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21 神聖視


「お主は本当に美しいな」


 男らしい無骨な指が、私の髪をすく。無機質でくぐもった声が私を褒める。

 真っ暗な空間で、私はベッドに腰掛けていた。隣に座っていた声の主を見上げる。華美な衣装に身を包んだ男だ。だが、その顔はぼやけていて目鼻をハッキリと認識できなかった。


「……お主は、美しければ良い」


 その顔から表情は読み取れない。無機質な声は淡々と言葉を吐くだけ。


「それ以外は何も望まぬ」


 もはや顔すら思い出せなくなった前世の皇帝が消える。彼の代わりに、今度は後宮の妃らが現れた。

 三人の女達は顔を扇子で隠し、ちらちらと私を見て小声で話し始める。


「良いわねぇ。少し容姿が整っているだけで陛下のお目にとまるなんて」


「ほんと、理不尽ですこと。美しければ、挨拶一つすらまともにできない田舎娘でも、陛下は全てお許しになるのですから」


「もっとも、取り柄は顔だけでそれ以外は……」


「ふふ、やめましょう? 可哀想よ?」


「そうよ。陛下ですら容姿以外何も期待していないのですから、私たちが望むのは酷というものですわ」


「それもそうね。愛玩動物みたいなものですから、顔が整っていれば十分ですもの。気楽で羨ましいわ」


 三人が笑いながら消えると、今度は体格の良い男が現れ、髪を無造作に引っ張られた。


「この悪女め! お前さえいなければ、陛下は狂わなかったのに!」


 困惑していると、男は腰に下げていた剣を抜き、私の髪を切る。

 引っ張られていた物が無くなり、私は勢い良く倒れた。ハラハラと切られた髪の毛が地面に落ちたかと思えば、次第に赤黒い液体に変わり、血溜まりを作った。


「どうして。私が。私たちが、死なないといけないの」


 赤い水面に映るのは、前世の家族。首だけになった彼らは、私を光を失った瞳で私を責めていた。


「お前がもっと賢ければ。上手く立ち回ってくれれば、私たちは死なずに済んだのに」


 父が、母が、兄が、弟が、私を恨めしげに睨む。そして、五つ並んだそれらの真ん中、見知らぬ顔の首が、口を開いた。


「——いつまで惚けているの?」


 違う。

 知らないはずがない。

 苛立ち気に問いかけてくるその顔は、私は嫌というほど見たことがあった。


「私はもう、死んでいるのに」


 そう自虐的に笑った彼女は、前世の私だった。


*****


「——っ!」


 私は飛び起きた。バクバクと心臓がうるさい中、慌てて首が繋がっているか確かめる。

 手で喉を触り、次いで顔を撫でる。何度か首と顔をペタペタ触って、ようやく自分が生きているのだと、安堵のため息を吐いた。

 嫌な夢を視た。前世の夢だなんて、いつぶりだろうか。

 寝室に置かれている時計を見る。まだ真夜中だ。とはいえ、もう一度眠れる気分ではなかった。


「………」


 汗で濡れた背中が気持ち悪い。喉も渇いた。

 そして、何より風に当たりたかった。

 私はベッドから降りると、寝巻きから着替えて部屋を出た。


*****


 もうじき秋がくる。だが、夏の残暑は未だ残っており、頬を撫でる風は熱を帯びていた。

 頭を冷やすのに適していないそれに当たりながら、私は宮廷の庭を散歩していた。


「……はぁ」


 思わずため息を吐く。

 昨日、義妹が消えたあと、私は早々に寝室に篭った。心配してくる侍女すら部屋に入れず、私はベッドの中でずっと義妹の言葉を考えていたのだ。

 私は殿下のことが好きなのだろうか。

 でも、もしそうだとしても、私が殿下に感じる「好き」と思った感情は、義妹が言った通り恋愛からくるものではない。

 執着。依存。承認欲求。

 お世辞にも綺麗とは言えない、そんな感情だ。


「………」


 月が傾き始めた夜空を、なんとなく見上げる。

 ロータス殿下の婚約者となった日も、月に照らされた夜だった。

 あのときは単純な答えだったから、躊躇いはしても迷いはしなかった。

