23 事件の予感
私の心が少しだけ変わったように、いつもの日常にも変化があった。
まず、エリーゼが無断で宮廷に侵入したことだが……腹立たしいことに、彼女には何の処罰も下されていない。というより、証拠不十分で罰することができなかった。
理由は簡単だ。遠隔魔法を発動させた術者が、義妹ではないと判別したからだ。
ロータス殿下曰く、どんな簡単な魔法でも完全に術者の魔力の痕跡を消すのは困難らしい。それを利用し、魔力の残滓を検出して位相の数値を算出したあと、義妹の数値と照らし合わせた。結果、不一致だったのだ。
魔力の位相は生まれ持っての固有の数値なため、原則、魔法犯罪では信憑性の高い証拠とされている。だが裏を返せば、それに当てはまらなければ立証の難易度は跳ね上がってしまうのだ。特に、今回のように術者の意思によって傀儡の姿を変えられる魔法は、成りすましの犯罪が可能のため、おいそれと検挙することができない。
例外として、殿下のように魔力の位相を弄れるなら話は別だが——そんな規格外な人間が何人もいるとは考え難いことだ。あの日、義妹が地方の貴族を訪ねていた裏付けが取れたこともあり、結果として、彼女は容疑者から外れたのだった。
代わりに疑いの目が向けられたのは、私の周りの使用人たちだ。彼らも検出された魔力と一致しなかったが、それでも怪しいことには変わりない。表向きには宮廷で働くことを続けてもらい、裏では身元を洗い直したり、異動などによって人の入れ替えを行っている。
その中でも特に疑われていたイザベラとリリアは私の侍女から外され、暇を出された。状況だけを考えれば二人が一番怪しいのは理解できる。だけど、エリーゼの襲撃翌日に二人が実家に帰らされたことは納得できなかった。何の権限も持たない私が抗議したところでたかが知れているが、それでも思うところはある。結局、二人の身の潔白が証明されるまでの間は、仕事を休んで貰うということに落ち着いてしまったが。
とはいえ、これ以上の要望はどうあがいても通りそうはない。私はこの件はここで引き下がり、今は王家に長いこと仕えている侍女さんにお世話してもらっている。ご年配の方でとても優しくて穏やかな人だ。年の功か良く気が利いていて、おかげさまでここ半月は不自由のない生活を送っていた。
あの夜、前世のことを忘れて今の気持ちに素直になると決めてから、半月が経ったのだ。
水面が揺らげば映る景色も歪む。誰かが言っていたその言葉通り、私の心持ちが変わったからか、今まで気にも留めなかった些細な出来事を気にするようになった。
具体的な例を挙げるなら、ロータス殿下と目を合わせるのを恥ずかしく思ったり、手を繋ぐなどの接触を戸惑ったり。特にそれらは、殿下と二人きりになると顕著だった。だからか、早朝の体育や授業の合間の休憩など、一緒に過ごしていた時間をなんやかんや理由をつけて断るようになった。そのせいか、ここ半月は殿下と長くいた記憶はない。
というのも、恋とは何なのか未だに答えを得ていない私は、まずこの奇妙な感覚を観察することに決めたからだ。
これはシュナの助言の一つだった。大天才曰く、何事も資料集めからだとのこと。そのためには、解明したい現象を観察したり実験したりすることが大事だと言っていた。
私の場合、自分の気持ちを客観視できていないので、まずは己の行動を観察し記録を残した方が良いらしい。最初はあんまり深く考えないで感情のまま動いてみてください、とも指示された。
だからこうして半月の間、殿下といると緊張するけど楽しかったり、でもやっぱり恥ずかしいのでちょっと距離を置いたりといった行動を繰り返していた。
そして、気がつく。
私、はたから見てロータス殿下のこと避けてない? と。
そのことを踏まえて、考える。
これ、殿下に誤解されかねない行動ではないか? と。
気づいたときにはもう遅い。
案の定、私は殿下に詰め寄られた。
「アザレア」
夕方。一日の王妃教育が終わり、クウロの体を洗いに向かっている道中だった。
必要な道具を持って彼女の寝床がある翠の塔へ歩いていたら、進行方向に殿下が待ち構えていたのだ。
