第二話 人形
家に着くと、九時を優にすぎていた。リビングの時計を見て、こんな時間になっていたのか、と二人で思った。
だが母親達は、それに対して特に叱るでも怒るでもなく、逆に呆れていた。
高校生にもなって子供のように花火に夢中になっていたのか、と。
そんな言葉を受けつつ、二人はゴミの後始末をしたあと、すぐに物置部屋へと入った。襖を開け部屋の電気をつけると、健一は押し入れへと近寄る。
「押し入れに入ってるのか?」
「うん。押し入れの下にしまってある。気味が悪かったから奥の方に隠したんだ」
言いつつ押し入れを開け、屈み込んで押し入れの奥を探り出した。
「何もそこまでしなくたって……。所詮、ただの人形だろ? 動くわけでもあるまいし」
「怜ちゃんは見てねぇからそう言うんだよ。見たらぞっとするぞ」
ごそごそとやりつつ言い返す。
それを聞いて、怜治は首を傾げていた。そんなに気味の悪いものなら、神社なり寺なりに持っていけばいいと思ったのだ。
と、そこでふと思う。文代伯母が母の形見としてとっておいた物を勝手に処分するわけにもいくまいかと。同時に、それは母にとっても形見になるのだとも思った。それを考えると、やはり勝手なことは出来ないな、と心のどこかで思うのだった。
そんなことをぼんやり考えて、ジーパンのポケットに親指を引っ掛けつつ健一に問うた。
「あったか?」
「う~ん、この辺りにしまったんだけどなぁ……、出てこねぇ」
その返答に、
「薄気味の悪いものだったら、このまま出てこない方がいいんじゃないか?」
なんとなくそう返した時、「あった!」と声が返る。
完全に押し入れの中に上半身を突っ込んでいた健一が、汗だくになって押し入れから出てきた。その手には幅が三十センチほどの長方形の木箱が握られている。
「それ?」
「この中に入ってる。……見るか?」
健一が立ち上がりながら木箱を差し出してくる。
「見るか見ないかと問われれば、そりゃ見るわな」
差し出された木箱を受け取り、蓋を開ける。中には変色した薄紙が見えた。それを掻き分けると、中には左から薄青の着物を着た人形、薄黄色の着物を着た人形、薄桃色の着物を着た人形が並んでいた。どれも長い艶やかな黒髪をしている。
蓋を脇に挟んで木箱の中から一体の人形を取り出そうとすると、底板で繋がっているのか、三つの人形が同時に姿を現した。
その時、何気なく健一の方へ視線を向けると、彼は嫌そうに人形から目を逸らしていた。
人形に目を遣れば、思っていたのとはちょっと雰囲気が違った。どれも繊細な作りをしていて、面立ちもそれぞれ違っていた。健一の話でしか聞いていなかったからもっとおどろおどろしい感じかと思っていたのに、その人形達は思いの外綺麗だった。
一体一体、それぞれに個性のある人形だ。
まじまじと人形に見入っていた怜治の耳に、突然、健一の声が飛び込んできた。
「それ、『せつげっか』って言うんだってさ」
「雪月花? 天橋立、松島、宮島の?」
思わず聞き返した怜治の目に映る健一の目はやはり逸らされたままだったが、口だけは動いていた。
「その雪月花じゃない。『はな』が違うんだ。『はな』は華々しいの華。それで『雪月華』。お袋は、婆ちゃんが人形をそう呼んでたって言ってた。左から順に、雪、月、華の名前がついてるらしい」
それに対して、「へぇ……」と答えて、怜治はもう一度人形に目を落とす。
「でも、案外綺麗な人形じゃないか。どれも美人だ。……だけど、着物の色が信号機みたいだな。赤、青、黄色って」
そう言って笑う。
「やめろよ、馬鹿。信号機見るだけで思い出すだろ」
「だって……」
声を返す怜治の笑いは収まらなかった。
「それより、人形しまってくれねぇか? いつまでもここにいらんないし、俺の部屋に戻ろう」
「ん? 人形持って?」
笑いを噛み殺して聞き返す。
「嫌だけど、俺ももう一度見たいし……。怜ちゃんが見て気持ち悪いと思わねぇなら、最初に見た時の俺の感覚が間違ってんじゃないかって思うから」
怜治はそれに思わず嘆息して、人形を箱に戻すと蓋を閉める。
人形の姿が視界から消えたことで安心したのか、健一はようやく怜治に視線を向けて、「出ようぜ」と退出を促した。
部屋から出ると、どこからともなく低い鼻歌が聞こえてきた。健一の父が風呂場で歌っている鼻歌だった。
「怜ちゃん、親父のあと入るか?」
唐突に聞かれて、
「あ、健ちゃん先に入りなよ。人形探して汗だくだろ? 俺、シャワーでいいし」