 必要とされることが嬉しくて、まっすぐに私と向き合ってくれたことが心地良くて、だから手を取った。

 そんな自分勝手な気持ちで、私はロータス殿下の婚約者となったのだ。


 私は顔を伏せ、再びふらふらと歩き始めた。

 私たちの婚約は、互いに恋愛感情から成るものではない。利害の一致。所謂、政略結婚の方が意味合い的に近いだろう。

 なら、別にロータス殿下に恋していなくても問題はないはずだ。

 好きじゃなくても、醜い感情であっても、問題ない。

 そのはずなのに。


 ……どうして、その事実を認めるのに拒絶感があるのだろうか。


「あれ? アザレア様?」


 背後から声をかけられ、足を止める。

 振り返れば、眠たげな顔をしたシュナがいた。手には鳥籠を持っており、その中には精霊たちがすやすやと眠っている。


「こんな夜中にどうしたんですか? 夜更かしはお肌に悪いですよ」


 欠伸をしながら彼は軽口を叩く。私は曖昧な返事を返しながら、シュナこそどうしたのかと尋ねた。


「僕ですか? 僕は残業と子守ですよ。ほら、アザレア様が殿下と本館に向かったあとすぐ、爆発魔法騒ぎがあったでしょう? それの後始末をしていて——」


「え? 爆発魔法?」


 私が聞き返すとシュナが首を傾げた。


「ええ、そうですけど。ほら、蒼の塔でサラマンダーが暴れて大変で……」


 私が困惑している様子が伝わったのだろう。シュナは一度話すのを止めると、少し考えた素振りをしてから口を開いた。


「アザレア様。このまま立ち話もなんですし、よろしければ朱の塔にいらっしゃってください。そこで詳細をお伝えします。お茶でも飲みながら、ゆっくり話しましょう」


 彼の提案を断る理由など、私にはなかった。


*****


 灯石で照らされている実験室は、夕方に訪れたときよりも散らかっていた。床や机には魔道具が乱雑に転がっており、シュナはそれらを適当に端に寄せ、二人が向かい合って座れるだけの空間を確保した。


「いやー、申し訳ありません。散らかっているうえに、まさか茶葉まで切れていたとは……」


 彼はそう言って木製のコップを私に渡してきた。中身は温めたミルクだった。

 私はシュナに礼を述べてからコップに口をつける。温すぎず熱すぎないそれは、ほんのり甘い味がした。


「……美味しい」


「それは良かったです」


 シュナはコップを片手に椅子を引くと、背もたれを前にして跨るように座った。


「さて、本題に入りましょうか。詳細なお話といっても、ほとんど仕事の報告みたいなものですが」


 椅子の背の上部分に腕と顎を乗せて、シュナは話し始める。


「先ほどもお伝えした通り、アザレア様と殿下が研究所を出てしばらくしたあと、行方知らずだったサラマンダーが蒼の塔で暴れているとの報告を受けまして。兵士たちがサラマンダーを捕まえようとしたら、逆に揶揄われる結果となったのが事の発端らしいです。遊んでいると勘違いしたサラマンダーは、こちらの静止も聞かず調子に乗って爆発魔法やら爆散魔法やら使われて大変でしたよ」


 シュナはミルクを飲みながら、ちらりと視線を横の机に移す。鳥籠の中の精霊たちは相変わらずすやすやと眠っていた。


「他の精霊たちの力も借りたのですが、それでも周りに被害が及ばないようにするので精一杯でした。騒ぎを聞きつけた殿下が駆けつけてきてくれて、散々手こずった末、サラマンダーを捕まえることができましたが、蒼の塔は壊滅状態。流石に兵士たちの仕事場を荒らしたままにはできないので、僕がそこの修復作業を請け負って、殿下は本来の作業とアザレア様に報告へと本館に戻ったのですが——」


 そこでシュナは言葉を切った。

 おそらく、ロータス殿下が本館に戻ったときと、リリアが助けを呼びに居室から出たタイミングが合ったのだろう。

 私が一人で勝手に納得していると、シュナはコップを鳥籠の横に置いた。

 背もたれの上部分に肘を起き、頬杖をつくと、眠たげな目で言った。


「その後のことは、一応ロータス殿下から伺っています。あんなことが起きたんですから、アザレア様が色々と心配するのもご理解できますが……どうやら、それだけではないようですね」


