(1)朝のルーチン
五時にセットしてあった目覚まし時計が鳴った。
手を伸ばして、目覚ましの音を消す。
何か夢を見ていたことは間違いないのだが、覚醒した瞬間に夢の内容を忘れてしまった。それを思い出すべく、しばらく努力してみたものの、結局思い出せなかった。
(まだ眠い)
もう少し寝ようかどうか迷う。外が雨なら、目覚ましを六時にセットし直してもう一度目をつぶるのだが、あいにく雨音は聞こえない。
間取り四LDKの二階建ての一軒家。築三十四年。一階に十四畳のLDKと水回り、八畳和室。二階に洋室が三部屋あるが、二階は、ベランダで洗濯物を干す以外はほとんど使わない。一階の和室を寝室兼仏間兼更衣室として使っている。
山内は起き上がった。カーテンを開け、布団をたたんでから、洗面所へ行って顔を洗う。
洗顔を終えると和室へ戻り、仏壇のろうそくに火をともした。線香をあげ、鐘を鳴らし、両手を合わせて、拝む。
それから寝間着を脱ぎ、ジャージに着替えてから外へ出た。ひんやりとした早朝の空気が心地よく、二度寝しなくてよかったと思う。
ゆっくり歩いて、中郷温水池まで行く。今朝は富士山がくっきりと見えた。
鴨が泳ぐ池のまわりを一周した。ときどき歩きながら伸びをしたり、腰を左右にひねったりして、身体をほぐす。
散歩を終えて、家へ戻った。
前日の晩にタイマーをセットしてあった炊飯器でご飯が炊けている。
炊きたてのご飯を茶碗によそう。
納豆と生卵を冷蔵庫から取り出し、戸棚から味付けのりを出す。
インスタント味噌汁をお椀に入れて、ポットからお湯をそそぐ。
平日は判で押したように同じメニューである。
こうして準備した朝食を、ダイニングテーブルでテレビのニュースを見ながら黙々と食べる。
食べ終えると、すぐに食器を洗う。洗い物を流しに置きっぱなしにはしない。
用便を済ませ、電気カミソリでひげを剃る。洗顔し、歯を磨く。
クリーニングに出してあったワイシャツに着替えて、ズボンをはく。ノーネクタイである。秋なので上着は着ない。
身支度を終えると、もう一度仏壇に手を合わせてから、玄関を出る。車を運転し、十五分ほどで職場へ到着した。
車を駐車場へ停めて、建屋へ入った。ロッカーで何人かの従業員とあいさつを交わす。作業着に着替えて事務室へ行き、一番奥の机に座る。
山内貞夫は、東京に本社がある食品会社の三島工場長である。
三島工場の従業員数は、社員、契約社員、派遣社員合わせて三十名。敷地面積約千五百坪ほどの小さな工場であり、紙パック飲料二五〇ミリリットル一ラインのみの製造を行っている。
「おはようございます」
二十坪ほどの事務室には、総務課、管理課の従業員が勤務している。総務課は課長含めて三名、管理課も課長含めて三名なので、事務室には工場長の山内を含めて全七名の従業員が在籍している。始業は午前八時である。
総務課長の高橋の司会で朝礼が行われる。
朝礼では、本日の予定の確認と、連絡事項が伝えられ、最後に、
「本日もゼロ災」
と一同で唱和して終わる。ゼロ災とは、ゼロ災害のことであり、今日も無災害で業務を終えられるようにという掛け声であり、祈りでもある。
朝礼後、山内は工場内を巡回する。まずは原料開出場へ向かう。
前室で衛生服に着替えると、粘着ローラーを衛生服の上から全身まんべんなく転がして髪の毛やごみを取り除く。それが終わるとせっけんで手を洗い、エアーシャワーを浴びる。
原料開出場から充填室までは衛生域であり、立ち入るためにはこの一連の作業が必要になる。
原料開出場には、濃縮果汁が入ったドラムや一斗缶が置かれていた。この日はフルーツミックスジュースの製造であるため、オレンジ、リンゴ、桃、パイナップルなど複数の果汁が用意されている。
果汁ドラムはホイストで吊り上げてローラーコンベアにのせる。ローラー上のドラムは、人手で押しながらロードセルと呼ばれるはかりの上まで運び、吸入ポンプで果汁を吸い上げる。規定量まで吸ったかどうかをはかりの目盛りを見て確認し、一つの果汁を吸い終わるたびに製造日報へチェックを入れる。
「おはようございます」
開出・調合エリアを管轄する主任の内海が、山内へあいさつした。
「おはようございます。内海さん、今日も順調ですか?」
「はい、特に問題ありません」
「奥さんのお加減はいかがですか?」
「おかげさまでだいぶ良くなりました」
「それは良かったですね」
内海の妻は先日の夜、自宅で倒れて救急車で病院へ運ばれた。医師からは軽い脳梗塞と診断され、その日は入院したが、翌日には退院し、自宅療養中であった。内海は妻が入院した翌日も工場へ出勤し、周囲が奥さんのそばへついていてあげたらと言っても、現場が気がかりだと言って通常通り勤務し続けた。
「仕事が忙しいとは思いますが、今は仕事よりも、なるべく奥さんのそばに付き添ってあげて下さい」
「お心遣い、ありがとうございます」
山内は、ふと感傷に見舞われて、しばらくその場から動かなかった。




