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高天原異聞 ~女神の言伝~  作者: ラサ
第一章 甦神ーよみがえる神々ー

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2/5

2 戸惑



 四月はあっという間に終わり、

 五月の半ばとなっていた。


 慌ただしい年度初めの雑務も一段落して、

 ようやく美咲は毎日繰り返される

 日常業務に没頭することができていた。


 穏やかな読書日和の土曜の昼を過ぎて、

 貸し出しが一段落したところで、

 美咲はたまった返却本を積み上げて、

 一気に持ち上げる。


 カウンターで分類しておいたので、

 一番近い9類の書架へ向かう。


 利用者も少ないため、

 館内は空調の音だけでひっそりとしている。


 足音を立てぬよう、

 美咲はことさら歩調を落とした。


 そんな(ひそ)やかで穏やかな時間は、不意に破られた。


 目の前の視界が突然ひらけると同時に、

 両腕にかかっていた重みが減った。


「視界を遮らない程度に本を運びなよ、美咲さん」


 横からかかった声に視線を向けると、

 そこには私服の慎也の姿があった。


 ラフなシャツにジーンズという

 シンプルな服装ではあったが長身の彼によく似合っていた。


 美咲の視界を遮っていた数冊の本を、

 大きな手が無造作につかまえている。


「あれ使えばいいじゃない」


 キャスターつきの移動用書架に慎也は視線を向ける。


「だめよ、あれで移動するたび、

 キャスターがキイキイうるさいんだもの。

 嫌いなの、あの音」


 小声で言う美咲に、慎也は小さく吹き出した。


「それでうるさくしてれば、意味ないと思うんだけど」


 初めて会ったときのことも含めての言葉だ。


「生意気ね、年下の分際で」


「美咲さんが年上らしくないから」


 冗談めかして笑う慎也をよそに、

 美咲が再び歩きだす。


「あれ、怒ったの、美咲さん?」


「怒ってません、本を戻しにいくの」


「じゃ、手伝うよ」


 言うなり、慎也は空いている方の手で

 さらに数冊の本を美咲の眼前から取り除いた。 


「いいわよ、これは私の仕事なんだから」


「俺も図書委員だからね。お手伝いします。

 美咲さん、本落としそうで怖いから」


「今日は休みじゃないの」


「そうだよ。

 美咲さんのためだけのボランティアに感謝して」


 そう言うと、本の背表紙を確認しながら

 ゆっくりと書架へと進んでいく。


 取り残された美咲は、

 それ以上反論することもできずに、

 しばし立ち尽くした。


 書架の間を抜ける冷房の微かな風が頬を撫でる。


 同時に、紙の匂いと、空間に満ちる静けさ。


 その静けさが、かえって慎也の存在を際立たせていた。


 ふと慎也が振り返る。

 

 動かない自分を待っている。


 ただ黙って立っているだけなのに。

 

 ふいに溢れてくる感情。


 ざわめくような、

 もどかしいような、

 

 そんな不可思議な感傷。



 時が止まった。



 前にも、こんなことがあったような。



 先を行く「あなた」を、追いかけたかったような気がするーー




「美咲さん?」



 名前を呼ばれてーー美咲は我に返った。



 静かな空調音がやけに耳に響いて、

 自分が今、なぜ立ちすくんだのか

 思い出せなかった。



 今のは何だったのだろうーー


 

 ほんの数秒、意識が飛んだ。


 大きく息をついてから、

 自分も返却本を戻すために、歩き出した。


 慎也は美咲が隣に来るのを待ってから、

 歩き出した。


 並んで歩くと、彼の影がほんの少しだけ重なる。


 それだけのことなのに、

 美咲は妙に意識してしまう自分に気づいた。


 逃げるように書架へ向かう。


 それでも、早足で避けるたび、

 胸の奥に小さな痛みが残った。


 逃げているのは慎也ではなく、

 自分の中に芽生えつつある何かのほうなのだと、

 うすうす気づいているからだ。


 彼の歩幅に合わせようか迷うたび、

 胸の奥がそわそわと落ち着かなくなる。


 その理由をまだ言葉にできないまま、

 美咲は歩を早めた。





 出会ってから、

 慎也とは毎日顔を合わせる羽目になっている。


 図書委員でもある彼は、当番のときは勿論、

 当番でない日でさえ、足繁く図書館にやってくる。


 そうして、何かと口実を見つけては

 一人で作業をしている時を見計らって美咲に話しかけてくる。


 新しく入った司書が、それほど珍しいわけでもないだろうに。


 ここは共学だから、女が珍しいわけでもない。


 美咲だとて、話しかけられて嫌なわけではないが、

 何事にも限度というものがある。


 慎也の態度は、いくら鈍くても気づくほど、あからさまだ。


 近づく距離や、見つめる眼差しや、甘やかな口調。


 だからこそ、困る。


 慎也もわきまえていて、

 人目のあるところでは

 あからさまな態度をとったりはしないが、

 ここは公共の場であり、

 人の集まる図書館であり、

 美咲の職場なのだ。


 いつ誰に見られてもおかしくない。


 だから、ここ一週間、美咲は慎也の姿を見かけると、

 極力おしゃべりの許されないカウンターか

 司書教諭の山中のいる図書準備室へ逃げるように移動するようになった。


 それでも、慎也と話すのが嫌ではない自分もいるのだ。


 もともと頭もいいらしく、知識も豊富だ。


 どちらも本好きなこともあり、読書談義は会話も弾む。


 年下とは思えない読書量には舌を巻くほどだ。


 受験生であるのに、すでに志望大学へのA判定をもらっているらしく、

 あくせく勉強する必要もないのだと、

 慎也をお気に入りの山中が教えてくれた。


 彼の視線に気づくたび、

 その真っ直ぐさに心が揺れる。


 年下のくせに、と言い聞かせても、

 その理屈は自分を守るための薄い膜にすぎない。


 年下でさえなければ、と思うことも一度や二度ではない。


 せめて、

 もし彼が、ここを利用するただの一般の利用者なら、

 もし自分が、彼の未来を左右する立場でなかったなら。


 どれほど気が楽だったろう。


 後ろめたさと嬉しさが()い交ぜになって、

 最近は慎也に対する態度がよそよそしくなってしまう。


 この胸のつかえるようなもどかしさは、

 いつか消えてなくなるのだろうか。





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