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第5話 仮面は踊る

 興味のない世界に関わることほど疲れることはない。

 特に俺のような武骨な者が社交の世界に足を踏み入れるなど、場違いにもほどがある。


 仮面を被っていようがその雰囲気がにじみ出ていたのだろう。

 参加者より質素な白仮面をつけた給仕の使用人たちですら、俺を遠巻きにしていた。


「そう恐ろしい顔をするな」

「……仮面をつけているのに、閣下には私の顔がお分かりになるのですか」

「その地獄を這うような声で大体わかるというものだ」


 まさに寄らば斬る、という顔をしている。

 呆れ半分、面白半分、といった口調で上司である領主が続ける言葉に自覚はある。

 自覚はあるが、だからどうしろというのか。


「ほら、リラックスだ、リラックス」

「リラックスは不可能でしょう、今回の夜会は――」


 言いかけた言葉は、領主の手で止められた。


「そういった無粋なことは、この場では言わないのが礼儀だ、ケイジ」


 ◆ ◆ ◆


「夜会に出る。供をせよ」


 突然の命令が領主オスロ・レノ・ガランディアの口から飛び出したのは3日前のことだ。

 俺はため息をつき、それから低い声で一応言い返した。


「それでしたら私設騎士団長のタウンゼントを呼びます」

「違う、お前が供をせよ」


 言いながらパサリとデスクへ放り出された招待状。

 俺は視線を差出人の部分にだけちらりとやって、それから返す。


「リードマン男爵からの招待状でしたら、閣下が参加なさる義務などないのでは」

「本来はな」


 ふと声が低くなったのを感じ、意識をその口元に集める。

 領主の癖だ。まじめな話をするときは、声が低くなる。


「件の男爵の家令が最近――」


 側近に人払いを命じて領主が言ったのは、不穏な事実だった。


「辺境――ルーアン伯領でとれる毒物を仕入れたという情報が入った」

「……毒物」

「むろん毒物の入手程度では男爵を糾弾できん。しかし――それを使う相手が何者かによっては、大いに問題がある」

「閣下はそれが、今回の夜会で使用されると踏んでおられるのですか」


 使わぬのなら使わぬでよい、と椅子を鳴らして背もたれに体を預けた領主は、指を組んでこちらを見上げた。


「だが使われた後でこちらが捜査にお前を投入したところで、煙に巻かれて終わりという場合もある。何より――」


 と、今度は身を起こしてひじをデスクにつき、楽しげにこちらを見つめて笑って見せた。


「面白そうではないか。仮面で顔を隠した『無礼講』の夜会など!」

「…………」


 この野郎、という言葉をかろうじて飲み込む。

 自分の身分が身分だから、自分が「無礼講」の被害にあうことなど考えていないのだろう。

 そのうえで、同行することになっている俺が困り果てるのを見たいのだ。


 だが、宮仕えの俺が上司に逆らえるわけもない。

 しばし苦々しい顔をしたまま沈黙した俺は、静かに、しかし領主曰く「地獄を這うような声」で言った。


「……お供をさせていただきます」


 ◆ ◆ ◆


 ――そして、夜会当日。


「お飲み物はいかがでしょうか」

「……結構」


 勤務中に酒など飲めるか、とばかりに俺がにべもなく断ると、隣から優雅な手つきで領主がグラスをとる。


「では私がいただこう」


 そういった領主は、呆れかえったと言わんばかりの声でこちらをなじった。


「こういう時には酒を断らんものだ」

「……任務中です」

「相も変わらず、固い男だ」


 言いながらグラスの中のシャンパンを口に含み、苦い顔になった。


「……安物だな」

「閣下が日ごろ親しまれているものとは、さすがに違うかと」


 残念ながら俺はそこまでの舌は持たないが、領主は舌も目も肥えている。

 安物の酒や食事をあてがわれるなどさぞ苦行だろう。


「で、どうだ」

「どう、とは」


 問いかけると低い声が返る。


「怪しげな動きをするものは見えたか」

