07 ピクニック(上)
そんなこんなで私は超人王太子であるロータス殿下の婚約者となった。
それからの日々は大忙し。
まず私は、実家の公爵家から宮廷の王太子妃の部屋に仮住まいすることとなった。
というのも、両陛下と殿下が私の身の安全を考えてくれた結果だ。父と継母の関係は社交界で有名らしく、私が家族と不仲であることも彼らは察してくれた。最初は断ったが、あからさまな虐待はなかったとはいえ、これがきっかけで万が一ということもあり得ると、ロータス殿下に力説されては頷くしかない。私の返事に、殿下は喜んだ。
引っ越しの際、一悶着あるとは考えていたが、父と継母が私を引き止めたのは意外だった。てっきり二人とも喜んで追い出すと思っていたのに。父はともかく、継母まで異様に食い下がったのは何だったのだろうか。義妹は義妹でやっぱり笑っているだけだし。付き添ってくれたロータス殿下が一緒に交渉してくれたおかげで、無事に引っ越しは済んだけども。
それにしても、事前にエルメット様から貰った「サベージ公の弱点リスト」がとんでもなく役に立った。ありとあらゆる情報が書かれていて恐怖を覚えたくらいだ。ロータス殿下も殿下で公爵家の不正ギリギリな行為を把握していたし、どういう情報網を持っているのだろうか。
まあそんなこんなで仲の良かった使用人と一緒に引っ越しが完了したところで、新たな問題が私の前に立ちはだかった。
そう、王妃教育である。
将来国を担う者として、時には国王の代理を務める者として、それに相応しい教養とマナーを学び、身に付ける。それが王妃教育だ。政治、経済はもちろん、他国の言語、文化やマナー、さらにはダンスや各国の主要王侯貴族の名前と顔を暗記しなければならない。
正直、前世のことがトラウマで、いまだ「王妃」という単語に尻込みしている。ましてや、私が王妃の器かと問われれば首を横に振る。婚約者になることは引き受けたが、ロータス殿下が叱る必要が無くなるほど立派な人物になれば、私は身を引くつもりだった。
だから、王妃教育を受ける必要は無いといえば無い。
だけど、手を抜くのも嫌いだ。
何事にも全力……とまではいかないが、わざと不真面目になるのは違う気がした。人生でこんなに勉強できる機会はそうそう無いし、それに、王として「誠実」とは何なのかきちんと向き合ったロータス殿下の気持ちに応えたい。そのために、たとえ無駄になろうとも真剣に王妃教育を受けようと、私は決めたのだ。
頭のできが可もなく不可もなくな私にとって、大変な授業であった。
とはいえ、座学はまだ学ぶ意味がわかる。他国の使者と交流するとき必須な知識だったり、国の平和を維持するための知恵だったりなど、将来王妃として役に立つであろう授業だったからだ。大変ではあるが必要性が理解できる、そんな授業であった。
問題はこれではない。
私がもっとも疑問視している授業。
それは、体育である。
「こ、これって……ほんとうに、王妃に、必要なの……?」
ぜいぜいと息を切らしながら、疑問を声に出す。脇腹を押さえ、重くなった足を引きずるように前へ進ませる。
「何を仰いますかアザレア様! 知識と教養が姿なき剣ならば、体力と筋肉は寡黙な鎧でございます! さあ! あと一周がんばって走りましょう!」
馬鹿でかい声と共に私の後ろを走るのは、体育の指導者であり騎士団長のクリーク様だ。
日の出前。まだ空が薄紫色に染まっているなか、私は騎士団の訓練場でなぜか走らされていた。
クリーク様曰く、何事も体力が必要。最後に物を言うのは筋肉である。ゆえに、成長期の今、体力の底上げを図りましょうということだ。
彼も私も昼夜は忙しいため、時間の取れる早朝にこうして体育の授業を行っている。
でもこれ本当に必要? 体力も筋肉も日常生活に大して必要ないじゃん。絶対いらないって、この授業。
私はクリーク様に恨みを覚えながら、柔らかい土の上をのろのろと走った。
「うむ。ゴールまであと少しだぞ、アザレア! 頑張るのだ!」
そして、隣で一緒に走っているロータス殿下から応援される。
私がこの授業を嫌がっているのがクリーク様にバレているのだろう。殿下を巻き込むことで私の逃亡を阻止しているのだ。
殿下はもともと身体を動かすのが好きらしい。鍛錬になると言って、体育の授業に嬉々として付き合ってくれている。今も殿下は足と腕に大人一人分ほどの重りを付けて、私の横で走ってくれていた。
多分、ロータス殿下はもっと速く走れるはずだ。それでも私に速度を合わせてくれているのは、彼の優しさゆえだろう。まあ、もっとも、今の私にはそれに感謝する余裕がないんだけど!
