12.10の質問
「今のところ、仕事が恋人。仕事に夢中だから、誰とも結婚する気になれない」
「いいえ。仕事は楽しいですけどね。僕は、どちらかといえば怠けものです」
「手が届かないけれど愛している女性が他にいらっしゃる。例えば、お友達の奥さまとか……」
「いいえ。友人の奥方に懸想したことはありません。手に入れたいと思った女性は、あなたが初めてです」
「白々しいことを。じゃあ次の質問。とても引っ込み思案なので、女の人とまともに話せない」
「いいえ。今、こうして、紫乃さんと話しているではないですか」
「あ、そういえば、そうですね。じゃあ……」
紫乃は、腕を組みうつむいたまま、しばらく頭を捻った。
「じゃあ、これは? 弘晃さんは、男の人しか愛せない!」
「な……!」
弘晃が、口をあんぐりと開けたまま、紫乃のほうを見た。
ちなみに、ふたりが話しているのは、上野にある動物園のゾウの厩舎の前である。この当時は、まだパンダがやってくる前であったので、この異国からきた巨大な動物が来訪者の人気を特に集めていた。ゆったりとした動作で長い鼻を振りながら見物客を眺めているゾウや弘晃のみならず、ゾウを見ていた沢山の親子づれやカップルたちは、紫乃の言葉に目をむいた。
「い、行きましょう、紫乃さん」
紫乃は弘晃に手を引っ張られながら、その場から逃げ出すことになった。
人ごみから抜け出した紫乃たちは、近くに売店のある木陰の下まで走った。幹に片手を置いた弘晃が、息を弾ませながら紫乃に文句を言った。
「まったく貴女は、なんてことを言い出すんですか。今の質問の答えも、『いいえ』です。僕は、恋愛対象ならば、断然女の人のほうがいいですよ」
「だって、全然当たらないんですもの」
紫乃は、不満げに頬を膨らませた。
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弘晃が最後に六条家を訪ねてきてから更に1週間ほどが経過したこの日、弘晃と紫乃のふたりは、初めて一緒に出かけた。
弘晃は、やはり突然やってきて、いい天気だから……と紫乃を誘った。
初めは弘晃と出かけるのを渋っていた紫乃だが、『僕が結婚する気がない理由が知りたいのですよね。『はい』と『いいえ』で答えられることならば、今日は特別に10回まで、紫乃さんの質問にはなんでも答えてさしあげますよ』と、彼にそそのかされて気持ちが傾いた。それで結局、紫乃は弘晃に連れ出されて、ノコノコと、こんなところまでついてきてしまったのであった。
動物園は、日曜日だということもあって、かなり人が出ていた。
弘晃は、動物の檻の前でひとつひとつ立ち止まっては、飼育されている動物の名前や生息地が書かれた看板をじっくりと眺め、中の動物を嬉しそうに眺めている。
紫乃は紫乃で、動物よりも、弘晃への質問を考えるのに夢中になっていた。今のところ、紫乃からの質問に対する弘晃の答えは、全部『いいえ』で返されている。
残りの質問は、あと3つとなった。
「ねえ。本当は当たっているのに、嘘をついているってことはないでしょうね?」
「いいえ。誓って嘘などついていませんよ」
紫乃が疑わしげな視線を弘晃に向けると、彼は首を振った。
「たぶん、僕が結婚しないでおこうと思っていた理由は、あなたが思っているよりも、もっとずっと単純な理由です。簡単すぎて、かえって思いつかないような」
「簡単で、単純?」
「そうです。実を言うと、僕は、1問目で当てられる覚悟をしていましたよ」
弘晃は笑った。
「ところで、今の質問で8つです」
「まあ。『あなたが嘘をついているか、いないか』も数に入るの?」
「当然です。僕は『いいえ』と答えましたよ」
慌てる紫乃に、弘晃は「残りは2つですね」と、意地悪く笑った。
「まあ、せいぜい頭を絞って、奇抜な質問をひねり出してくださいね。ええと、次は……。そうだ。シロクマをまだ見ていませんね」
弘晃は、何かを探すように首をめぐらせ、矢印と一緒に動物の名前が書かれた行き先表示板を見つけると、そちらを目指して元気よく歩き始めた。
(なんというか、この人って……)
それまで、弘晃の前では怒ってばかりいた紫乃が、思わずクスクスと笑い出した。
「どうかしましたか?」
振り向いた弘晃が怪訝そうに紫乃にたずねる。
「だって、弘晃さん、とても楽しそうなんですもの」
子供みたい……と紫乃は言いかけてやめた。
「動物。お好きなんですか?」
紫乃は弘晃にたずねた。
「ええ、好きですよ。でも、今までは図鑑でしか見たことがなくて」
実は動物園という場所に来たのは今日が生まれて初めてなのだと、弘晃が白状した。
「まあ。本当に?」
「ええ。だから物珍しくて、ついつい、はしゃいでしまいました。すみません。大人げなくて」
弘晃が、照れたように頭を掻きながら頭を下げた。
その様子も、なんだか叱られた子供みたいで、紫乃は、よけいに可笑しくなった。
「いいんですよ。謝ったりしないでくださいな。……って、ああっ、いけないっ!」
手を振りながら笑っていた紫乃が、突然、『しまった~っ!』 とでも言うように口元を両手で覆った。
「どうかしましたか?」
「……質問」
「は?」
「しちゃいました。残りのふたつ」
紫乃に残されていた弘晃への質問の機会は、あと2回。
その2回分を、紫乃は、『動物が好きか?』というのと、『動物園に来たのが、本当に今日が初めてか?』という2つのことをたずねるのに使ってしまった。
ガッカリする紫乃を見て、今度は弘晃が笑った。
「いいですよ。今のふたつの質問は、無効ということにしましょう」
「そういうわけにはいきません。約束は約束ですもの」
紫乃は意固地に言い張った。
「それに、今日は、もういいです」
「は?」
「質問は……また今度にします」
「また今日みたいに会ってくださるんですか?」
弘晃が驚いた顔をした。
紫乃は、それには答えず、「行きましょう。次は、シロクマでしたよね?」と言い、少しはにかんだ笑みを浮かべながら、弘晃の先に立ってシロクマの厩舎を目指して歩き始めた。




