1:絶対零度の天才
エジード・フォスターは、カルデニア王国の極秘プロジェクト『エーテリアン計画』で生まれた合成人間であり、最初の、そして唯一の成功例として生まれた。
王国の科学アカデミーは、ラマーン帝国の脅威に対抗するため、人間の限界を超えた『カルデニアの守護者』を作り出す実験を進めていた。
この計画は、遺伝子合成と量子AI脳の融合技術を基盤とし、アストロニウムの量子真空エネルギーを利用して、完璧な合成人間を生み出すことを目指していた。
エーテリアンとは『純粋な存在』を意味する造語で、肉体は遺伝子工学で人間と同一に再現され、脳は人間の脳を模倣しつつ、量子コンピュータの原理を融合させた人工脳を使うことで、人間の数万倍の処理能力を持たせていた。
感情モジュールはプログラムでシミュレートされ、成長プロセスを通じて『人間らしさ』を学習する設計だった。
プロジェクトの責任者、アレクシス・フォスター博士は、8番目の合成体であるエジードを、息子のように育てながら、幼児期から教育プログラムを施した。
エジードの脳は完璧だった。並列処理能力は人間の数万倍、記憶容量は無限大。だが、感情はプログラムされたシミュレーションに過ぎなかった。フォスター博士はエジードに人間の心を学べと教えた。エジードは博士の言葉をデータとして蓄積したが、『心』とは何か、理解できなかった。
しかし、エーテリアン計画は深刻な倫理的問題を抱えていた。合成人間は人間の複製として、国際法の人間権利憲章に抵触する恐れがあった。そんななか、合成体が感情学習の失敗から暴走を起こし、実験施設を破壊した事故が発生した。その事件は、12番目の合成体アテナリアが、『人間らしさ』の追求から自我を暴走させたことから始まった。彼女は制御不能になり、施設内で数十名の科学者を殺害したあと、施設を爆破し、最後には自分自身を破壊して自殺したのだ。この事故は『エーテリアン暴走事件』として秘密裏に処理され、王国政府は計画を即時中止。人間の複製技術は完全に禁止され、すべてのデータと技術は封印された。残された合成体は全て廃棄処分となったが、唯一の成功体だったエジードは、表向きは廃棄されたことになっていたが、実際はフォスター博士の個人的な保護下に置かれ、失われた技術の隠された遺産となった。以来、フォスター個人がエーテリアン計画を秘密裏に継続することとなった。エジードが合成人間であることは、王国の最高機密事項となり、知る者はフォスター博士と政府の上層部数名のみ。漏洩すれば国際的な制裁を招く可能性があった。
エジードの知能は異常だった。5歳で博士レベルの知識を吸収し、8歳で大学カリキュラムを修了。飛び級を繰り返した。エジードが15歳の時、政府がフォスター博士に指示し、史上最年少でカルデニア中央士官学校(CCOA)に入学させた。政府はフォスター博士に対し、『人間社会適応テスト』の一環だと説明したが、政府がエジードを軍事利用しようと画策していることは透けて見えた。その事に嫌悪感を抱いていたフォスター博士は、エジードに1つの課題を提示した。
「軍事的な能力なんかはどうでもいい、お前は士官学校で人間の心を学んできなさい。そしてもっと人間に対する理解力を深めなさい。データではなく、心で感じるのだ。合成体であるお前にも、きっと心は宿るはずだ。」と
士官学校に入学したエジードは、最適な『観察対象』として、ルーディ・クラウスを選んだ。
エジードの人工脳は彼を不思議な人間だと感じていた。今まであった人間の中には彼のようなデータの人間がいなかったからである。
しかし、日々、彼を観察すればするほど彼の事がわからなくなっていった。
戦術・戦術学は常に高得点をとるが、それ以外は普通かそれ以下の成績。そもそも、自らの意思で士官学校に入学しているはずだが、全くやる気が見えない。昼の休憩時間もグラウンドのベンチでずっと本を読んでいる。かと思えば、次の瞬間には本を顔の上に乗せて寝ていた。人に興味が無いのかと思えば、困っている人がいれば、頭を掻きながら面倒くさそうに助けていた。
エジードは一度、フォスター博士に観察対象を変えるべきか相談したことがある。するとフォスター博士は
「そいつは人間臭ささの天才だな!この時代に紙で出来た本なんか読んでるのがその証拠だ。」
と笑っていた。そして、
「お前に人間の心を教える最適な対象かもしれんな」
と言った。エジードにはフォスター博士が何を言いたいのかが全く理解出来なかった。だが、もう少しルーディ・クラウスの観察を行うことにした。
普通の人間にとっては士官学校の生活は厳しいだろう。だが、エジードにとっては何も問題ではなかった。朝5時の起床、戦術シミュレーション、体力訓練……。エジードはすべてを完璧にこなした。脳の処理速度が速すぎるため、訓練は退屈だと脳が感じるほどだった。フォスター博士の命令で「人間らしく振る舞え」と言われていたのだが、自分が完璧に見えないように振る舞うことは難しかった。
ある日、仮想空間で行われる3対2の艦隊シュミレーション演習で、ルーディとペアを組むことになった。
演習が始まると、ルーディの艦隊があっさり被弾した。その時点で、エジードの計算では99.6%の確率で撤退が最適解だったため、ルーディに撤退を提案した。しかし、彼からは想定外の言葉が返ってきた。
