二日目(1)
――
そして、翌朝四時。
まだ夜の冷たい風が、三人の肌に突き刺さる。
寝ぼけ眼もしゃっきりと冴え渡るような、北の風。
幸い船の揺れも少なくぐっすりと眠れた三人。いつも通りの睡眠時間は確保でき、体調は万全だった。
船長からの船内放送のアナウンスがあり、ルーティア達はテラスに出た。
到着まであと30分。混雑回避で入港と同時にガアを出庫しなくてはいけないため、あと少しでガアで乗船した者達は鳥車に乗って待機を始める。
だがその前に、三人はこの部屋で過ごす最後の時間を堪能していたかった。
朝四時の暗闇の先に、ぼんやりと灯りが見えてくる。
それは、港の灯台と、建物の灯り。
十数時間海を走っていた航路の先に、ようやく見えてきたものがある。
北の大陸。それは。
「「「 フォッカウィドー、到着ーー!!! 」」」
テラスで女子っぽく腕を広げてジャンプをする三人であった。
そして、四時半。
「……よし。それじゃあまた、よろしく頼むぞ。ガア」
ルーティアに優しく首を撫でられ、気持ちよさそうに目を閉じるガア。
運転席に戻り手綱を握る。
鳥車の眼前には、船と港を繋ぐ桟橋。海と大陸とを繋ぐ、短い道だ。
順序よく他のガア達がやや下り道の桟橋を駆けて、フォッカウィドーへと降り立っていく。
そしていよいよ、ルーティア達のガアの順番がきた。
「よし、いけっ」
「くえええーー!!」
ルーティアが手綱を強く引っ張ると、船旅を終え体力満タンのガアは気合いの現れの鳴き声を上げ、駆け出した。
ビュウ、と風が鳥車の中に入り込む。
魔石を使った暖房装置で幾分か鳥車の中は温度調整が出来るものの、それを凌ぐような寒さだ。
フォッカウィドーの春は、オキト国の冬と同じくらいの気温。深い体毛に覆われたガアは平気でも、人間には堪える。
港はあっというまに抜け、道へと出る。
ここはフォッカウィドー国の「ウォルター」という港町になる。
古くから港町として栄え、フォッカウィドー国への玄関口となっているウォルターの街は人や物が集まる経済の中心都市である。
港へと着いた船からは大量の物資が荷卸しされ、それを広大な国のあちこちへ様々な輸送手段で運ぶ事となる。
物が集まれば、人が集まる。人が集まれば、金が集まる。商業、漁業、そして観光とウォルターの街には全てが揃っているといっても過言ではない、フォッカウィドー国最大の経済都市の一つである。
「朝五時。交流試合は明日の昼でしょ?今日はこのウォルターに宿泊するのよね」
リーシャが薄暗い鳥車の中で、ランタンの灯りでガイドマップを見ながら言う。
マリルがその言葉に頷いて答えた。
「王国城があるサホロの街へは鳥車で四時間も走れば着くの。だから明日の朝にウォルターのホテルを出ても余裕で間に合うから、今日は一日ウォルターを観光しようと思ってるわ」
「観光、って朝の五時よ?これからどーすんのよ。店だってどこも空いてないわよ」
「朝食も考えなければな。どこかアテがあるのか?マリル」
ぐう、と鳴る腹を運転席のルーティアが片手でおさえる。
「ふっふっふー。トーゼン。観光と朝食、その両方をばっちりおさえられるスポットがあるわよー、ルーちゃん、リッちゃん」
「「 どこどこ? 」」
二人はマリルに尋ねた。
マリルは眼鏡をランタンの灯りに光らせて言う。
「 『朝市』よっ! 」
――
テーブルの上には、まるで宝石のような輝きを放つ色とりどりの丼が並べられた。
それは朝食というより高級なディナーのようなメニュー。
「こ、これが……フォッカウィドー、か……」
ごくり、とルーティアが生唾を飲みこんだ。
「海の幸の集まる街、ウォルター。そしてその幸を朝五時から堪能できる場所……それがこの『朝市』の食堂よ……ルーちゃん」
ルーティアの眼前に広がるのは、薄ピンクの身を殻からむき出しにした大きな甘海老。その隣には赤々とした輝きを放つイクラの粒達。更にその上に、美しい乳白色のホタテ。
海の幸がこれでもかと放り込まれた、甘海老といくらとホタテの美しい三色丼だ。
マリルの眼前に広がるのは、茶色とオレンジの中間のような色合いの、ウニ。オキトで見たものはもっと茶褐色だった気がするが、鮮度が違うのだろうか。食べずとも分かる、濃厚な色。