「……いえ、まだ」


 仮面をかぶり着飾った人、人、人。

 この状況で不審人物を探せというのも無理な話だが、今回の任務はそれだ。

 仮面だけでもうっとうしいのに、それなりの服装をさせられてここまで来た以上、何かしらの結果が欲しい。


「まあ、不審人物がおらぬならおらぬでよい。さ、お前も楽しめ。無礼講だ、無礼講」

「……ご勘弁を」


 肩をたたかれ、自分が苦虫をかみつぶしたような顔をしていることを自覚する。

 仕事だと思うから来たのに、ただの宴会、しかも仮面付き。

 どうせ給料など出はしないのだ、早く帰らせてほしい。


 ――と。

 違和感のようなものが目の端を通り過ぎたような気がして、俺は振り返った。

 仮面の群れがみな己を隠して上品に見える顔と声色で話をしている。


 気のせいか。――いや。

 何か……変だ。


 思ったところで、ふとその中の一人と目が合った気がした。


 ――質素な仮面。給仕用の制服を着た人物。


「どうした?」

「……いえ」


 こちらが意識した時には、すでに視線は切れていた。

 そのまま人ごみに紛れて見えなくなる。


 と、人ごみの一画でどよめきのようなものが上がった。


「……騒ぎか?」

「それにしては、少し静かなような」

「ケイジ、確認に行け」

「承知いたしました」


 俺はうなずくと、人ごみに向かって歩き出す。

 すれ違う、給仕の男。参加客。

 その中にかいだことのない不思議な香りが鼻をかすめる。

 妙な――鼻の奥に残るような芳香。


「……?」


 いや、今は騒ぎの確認だ。

 香りに振り返りかけた自分をたしなめ、止まった足を再び騒ぎの中心に向ける。


 人ごみをかき分け、その中心にたどり着くと、男が一人、倒れていた。


「失礼、少し通してください。どなたか、お医者様を呼んでいただけますか」


 声をかけながら倒れた男のそばに膝をつく。

 苦悶の表情。口元には白い泡。見開かれた目は瞳孔が開ききっている。


「失礼、大丈夫ですか。こちらの声が聞こえますか」


 肩をたたき、口元に耳を寄せる。

 反応――なし。


 いやな予感に奥歯をかみしめ、口元に手をかざす。

 呼吸――確認できず。

 自分でも眉間にしわが寄ったのがわかった。

 その首元に指をあてた。

 心拍――確認できず。


 この状況で、気道を確保して心臓マッサージをするのは絶望的に思えた。


 領主のほうを振り返る。

 人ごみをようやく突破してきたらしい領主の目を見上げて静かに首を振った。


 どよめきが小さな悲鳴に代わる。


「お静かに。皆さん、落ち着いてください」


 身分証を取り出してかざしながら声をあげる。


「自分はオスロ・レノ・ガランディア閣下直轄捜査官のトウヤ・ケイジです」


 ざわ、と空気が揺れる。

 仮面の奥の視線が、一斉にこちらへ向いた。


「恐れ入りますがお手元の飲み物にはいったん口をつけないで」


 犯人を探すのは確かに必要だが、この状況で優先されるべきは二次被害を防ぐことだ。


「この方は――中毒死の可能性があります」


 悲鳴が大きくなった。

 しまった、と奥歯をかみしめる。混乱させるだけか。

 その時、パン、と誰かが手を叩いた。仮面を外した領主だった。


「オスロ・レノ・ガランディアである。これよりわが捜査官がこの場を封鎖する。みな捜査に協力するように!」


 鶴の一声とはこのことか。

 混乱は一瞬のうちに収まると、信頼と期待と、好奇の視線が色とりどりの仮面の向こうから向けられた。


 俺は倒れた男の目を掌で覆うように隠す。

 もう何かを見る必要のなくなったガラス玉のような瞳は、静かに閉じられた。


「現場検証を行います。皆さんからもお話をお聞きするので、しばらくここを動かないでください」


 言いながら、俺はゆっくりと立ち上がった。


 ◆ ◆ ◆


 死亡したのはエドワード・カルセット28歳。

 リードマン男爵と取引を行っている商人。

