08 ピクニック(下)
ドラゴンとは誇り高き生き物だ。
決して人間に靡かぬ孤高の存在。カボス王国の建国神話でも、聖龍は災いと福をもたらす神として書かれている。
その口から吐き出されるのは病魔の毒と浄化の炎。
その翼から生み出されるのは滅亡の嵐と繁栄の光。
その瞳から流れこぼれるのは戦火の血と平和の雨。
そして、その鳴き声は、世界の終わりと始まりの合図。
終焉の王と開闢の王が、お目覚めだ……と、童謡で歌われているほど、ドラゴンは神聖でありながら恐ろしい存在というのがこの世界の常識だ。そのような生き物を操縦するなんて、絶対に有り得ない。
——まあ、ロータス殿下はそんな常識を覆すお方なんだけども。
「あはは! 楽しいのう、アザレア!」
殿下は遥か眼下に広がる地上を眺めて、隣に座っている私に楽しそうに言った。
ドラゴンの背の上は二人が座れるほどの敷物が敷かれ、長時間座っても疲れないよう柔らかいクッションなどが置かれていた。落下防止の魔法がかけられているその空間に腰を下ろすと、ちょうど足元に景色が広がるようになっている。
わあ、綺麗。
などと私が感想を抱く余裕なんてない。
私は殿下の腕にしがみついて、次に来る衝撃に備えた。
「いやまって殿下ちょっともうむりいやあああああああああ!!」
ごぉぉぉぉぉぉおおおおお、と。
一瞬溜めて急降下したドラゴンを足蹴にしながら、悲鳴を上げる。
内臓が置いていかれる感覚に気持ち悪さを覚え、胸に何かがこみ上げてきた。
ドラゴンは先程から落下したり上昇したりぐるぐる回ったりしながら空を飛んでいるおかげで、ロータス殿下ははしゃぎ私は死亡状態だ。
目的地の山頂にはまだ着かないのかと考えていると、殿下が教えてくれた。
「アザレア。この峠を越えたら目的の山頂だ。着いたら昼食にしよう。余はもう腹が空いて仕方がないぞ」
そう言って殿下はご自身のお腹をさする。
普段なら微笑ましく思う台詞だが、ただいま絶賛グロッキー中の私にとっては異次元の人間の言葉に聞こえた。
お腹が空いた……? この状況で、お腹が空いた……?
私、もう限界なのですが……。
もはや思考すら纏まらなくなったところで、ぐん、と身体が更に下へ引っ張られた。先程のような急降下ではなく、緩やかな落下。どんどん速度は落ちていき、最後はその場で何度か羽ばたいてドラゴンは着地した。
目的の山頂に着いたのだ。ロータス殿下はひょいっと飛び降りると、下で私に向かって手を伸ばした。
「アザレア。着いたぞ。足元に気をつけて降りてくれ」
しかし、私は殿下の手を取れなかった。
その場で俯く私に、殿下は不思議そうに首を傾げる。
「……アザレア?」
殿下はもう一度ドラゴンに乗って、私の顔を覗き込んだ。
「殿下。申し訳ありません」
私は彼に被害が及ばないよう離れてから、最後の力を振り絞って言った。
「吐きます」
*****
その後のことはあまり思い出したくない。
ロータス殿下とドラゴンに散々迷惑をかけた私は、木陰で休んでいた。
うぅ……いまだ視界がぐるぐるしている。気持ち悪い。
木の幹に身体を預けてため息を吐く。先ほどよりはスッキリしたが、いまだ胸のむかむかが取れない。
みっともない姿を殿下以外の人に見られていないだけマシか。最初、護衛は付けないと言われたときは心配したが、ドラゴンが近くにいるなら下手な獣や魔物は寄ってこないだろう。むしろ下手な護衛より心強い。その点は安心だった。
とはいえ、せっかく遠出に来たというのに、最悪だ。
私が二度目のため息を吐くと、水を取りに行った殿下が戻ってきた。
「アザレア、大丈夫か?」
殿下は私に水筒を差し出してくる。ありがたくそれをいただき、頭を下げた。
「申し訳ありません、殿下」
「謝るな。もとはといえば無理をさせた余が悪い」
殿下は眉尻を下げ、心配そうな顔をした。
「……身体を預けるのに、木の幹は固くないか?」
「いいえ。大丈夫ですよ、殿下。お気になさらず」
私はゆっくりと首を振った。確かに木の幹は固いが、クッション類は先ほど私がダメにしてしまったので代わりはない。そのことについて文句を言うつもりはなかった。
殿下はふむ、と顎に手を添え考える。そして、閃いたとばかりに私に言った。
「ああ、最初からこうすれば良かったな」
殿下は私の隣に腰を下ろすと、正座をし、ぽんぽんと自分の腿を叩いた。
「アザレア。余の膝を枕代わりにするが良い」
……うん?
