第二〇話 目覚め
破れた袖から舞い上がった大量の花びらに、目の前が何も見えなくなる。
その有様に、女達の短い悲鳴が上がった。と同時に、怜治を押さえ付けていた華緒の手も、健一を羽交い絞めにしていた月姫の腕も緩む。
その隙を見逃す二人ではなかった。怜治は華緒を思いきり突き飛ばした。その際、髪がいくらか引き抜かれたことも構わずに立ち上がる。健一も、突然の目眩ましに怯んだ月姫の腕を乱暴に振り払って逃れた。
目の前は夥しい花弁に阻まれて、怜治にも健一にも辺りがどうなっているのか分からなかったが、思うところは一つだ。
「音楽室だ!」
二人の声が重なり、それぞれが桜色の世界で走り出した。
花弁の中で闇雲に走り回る。壁にぶつかることもあれば、花弁の隙間から廊下が見えることもある。ともかく二人は音楽室があるだろう方向を目掛けた。
そうして二人ばらばらに桜色の世界の中を進んだが、突如としてその世界が終わりを告げた。
慌てて辺りを見回すと、そこは音楽室の前だった。
健一の傍には怜治が、怜治の傍には健一が立っていた。
どこか呆然とした表情で。まるで夢から醒めたと言わんばかりの顔をして。
「怜ちゃん……」
「健ちゃん……」
二人は同時に互いの名を口にしていた。そして何かを思い出したように頷きあうと、二人は音楽室の扉を開けた。
だが、そこはしんとした真っ白な世界だった。見覚えがあるような、ないような、はっきりとしない場所。
二人が目をしばたたかせていると、
『……を、連れ……て……がい』
誰か懐かしい女の声が微かに途切れがちに聞こえ、次の瞬間には辺りが真っ白な光で満たされた。
その光を遮るように二人は腕で顔を庇い、固く目を瞑る。しかし、それでも眩い光が去ることはなかった。
「ほら、二人共、早く起きて。今日は昨日の雨が嘘みたいにお天気よ」
ふと目を開けると、そこは健一の部屋の中だった。
怜治は布団の上で大の字になって、健一はゲーミングチェアに座った格好で目を醒ます。
「……あれ?」
思わず健一は声を上げていた。
「寝惚けてるの? 電気もつけっぱなしにして、ご飯だって言っても起きてこないで……もう九時よ」
見れば文代が遮光カーテンを開け、眩い朝陽を部屋の中に取り入れていた。
「健一、そんな格好で寝てるとエコノミー症候群になっちゃうわよ。寝るんならちゃんとベッドで寝なさい」
その声に怜治が布団の上でむくりと起き上がって健一に目を向けた。怜治の表情もどこか困惑気味だ。何が起きたのか腑に落ちない顔だった。
昨夜は小雨が降っていたので、窓を閉めたまま夢の中に飛ばされた。扇風機は回っていたが、夢の名残か、室温のせいか、怜治も健一も全身汗みずくになっていた。
そのことに気付いているのか気付いていないのか知らないが、健一も怜治と同じように困惑した顔をしているばかりだ。ふとパソコンに目を向ける。昨夜かけていたジャズがスピーカーから流れていないのだ。改めてディスプレイを見て、
「あ、リピートになってない」
小さく呟く。
それを耳聡く聞きつけて、文代は小言を吐き出した。
「パソコンつけっぱなしにしてたの? 電気代かかるからやめてちょうだい」
文代は、なんでもいいから早くご飯食べなさい、と言うだけ言って部屋から出て行ってしまった。
部屋に取り残された二人は呆然とするばかり。
「戻ってきた……」
お互いにそう口にして、視点の定まらない目を宙に止めた。
暫し二人でぼうっとしていたが、不意に健一が我に返る。
「そうだ、怜ちゃん! 夢の中の話覚えてるか?」
「え? 話? 話って……何?」
健一の勢いに気圧され、どこか戸惑って返す。
「え?」
今度は健一が逆に戸惑う番だった。
「……怜ちゃん、夢、見なかったのか?」
それを聞き、怜治が慌てて答える。
「夢? 夢って、学校の?」
「見てないのか……?」
どこか落胆する様子の健一を目に止めて、怜治は更に慌てた。
「いや。いや! 健ちゃんと一緒の夢、だよな? 多分同じ夢見てると思うけど、一応確認してもいい?」
それに頷いて、それから健一と怜治は互いの夢を確認しあった。
どうやら、やはり今朝も見たらしい。始まり方は違うが、全く同じ夢を。
怜治はそのことで深刻な顔をしていたが、健一は改めて口を開いた。
「雪月華の話をお袋達に聞くってやつ、実際聞き出すとなったら……どうやって切り出したらいいと思う?」
言って、健一は眉を曇らせた。
怜治は腕を組むと、天井を見上げながら答える。
「人形を持って行って、それを見せながら聞き出す、しかないんじゃないかな」
「人形……。あれ、顔どうなってんだ? 俺、椅子ではっ倒したの」
「うん……。夢の中の出来事がそのまま現実に反映されるんだから、やっぱり壊れてるんじゃないか?」
「やっぱそう思うか? 壊したのばれたら怒られるなぁ……」
言いながら机に突っ伏す。
それを見て、こんな時に不謹慎だとは思ったが、思わず怜治は吹き出した。
「健ちゃんが壊したって言わなきゃいいじゃないか。『こんなになってるけど?』とか、適当に濁して」
「それしかねぇか……」
今度は椅子の背凭れに凭れ掛かる。凭れ掛かって、思い出したように続けた。
「それにしても、今日の夢は疲れる夢だったな」
「そうだな。……酷い夢だった。思うんだけど、夢の内容、段々と酷くなってないか?」
それに健一は、うんと返して頷いてみせた。
そして怜治は言う。
「まさか瞼を縫われそうになるとは思わなかった。俺も健ちゃんも」
怜治は更に重ねた。
「それと最後、音楽室に誰かいたよな?」
健一が椅子ごと振り返って答えた。
「いた。誰だか分かんねぇけど、人がいた。なんか言ってたけど、でも途切れ途切れで何言ってるのか聞き取れなかった」
「あれ、誰だったんだろう。人形に夢に引き摺り込まれるのって、俺達だけのはずだろ?」
「ん~……、何がどうなってんだろうな」
その時、階下から文代の怒鳴り声が聞こえてきた。
「いけね。取り敢えず飯食っちまおうぜ。お袋、煩いしさ」
そのあと二人は着替えようとして、全身が汗に塗れていることに改めて気付いた。夢の中では散々走り回った。この汗は、おそらく室温のせいだけではない。
夢の名残だ。
改めて、現実とリンクする夢にうっそりとした不気味さを感じていた。