私は一刻も早くこの苦しみから解放されたくて、走る速度を上げ、ゴールまで一気に駆け抜けた。
「終わり!!」
私は走り始めた場所を超えたところで、その場に座り込んだ。
もう無理。動けない。動きたくない。心臓すごく痛い。空気。新鮮な空気が欲しい。
そうして私が休んでいると、クリーク様が困った顔で言った。
「アザレア様。終わった途端座ったらダメですよ。ゆっくりで良いので一周歩いてきてください。そのあと、身体を解す柔軟をしませんと」
えぇ……やだ。
何で走ったあとにもう一周歩かないといけないのよ。終わりで良いじゃん。
私はよほど嫌そうな顔をしていたのだろう。ロータス殿下が苦笑して、私の腕を引っ張って立たせようとする。
「ほれ。アザレア。余と一緒に歩こう」
「うぅ……ロータス殿下ぁ」
懇願するように殿下を見上げるも、笑顔で首を振られた。
「ダメだ。運動後、急に休むと身体に悪い。余と話しながら、一周だけ歩くぞ」
そう言って私を立たせ、殿下は私の手を引いて歩き始めた。その後ろを、のろのろと付いて行く。
おかしい。私はロータス殿下を正すために婚約者となったというのに、これではまるで私の方が世話になっているではないか。いや、実家から離れるとき助けてもらったし、実際お世話になっているんですけど。
私が脳内で愚痴を吐いていると、殿下が話しかけてきた。
「アザレアは身体を動かすのが嫌いか?」
「乗馬やダンスは好きですが、走るのは嫌いです」
「む。乗馬が好きなのか! 奇遇だな。余も馬や動物に乗るのが好きだぞ」
「殿下は馬以外の動物にお乗りになるのですか?」
「うむ。馬の他には象や駱駝に乗ったことがあるぞ。あれはまた馬と違って面白い」
ロータス殿下が楽しそうに象の乗り心地を話す。彼の赤い瞳がきらきらと輝いていて、私はつられて笑顔になった。
「楽しそうですね。私もいつか乗ってみたいです」
「ならば、今度一緒に遠出しよう。そうだ! どうせなら余のとっておきに乗って、ピクニックにでも出かけようではないか」
殿下の誘いに、勉強漬けだった私は心を躍らせた。
「ピクニックですか! 一緒に行きたいです。因みに、どんな動物にお乗りになるのですか?」
殿下は悪戯っ子のように笑って、人差し指を自分の口の前に当てた。
「それは当日の楽しみである。きっと驚くぞ」
そのあと私たちは、今後二人で出かけられそうな日を決めたあと、柔軟をしたり軽い体操をしたりして体育の授業を終えた。
そして数日後、約束の日がやってきた。
私はうきうきして殿下と待ち合わせの訓練場に向かった。なんでも、乗り物は大きいから広い場所ではないと持って来られないとのことらしい。訓練場は広いから、ここが最適だと殿下は言っていた。
どんな動物なんだろう。象かな? でも、殿下のあの様子だとそれは違いそう。もしかしたら動物じゃないのかも。楽しみだなぁ。
侍女と一緒に作ったお昼ご飯を持って、ロータス殿下を待つ。すると、近くに控えていたクリーク様が私に言った。
「アザレア様……お気をつけて」
うん? なんですその神妙な表情は? どうしてそんな遠い目をなさっているのかしら?
私が疑問を解く前に、ロータス殿下がやってきた。
「おーい! アザレア! すまぬ、待たせた」
珍しく息を切らしている彼に、私はどうしたのかと尋ねる。
「いや、なに。ここに連れてくるのに少々手間取ってしまってな」
「手間取る……あ! 今日乗ると仰っていた動物のことですか!」
殿下が頷いたので、私はきょろきょろと周りを見渡した。
「それで、どのような動物なんですか?」
「そろそろ来るはずだ……ああ、ほら」
ロータス殿下は上空を指差して言った。
「あれだ」
私が「えっ」と聞き返す前に、それは上空からこちらに向かって——凄まじい速度で着地した。
舞い上がる土煙。ドレスならスカートが完全にめくれ上がっているだろう風圧と、殿下のとっておきの正体に、私は頬を引きつらせた。
「うむ。アザレア。見るが良い。このクウロが、余のとっておきの相棒——」
ロータス殿下はクウロと呼んだ生物を撫でながら、自信満々に言った。
「ドラゴンである!」
白銀の鱗に赤い瞳。建国神話に登場する聖龍に酷似した姿のドラゴンを見て、私は考えを改めた。
ロータス殿下に付き合うなら、多少のことで動じない体力と気力が必須だわ、と。
もうすでにドラゴンに乗った殿下が私の名前を呼び、上から手を差し伸べる。彼のきらきらと期待した眼差しに腹を括って、殿下の手を取った。