私が理解できないでいると、殿下は「む、やり方がわからないか?」と言って、丁寧な手つきで私の頭を自分の太腿に誘導し、私を横にさせた。
「……?」
殿下の太腿に頭を預けながら、私は疑問符を浮かべていた。
え? 私いま殿下に膝枕されてる? 殿方に膝枕されてるの?? 逆じゃない、普通??
私が混乱していると、頭上から殿下の声が聞こえてきた。
「少し横になって休むと良い……男の膝など、木の幹とさして変わらぬかもしれぬが」
そう言う殿下の声は優しい。見上げれば、彼と目があった。この体勢が恥ずかしいのか、少し顔が赤い。私が無言で見つめていると、殿下が焦った様子で言った。
「な、なんだ? 何か余におかしいところでもあるか?」
「あ、いえ……どうしてここまでしてくれるのか、不思議に思って」
率直に疑問を伝えれば、「当然だろう」とロータス殿下が返す。
「アザレアの体調に気を配れなかった余が悪いのだ。せっかくの遠出だというのに、嫌な気持ちにさせてしまったな……すまぬ」
殿下がしょんぼりと項垂れる。まさか私がドラゴンに乗って体調を崩すとは思わなかったのだろう。私を本気で心配している雰囲気に、心が痛んだ。
申し訳ないのは私も同じだった。気分が悪くなったとき、殿下にはっきり伝えれば良かったのだ。ロータス殿下は他人とどこかズレている。それを指摘するのが私の役目なのに、はしゃいでいる彼の気分を損ねたくなくて、気持ち悪いのを隠して我慢した。嫌われてでも、私は彼を叱るべきなのに。
そうだ。私が落ち込んでいる殿下にかけるべき言葉は、厳しい注意だ。ちゃんと、私が言わなければ。
私は手を伸ばして、殿下の頬に触れた。
さらりとした彼の赤い髪を撫でて、告げる。
「……私以外の人を、クウロに乗せてはダメですよ?」
これは注意だ。私と同じ被害者を出さないための、注意。それ以外の意図はない。
だから、殿下が私の手を突然握ってきても、私は決して動じたりなんかしていない。
「——無論、そのつもりだ」
ロータス殿下が微笑む。太陽のような赤い瞳に見つめられて、心臓が跳ねる。
大人びた殿下の表情を直視できない。私が行き場のない視線に困っていると、不意に、彼の腹が鳴った。
ぐうぅー……。
先ほどまでの雰囲気を壊す情けない音に、私が殿下の腹と顔を交互に見ると、彼はあたふたと弁明し始めた。
「あ、いや、これはだな……別に腹が空いているわけじゃ……」
ぐぅ。
殿下の言い訳もむなしく、腹の虫は口を閉じない。
二度目の空腹の音に、殿下は徐々に顔を赤くする。耳どころか首まで真っ赤にして、恥ずかしげに私から顔を逸らした。
「殿下」
私は起き上がり、彼を呼ぶ。
「お腹空きましたよね、殿下」
ドラゴンに乗ってたときに言ってたし。
私は頬が緩むのを必死に抑えながら、無事だった昼食を顔の横まで持ち上げる。
「ご飯、食べましょう?」
だからこっち見て?
私の思いが伝わったのか、殿下はちらりと弁当を見て、照れるように小さく頷いた。
「……う、うむ。ありがたく、頂戴しよう」
めっちゃ可愛い。
私は心の声を漏らさないよう注意しながら、昼食を網籠から取り出した。




