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水面に映るは  作者: 風花てい(koharu)
水面に映るは・・・ 
11/89

11.ルール


 その日から、弘晃は、時々六条家を訪れるようになった。


 しかも、予め紫乃に言っていたように、毎度、こちらの都合を確認せずに、いきなりやってくるから始末に悪い。


 会ってやるもの癪だからと、紫乃は居留守を決め込むことにした。


 だが、弘晃は気を悪くするでもなく、紫乃の予定を聞かずに勝手に押しかける自分が悪いのだからと、たまたまその場に居合わせた妹たちと楽しげに茶飲み話を始める。


 彼らの話題は、もっぱら、紫乃のことであるようだった。自分のことが話題にされているとわかると、さすがの紫乃とて心穏やかではいられない。ついつい応接間の隣の部屋から、彼らの話に聞き耳を立てたくなる。


 盗み聞きをしようと思って初めて気がついたのだが、この応接間の隣の部屋は、盗み聞きするために父親がわざわざ作らせたのではないかと疑いたくなるほど、壁の向こう側の話をよく通した。今はもう使っていない暖炉の中に首を突っ込んでみれば、隣の部屋の話は、その場に同席しているかのように筒抜けだった。


 妹たちが話好きなのか、はたまた弘晃が聞き上手なのか、紫乃がその場にいないのをいいことに、妹たちは言いたい放題。思いつくままに、余計なことまで、好き勝手にじゃべりまくっていた。


「学校では、姉さまは、スターでしたわ。沢山の取り巻きをいつも引き連れていらしてね。朝、学校に着くと、靴箱には、いつも下級生からのファンレターが入っているんですよ」

「そうそう。姉さま、結構律儀な性格だから、いちいちお返事を書いていらしたわ。夜遅くまでかかって、お返事を書いていたせいで、翌朝寝坊したことがあって……」

 紫乃のすぐ下の妹の明子は、たぶん、彼女なりに弘晃と紫乃の仲が上手くいくように気を使ってくれているのだろう。盗み聞きしている紫乃が赤面せずにはいられないような紫乃の自慢話(?)を並べ立てて、弘晃を感心させた。

 一方、明子と同席していた橘乃は、お堅いお嬢様学校の運動会で騎馬戦をプログラムに組み込ませるために紫乃が校長と掛け合った話だとか、家柄で人を判断するような高慢ちきな同級生をやり込めた話とか、学校の行き帰りに出没する痴漢を警察に突き出した話など、紫乃の武勇伝を語り尽くして、弘晃を大いに笑わせていた。


 また別の日。末っ子の月子は、いかに紫乃が家の中で威張り散らしているかということを、実例をあげて詳しく弘晃に説明した。

「紫乃姉さまは、この家では最強なの。逆らえる人は誰もいないわ。弘晃さんも、姉さまと結婚したら、くれぐれも言動には気をつけたほうがいいですよ」

「そうですね。肝に銘じておきます」


「……あの。姉さまは、そんな怖い人ではありません」

 有難いことに、おとなしい夕紀が精一杯の勇気を振り絞って、月子の忠告を真に受けている弘晃に、そう言ってくれた。

「紫乃姉さまが怒るのは、月子ちゃんが、姉さまを怒らせるようなことばかりするからです。本当の姉さまは、とても優しくて頼りになる……なります」


「ええ、夕紀ちゃんの言うとおりです。月ちゃんの言っていることは、ちょっとばかりオーバーなのですわ」

 夕紀の言葉の足らない分は、いつものように紅子が補ってくれようとした。

「姉さまは、確かに、おっかないところもありますけど、この家の秩序が保たれているのは、姉さまがおっかないからこそ……いえ、でも、おっかないけど、姉さまが、意地悪だとかそういうことはなくてですね……えーと…その……この家の家庭環境は、中村さまも既にご存知と思いますが、とても複雑で、紫乃姉さまは年長者だから、皆をまとめるために、いつのまにか口うるさく…じゃなくて……誰かが睨みをきかせていないと……、いえ…あの…その、だからといって、姉さまが威張りくさっているかといえば、そんなことはなくて……ですね……」


 紫乃にも、紅子が、姉の名誉を守ろうとしてくれていることは、ちゃんとわかった。だが、紅子が話せば話すほど、話はなぜか彼女と意図したのと反対の方向へ進んでいくようだった。


 しどろもどろになってきた紅子に、弘晃が助け舟を出した。

「つまり、六条家の平和と秩序は、紫乃さんによって守られているというわけですか。それも、クラークケントのスーパーマンのような、問題が起こってから慌てて着替えて事態の収拾に乗り出すノロマな正義の味方ではなく、閻魔大王やナマハゲのように、世の平和と秩序を守るために、あえて恐れられる存在として人々に君臨する正義の番人のような……」

「そうです!」

 紅子は嬉しげに手を叩き、月子だけでなく夕紀までが笑い出した。


 怒ったのは、紫乃である。

「だ~れが、ナマハゲですって?!」

「うあああっ、姉さま!」

 いきなり応接間に飛び込できた紫乃を見て、月子と夕紀は実際にナマハゲに出会ったかのように、ふたりで抱き合って怯え、紅子は閻魔大王に地獄行きを宣告された死者のように青ざめた。

 弘晃だけは、全く動じずに「おかえりなさい。紫乃さん」と、ニコニコしながら彼女を迎えた。


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 「後はごゆっくり」と言いながら、妹たちが紫乃の前から逃げ出したあと、紫乃は弘晃を伴って庭に出た。