近道として人気のない建物の間を通っていたことが裏目に出た。気まずい私は彼に挨拶だけして、道の真ん中に立っている殿下を避けて壁際を通り抜けようとした。それこそが彼の狙いだったのだろう。殿下は勢いよく壁に手をついて、私の進行方向を塞いだ。そして、私が踵を返すよりも彼のもう片方の腕が退路を塞ぐ方が早かった。
包囲された私は、壁を背に見上げる形で殿下と向き合う。
「なぜ余を避ける」
少し掠れた低い声が、端的に疑問を告げた。それに冗談の気配は一切なく、普段よりも一層真剣な顔で尋ねてくるものだから、私は狼狽てしまった。
「さ、避けるなど、そんなこと……」
目を泳がす私とは対照的に、赤い瞳は私を真っ直ぐに見据えてくる。
殿下の視線に耐えきれず、私は顔が赤くなる前に俯き、小声で言い訳した。
「ちょ、ちょっと考え事がありまして……だから、これは別に避けてるとかそういうわけでは……」
「……? 何と言った? 声が小さくて聞こえぬ」
私の声が聞き取れなかった殿下が、ぐいっと顔を近づけてくる。
先ほどよりも互いの距離が縮み、心臓が跳ねた。
意外と筋肉でしっかりしている身体とか、声変わりした低い声とか、ほのかに薬品の匂いがするとか。普段は意識していない部分の存在感が増し、それに気づいた瞬間、顔に熱が集中する。鼓動がどんどん速くなっていき、もはや胸が痛いくらいだ。
前まではこれくらいの距離何ともなかったというのに。今の私には少々刺激が強すぎる。
「で、殿下、近い、近いです」
「む……」
私は俯いたまま彼の胸を手で押し返し、距離を離そうとした。すると、彼は不服げな声を出し、そのまま私の腕を取ってしまった。
「ならば面をあげよ。余はここ最近、其方の顔をまともに見ていないぞ。言いたいことがあるのなら、まずちゃんと余と目を合わせろ」
それができたら苦労していない。
今までは殿下のことを「かわいい」とは思っても、こんな心臓が破裂しそうなほどドキドキすることなんてなかったのに。
今までなら、こんなことで手を取られても、動揺なんかしなかったのに。
「……っ」
手首越しに伝わる彼の手は、皮が堅くて少し乾燥していて、体温は冷たくて、過去に何度も繋いできたそれと変わっていない。
だけど、今日はどうしてか、初めて触れたかのように、私は驚いて顔を上げてしまった。
殿下と目が合う。私を見て、彼はパチリと瞬きをした。
おそらく、私は今酷い状態だろう。自覚するほど顔は熱いし、表情は取り繕っていないし、もしかしたら額に汗が浮かんでいるかもしれない。
だと言うのに、殿下は目を丸くして私をまじまじと見てくる。私が気まずくなって目を逸らすと、彼の手が私の額へと伸ばされた。
「……殿下?」
私の前髪をかき分け、手のひらをおでこに乗せてきた殿下を見上げる。
彼は微かに眉根を寄せ、形の良い唇をゆっくりと動かす。
「アザレア」
「はい?」
私が首を傾げると、殿下は難しげに言った。
「……熱でもあるのか?」
その言葉に私は一瞬硬直したあと、だんだんと怒りが喉を駆け上がっていき、感情のまま叫んだ。
「ロータス殿下の馬鹿! 大嫌い!!」
「だ……!?」
絶句する殿下のことを思いっきり突き飛ばして、私はその場から逃げ出した。後ろで彼が私の名を呼んでいたが、無視してクウロの小屋まで一直線に走って行った。
*****
「殿下の馬鹿。どうしてあそこで熱があるかなんて突拍子もないことを考えつくのよ」
「ギャア」
クウロの小屋にて、私は彼女の身体を掃除していた。鱗を一つ一つブラシで洗うように手を動かしながら、私は先ほどのことにぶつぶつと文句を言っていた。
「そりゃあ私が悪いかもしれないけど、でも、少しは殿下だって色々と察してくれたっていいじゃない」
「……ギャア」
「そもそも殿下があんなに距離を詰めてくるのが悪いのよ。ちょっとはさ、私の心を汲んだって——」
「——ギャア! ギャア!」
「痛い!? なに!? 急にどうしたのよクウロ!」
バシバシと尻尾で背中を叩かれたので、私は一旦掃除を中断した。ブラシを持ったまま、腰に手を当てクウロに不機嫌な理由を尋ねる。
「ちゃんと綺麗に洗ってるじゃない。何か文句あるの?」
