽の女神は、天津神の陳情を聴くのに、

 もう永い時間を費やしていた。


「そなたらの言い分はわかったが、建速を罰することは出来ぬ」


「天照様!!」


「少しぐらいあれが暴れた処で、

 甚大な被害が出たわけでもあるまいに。

 何をそう騒ぐのだ」


「荒ぶる神は、其処に在るだけでも畏れ多いのです。

 嵐を引き連れて訪なわれれば、田畑の収穫にも関わります!!」


「わざとしているわけではない。高天原の様子に興味があるだけだ。

 豊葦原とはまた違うのだから」


 荒ぶる神を恐れる天津神は、皆一様に

 建速を高天原から追い出すよう申し立てに来たのだ。


 大げさな物言いに、天照は逆に呆れてしまっていた。


 確かに、無造作に伸ばした髪を結いもせず、

 あの大きな体躯で勝手気ままに歩き回られては、

 天津神が恐ろしく思うのも無理はない。


 溢れ出る神気は隠しようもなく、

 猛々しい気が咲いている花をも萎れさせる勢いだ。


 穏やかな高天原や天津神には、どうあっても馴染めぬものであろう。


「建速は、いずれ高天原を去る。そなたらが恐れることは何もない」


 そう、それはすでに定められたことなのだ。


 建速は高天原には留まらない。


 引き止めることなど出来ないし、する気も最早ない。


「――ですが」


 なおも言い募ろうとする天津神に些かうんざりして、

 天照は手を上げて遮った。


「程なく去る弟に、今すぐ出て往けとは言えぬ。

 この話はこれで終わりだ」


「皆様方、太陽の女神の言霊を信じて待ちましょう。

 三柱の貴神(うずみこ)が、我らを害することなどあり得ませぬ」


 続きを思兼が引き受け、ざわめく天津神を上手く宥め、

 渋々と大広間から神々が出て往く。


「姉上。お疲れのようですね」


 傍らで静かに聴いていた月神に、太陽の女神は目を向ける。


 ここ最近の陳情は、荒ぶる神についてだが、この月神も、

 太陽の女神には悩みの種でしかない。


月読(つくよみ)、建速のことばかりではない。

 そなたもこうも長く高天原に留まってはならぬ。

 夜の食国を与えられたのだ。そなたの治めるべき国へ往かねば」


「姉上、私は此処に、高天原に在りたいのです。

 姉上から離れるなど出来ませぬ」


「幼子のような言霊を。我らは三柱の貴神(うずみこ)

 与えられた領界を治めねばならぬ」


 そう。


 高天原の主は自分なのだ。


 天津神々も納得した。


 その証拠に、三柱の貴神(うずみこ)であるのに、

 荒ぶる神を引き止めるものなど誰もいない。


「姉上――」


「建速のように私を煩わせてはならぬ。

 月読、建速が去る時は、そなたも夜の食国へ往くのだぞ」


 渋々と、月神も大広間を出て往く。


 静かになった空間に、太陽の女神はようやく息をつく。


 ようやくこれで憂いは何もないと安堵したその時、

 荒ぶる神が大広間に入ってくる。


「建速、何をしに来た?」


「お前に逢いに」


 気ままに振る舞う荒ぶる神に、太陽の女神は呆れたように息をつく。


「高天原に在る僅かな間だけでもおとなしくしていることは出来ぬのか」


「俺がおとなしくしていれば、かえっておかしいだろう」


 確かにそうだ。


 こうして、騒ぎを起こすからこそ、

 天津神は不安になり、ますます天照を頼る。


 もしや、それが狙いなのか。


「私のためか?」


「おとなしくしているなど、性に合わぬだけだ」


 そのまま、天照の腰に手を回し、己へと引き寄せる。


 そのまま横たえられて、くちづけられればもう抗えない。


 帯が解かれ、上衣の合わせが開かれる。


 大きな手に意外なほど優しく触れられると

 堪えきれない吐息が漏れる。

 