 六条家の西洋風の庭は、そのほとんどが青々とした芝生だが、この間見合いをした庭以上に広い。東京の真ん中に近いところにあるにも関わらず、林のような木立が目隠しになって家の敷地の向こう側にある道路も見えなければ、そこからの騒音も全く聞こえてこない。時折、涼しい風が吹きぬけていって、部屋の中にいるよりも、ずっと気持ちがよかった。


「また、お仕事を抜け出していらしたんですか?」

 弘晃と並んで歩きながら、紫乃がたずねた。

「今回は、一応断りを入れて、時間制限付きで出てきました」

「そんなに、無理して来なくてもいいのに」

「無理しないと逢えませんから。しかしなあ。紫乃さんに逢えたのは嬉しいけど、これから映画かお食事でも……ってわけにもいきませんね」

 あと30分ほどで迎えが来るのだと、弘晃が腕時計を確認しながら残念そうに言う。


「予告もなしに来るあなたが悪いんです」

「ごもっとも。でも、妹さんたちの話は、紫乃さんから聞き出す以上に紫乃さんのことがわかって、とても面白かったですよ。妹さんたちは、紫乃さんのことが大好きなのですね」

 弘晃が紫乃に微笑みかけ、それから、薄く雲のかかった空を見上げて、「だから、余計にわからないんだよなあ」とぼやいた。


「まだ、それを考えているんですか?」

 紫乃がうんざりしたように言った。弘晃が、いまだ考えているのは、紫乃が相手を選ばずに結婚したがる理由だと思われた。ひょっとしたら、弘晃は、その理由を探りたくて、妹たちと話そうと思ったのかもしれない……と、紫乃は勘ぐった。


「心配しなくても、結婚しても、あなたの命を狙うようなマネはしませんから」

 紫乃は保証した。 

「本当に、たいした理由ではないのです。それに、わたくしだって、わからないことがありますわ。あなたこそ、なんで、わたくしと結婚しようと思うの?」 


 紫乃は疑わしげに弘晃を眺め回した。その気になれば、弘晃のほうだって選り取りみどり…… 彼と結婚したいと思う女性は、いくらでもいるのではなかろうか、なにを好き好んで自分を嫌っている女を嫁にもらうことがある?


「あなたこそ、妻なんて『誰でもいい』と思っているのではないのですか。あるいは、もともと誰とも結婚する気がなかったのかもしれませんね。でも、わたくしとの話を断っても、また、お見合いの話がくるかもしれない。ならばいっそ、わたくしのように、「誰でもいいから結婚する」と思っている女と結婚してしまったほうが、後々面倒がなくていいかもしれないとお思いになった。そうでしょう?」

 

紫乃は、ここ数日の間考えていたことを、思い切って弘晃にぶつけてみた。

誤魔化すだろうとばかり思っていた弘晃は、「ああ、バレちゃいましたね」と、あっさりと認めた。


「おっしゃる通りです。僕は、結婚する気が全然なくて、この見合いも、お話を受けた時点でお断りするつもりでした」

「だったら、どうして、会う前に断らなかったんですか!」

 紫乃は喚いた。

「はあ。すみません。なんというか、紫乃さんに、ひと目会ってみたかったといいますか……」

 前髪を掻きあげながら、弘晃が困ったような顔をする。この人のでも困った顔をすることがあるのかと、紫乃は妙なところで感心した。すると、おかしなもので、これまで毛嫌いしていたはずの弘晃に興味が沸いた。


「あなたこそ、どうして結婚する気がないんですか。いえ、結婚しないのは本人の自由だから、それを咎めるつもりはありませんけど、やけになって、『誰でもいい』っていうのはダメです」

 紫乃は、先日、弘晃に言われた言葉を、そっくりそのまま彼に返した。すると、弘晃は、ますます困った顔になる。


「どうしてって言われても……。困ったな。別に、大した理由ではないですよ。むしろ、あなたにとって都合がいいぐらいかもしれない」

「どういうことなんですか?」

 紫乃は、体を前にかしげて弘晃の顔を覗きこんだ。やっと、この男の尻尾をつかめたようで、彼女は彼の困った顔を存分に楽しんだ。


「……紫乃さん。やっぱり、この話、破談にしましょうか?」

「いいですよ。そうしたら、わたくし、ヨボヨボのおじいさんとか、チンピラまがいの御曹司とお見合い結婚しますから」

 急に弱腰になった弘晃に、余裕を取り戻した紫乃は、にっこりと微笑んだ。


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「じゃあ、こうしましょう」

 眉間に皴を寄せて考え込んだあと、弘晃が紫乃に提案した。


 弘晃は紫乃が誰でもいいから結婚したがる理由を、紫乃は弘晃が誰であろうと結婚する気がない(なかった)理由を、それぞれ探り当てる。


「先に理由を当てたほうが、その理由に納得できなければ、そこでおしまい。この縁談は破談……なかったことにしましょう。当てられなかったほうは、それ以上、相手を詮索することもやめる」

「理由が納得できたら?」

「あなたが先に理由を探り当てて、僕と結婚してもいいと思ってくれたなら、そのときは、話してくれなくてもいいですよ。逆に、僕が先に理由を探り当てたら、そのときは、僕の理由もあなたに正確に話します。話しておくべきだと思うので。そのときに、この結婚が受け入れられないと思ったら正直に言ってください」


 その時は、縁がなかったと思って、潔くあなたを諦めます。

 そう言った、弘晃は、紫乃のうぬぼれではなく、少し寂しそうに見えた。


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