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高天原異聞 ~女神の言伝~  作者: ラサ
第八章 抗神ーあらがう神々ー

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6 再臨


 美しい(かんばせ)が泣き濡れているのを視たのが、

 未だに悔いとして残る最後の記憶だった。



 絶望に打ち(ひし)がれたその御心を、お慰めしたかった。


 本当に必要とされていたのは、自分ではなかったけれど。


 だからなのだろうか。


 神代を遠く過ぎてもなお、己の心を満たすことが出来ぬのは。


 常に、心が満たされぬと感じてしまうのは。



 どうしたらこの満たされぬ心を、満たすことが出来たのだろう。





 足早に廊下を往く思兼(おもいかね)は、

 苦々しげな表情をその容に浮かべていた。


 宇受売(うずめ)の神気を感じた。


 高天原に戻ってきたのだ。


 もう戻らぬと思っていたのに何故今になって。


「――」


 大広間の扉は開け放たれ、前庭には、

 太陽の女神が神気を揺らめかせながら立っている。


 その傍らに控えるは、采女(うねめ)の筆頭である巫女神。


 天孫(てんそん)日嗣(ひつぎ)と共に天降るまで

 視続けなければならなかった光景が、再び其処に在る。


天照(あまてらす)様!!」


 緩やかに振り返る女神の容は、

 思兼を視界に入れた途端、冷めたように視えた。


「思兼」


「何処へ赴かれるのですか。よもや――」


「わかっておろうに。何故問う」


 冷たく一瞥する太陽の女神に、なおも言い募る。


「高天原の主である御身が豊葦原に降るなどなりませぬ」


「すでに降りた。今更何を言う」


「すでに降りたからこそです。

 太陽神である御身は、天に在って輝く身なれば、

 下天の豊葦原に関わってはなりませぬ」


「かつても、そう言うた。だからこそ、神代では、

 そなたを信じて瓊瓊杵(ににぎ)を任せたのだ。宇受売までつけた。

 だが、どうだ? 結局、瓊瓊杵は戻ってこなかった。

 宇受売さえ、今まで戻ってこなかった」


「すでに日嗣の御子様が神去られた豊葦原に、

 降る必要はございませぬ」


建速(たけはや)がおる。父上様と母上様を守護しているのだ。

 会わねばなるまい」


「荒ぶる神は、高天原に叛いたのです。

 何故未だ囚われるのですか!?」


 太陽の女神は咲った。


「そうだな。

 建速は、確かに高天原に――私の意志に叛いた。

 月読(つくよみ)もな」


 すっと、天照が思兼に近づいた。


 その不自然な様に、思兼は(おのの)いた。


 美しい容が、間近にある。


 胸の高鳴りと共に、訝しさも禁じえない。


「――遙か神代で、そなたがしたことを思い起こすがいい」


 宇受売に聞こえぬほどの言霊が、耳に入る。


「……天照様?」


「我ら三貴神を引き裂いたのは誰であったか――

 私が気づかぬとでも思っていたのか」


「――!!」


 思兼の容が血の気を無くす。


「あ、天照様――私は……」


 膝をつく思兼を冷たく視据え、太陽の女神の言霊は続く。


「そなたのしたことを今更責めはせぬ。

 それが、高天原のためだと、信じていたのであろう?」


「天照様――」


 全てを視透かされていた恐怖と後ろめたさに、

 思兼はただ、主の名を重ねるしか出来なかった。


「確かに、そなたは正しかった。高天原の主は唯独り。

 並び立つ者が在ってはならぬ」


 太陽の女神の美しい唇の端が僅かに上がった。


「――だが、そなたは知るまい」


 呟く太陽の女神の眼差しは遠かった。



 本当は、父上様が誰を高天原の主にと望んでいたかを――



 苦々しい想いが、天照の胸の内をよぎる。


 それを振り切るかのように、言霊が口をついて出る。


「全ては高天原のため――そうだ。

 高天原のために、今は私が往かねばならぬ」





 慎也が葺根(ふきね)八塚(やつか)と共に出てくると、

 美咲は荒ぶる神に別れを告げ、慎也と共にアパートへ戻った。


 風呂から上がって髪を乾かして居間へ戻ると、

 慎也がベッドにもたれて居眠りをしていた。


 自分にとっても長い一日だったが、

 慎也にとってもそうだったろう。


 疲れていて当たり前だ。


「慎也くん、起きて。寝るならベッドに入って。

 風邪引いちゃう」