高級食材のウニが丼を埋め尽くし、白米を全く見えなくしている。春から夏にかけてが旬の、生ウニ丼だ。
リーシャの眼前に広がるのは、ピンクと白色の中間。リーシャはこの食材が大好物だったが、かつてこれほどまで美しい色と、そして量を見たコトがなかった。
たっぷりの緑のネギがふりかけられ、丼の中にまるで山のように盛られた、ネギトロ丼だ。
「こ……これ……朝ごはん、って量じゃなかったわね、ちょっと……」
早朝の食堂で出しているメニューだからほどほどだろう、という考えが甘かった。
これでもかというくらいに山もりになっているリーシャのネギトロ丼のインパクトは圧倒的だ。フォッカウィドーという土地を体現するかのような、海の幸のてんこ盛り。
だが、一口食べると……。
「……っ!! うまっ……!なにこれ……!」
箸で少しずつつまむつもりが、いつの間にかスプーンで頬張るように食べるリーシャ。
「むぐ……。た、ただのネギトロじゃないっ……。柔らかいだけじゃなくて、少し大き目の切り身も混ざってて……食感がいい……!プリプリしてて、やわらかくて、甘くて……醤油を少しかけるだけでいいわ、コレ……!!」
あれだけ大盛で唖然としていたのに、どんどん食べ進めてしまうリーシャ。そしてそれは、マリルとルーティアも同じ様子だった。
「くは~~っ!!ウニ、超濃厚~~っ!!なんでこんな味が自然界に存在してるかね~~?舌の上で濃厚な甘みと旨味がミックスされるぅぅ~~♪」
「こんなに甘くて……身が弾けるような甘海老、初めて食べたぞ……!イクラも塩気が最高に美味しいし、プチプチとした食感も……!ホタテは醤油をつけなくてもいけるくらい甘くて美味しい……!!」
どれもこれも、オキト国で食べる同じ名前の海産物とは別次元の食べ物だった。
甘みがあり、食感がしっかりとしていて、生臭さがなく、美味い。まさに海からの幸……『幸福』だった。
値段もそれなりにするが、自国で食べれば何倍もの値段もするであろう、新鮮で大きな海産物。
港から十分、ガアを走らせて着いた所は灰色の質素な建物だった。
外観からは全く見当もつかなかったが、中へ入ると雰囲気は一変。朝の薄暗く静かな雰囲気を打ち消す、灯りと活気。
十軒ほどの小さな商店が軒を連ね、そのほとんどは港から入ってきた新鮮な魚や海産物、乾物などを扱う。
地元民だけの閉鎖的な施設というわけでは全くなく、むしろ観光客向けにどの店も明るく魚の説明などをしてくれるオープンな市場だ。
その市場の一角には食堂があり、店で扱っている海の幸をその場で食べられるようになっている。
朝四時半に港に入る魔導フェリーの客は挙ってこの朝市に集まり、フォッカウィドーの海産物に触れる、というわけだ。
「マリル、よくこんな場所知っていたな。古くからある市場なのだろう?地元の人しか知らないような場所なんじゃないのか?」
口の横に米粒をつけたルーティアが言った。
「そんな事もないのよ。外観は確かに入りづらい場所だけどね。早朝で開いてる場所って言ったらココくらいしかないし、フェリーの客は朝市にまず来る人が多いんだって。アタシも前に来た時に来た場所だったし……営業時間もしっかり確認しておいたんだけど、こんなに朝からやっているとは思わなかったね」
「フォッカウィドーに触れる登竜門みたいなものだな。こんなに美味しくて新鮮な海の幸を、市場から直にいただけるとは」
「うむうむ。やっぱりレベルが違うわね~。フォッカウィドーはぐるりと海に囲まれている大陸だからなにより海産物が美味しいのよ。ま、それ以外にも色々あるから……今回の旅、グルメ旅と言っても過言ではないわね」
「楽しみだな」
二人が嬉しそうに会話をする中で、丼を空にしたリーシャが苦しそうにお腹をおさえる。
「……うー。ごちそうさま……。も、もう食べられない……お昼いらないかも……」
「あはは、確かにね。でも美味しかったでしょ、ネギトロ丼」
マリルがその様子を微笑んで見た。
「一年分ネギトロ食べたかも……。これ食べたら下手なネギトロ食べられないわね、ホント……」
