第七話 救いを求めて
その朝、健一と怜治は進まない朝食をなんとか胃に詰め込んで部屋へ戻った。それから怜治は健一の見た夢の話を聞き出した。しかし、語る口は酷く重い。それでも怜治は辛抱強く、時に閉ざされる口を開かせるように相槌を打ち、問いを投げかけた。そうしてようやく健一は夢に見た全てを話すことが出来たのだった。
あれが本当に夢ならば、だが。
何しろ、健一の足首には月姫に掴まれた跡がはっきりと見て取れるのだから。カーテンを開けた陽の元では、おぞましいほどにくっきりと手形が見て取れる。
夢の名残にしては生々しい。
健一の話を聞き終えてから、二人の間に会話はなかった。それぞれに思うところがあって、黙って口を閉ざしている。
その間、二人はほぼ同じことを考えていた。
自分達が見ていたのはただの夢ではないと。
夢のはずなのだが、ただの夢ではない。
雪野も月姫も、怜治と健一の僅かばかり色の薄い瞳に興味を持っていたことを考えて、それが何故なのか考えないわけにはいかなかった。
一体、この瞳になんの意味があるのか分からないのだ。祖母からのただの遺伝としか考えたことはない。確かに虹彩異色症は珍しいが、特に何かあるわけではないのだ。それをどうして欲しがるのかが分からない。
そして彼女らは、人形だとも今でははっきり分かっていた。あの人形──雪月華の『雪』と『月』が現れたのだ。昨日の今日でその二つが現れたということは、今夜は『華』が現れる可能性が高い。
もしそれが本当になるのだとしたら、それだけはなんとしても止めなければ、と心のどこかで考えていた。出てきたらどうなるのかは分からないが、よくないことが起こるに決まっている。
そう確信するには充分な経験をした。二人は無言のうちにそう思った。
しかし、それをどうやって止める? 手立ては何もない。思いつきもしない。もし予防線を張れるとしたら、今夜は眠らないこと。それくらいしか思いつかない。昨日、今日、彼女らは夢を媒介にして現れたからだ。昨日は特に何かされる前に消えた。だが、健一は夢の名残を現世に持って帰っている。なら、次は目玉を抉られるかも知れない。実際、健一は目玉を抉られそうになっている。それを危うく回避しただけで、今夜は何があるかお互いに分からないのだ。
そこで不意に健一が口を開いた。
「なぁ……あの人形、燃やしちまおうか」
突飛な言葉に頭を上げたが、怜治はそれに何も言い返せなかった。
「あの人形があるからやばいんだと思う。だったら……」
「でも、叔母さんはあの人形が婆ちゃんの形見だからって大切にしてるんだろ? それを勝手に燃やして、ばれたらまずいだろ?」
ことさら捲し立てたわけではない。普通の声音で懸念を口にしただけだったが、健一は血相を変えて言い返してきた。
「だって、何があるか分からねぇんだぞ! 今度現れたら、その時こそ何されるか分かんねぇんだ! このまま何もしないで何かが起こるのを待つつもりか!?」
「そりゃ、言ってることは分かる。でもそんな乱暴なことしなくたって、人形供養にでも持っていった方がいい」
そこまで言って、「ちょっと待って」と区切ると、怜治はスマートフォンを取り出して何事かし始めた。
「何やってんだ?」
「うん、人形供養をどこでやってるのか調べてる」
その言葉を聞いて、健一は固唾をのんで結果を待った。
それから少しすると、
「結構、市内で引き取りしてるみたいだ。供養後の連絡してくれるところもあるし、料金もみんな三千円から五千円くらいだ」
画面をスライドしながら言った。そして顔を上げて続ける。
「どうする?」
「どうするって?」
「人形供養。するのか? 伯母さんに内緒で」
「人形一つくらいなくなっても気付かねぇよ。俺が人形を見つけるまで、お袋も忘れてたくらいなんだ」
大まじめな顔で言い切る。
その言葉と健一の表情を取って受けて、怜治は大きく溜息を一つつくと、
「じゃあ、一番近いところでよさそうなところに連絡してみる」
言うと、そのまま電話をかけ始めた。
健一はその様子を黙って見ていた。すると相手が電話に出たようで、人形供養がしたい旨を伝え、供養して欲しい人形の大きさや、今日中に持っていってもいいものかどうかなど尋ね始める。終始神妙な面持ちで色々と話していたようだったが、最後には供養料について尋ねていた。それから、「有り難うございました。宜しくお願いします」と言って怜治が通話を切る。
「なんだって?」
健一が尋ねると、それに緩い笑みを浮かべて怜治は頷いた。
「今日持っていってもいいって。待ってるって言ってた。それに料金は人形の大きさからして、三千円だって」
「そっか……」
「取り敢えず、この家からあの人形がなくなればもう大丈夫じゃないかな? まさか歩いて帰ってくるわけないし」
それを聞いて、
「そうだな」
そう僅かに笑みを含んで返す。
「じゃあ健ちゃん、あの人形持ってこなくちゃ。すぐに行こう」
怜治の言葉に頷いて、健一はベッドから降りた。
**********
健一と怜治は、地下鉄からバスを乗り継いで目的の寺にやってきた。
浄眼寺。
その寺は住宅地の中に、ぽっかりとあった。随分古くからあるらしく、敷地も広い。古い為か低い塀の瓦には所々うっすらと苔が生えていたが、漆喰の壁は全く綺麗なものだった。それでも寺というのはどうしてか、二人に何か嫌なものを感じさせる。