 肩を揺すると、目を覚ました慎也が抱きついてきた。


「ああ、よかった。美咲さんがいる」


「何よ。どこにも行かないわよ」


「うん。何度でも、引き止めるよ。黄泉国には、行かせない」


「……慎也くん」


 優しく抱きしめられて胸が高鳴る。


 きっと、何度抱きしめられても、

 慣れることなくときめくのだろうと美咲は思った。


 今ここにいてくれる慎也が愛しくてたまらなかった。


「キスしてもいい?」


 囁かれて、静かに頷く。


 美咲が顔を上げると、慎也が優しく唇を合わせてきた。


 温もりとともに想いが伝わり、愛しさと心地よさが混じり合う。


 そのまま床に倒れ込んでいくところで、


「!?」


 二人は、同時に異変を感じた。


 空間を超えて、何か凄まじい気配を感じる。


 今までに感じたことのない、神々しく、圧倒的な――



 この気配は――?



 体を起こすと、美咲と慎也は図書館へ繋がれた玄関へと向かった。






 図書準備室にあるソファで新聞を読み続けていた荒ぶる神は、

 近づいてくる神気に気づいて容を上げた。


「建速様」


「葺根」


 新聞を畳む乾いた音が、静かな室内に響く。


 葺根は図書準備室と館内を繋ぐ扉の前で止まった。


「国津神達はどうした」


「校内でそれぞれに休んでおります」


「八塚は」


「理事長室に。そこで休むそうです」


「そうか。そなたも休むがいい。八塚を頼むぞ」


「お任せ下さい。それでは」


 一礼して、葺根が去っていく。


 その神気が静かに遠ざかっていくのを確かめてから、

 荒ぶる神は徐に立ち上がった。


 そして、自身も準備室から館内へと入り、

 静かに一般の来客用の玄関から外へ出る。


 結界の内にある図書館と高校、

 そしてその敷地内はひっそりと静まりかえっていた。


 夜明けまでは、まだ時がいる。


 鈍く光る外灯が

 以前と何ら変わらぬ景色を浮かび上がらせている様は、

 つい数時間前の八島士奴美(やしまじぬみ)との戦いを、

 まるで幻のように感じさせる。


 瓊瓊杵命(ににぎのみこと)は、全ての闇は打ち払えなかったと言った。


 だとすれば、黄泉国(よもつくに)の干渉はこれからも続く。


 死の神威に何処まで抗えるかは、

 正直、荒ぶる神にもわからなかった。


 だが、創世の神である伊邪那岐(いざなぎ)伊邪那美(いざなみ)は、

 何としても護らねばならない。


 今、二柱の神が在る、この時こそを、待っていたのだ。


 ただ無為に過ごしてきた時間の流れを思えば、

 今が一番、満ち足りているのだろう。


「――」


 視上げれば、夜空の星が無数に瞬いている。


 しかし、そこに月はない。


 月読命(つくよみのみこと)()堅州国(かたすくに)で会って以来、姿を顕さない。


 豊葦原で視る月は、満ちていてもいつも寂しげだった。


 月神は夜の食国(おすくに)神逐(かむやら)いされ、

 未だ独りなのだろうか。


 早く、己の対を視出せばよいものを、

 頑なに太陽に固執する。


 月は月。


 太陽には決してなれぬ。



「憐れだな、月読」



 かつて同じ言霊を呟いたと、荒ぶる神は思い出した。


 だが、それもまた過ぎ去りし神代でのこと。


 大切なのは、過去ではない。


 今と、これからなのだ。



 天命に従って、己の望みを叶えねばならない。



 その時。


 荒ぶる神は気づいた。


 天津神の気配に。


 否――これは。


 荒ぶる神と国津神の結界をいとも容易く越え、

 その場に顕れたのは――



「夜に顕れるなど、お前らしくないな」



 闇がこれほど似合わぬ女神も在るまい。


 美しき太陽の女神に、荒ぶる神はそう言った。






 視る者を(おのの)かせるその美貌。


 そして、今、その容は、静かな怒りを湛えていた。


「瓊瓊杵を護らなかったのか――」


「――そうだな。護れなかった」


 護りたいと思った者は、いつも自分を通り過ぎて往った。


 それを哀しむには、遅すぎる。


 そして、何よりも優先して護らねばならぬ者が在る今、

 荒ぶる神には感傷に浸っている(いとま)すらないのだ。


「すでに神去った者達だった。(ことわり)に従い、黄泉国へ返った。

 一目まみえただけでもよしとせよ。

 もとより、今生ではまみえぬはずであったのだ」


「今更、私に理を説くのか? そなたが?

