第一話 始まり
こちらは以前なろうで公開していました『雪月華』の改訂版になっております。続編ではありません(続編目当ての方がいらしたら申し訳ありません! 続編はとうの昔に書き終わっているのですが、納得がいかないため今のところ公開予定はありません)。
ストーリー自体は変わっていませんが、ちょこちょこと誤字脱字の修正、文章の変更、説明を挿入したりして、以前より分かりやすく読みやすくなっているんじゃないかと思います(自信はありませんが)。以前の物語を読んでくださった方にはストーリー自体は同じで、変更点は気付きにくいと思いますが、別作品にしたいわけではないのでその点はご承知おきくだされば幸いです。
また、以前のものを未読の読者様には、この状態で楽しんでいただければと思います。
更に付け加えますと、本来ならこの時期にシリーズものの別作品の長編を公開予定していたのですが、そちらは一時取りやめて、『ホラー大賞』に応募したかったのですが、しかしながら結構前からホラー大賞にはお題目がつくことを思い出しまして、応募は諦めました(諦めないで新しく書けや!w だが断る)。
なんやかんやで今更『雪月華』の改訂版を改めて公開することとなりました(正直、シリーズものの方は暫く書きたくないです。必要があって似たような話を書いていたんですが、流石に飽きました)。
いざ、改訂版『雪月華』、宜しくお願いいたします。
どこからか名前を呼ばれた気がした。
重く深い闇の中で、また名前が呼ばれる。
何度も何度も重ねて呼ばれ、その声は徐々に近付いてきているようだった。
じっとりと首周りにまとわりつくような重苦しさに大きく息を喘がせた。
その時だ。
「怜治。いい加減、起きなさい!」
その聞き覚えのある声は、怜治の母親、菊代の声だった。
怜治は瞼を何度か痙攣させてから、ゆっくりと目を開ける。
「……あ?」
掠れた呻き声を上げると、喉元に重くまとわりついているタオルケットを無造作に押し退けた。
「怜治、夏休みだからって何時まで寝てるつもりなの? 健一君、さっき出掛けたわよ。あんたもさっさと起きなさい」
言うだけ言って、菊代はドアを閉めると階下に降りて行ってしまった。
「……健ちゃん?」
怜治は今自分がいる場所をふと思い出す。
ここはよく知っている場所だが、自分の部屋ではないことは確かだ。
寝惚けた頭でよくよく思い返してみると、従兄弟の健一の部屋だった。
そうだ、と思い出す。
盆だからと言って母と一緒に、母の双子の姉、文代伯母の家に一週間泊まりに来たばかりだったのだ。双子と言っても、二卵性双生児だ。二人の顔は全く似ていない。
怜治は一度は開けた目をもう一度瞑り、額に腕を預けて軽く息をつく。そのまま布団の上に起き上がり、もう一度息をついた。
「そうだ……。健ちゃんとこにきてるんだった……」
健一は怜治と同い年の従兄弟だ。しかも誕生日まで一緒で、同じ高校の二年生。双子の母親達はよく「二人で双子を産んだ」などと冗談を言っている。またその二家庭も、車で十分ほどの近い場所に居を構えていた。自転車でも、ちょっと頑張れば徒歩でも来られる距離だ。
そのお陰で、二人は他の従兄弟達よりも仲がいい。
怜治は伸び気味の前髪を掻き上げながら、欠伸混じりに立ち上がって、もそもそと着替えを始める。
着替えながら壁掛け時計を見ると、もう十時に差し迫っていた。
今朝、健一の目覚まし時計に七時半に叩き起こされた記憶があったが、健一が「まだ寝てるか?」と言ってきたので、そのまま二度寝してしまったのだ。そうして二度寝して気がつけばこんな時間。これでは母が怒鳴り込んでくるわけだ、と怜治は妙に納得してしまうのだった。いくら気心が知れている親戚の家と言えど、朝食も食べずに寝ていたのでは怒られて当然だ。
着替え終わって階下へ行くと、玄関で健一が戻ってくるのと出会した。
「怜ちゃん、今起きたのか?」
「うん、母さんが怒鳴り込んできた」
それを聞いて、ははっと笑うと、健一は手にした大きなビニール袋を怜治に突き出してみせた。
「花火、沢山買ってきたんだ。夜やろうぜ」
「オッケー」
そう返して、怜治は洗面所へと向かった。
**********
怜治は遅い朝食を一人で摂り、僅かな午前中は健一と一緒に公園に出て今夜どの辺りで花火をするかその下見に来た。
そこは健一の家のすぐ傍の公園で、ほぼ目の前と言ってもいい。広さは遊具が四つ、五つあってそこそこ広い。その公園で夏休み中の小学生達が大勢、滑り台やブランコ、シーソーなどの様々な遊具で遊んでいた。
「怜ちゃん、ブランコの前辺りがいいんじゃないか?」
健一は怜治にブランコ前の広場を指さし、言う。
「そうだな。あそこなら開けてるし」