取り敢えずと山門を潜り抜けて境内に入ると、まず右手に鐘楼があり、そのまま進むと住職一家が住むと思われる家──庫裡──と真正面には大きな本堂が見えた。
庫裡とは元は厨房を指したが、現在では寺務所や僧の住む家となっている。
二人はまず、庫裡を尋ねた。
庫裡は一般的な家屋に見える。実際、住んでいるのも、大概が住職とその家族なのだから一般家屋でも問題はない。だがよく見ると、その家屋から回廊で本堂へ繋がっているようだった。
二人は顔を見合わせたが、まずは庫裡でインターフォンを鳴らしてみることにする。すぐにインターフォンから応えがあった。
「はい、どちら様でしょうか?」
少し神経質っぽい、やや高めの老人の声が聞こえてくる。
「あの、先ほどお電話させていただいた高橋と申します」
「あぁ、高橋さんでしたか。少々お待ちください」
少しすると横開きの扉が開き、中から長襦袢に黒の紗を着た老人が現れた。一見して、僧侶と分かる出で立ちだった。
インターフォンから流れてきた声も神経質そうな感じだったが、老人の顔つきも神経質っぽく見える。老齢な年齢からも、一見してここの住職だと見当がついた。だが、
「よくいらっしゃいました。お人形のご供養でしたね。どうぞ、中へお入りください」
住職が口を開いた瞬間、その面差しは神経質そうなものから急に懐深く柔和に変化して見えた。
「ささ、どうぞ中へ」
身体を半分開いて、玄関へと促してくれる。
「私は住職の慈海と申します。お待ちしていました。若い者も留守居の者も出掛けておりまして、大したおもてなしも出来ませんが」
すっと右手で促されるまま、健一と怜治は庫裡の中に通され、住職のあとをついていくようにそのまま廊下を延々と歩かされた。
回廊を抜けて本尊のある広間を逸れると、別の部屋へと案内される。そうして襖を開けて、「どうぞ。ここがお人形様のお部屋です」と促されるままに二人が入った二十畳ほどの広い座敷には数多くの人形が置かれていた。日本人形、西洋人形、ひな人形、五月人形、ぬいぐるみ、こけし、中には羽子板や超合金のロボットまである。
その光景に唖然としていると、
「少々お待ちください。暑い中、ここまで来られるのは大変だったでしょう。今、お茶をご用意します」
広い座卓の前に二人分の座布団を用意して、慈海は出て行ってしまった。
ぽつんと取り残された二人は、妙な居心地の悪さを感じていた。人形の視線が気になってしょうがないのだ。積み上げられた人形は全部こちらを向いている。そして、そこに線香の匂いが混じっているのだから、座ることすら躊躇してしまう。
暫くぼうっとしたまま無言で佇んでいたが、不意に背後の襖が開かれた。慈海がお茶を用意して戻ってきたのだ。
「おや、お座りではなかったのですか?」
それに反射的に応えたのは健一だった。
「いや、人形の数の多さに圧倒されてしまって」
「魂の宿ったお人形様達ですからね。気圧されたのかも知れません」
言いながら、慈海は部屋の中へと入って襖を閉じる。
「さ、どうぞお座りください、高橋さん……と、お友達ですか? それともご兄弟?」
健一を見て問う。
「あぁ、従兄弟の立脇健一です。自己紹介が遅れてしまってすみません」
それに、「いえいえ」と頭を振って、座るように再度促す。
健一も怜治も、今度は素直に従って座布団の上に正座した。そこに冷茶が配られる。
「これらのお人形様には三ヶ月から半年かけて、毎朝、夕と読経を差し上げるんですよ。そして毎月、吉日を選んでお焚き上げをするんです」
「そう、なんですか」
怜治が言葉を絞り出すように答える。
「それで、ご供養して欲しいお人形様とは?」
その言葉に、健一は迷彩色のバックパックの中から木箱を取りだした。そして蓋を開けると、
「この人形です。元は俺達の祖母のものなんですけど。家にありました」
言って慈海に手渡す。
人形の入った木箱を受け取り、中から人形を取りだした途端、慈海の表情がくっと歪んだ。
その変化に、健一と怜治は顔を見合わせる。
けれど慈海は二人の様子に関わりもせずに、些か低い声で問いかけてきた。
「……このお人形様は、お婆さまの遺品、と言うことですね?」
「はい。そうですけど」
健一が答える。
「……『せつげっか』、と言いませんか? 『はな』は華々しい『華』で『雪月華』と」
急にじろりと睨むように慈海は二人を見た。
その言葉に、健一と怜治の心臓がどくりと脈打つ。自然、嫌な汗が背中に滲み出してきた。
「どうして……それを?」
怜治が押し殺したような声音で尋ねた。
慈海は険しく眉根を寄せ、一拍おいて返す。
「このお人形様には確かに魂が宿っているようです。所謂、魂魄。『魂』は霊の働きがあって形がないもの、『魄』は形があって霊の拠り所となるものを指します。このお人形様はまさに魂魄なのです。だから自然と名前が分かりました。これはもう、普通のお人形様ではない。異形のものです」
慈海の話に健一は生唾を飲み込むと、行儀は悪いと知りながら左足を立てて、靴下を下ろしてジーパンの裾をたくし上げて見せた。そこにはくっきりと月姫に掴まれた跡があった。
「これ、今朝方ついたものなんです」
そして夢で見たことを話し出した。が、それには怜治の見た夢から話さなければならず、話し終わるまでに随分と時間がかかった。それでも、足首の跡は月姫の手形であるだろうことはしっかりと伝えた。それから改めて座り直す。
「……今の話、どう思いますか?」
慈海は両目を伏せて、ふむ、と唸った。