「価値観変わるよね~。海のモノって好き嫌いがハッキリしてるけど、新鮮でおいしいものを食べるとまた違った見方になるって言うし」
「……とりあえずしばらくはネギトロ食べなくていいや、わたし……」
少々げっそりした顔で、空っぽになった丼を見つめるリーシャであった。
「それで、次は何処に行くんだ?」
ルーティアとマリルも、自分の朝食を空にする。
ルーティアは余裕そうな顔をしているが、マリルもリーシャと同じようにお腹をきつそうにおさえていた。朝食というにはやはり少し豪勢で大盛すぎたようだ。
リーシャは机に突っ伏して目を閉じている。
「今日行きたい場所は二つ。ウォルターの街といえば、って名所は幾つもあるんだけれど、どちらかといえばベタなコースを回りたいからね。ホテルでのんびり休息もとりたいしあまり動き回らないコースにしたわ」
「ほう。どんな場所だ?」
「大陸の玄関口、ウォルター。漁業が盛んな経済街で、フォッカウィドーでも独自な発展をしてきた街だわ。だから今日は海の見物と、街の観光をメインにしたいの」
「海と街、か。分かりやすいな」
「でしょ?だから……一つは『水族館』。もう一つは『商店街散歩』。これで行きましょう」
「……マリルって、こういう事に関しては、隊長のような決断力があるよな……」
「ふふん。旅と遊びに関してはアタシが隊長よ。……まあでも、各々の気になる所にはしっかり寄っていくつもりだから、なんなりと意見してね?ルーちゃんとリッちゃん」
「優しい隊長殿だな」
偉そうに胸を張る割には、少し不安そうなマリルにどこか優しさを感じるルーティアだった。
――
水族館に食いついたのはやはりリーシャ・アーレインであった。
朝市での食事を終え、開館と同時に到着したのは『ウォルター水族館』。
建物は古いながらも険しい岩山と海に面したその施設は自然の中にある施設だという事を感じさせられる。
生き物であれば魚だろうが動物だろうが関係なく興味があり大好きなリーシャであったが、特にこの水族館で気に言ったところがある。
それは……。
「わぁぁぁあ……!!か、かわいいいっ……!!」
それは、「海獣」である。
ウォルター水族館は全世界で最も多い数のアザラシを飼育しており、種類も様々。
しかも珍しい事にここでは屋外のプールにアザラシがおり、近くの屋台で買えばエサをあげる事も可能だ。
知能が高く芸も仕込めるアザラシという生物は、海面にヒレをぺシぺシと叩き人間に自分にご飯をくれとアピールをしてくる。
「カワイイ……。ほ、ほらっ、いくよっ。おさかななげるからねっ。……えいっ! わー!たべたたべた!」
「無邪気よのう、リッちゃんは。……でもホントすごいねー。ちょうだい合戦してるし、アザラシ達。やっぱ頭いいんだねー」
夢中でバケツの魚を、アピールをしてくるアザラシに向かって行うリーシャ。アザラシと、はしゃぐリーシャをのほほんと眺めるマリル。そして飼育プールを見て驚愕しているルーティア。
「……池の鯉並にアザラシがいるぞ。すごい光景だな……」
「まー私達の大陸じゃまずお目にかかれない景色かもね。やっぱフォッカウィドーはスケールが違うわ」
「この飼育プールも、海とそのまま繋がっているような場所にあるしな。後ろは岩山だし……改めてすごい場所だ」
「真冬とかは極寒になるのに、やっぱ海獣はタフだよねー。ルーちゃんも見習わなくちゃ」
「うむ。暑さ寒さを耐えるのもまた修行になりそうだな」
冗談のつもりだったマリルの言葉を本気で捉えるルーティアであった。
「ペンギン!ペンギン!」
「リッちゃん、語彙力がどんどん失われてきているよ」
よちよちと歩くペンギンも多くいる水族館。飛べない鳥の愛くるしい姿に癒される人は多いが、リーシャも例外ではない。
歩く姿は可愛らしいが、水の中を華麗に泳ぐ姿もまた魅力的な生き物だ。
「こうして見ているとペンギンって海の中を飛んでるみたいよねぇ……。かっこいいんだけどやっぱり可愛いわ……」
ペンギンプールに両手をついてじーっと眺めるリーシャ。マリルもうんうん、と頷く。
「これでれっきとした鳥なんだもんねぇ。歩いてるとこ見ると全然違う生き物に見えるけど」
「ペンギンってね、しゃがんだまま歩いてるんだって。だからあんなよちよち歩きなのよ」