 かつて神代で、全ての理を覆したくせに」


「天照――」


「理を、口にするな。建速。

 そなたは、それを口にするに相応しくない。

 理に従うというのならば、今こそ高天原に帰順せよ。

 豊葦原を天津神に返すのだ」


「豊葦原は、天津神のものではない」


「そなたのものでもない!!」


 強い言霊が、大気を震わせる。


 太陽の女神の怒りが、神威となって地をも揺らす。


「天照――怒りを静めろ。お前らしくない」


「私の何がわかる。すでに神代での私ではない。

 脅え、無力だった頃の私はもういない」


「俺にはわかる。どんなに時が過ぎようとも、

 俺には、お前は初めて現象したあの時のままだ」


 太陽の女神の手が荒ぶる神に向かって大きく振りかぶられる。


「何もかも捨てて豊葦原に降ったくせに、

 今更戯言を言うでない!」


 細く美しいその手を掴み、荒ぶる神は太陽の女神を引き寄せる。


「捨てたつもりはない」


 その静かな言霊に、太陽の女神は掴まれていた腕を振りほどく。


「そなたの言霊は、(いつわ)りばかりだ! かつても、今も」


「天照――」


「そなたを許さぬ。これ以上何一つとて、奪わせはしない」


 太陽の女神が後ろへ退いたその時。


「建速!!」


 呼ばれて、荒ぶる神が視線を向ける。


 太陽の女神は、その声音に振り返る。


 二柱の神の目合(まぐわ)いを遮ったのは、

 創世の神の片割れ――太古の女神の現身(うつしみ)だった。





 アパートの玄関を出て、

 美咲と慎也は図書準備室から館内へと入った。


「母上様、父上様!!」


 館内には、久久能智(くくのち)石楠(いわくす)がいる。


「何か、強い神気を感じたの」


「太陽の女神です。高天原の主が、現象なさいました」


「ただいま、建速様と真向かっておられます」


 久久能智と石楠の何処か不安げな様子が、美咲にも伝わる。


「太陽の女神――天照大御神(あまてらすおおみかみ)ね」


「敵なのか、味方なのか?」


「――」


 慎也の言葉に、国津神達は答えない。


 答えられないのは、味方ではないということか。


「天津神は、私ども国津神にはわからぬのです。

 我々の理とは異なる故に」


 久久能智の言霊に重なるように、大気が震えた。


「!?」


「美咲さん!!」


 咄嗟に慎也が美咲を庇うように抱きしめる。


 カーテンに遮られた窓がびりびりと音を立てて震えている。


「これは――」


「天津神が、高天原の主が憤っておられます」


 石楠が答える。


「建速に?」


「恐らく」


 美咲は慎也の腕から抜け出し、来客用の玄関へと走る。


 外へ出ると、長身の荒ぶる神と、

 淡い光を放つような白い装束を纏った女神の後ろ姿が見える。


「建速!!」


 思わず口をついて出た言葉。


 荒ぶる神の視線が、美咲へと向けられる。


「美咲――」


 そして、美咲は見た。


 振り返った、太陽の女神の容を。


 美しく、けれど何処か寂しげなその容に、

 なぜか憐れみを感じた。



――そなたを、高天原の主とする。



 不意に聞こえる、言霊。


 この声を知っている。


 懐かしく、愛おしい声なのに。



――これより後は、そなたが高天原を治めよ。



 何故、この声はこんなにも絶望に満ちて聞こえるのだろう。



――ですが、父上様。本来の高天原の主は……


――そなたが治めよ!! 二度と言わせるな!!



 荒げた言霊の中に、哀しみさえも満ちている。



――あれは、天には留まれぬ。

  太陽と月の神霊であるそなたらを得て、

  我々の神産みは終わった。



――父上様……


――もはや成すべきことはない。

  そう……終わってしまったのだ……



 悔恨の思いが伝わる。



 こんな思いを、ずっと持ち続けていたの?



 駆け寄って、抱きしめたい。


 何処にいるの?


 私は、此処にいるのに。



――私では、駄目なのですね。

  父上様を、お慰めすることは出来ないのですね。



 重なる想いがある。


 絶望に満ちた神霊を救いたいと思いながらも

 何も出来ないこの想いは、誰のもの――?


 その瞬間、美咲は新たな夢に囚われた。






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