09 他人の話を鵜呑みにするのもほどほどに
私は不機嫌だった。理由は単純。あのクウロとかいう意地汚いドラゴンが、私と殿下の昼食を全て横取りして食べたからだ。
網籠から出した瞬間、パクリと。一口で。全て食べてしまった。
侍女が教えてくれたロータス殿下の好物、いっぱい持ってきたのに。許すまじ。夕食はドラゴンステーキにして差し上げましょうか。
私たちは山を下っていた。昼食がなくなってしまったので、皆で食べ物を取りにきている最中だった。最初は殿下お一人で行くつもりだったらしいが、私の気分も回復してきたので、どうせなら一緒に行きましょうと提案したのだ。もちろん、護衛代わりのクウロも付いてきている。私は殿下の隣を闊歩するドラゴンを睨んで、彼に言った。
「ロータス殿下。ドラゴンってどうやったら捌けるんでしょうね」
「クウロを食べようとしないでくれアザレア。クウロの不始末は、彼女を連れてきた余の責任だ」
私の言葉に殿下は怯えてクウロを庇うように立つ。クウロは殿下から見えないことを良いことに、私を馬鹿にするかのように鼻で笑った。
「しかし、普段は人間の食べ物など目もくれないのに。一体どうしたのだ、クウロ」
殿下は不思議そうに言って、クウロの顎を撫でた。彼女は気持ちよさそうに目を細めて、お返しと言わんばかりに殿下に頬擦りをする。
私は二人(正確に言えば一人と一匹)のじゃれあいにムッとし、彼らを追い越して先頭に出る。
ロータス殿下ったらクウロに甘いんだから。
別に良いわ。ドラゴンに嫉妬するほど私、子供じゃないし。
「アザレア。危ないから一人で先に進むな」
殿下の注意を、私は素直に聞いた。足を止めて、後ろから追いかけてくる殿下たちを待つ。待っている間、何か食べ物はないのか探していると、ちょうど近くにあった木にロクザの実が生えていた。
ロクザは割ると粒々した小さな甘酸っぱい実がたくさん入っている果実だ。主食にはならないが腹の足しにはなるだろう。何より、殿下の好物。昼食ではデザートとして持ってきたものだった。私は追いついた殿下に、ロクザの実を指差した。
「ロータス殿下。ロクザの実がありますわ。取ってきましょうか?」
「う、うむ……アザレアは食べたいのか?」
殿下の微妙な反応に、私は首を傾げた。てっきり喜ぶと思ったのに。
「いえ、私は別に……ですが、殿下の好物だと侍女から聞いておりましたので。あの程度の高さなら私でも登れますので、よろしかったらと思いまして」
木は私の身長の三倍ほどの高さだが、この程度なら余裕だった。だてに前世で母から猿呼ばわりされていない。
久々どころか前世振りに腕の見せ所か、と構えていたら、殿下から衝撃の発言が飛んできた。
「……言い難いが、アザレア。余は別にロクザの実が好きではないぞ」
え?
「実はな、昔、バザンダ王国に父上と共に訪れた際、ロクザの実の料理を振る舞われてな。当時の余はまだ子供だったゆえ迂闊に『この料理が好き』だと言ってしまい、気分を良くしたバザンダ国王が、毎年ロクザの実を送ってくれるようになってな……」
「……そこから、料理人や侍女が殿下の好物だと勘違いしたと?」
私の言葉に殿下は静かに頷いた。
バザンダ王国はロクザの実の生産国として有名だ。国を代表する生産物を送り返しては侮辱とも取られるだろう。
ロータス殿下が珍しくため息を吐いた。
「ロクザの実は嫌いではないが、そこまで好む物でもない。一応、料理長や侍女頭には事情を説明している。だが、あまり表立って否定するとバザンダ国王の耳に入るかもしれないしな。侍女が勘違いしたぶんは放っておいている。特段、害もないしな」
「………」
私は顔から血の気が引くのを感じた。
あっっっぶな! 危うく侍女の言葉を鵜呑みにして昼食にロクザの実を出すところだった。
うん? しかし、そうなると……。
「殿下。では、ブラインの麦で作られたパンは……」
「ターブル帝国の使者からの土産だな。国力の差を考えれば褒めることしかできなかった。余はあのような柔らかいパンよりも硬い方が好きだ」
「で、では、ブチオ鳥のもも肉は……」
「狩りで初めて獲れた獲物だ。あの時期は調子に乗ってそればかり獲ってきて食べていたせいだな。勘違いされるのも無理はない」
「ソウレンホウの黄花添えは……」
「……あれは先代の王妃、余のお祖母様の得意料理でな。何かがきっかけで好物だと勘違いされて、言いづらくて黙っていたら他の者にも誤解されていた」
な、なんてこと!?