ブランコの前で『けんけんぱ』をしている子供達の姿を見ながら返した。
「でも玄関で見せてもらったビニール袋、随分大きかったな。健ちゃん、どのくらい花火買ってきたんだ?」
健一に聞き返すと、健一は「どんくらいかな? 分かんね。適当」と返してくる。
一七にもなってまだ二人は、お互いのことを子供の頃からの呼び名、『怜ちゃん』『健ちゃん』で呼び合っていた。学校でも堂々とそう呼び合っている。お互いの周りの友達からは「学校でも『ちゃん』付けかよ、ガキ臭い」と指摘され、揶揄もされるが、呼び慣れた呼び名はそう簡単に変わることはなかった。一時期はお互い直そうかとも思ったが、結局は直らず今に至っている。と言うよりも、気にならないのだ。どれだけ周りに馬鹿にされようが、揶揄されようが。幼い頃からそれは染みついて、最早それが互いの名になっている。二人の間に他の呼び名は存在しなかった。
「そうだ」
と、思いだしたように健一は話題を変えた。
「怜ちゃんさ、英語の課題、手ぇつけたか?」
「英作文? あのお題はなんでもいいから作文書けってやつ? まさか。まだほとんど宿題になんて手はつけてないよ」
「あ~、俺、何書こっかなぁ」
夏休みの宿題に思いを馳せて、健一は頭を抱える。
「それより健ちゃん。『キング・オブ・シャドウ』買ったって言ってたよな? 俺にもやらせて」
「おう、じゃあ、前に作った怜ちゃんのアカウントでやろう」
『キング・オブ・シャドウ』は最近発売されたばかりの、中世ヨーロッパをイメージしたダークな雰囲気のオープンワールドRPGだ。キャラクターを自分好みに制作し、広い世界を自分のテンポで進めていくスタイルのゲームだ。
怜治もsteamで買おうかと思ったのだが、夏休み前に健一が買ったと聞いていたので自分では買わなかった。因みに健一は、steamではなく家庭用ゲーム機版のものを買っていた。怜治は据え置き機を持っていなかったので、それをプレイしてからsteamで買うか買わないかを判断しようと思っていたのだ。
「じゃあ、昼飯食ったら……って、怜ちゃんは昼飯あんまいらねぇか」
「さっき食べたばっかりだしなぁ。でも健ちゃんの昼すんだら遊ばせて」
そう言って、午前中は公園をぶらついてから昼食がすんだあと、午後いっぱい夕食まで怜治は健一のアドバイスを貰いながら遊ばせて貰い、また、健一も怜治がどんなプレイをするのかと隣から見て楽しんでいた。
そうして二人は夕食を終えてから暗くなるまでまたゲームをして時間を潰し、いざ暗くなると途端にばたばたと再び公園へと出向いた。
そこで手持ち花火や吹出花火、打上花火にロケット花火、回転花火に爆竹まで色々な種類の花火で散々はしゃぎ、遊んだ。最後に花火の後始末をしてからベンチに座って線香花火に興じる。
線香花火のささやかな火花を見詰めながら、怜治が口を開いた。
「やっぱりロケット花火はいいな。火薬に火がつくまでの間とか、どれだけ上手く遠くに飛ばせるかとか、一回一回が楽しいよ」
それを聞いて、健一が楽しそうな笑い声を上げる。
「怜ちゃん、ロケット花火好きだから多めに買っておいてよかったよ」
「手持ち花火じゃ味わえないスリルがあるからなぁ」
「ロケット花火、手に持って飛ばすなんてあっぶねぇのな」
「面白いんだからしようがないだろ? そう言う健ちゃんだって連発打上花火、手で持ってたじゃないか」
「あれは打上花火が発射される時の感触がいいんだよ」
そこで二人はげらげらと笑いながら肩を揺らす。その拍子に、線香花火の火種が揃って落ちた。
「あ、落ちちゃった」
怜治が言って、次の線香花火に火をつけようとする。
その時、ふと怜治が健一に目を向けると、健一は妙に真剣な目で怜治の手元を見遣っていた。
それを不思議に思い、思わず尋ねる。
「どうした?」
「いや……うん。……あのさ」
健一からさっきまでの元気が急に消えていた。次の線香花火を手にしながら、どこか言いにくそうにぼそぼそと口を開く。視線も不意に逸らされ、どうにも口に出すことを躊躇っている様子だった。
そんな健一を励ますように肩を叩いて、
「どうしたんだよ?」
実にあっけらかんと問いかけてみる。
それに勇気づけられたのか、健一は怖ず怖ずと口を開いた。
「俺さ、怜ちゃんが来るの待ってたんだ……」
「俺?」
「うん……。実は家でさ、気味の悪いもの見つけちまって……昨日は言う勇気がなくて……」
そこまで言って、身震いする。そして一度、自分を落ち着けるように息をつくと、更に続けた。
「うちに物置部屋あるだろ? ほら、婆ちゃんが使ってた部屋」
「あぁ、うん」