 取り扱うのは主に婦人用の衣装。

 今回の夜会の招待リストにその名前があり、身元は簡単に特定された。


 急遽招集した同僚と部下が全員の飲み物を確認したところ、毒物が混入していたのは被害者のものだけ。

 おそらく被害者だけを狙った犯行だろう。


「ケイジ捜査官!」


 呼び止められて振り返る。同僚が走ってくるところだった。


「参加客の多くが、被害者のグラスにワインを注ぐ給仕係の姿を目撃していました」

「そうか」

「容疑者は使用人ということに……」

「――いや」


 その可能性は高いが、今の段階で全ての可能性を排除することはできない。


「リードマン男爵は」

「気分がすぐれないという奥方の介抱のために、奥に引っ込んでしまわれました」

「……ち、面倒くせえ。主催者なんだからこっちの捜査に協力してくれりゃ世話はねぇのに」


 唸り声はさすがに不敬ととられかねないと思ったのか、同僚は慌てて話題を変えようとしたようだ。


「それでその、ケイジ捜査官。検死の方は」


 言いにくそうに問いかけてくる同僚を半眼で睨む。

 忌避感があるのか、遺体に触れる捜査については全て俺に押し付けられている。


 ため息と舌打ちを両方。

 頭を掻きむしりながら呻いた。


「口内から特殊な芳香あり。死因は毒殺ってところか」


 取り出した手帳をパラパラとめくって言葉を継ぐ。


「香りからして、シアン系化合ぶ――いや、フレシアンの実を蒸留した毒物」

「匂いだけで毒の種類までわかるんですか。相変わらず前世の記憶って便利ですね」

「……クソほどトラウマがある前世の記憶をそう言われると、てめぇの口に拳突っ込んでやりたくなるな」

「じ、冗談ですよ。そんな風に言わないでください」


 ひとにらみして黙らせてから、更に続けた。


「フレシアンは確か辺境で採れたな」

「ええ、閣下が仰っていた男爵の動きと何か関係があるのでしょうか」

「さあな」


 パタリと手帳を閉じて同僚に向き直る。


「で、目撃証言は」

「……それが」


 言いにくそうに続いた言葉は、大体想定の範囲内だった。


「今回の夜会はみんな仮面をつけていたので、被害者のグラスにワインを注いだ給仕係の人相までは……」

「だろうな。――くそが。これだからお偉いさんの嗜好ってのは嫌いなんだ」


 夜会の会場は閉鎖されているが、そろそろ不満も出るだろう。

 現場検証を終えたら全員を解放して、本格的な捜査は明日からになるだろう。


「ただ、一つ気になる証言が」

「どうした」

「その、被害者にワインを注いだ給仕係――コロンをしてたっていうんです」

「コロンだと?」


 コロンは上流階級の特権のようなものだ。

 当然一般の使用人が手に入れられるような代物ではない。

 とはいえ、今回の夜会は無礼講の場。

 給仕係がコロンをしていることに不審を覚えても咎めることはなかったのだろう。


「それ、証言した者はどんな香りだったか覚えているか」

「もう一度嗅げば思い出すでしょうが、コロン単体で嗅がせても意味ないですからねぇ」

「それもそうか……」


 香り。そういえば、俺が遺体に近づく時にも独特の芳香がしたような気がする。


「毒も香り系、容疑者と思しき給仕係もコロンなんてつけて、今回は犬にでもなれってのか、まったく」


 俺のボヤキに同僚が何か言いたそうにしたが、あえてそれを黙殺した。


 とはいえ、今回は領主も事件に巻き込まれている状況だ。

 迅速な事件解決が求められる以上、背に腹は代えられない。


「……やつのところに行くしかないか」


 思い出しても殺意がこみ上げる銀灰色を思い出す。

 俺の何度目かの舌打ちに、同僚が肩を震わせた。


 ◆ ◆ ◆


「それで、私のところに来てくれた、と」


 監獄の最奥。

 タカハマの気色悪い、喜色満面でこちらを値踏みする表情をにらみながら俺はうなる。


「要件は以上だ。知恵をよこせ」

「そう慌てるものじゃない」


 苦笑し、タカハマはゆっくりと立ち上がった。ふわりと広がる香りは、この男独特のものだ。