寝床として整備された土の上で横になっている彼女は、ギャアともう一度鳴くと、首を曲げて私を睨んできた。
そして、顎で自分の胴体を示してくる。私が先ほど洗っていた箇所だ。よく目を凝らせば、鱗と鱗の間の皮膚に引っかき傷があった。
「やだ、怪我してるじゃない。どうしたのよこれ」
「ギャア、ギャア」
私の疑問に答えるかのように、クウロはつり目を作ると口から炎を吐き出した。突然サラマンダーの顔真似をしてきた彼女を見て、「そういえば昼間、精霊たちと遊んでいたんだっけ」と、私はシュナが疲れていた姿を思い出した。
「じゃあ、昼間遊んでいるときにできたの、これ」
「ギャア」
「そして、傷口に水が染みると」
「ギャア、ギャア」
私がブラシをクウロに見せると、彼女は尻尾で地面を叩き、肯定の意を示した。
「そう。じゃあ、掃除が終わったら傷薬を塗ってあげる。先に身体全体を洗っちゃいましょうか」
「ギャ!?」
私がにっこりと笑って掃除を再開し始めると、クウロは驚いたように鳴き声をあげた。
「なによ。いつもはさっさと済ませなかったら怒るじゃない。大丈夫よ、いつも通り、ちゃんと鱗の間まで洗ってあげるから」
私の言葉に、クウロは狼狽ている。ふふふ、予想通りだ。おそらく、ここ以外にもかすり傷や引っ掻き傷があるのだろう。いつものいびってくる仕返しだ。
私が黒い笑みを浮かべて鱗にブラシを当てた途端、身体が後方へと引っ張られた。
「え、な、なに!?」
可能な限り首を回して後ろを見れば、クウロが私の襟首を口で咥えていた。彼女は混乱する私をそのまま小屋の外まで引きずると、にっこり笑って、勢いよく空へ放り投げた。
「きゃああああああ!!」
いや、嘘、ありえない! ちょっと普段の仕返ししたぐらいで、ここまでする!?
私は悲鳴を上げながら、放物線を描いて空から落ちていった。ぐるぐると回る視界の中、何とか体制を立て直し着地に備えようとするも、ちょうど落下地点で人が言い争っており、私は顔を青ざめて叫んだ。
「避けてー!!」
「えっ?」
私の必死の訴えに、言い争っていたうちの片方がこちらを見上げる。
あ、無理だ。間に合わない。
そう考え、私は衝撃に備えて歯を食いしばり目を瞑った。
私はどこかで見たことがある男性に内心で謝りながら、彼を下敷きにして着地を成功させたのであった。
*****
「先ほどは誠に申し訳ありませんでした。この非礼は、後日、改めてお詫びを」
私はベッドの上の男性に深々と頭を下げていた。
私に下敷きにされたあと、彼は気絶してしまったのだ。まさかそのまま放置するわけにはいかず、彼と言い争いしていた衛兵に頼んで近くの医務室へと運んでもらい、医師に診てもらっていた。「気絶しているだけで他に怪我はない」と診察が終わったときに、男性が目を覚ましたのだ。
念のためもう一度医師に診てもらい、異常がないことを確認する。
下敷きにした男性が無事だったことに安心していると、彼は困惑した様子で私のことを尋ねてきた。
「あの、申し訳ありませんが、あなたは……?」
「申し遅れました。私は、アザレア・エル・サベージと申します。この度は、大変な失礼を」
そういえば名乗っていなかったと気づいて、私はできるだけ威圧しないように丁寧に答えた。すると、男性は私の名を復唱したあと、青い顔をしてベッドから飛び降りて、膝をついて頭を下げてきた。
「誠に勝手な願いとは存じています。ですが、あなたがあのアザレア様であられるのなら、どうか、どうか、私にお力をお貸しください」
そう言って、床に額をつける勢いで頭を下げる男性。突然のことに驚いて反応できないでいると、彼を運んでくれた衛兵が苦い顔で私にそっと耳打ちしてくる。
「アザレア様。この方は、オーデンス伯のご子息でございます」
「オーデンス伯って、確か……」
つい最近まで聞いたことのある家名に、私は足元の彼の名を尋ねた。
「私の名は、フラーテ・アル・オーデンス。オーデンス伯爵家長男であり、リリアの兄でございます」
どうか、とフラーテさんはリリアに似た顔を上げ、か細い声で言った。
「お力をお貸しください。リリアが、我が伯爵領に帰ってこないのです」