 シュナは軽い口調で「ロータス殿下と喧嘩でもしたんですか?」と尋ねてくる。

 私は首を横に振って、視線をコップへと落とした。


「……違う。殿下は悪くないの。これは、私自身の問題だから」


「何かお悩み事でも? 僕で良ければ相談に乗りますよ?」


 シュナの提案に、私は頷くことを躊躇った。

 今の私の悩み事は、殿下に対して恋愛感情を抱いているのかどうかだ。

 好き、とは何か。

 そんな単純な問いかけに対して、明確な答えが欲しい。自称大天才のシュナなら解答を持っているかもしれないが、でもそれを目の前の彼に相談することは何だか気が引けた。

 私が言葉を濁して返事をしないでいると、斜め横から少女のような声が飛んできた。


『あら、アザレア。隠しごとはダメよ。それは、不公平だわ』


 視線を上げれば、シュナの横の机にフェアリーが座っていた。彼女は欠伸をしながらミルクを勝手に飲んでおり、傍にある鳥籠の扉がキィキィと揺れていた。


「フェアリー。起きたのか。できれば寝てて欲しいんだけど」


『あなたとアザレアの声がうるさくて起きちゃったわ。特にシュナ。もう少し静かにして。ごちゃごちゃさわがしいのよ、あなたの心』


 彼女は恨めしげにシュナを睨んだ。どうやらフェアリーは睡眠中も私たちの心を読めるらしい。それを証明するかのように彼女は私の方に振り返って、私の名を呼んだ。


『あなたもよ、アザレア。ロータスのひみつをあなたは知っているのだから、今度はアザレアの番よ』


 パタパタと小さな羽を動かして、フェアリーは机から私の肩へと移動する。


『それで、アザレアはどうして「好き」という感情に疑問を持っているの?』


 私の肩に腰掛けて、フェアリーはケタケタと笑った。

 彼女のふざけている態度に、私はムッとする。フェアリーには関係ないじゃない、と不満を口に出さないでいると、森の精霊は『関係あるわ』と頬を膨らませた。


『アザレア、あなた、お菓子持ってきてくれなかったじゃない。だから、これは約束を破ったバツ。シュナに教えちゃうもんねー』


 フェアリーがシュナに笑いかける。話題を振られた本人は、彼女の言葉を聞いてやや驚いた顔を見せたあと、頬を掻きながら申し訳なさそうに口を開いた。


「……あのー、アザレア様。話が見えてこないので、できれば経緯を教えていただきだいのですが……」


 彼の質問に、私の代わりにフェアリーが笑って答えた。


『乙女心がわからない人間ね。話せたなら最初から話してるわ』


「それ秘密をバラした本人が言っちゃうの……ああ、いや、わかりました。何となく想像はできるので、あくまでも仮定としてお尋ねします」


 シュナはわざとらしく咳払いをすると、ピシッと人差し指を立てた。


「アザレア様は、ロータス殿下がお嫌いになったと」


「そんなわけないでしょ怒るわよ」


「理不尽ですアザレア様」


 私が即答すると、シュナは肩を竦め苦笑いを浮かべる。


「では、ロータス殿下のことが好きかどうかわからなくなったとか?」


「………」


 今度は答えなかった。私の無言を彼は肯定と受け取ったようだ。彼は首を傾げて、不思議そうに言った。


「アザレア様と殿下は政略結婚とお聞きしております。第三者の僕からでも、お二人の仲が良好なのはわかります。なのに、どうして今更になって恋愛感情を重要視しているのですか? 別に無くたって良いではありませんか」


「……良くないわ」


 シュナの物言いに反射的に言い返す。どうしてですか、と彼は理由を尋ねてきた。


「恋愛感情だけで人間関係が成り立つわけではありませんし、殿下に抱く感情が恋慕でなくても、問題はないように思えますが」


 彼の言い分はもっともだった。

 貴族に限らず、結婚というものは打算的だ。生まれ育った環境に左右されず、本人の意思が尊重され、損得を考えずに夫婦になれる男女など、どれほどいるものか。

 でもそれは決して悪いことではなく、不幸なことでもない。恋愛が人生の全てでは無いのだ。たとえ夫婦間に愛が無くても、良好な関係を築くことだってできるはずだ。

 ……前世の皇妃達と皇帝のように。

 それでも私は、シュナの正論にどうしようもない嫌悪感を抱いた。


『あら、自覚していないの?』


 突然、フェアリーがクスクスと笑い始めた。私の心を読んだのだろう。愉快だと言わんばかりに私の周りをぐるぐると飛びながら、彼女は言うのだ。


『難儀ね、アザレアは。あなたがそういう星の下に生まれてきたとはいえ、少しかわいそう。だから、特別に教えたげる』


 フェアリーは飛び回るのを止めると、シュナの頭の上に着地した。あぐらをかいて、彼女は悪戯っ子のような笑顔で言った。


『アザレアはね、恋を神聖視しているのよ』


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