 香り。そう。今回の事件には、常に「香り」が付いて回る。


 だが、タカハマが口にしたのはおよそ関係があるとは思えないような言葉だった。


「ケイジ。ケイジ捜査官。――ふふふ、実に便利な呼称だ。そうは思わないか」

「……何が言いたい」


 他意はないさ、と振り返り、こちらの表情をうかがう肉食の蛇のような目。


「ケイジ。前世から君はそう名乗ってきた。この呼称は過去から今この瞬間までの君をすべて定義するものだ」

「……お前だってタカハマと名乗っているだろう」

「それが私だからね」


 当然のようにそう続けるタカハマ。

 いらいらとかかとで床を蹴って問いかける。


「もういい、知恵をよこせ。無駄話をしている暇はな――」

「人間というのはね、『自分を定義するもの』を手放せないものなのだ」


 歌うように言いながら、タカハマはステップを踏むように歩き回る。


「君がかつての己を定義するものを捨てることができないように。人間はだれしも、己の己たる証を手放すことはできない」


 まるで周囲が舞踏会の会場になったかのように、その動きは軽く華やかだ。

 反吐が出るほどに。


「地位、名誉、その象徴。そして、――そう、香りも」


 ――思考が停止した。


「香り……」

「コロンはその本人の体臭が混ざって初めて完成する。それもまた、己を定義するものだ」


 それならば――あの時俺が嗅いだあの香りは。

 もちろん、どの使用人のものでもなく。


「コロンは己の地位を証明するもの。そんなもの、いかな無礼講とはいえ、使用人ごときに使わせるはずもない」

「コロンをしていた給仕係は……『給仕係ではない』」

「そう、如何に巧みに己を隠そうとも、完璧に隠しきれるほど『己を持たない』ものなど存在しない」


 ――少なくとも、この世界においては。


 ささやくその声にぞくりと寒気が走った。


「それにしても、実に面白い事例じゃないか」

「何がだ」


 タカハマの言葉に、俺は顔を上げて続きを促す。


「あえて仮面で誰一人顔が分からなくなる夜会のさなかに人を殺す。

 ――どうかな、実際に捜査を撹乱された気分は?」

「――は?」


 何を言われたのか一瞬わからず、問い返す。

 そんな俺のことを見つめながら、これ以上にないほど美しい笑顔で、タカハマは微笑む。


「君がこの世界に新しい捜査手法を持ち込んだことで、それに対策を講ずる犯罪者が現れたということさ」

「それがどうした。前世ではさして珍しくもなかった。偽装工作など」

「そう、問題はそれが『君』がもたらした技術によって発生しているということだ」

「……何が言いたい」

「この世界はもっと面白くなる。――君のおかげでね」

「……言葉遊びは終わりだ。殺しだろうがなんだろうが、やらかしたのなら捕える。――それだけだ」


 言い放ち、大きな音を立てて扉を閉める。


 その途端。


「――ぐぅっ」


 強烈な吐き気が喉の奥をせり上がった。

 壁に寄りかかって震える肺を押さえ込む。

 咳き込む口の中に気持ちの悪い酸味が広がった。


 どん、と壁に拳をたたきつける。

 俺は、何をしでかした?


 俺の捜査手法に、対策する犯罪者が現れた。

 ――俺がこの世界の犯罪者に、知恵をつけた。


「――俺がこの世界の犯罪を、進化させているのか……?」


 その恐ろしい結論に、タカハマの美しい笑顔が重なった、気がした。


 考えたくはない。

 考えてしまえば、自分の足元が崩れていくような気がした。

 だが、もし、もしそうであるとすれば。


「……くそ、が」


 考えるな。

 揺れるな。

 タカハマの言葉に惑わされるな。


 強く頬を張る。


 犯罪者に居場所はない。

 やったのなら捕まえる。

 それだけでいい。今考えるのは、それだけでいいはずだ。


 ふらつく頭で、懸命にそれだけを唱え続けた。

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