健一の家には物置部屋と呼ばれる、かつて母方の祖母が使っていた部屋がある。祖母が亡くなったのは、彼らが中学三年の時だ。それまでは祖母の部屋だったが、祖母が死んで遺品の整理が終わったあと、その部屋には雑多なものが置かれるようになった。あまり使わない食器や健一の父のゴルフバック、客用の布団もしまわれ、大きな座卓もそこにはある。
雑然と物が置かれている為に、物置部屋と呼ばれるようになった部屋だった。
無論、そこには祖母の遺品もしまわれている。
「この間、怜ちゃん達が使う客用の布団を出す時にあの部屋で……人形、見つけたんだよな」
言う健一の眉は曇っていた。
人形と聞いて、怜治の眉も曇る。
「それって、日本人形とか?」
「いや、そこまで大層な物じゃない。日本人形と言えばそうかも知れないけど、ちょっと違う。一〇センチくらいの大きさかな? それくらいの女の人形が三つ並んで座ってるようなやつ」
それを聞いて怜治は気が抜けたように、はぁっと息を吐き出した。
「なんだぁ。日本人形の髪が伸びてるとかそんな話かと思ったら違うのか」
はははと笑ってみせるが、健一は何故か顔色をなくしていた。
「そんな話だったらまだよかったよ。でもさ、なんか……違うんだ」
「違うって、何が」
きょとんとした顔で健一を見詰める。
そこで、更に健一の顔色が悪くなった。
何かを言いにくそうに火のついていない線香花火を弄びつつ、暫く黙っていたが、その間の沈黙に耐えかねて怖々という風に口を開く。
「なぁ、怜ちゃん。俺、怖いんだよ。あの人形から視線を感じる」
そこまで言って一旦言葉を句切り、そして次の瞬間には怜治の腕を引っ掴んで勢い込んで言い遣った。
「もしかしたら俺の思い違いかも知れねぇ。でもさ、もう一度確かめてみたいんだ。怜ちゃん、あの人形を見るのに付き合ってくれないか?」
怜治は思わず目をぱちぱちとしばたたかせて、顔色をなくした従兄弟を見遣る。健一の顔は真剣だった。真剣であると同様に、酷く切羽詰まった表情をしている。
「ちょっと、健ちゃん……?」
「お願いだ! 頼むよ!」
そこには有無を言わさぬ勢いがあった。否、それは怯えだ。恐怖だ。健一は本気で怖がっている。
それを感じ取って、怜治はなんとか頷いてみせた。
「健ちゃん、分かった。分かったから、手、放してくれ。痛い」
「あ……ごめん」
言って、掴んでいた腕から手をそっと離す。知らぬ間に、必要以上に怜治の腕を強く掴んでいたことを知ったのだ。
「なぁ」
そこで怜治は話を少しずらした。
「その人形、なんであるんだ? 誰のだ? 伯母さんの思い出の品とか?」
「いや。婆ちゃんのだってお袋は言ってた。昔から大切にしてたってさ」
でも俺そんなの知らなかったよ、と健一は続けた。
「婆ちゃんは長いこと寝たきりだったから、俺は婆ちゃんの部屋にあんま入ったことねぇし、あの人形を見つけるまで、そんな物があることも知らなかった。見つけた時にはびっくりしたよ。妙な生々しさがあってさ……」
そこでふっつりと言葉を途切れさせる。健一の顔は苦いものでも無理矢理飲んだような顔になっていた。
それを見咎めて、怜治はまた明るい声を出すと言った。
「よっし! じゃあ残った線香花火、全部片づけるか!」
言うと、健一の手にしていたくしゃくしゃになってしまった線香花火を取り上げ、ベンチに置いてある線香花火の束を手に取る。
「全部一気に行くからなっ」
言うが早いか、線香花火の束にライターで火をつける。途端に、線香花火が派手に火を吹き上げた。見る間に火種は大きな玉になり、重すぎる火種がぼとりと地面に落ちた。地面にあっても少しの間ぱちぱちと弾けていたが、それもすぐに冷えて固まる。怜治はその火種を靴裏で完全に踏みつぶした。
全ては勢いだった。健一が抱えている重たい恐怖を払拭する為の。
そしてその様を、健一はどこか呆然と眺めていた。今まで恐怖に取り憑かれていて、花火をして遊んでいたことすら忘れてしまっていたのだ。
「よっし! 終わった、終わった。帰って、婆ちゃんの形見の人形見てみるんだろ? さっさと帰ろう」
勢いを殺さぬままに言って立ち上がると、健一の手を取って立ち上がらせた。そうして、まだ呆然としている様子の健一の額を小突く。
「健ちゃん、俺がいるから大丈夫だよ。怖いことなんて何もないって。だから早く帰って、俺にもお宝見せてくれよ」
健一の言った言葉なぞなんでもないことのように、怜治は笑顔でそう言い遣った。
その笑顔を見て、健一も心が解れたのだろうか。まだどこか頼りなげだが、彼も笑顔を見せる。
「そ……そうだな。帰るか。もう随分遅ぇしな」
お袋達心配してるかも知れないし。と付け加えて、傍らに放ってあったゴミの入ったビニール袋を手に取って、怜治と共に家路についた。