 誓約は、もう終わったのに。


 自分達が交合うことに何の意味があるのだ。


 そう思いながらも虚ろな身体と心を同時に満たせるのは、

 この瞬間だけなのだ。


 愚かな自分に、今だけだと言い聞かせるしかなかった。






 大広間を出て、月の宮へと向かう月神に、言霊がかかる。


「月読様」


 振り返ると、其処には思兼の姿が在る。


「思兼か――」


「太陽の女神に、進言なさったのでしょう? 女神は何と?」


「いずれ去る者を構うなと仰せだ。姉上は優しすぎる。

 建速にも困ったものだ。後で私からも弟に言っておこう」


「さすがは月の御方様。我々天津神では、畏れ多く、

 荒ぶる神に言霊をかけることも出来ませぬのに」


「我らは三貴神で在るのだから、互いに律し合わねばならぬ」


「真に貴神(うずみこ)に相応しい言霊。

 太陽の女神もお喜びになるでしょう」


 思兼の言霊に、月神が嬉しそうに咲う。


「では、私は月の宮へ戻る」


「お待ち下さい、月読様」


 歩きかける月神を、思兼が再び留める。


「次の望月に豊葦原の大宜津比売の処へお往き下さい。

 天照様の名代として」


「姉上の代わりに?」


「太陽の女神の対たる月の御方様でなければ、

 この役目は務まりますまい」


「そうだな。お忙しい姉上を煩わせることはない。

 私が代わりに赴こう」


 疑いもなく承諾し去っていく月神に、思兼は内心ほくそ笑む。


 月神を追い落とす準備は整った。


 残るは荒ぶる神だけ。


「――」


 気配を隠し大広間へ戻れば、扉の向こうから、

 隠しきれぬ艶めいた喘ぎ声と衣擦れの音がする。


 嫌悪も顕わに、扉を見つめる思兼。


 中では、太陽の女神と荒ぶる神が交合っている。


 高天原の主を穢す荒ぶる神を、心底嫌悪する。


 荒ぶる神など、太陽の女神には相応しくない。


 唯一の存在である太陽の女神を、

 誰からも、何からも、護らねばならぬ。



 荒ぶる神は、二度と高天原に戻れぬよう完全に追い落としてやる――



 心に固く誓い、思兼は静かにその場を去った。






 朝議を終えた天照に、月読が声をかける。


「姉上、御挨拶に参りました」


「挨拶?」


「今宵は望月。豊葦原での宴に、姉上の名代として往って参ります」


「ああ――そうだったか。すまぬな。忘れていた」


「瑣末な事はお任せを。姉上は御心安らかに過ごして下さい」


 度重なる荒ぶる神への申し立てに、

 太陽の女神も最近は庇い立て出来ずにいる。


 そのせいか、何かと理由をつけては機織り小屋に籠もり、

 天津神にも会わぬようにしているらしい。


「大宜津比売は古き神。粗相の無いように」


「御意に」


 一礼して大広間から前庭へと出る。


 そのまま天之安河原(あめのやすかわら)へ一番近い門へと向かう。


 途中で、前庭を歩く建速に会う。


 荒ぶる神は三貴神の末でありながら、体躯は月神よりも逞しく、

 ともすれば月神の方が末のように視える。


「豊葦原に降りるのか」


「姉上の名代としてな。

 そなたがそれ程に執心する豊葦原を視てこよう」


「豊葦原は、美しい処だ。そなたも気に入る」


「莫迦なことを。我ら三貴神の在る処は、高天原ではないか。

 やはりそなたは変わっている」


 月読の言霊に、建速が咲う。


「建速。姉上を煩わせてはならぬ。そうでなくともお忙しい方なのだ」


「そうだな。何が忙しいのか、俺にも逢おうとせぬ」


「そなたが煩わせるからだ。

 もうすぐ此処を去るのならば、おとなしくしていよ」


 建速を視上げると、その視線は、遠くを視ていた。


「どうした? 何を――」


「静かに」


 荒ぶる神が、そっと動き出す。


 月神はわけもわからずついていく。


 木々の向こうに、何やら視える。


 それは、二柱の神だった。


 一方は男神だ。


 もう一方は、女神だ。太陽の宮の采女の装束を着ている。


 なにやら言い争っているように、月神には視えた。


 さらに近づけば、男神が女神を木に押しつけ、

 くちづけしているところだった。


 女神が抗うも、男神はくちづけながら女神の上衣を左右に開いた。


 木を背にしているので、女神の容は視えないが、

 はだけられた白い肌と胸に容を埋める男神が視えた。


「……ああ……駄目……」


 女神の弱々しい言霊にも、男神は構わずに愛撫を続ける。


 月神は、眉を顰め、前に進み出た。


「やめよ!!」


 麗しい声音が、強く響いた。


 男神が、女神の胸元から容を上げ、

 月神と荒ぶる神を視界に入れるや、驚きに平伏す。


 女神は振り返ることも出来ず、慌てて乱れた上衣を整える。


「此処は太陽の女神の宮ではないか。場所を弁えよ」


 女神は恥じ入るように宮の奥へと走り去った。


「建速、そなたから諭してやれ。

 嫌がる乙女に無理強いをしてはならぬと」


「――」


「では、私はもう往かねば。思兼が待っているからな」


「気をつけて往け」


 月神を視送ると、荒ぶる神は平伏したままの男神に目をやる。


「あれは、神御衣(かむみそ)を織る巫女神だな」


「――左様にございます」


「欲しいのなら、奪わねばならぬ」


 荒ぶる神の言霊に、驚いたように顔を上げる男神。


 その瞳は、金と赤の斑だった。





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