反射的にそう返していた。
「うん。じゃあ先、部屋に戻ってて。ジュースとってくるから」
「分かった」
頷いて、怜治は階段に向かっていった。そのまま階段を駆け上がり、健一の部屋へと入る。
怜治は早速明かりをつけてから、敷きっぱなしになっている布団に座り込み、もう一度人形を箱から取り出した。
漆喰で作られた人形の面はすべすべと滑らかで、鼻筋が通った鼻梁の上には顔料で細い眉が描かれている。そして目はそれぞれが個性的だった。
薄青い着物の人形──雪はくっきりとした二重が描かれている。唇はぼってりと紅が乗っていた。色気があると言ってもいい。
薄黄色の着物の人形──月は細い切れ長の目をして、唇は切れ長の目と合わせるように細く紅が引かれている。美人顔だ。
薄桃色の着物の人形──華は目がぱっちりとしていて、唇に引かれた紅はちょんちょんと申し訳程度。それでも充分愛らしかった。
そうやってじっくり見ていても、怜治には全く気味悪く感じられない。人形は人形以上でも以下でもなかった。それ以外の感慨は浮かばないのだ。だからどうして健一があれほど怯えるのかが怜治には分からない。
「どれも個性的な美人だけどなぁ。健ちゃん、なんでこんなのが怖いんだろ」
独り言をぶつぶつ呟きながら、そのままごろんと横になる。
と、人形をまじまじと見ていた時、健一が部屋へとやって来た。そして怜治の姿に驚いて声を上げる。
「何やってんだ!」
健一の慌てぶりに、怜治は寝っ転がったまま至って普通に返す。
「何って、人形見てただけだけど」
そう言った時、戸口で突っ立ったままの健一の顔が強張るのを見止めて、怜治はなんでもないことのように声をかけた。
「大丈夫だよ。ただの人形だ」
「……本当か?」
それに応えるように、身体を起こす。そして言った。
「どれも単なる人形だ。でも美人だな」
「美人?」
胡散臭げに呟いて扉を閉めると、五〇〇ミリリットルのペットボトルを怜治に差し出してきた。サンキュと声を返すと、健一は怜治と向かい合うように布団の上に腰を下ろした。
「怜ちゃん、ほんとに何も感じねぇのか? 薄気味悪いとか……」
「別に」
言って、怜治は自分に向き合っていた人形を健一に向けた。
突然のことに、健一は人形の顔を真正面から見ることになった。健一はそのまま人形を凝視した。まるで声も出ないという風に。
そんな従兄弟の様子を気にかけることなく怜治は言う。
「どうだ? ただの人形だろ?」
僅かではあったが健一は人形を凝視して、ある瞬間、目をぱちりとしばたたかせる。そして、詰めていたのであろう息を吐き出した。
「健ちゃん?」
様子のおかしい従兄弟に怜治が声をかけるが、健一は人形に止めていた目を怜治に移した。そして覚束ない状態で言うのだ。
「人形……だな。ただの」
「だから、そう言ってるだろう?」
怜治は最早、呆れ顔だった。
「ほら、手に持って一つ一つの顔見てみなよ」
言って、健一の手に押し付ける。
健一も思いの外それを素直に受け取り、人形一体一体を見詰めていた。
「おかしいな……。前に見た時もさっき見た時も妙な感じがしたんだけど、今はなんともねぇ」
そんな健一を笑い飛ばして、怜治は言い遣った。
「気のせいだ。一度気持ち悪いと思ったら、その感覚が抜けないってだけの話で。でも落ち着いて見たら、ただの人形だったろう?」
「……そう、みたいだな」
溜息をついて、どこか拍子抜けしたように言う。そして続けた。
「そうだな。多分、怜ちゃんの言う通りだな。なんか『人形だ』ってだけで気味悪がってたみたいだ」
「そうそう。全部気のせい、気のせい。俺はこうして何も感じないし」
言いながら、ペットボトルの蓋を捻って開ける。
その時だ。階下から文代の声が聞こえてきた。
「健一~。お父さん、お風呂上がったわよ。もう遅いから、あんた達もさっさと入りなさい」
その声に、分かったと返して、健一は怜治に人形を手渡した。
「俺、先入ってくるから、人形、箱にしまっておいてくれ」
「了解、了解」
怜治は手をひらひら振って、部屋から出て行く健一を見送った。冷えたジュースを一口飲むと、人形に目を向ける。
「一体、どんな由来のある人形なんだか。婆ちゃんの形見ねぇ……」
頭を掻きつつぼやくように言って、木箱をあぐらの膝の上に乗せると、中に人形を丁寧にしまい込んだ。そして木箱は邪魔にならないようにと、布団の頭の方に無造作に置いた。