「はー……どうしてそんな進化をしてるのかますます謎だわ」
「大昔はペンギンも空を飛んでいたんだけれど、海の食べ物をとるためにこんな風に進化したって説があるわ。ほら、地上の可愛い姿が信じられないくらい水の中では華麗に泳げるし、これで獲物を捕まえるのよ」
釘づけになりながらもしっかりと説明をするリーシャにルーティアは感心した。
「……リーシャは動物が好きなだけではなく知識も凄いんだな」
「ま、まあね。……えへへ、好きなだけじゃ満足できないからね」
好きなものの前ではつい素直になってしまう14歳である。
この後三人は『言う事を聞かないペンギンショー』という謎のショーを見物していくのであった。
――
水族館を後にした一行は、ウォルターの街の中心部へと向かう。
港町であるウォルターには古くから沢山の物資が運ばれ、フォッカウィドーの大陸全土へと積み荷が広がり、また運ばれていった。
そのため市街にはそれを効率よく運ぶための運河があったり、魔導鉄道といわれる魔石を使った大型運搬車両専用の線路が敷かれたりしている。
また金融街としても名高く、立派な建造物も幾つも点在する歴史の街だ。
海の幸を食べられる店も豊富で、特に寿司は有名な店が数多くある。魚を使った料理や屋台もあり、活気ある商店街にはオキト国とは全く違う種類の店が軒を連ねている。
まさにこの街には、フォッカウィドーの大陸が凝縮されているといっても過言ではない。
商店街ではオキト国と同様、食べ歩きも楽しんだルーティア達だったが、マリルがどうしても寄りたい店があるという事で着いて行った。
そこは、『ガラス細工工房』である。
「へー……!素敵なお店ね、マリル!」
「ふふふ、ありがと二人とも。付き合ってくれて。どーしてもアタシ、ここに来たかったのよ」
商店街の中には幾つもガラス工房があり、小さな個人店から大きなメーカーショップまで幅広く存在する。
その中でマリルが立ち寄ったのは、商店街でも最も大きい店。二階建てのアウトレットショップだ。
ルーティアは様々なグラスを眺めながらマリルに聞く。
「アウトレット、という事は手頃な値段で手に入るようだな。……わ。このワイングラス、こんな立派なのに100ガルンしかしないのか」
「そうそう。この商店街だけじゃなくて、あちこちの店で商品の入れ替えをしている大型メーカーのお店だからこんな風なアウトレットのお店も出してるのよ」
「で、お目当てはなんなの?」
リーシャが聞くと、マリルはんー、と顎に手を当てて嬉しそうに考え込んだ。
「ビアグラス、お猪口、カクテルグラスに……へへへ、ここでお土産いっぱい買ってこうって思ってたんだ」
「お酒関係ばっかじゃないの……」
「だってー!こういうガラス工房で買ったすっごい綺麗で素敵なグラスで家呑みするの夢だったんだもんー!」
ぶりっこして言う割には内容が酒呑みのソレなマリルである。
「まあ、気持ちは分かるな。形もそうだが、色合いも淡かったり鮮明だったり……ここでしかお目にかかれないようなものばかりだ。私も買っていこうかな」
「流石ルーちゃん!居酒屋仲間はやっぱり分かってるねー!」
「カルーアミルクが合うグラスってどれかな?マリル」
「うーん!そろそろ甘いお酒からも脱却させたい!」
相変らず大食漢に加え大の甘党なルーティア。
「……のんべえの気持ちは分からないわね……。……あ、でもこの猫ちゃんデザインのミニグラス、可愛い……!」
ちゃっかり自分のお気に入りも見つけ、ついついカゴに入れてしまうリーシャ。
そんなこんなで、三人は商店街の買い物を楽しむ。
グラス以外にもお土産を買うお菓子屋さんや海産物の乾物を取り扱う店も多くある活気ある商店街。
見た事もないもの。食べた事のない味。出会う全てが新鮮で、楽しい。
また、それをお土産にした時の相手の存在が見たくて、三人はすっかり買い物に夢中になってしまう。
ルーティア達の初日は、あっというまに過ぎていった。
一日目にして既にお土産が鳥車に大量に置かれる事になり、三人は旅の魔力に憑りつかれていた事に戦慄する事になるのだが今彼女達はその未来を知らない。
――