今日用意してきた昼食、全部ダメだったじゃない!
まさか、侍女の話と殿下の好物がここまで乖離していたとは……。
私が内心で冷や汗を掻きまくっていると、後ろからクウロが殿下に声をかけるように鳴いた。振り返れば、彼女は口で一本の枝を咥えている。その枝には、赤い果実が実っていた。
「おお。ルップアを持ってきてくれたのか。ありがとう、クウロ」
殿下はクウロの頬を撫で、枝から果実を一つもぐ。ルップアを齧る彼は、嬉しそうだった。
その様子に、私は気がついた。
もしかして、クウロが昼食を横取りしたのって、あの中に殿下の好物が入ってないとわかっていたから……?
「アザレア。其方も一つ食べると良い。美味いぞ」
そう言って、殿下は果実を私に差し出してきた。礼を述べて受け取ってから、一口齧る。そして、ちらりとクウロを窺うと、彼女は勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
腹立つ。
めっちゃ腹立つ顔してる。
私が無意識にルップアを持つ手に力を入れていると、食べ終わった殿下が突然きょろきょろと周りを見渡した。
「どうかなさいましたか、殿下」
「うむ……」
殿下は曖昧な返事をし、「アザレア。クウロとここで少し待っていてくれ」と言って、止める間もなく獣道の方へ走って行ってしまった。
「あ、殿下! 一人は危険でございま——」
私が殿下の跡を追おうとすると、後ろからクウロに引き止められた。口で器用に服を咥えられ、私は勢い余って尻もちを着く。
「ちょっと! 止めないでよ!」
抗議しようと振り返れば、突然視界が真っ黒になった。生温かい水と生臭い息に、私はクウロに頭を口に入れられたことに気がついた。
「きゃあああああ!? 何するのよ! 離して!!」
クウロは私を離すどころか、はふはふと咀嚼する仕草で私の恐怖を煽ってくる。観念して、私は叫んだ。
「わかった! わかったわよ! 追いかけるのやめるから、さっさと離れなさいよ!」
訴えが伝わったのか、クウロは大人しく私の頭から離れた。
私は唾液でべとべとになった顔をハンカチで拭きながら、その場から動こうとしない彼女を睨んだ。
「孤高の生き物なのに、主人の命令には忠実ってことね。あー、もう。私もここで待っていれば良いんでしょ。わかったわよ」
ぶつぶつと文句を言って、クウロの隣に座る。貰ったルップアを食べるふりをして、ちらりと彼女を見た。そして、少しだけ躊躇ってから、そっぽを向いている彼女の腹をぽんぽんと叩き、昼食のお礼をする。
「さっきは助かったわ。ありがとう。今度からは、本人にちゃんと確認するから」
顔を見れないため、クウロがどんな感情なのかはわからない。だから、彼女の短い鳴き声は好意的な返事だと、都合良く解釈した。
しばらく無言でルップアを食べていると、クウロが寝ていた身体を起こし、小さく唸り声を上げる。
私が咄嗟に立ち上がると同時に、獣道から殿下が戻ってきたのが見えた。彼の名を呼んで駆けつけると、殿下は苦い顔で私に言った。
「すまぬ、アザレア。少々、厄介なことが起こった」
ロータス殿下の背には、血塗れの男性が担がれていた。