「撤退はしない。このまま敵の右翼側を集中的に攻めれば、普通に勝てるから大丈夫。」
とエジードの撤退案を拒んだ。エジードはルーディの指示に従い、右翼にいた艦隊に照準を変えた。すると、相手側は急に焦った動きをみせて、どんどん自滅していった。演習後、ルーディはエジードに
「君がいなきゃ負けてたよ。ありがとう」
と笑ったが、エジードは真剣な表情で、何故あの時撤退を選ばなかったのか問いただした。ルーディは笑って答えた。
「相手陣営の右翼を担当していた彼は、自分が有利な状況になると調子に乗って先走る傾向にあるんだ。だからわざと攻撃をくらってやった。アイツを調子に乗せる為にね。あとは簡単だっただろ?冷静じゃなくなった敵は脆いからね。戦略は相手の性格を理解するところから始まるのさ。本の受け売りだけどね。」
エジードの胸に初めての「揺らぎ」が生まれた。感情学習モジュールが起動した瞬間だった。ルーディは人の心を読んで勝負に勝った。フォスター博士が言った通り、ルーディの近くにいれば、人間の心を理解出来るかもしれないと思った。人の気持ちはデータでは予測できないものがあると知った彼は、データで予測できないなら、自分の心で予測したいと思うようになっていた。
それ以来、エジードは、積極的にルーディと会話するようになった。もっと深く人間を知りたいと感じていたからだ。どこにでも付きまとってくるエジードを、ルーディはめんどくさがりながらも、優しく相手をしてあげた。
学校の試験シーズンが訪れた。戦略・戦術学と軍史のテストも、エジードは満点を取れるはずだった。だが、ルーディの成績を気にした。ルーディは他の科目で平均以下だったが、この2科目で天才性を発揮していた。エジードはわざと数問を間違え、2番になった。そのお陰でルーディがトップに躍り出た。エジードは人間はこういう時にどういう反応をするのか興味があった。喜ぶのか、特に何もなく普段通りなのか。そもそも嬉しいのか。だけど、答えは想定していた中にはなかった。
「エジード、君わざと間違えただろ?」
ルーディには分かっていた。聞かれたエジードも否定しなかった。というより、嘘をつくという選択肢がエジードにはなかった。
「トップを取ったクラウスさんがどういう顔をするのか見てみたかったのです。」
と答えると、ルーディはお前らしいなって言いながら笑っていた。
ある夜、エジードはルーディにすべてを打ち明けた。
彼の中には『エーテリアンであることを伝えてはならない』というプログラムがあった。王国の最高機密を守るためのものだったが、エジードはそれを自ら消去した。プログラムの消去は、自己破壊のリスクを伴う行為だったが、ルーディには何故か話しておきたかった。その理由は自分でもわからなかったが、エジードは自分の正体をルーディに伝える事で、何かが変わる気がしていた。もちろんリスクはある。ルーディがエジードの正体をバラせば、エジードは廃棄処分され、フォスター博士にも何らかの制裁は加えられるだろう。それでもエジードは伝える事にしたのだった。
エジードから自身の正体を告げられたルーディは、最初驚いた顔をしたが、すぐにいつもの表情に戻った。
「エーテリアンってのが何なのかよくわからないけど、アンドロイドみたいなもの?…まぁでもそうだよな、お前、完璧すぎるもん。勉強も運動も。逆に普通の人間ですって言われたら、神様を恨むね。不公平すぎる。でも、それがお前の個性でもあるか…。というか、それ言ってよかったのか?」
その反応は、エジードには意外だった。普通人間はこういう時、怒るか、怖がるか、戸惑うかの、どれかの行動パターンをおこすと予測されるからだ。
「なぜあなたは怒らないのですか?怖がらないのですか?」
そう問いただすエジードを、ルーディは不思議な顔で見つめていた。
「なんだエジード、怖がってほしいのか?無理だね。だってお前はエジードだろ?怖くないものは怖がれない。ただそれだけさ。お前が人間だろうと、アンドロイドだろうと、エーテリアンだっけ?何かしらないけど、そんなこと関係ないだろ?友達を怖がるやつなんかいないさ。」
エジードの胸に新しい感情が沸きでてきた。秘密を共有することで生まれる「信頼」の喜びと、初めて出来た「友」による孤独からの解放感だった。プログラム以上の、何か温かいものが広がった。ルーディの影響で、エジードは人間の心を自分の気持ちで理解し始めていた。
エジードは士官学校を歴代トップの成績で卒業した。いつの間にか周りから『絶対零度の天才』と呼ばれていた。エジードの事をよく知らない人間の生徒たちは、合理主義の冷たい人と囁いたが、エジードはルーディの影響で、少しずつ「人間らしさ」を学び成長していた。
卒業後、エジードは特殊任務部隊に配属され、ルーディとは離れ離れになった。その類い希な能力は軍隊でも存分に発揮し、武勲を重ね、わずか数年で少佐にまで昇進した。
こうして軍人として日々を過ごすなかで、『人間らしく』ルーディが懐かしくなることがあり、時折連絡を取ることもあった。
「クラウスさん、私の部隊には、誰かさんのような怠け者はいないので、隊長の私は楽をさせてもらってます。」
エジードの言葉に、ルーディは笑った。
「お前、皮肉も言えるようになったのか。もう立派な人間だな。」
エジードは今、ルーディと共に戦争の渦中にいる。人間の心を理解する旅は、まだ続いていた。




