17 精霊の悪戯にはご注意を(上)
「待て待てアザレア。余は悪くない。悪くないぞ。今回の件は断じて余達のせいではないぞ」
「待ってください。アザレア様。僕のせいではありません。決して僕らが原因ではありません。殿下と僕が失敗するなんて天地がひっくり返ってもありえませんから」
宮廷の本館から南にある朱の棟。正面から見て一番右端にある研究所で、ボロボロな姿の少年二人が慌てて私に弁解してきた。
一人は我らが王太子、ロータス殿下。赤い髪と赤い瞳が特徴で、太陽みたいな輝かしいお方。最近私の身長を抜かした彼は、その背中で複数の精霊を私から隠そうとしていた。悪戯好きの彼らが大人しく留まれるわけないから、隠し切れていないけど。
もう一人は、殿下の助手として三ヶ月前に雇われ始めた自称天才魔術師。私たちと同い年で、黒髪黒目で私よりも小柄な彼の名はシュナ・イル・ホウエンス。ホウエンス子爵の次男は、床に描かれた魔法陣の上に置いてある道具類を、こそこそと片付けようとしていた。
「シュナ殿。ロータス殿下」
私が二人の名を呼ぶと、彼らの肩が大袈裟に跳ねる。私はその場に立ったまま目の前を指差した。
「きなさい」
『………』
二人はおずおずと私の前に来て、無言で膝を折って座った。殿下に付いてきた精霊達が『どうしたのー?』と無邪気に首を傾げている。
私は正座した二人を見下ろし、冷ややかに言った。
「一つお伺いしたいのですが、王国きっての天才が揃いも揃って何をしていらっしゃったのですか?」
「お待ち下さいアザレア様。一つ訂正を」
シュナがキッパリと言った。
「僕は天才ではありません」
自称だしね。
「大天才です」
ぶん殴るぞ。
得意気な顔をするシュナを殴りたくなったが、何とかその衝動を抑える。
自尊心が天より高い彼を無視し、私は精霊たちに良いように遊ばれている殿下に尋ねた。
「ロータス殿下」
「精霊界との回路を安定して接続できるかどうか試した結果、制御用の魔法陣が暴走して精霊たちを人間界に呼んでしまいました」
殿下が敬語で答えると、シュナが「そうなんですよ!」と元気よく頷いた。
「計算だと魔法陣が暴走するはずないんです。たとえ失敗しても途中で壊れるよう設計しています。なのに、一定数の精霊をこちらに呼ぶまで術が止まらなかったんです」
「……やはり、陣の大きさに対して術式が多すぎたのではないか? もう少し式を減らして代わりに呪文にした方が……」
「しかし殿下。それだと呪文の比重が多すぎて式が耐えられませんし、何よりかにより魔力が足りないと話したではありませんか。今回ですら最高峰の魔石を五つも使ってようやく陣を発動できたのに」
「うむ……根本的に魔力消費が高すぎる。やはりこれを解決しなければ先に進めぬか」
わざとらしく研究内容を持ち出してきた二人に、私は告げる。
「お二人とも。言うべきことはそれだけですか?」
思いの外低い声が出た。ぎくりと強張った二人が、私の前で小声で相談し始める。
「ちょっと殿下。やっぱりアザレア様にアレ言うべきですよ。アレ」
「アレか? でもアレでアザレアが許してくれると思うか?」
聞こえているぞ二人とも。
何かを企んでいる彼らに呆れていると、シュナが殿下を励ますように言った。
「物は試しですよ。殿下頑張れ」
シュナに応援され、殿下がこほんと咳払いをした。
「あー、アザレア」
「なんですか」
私が聞き返すと、殿下は満面の笑みを浮かべる。
「怒った顔も可愛いぞ」
ゴン!
「こんなときにふざけないでください!」
私は怒った。つい勢いに任せて殿下の頭を叩いた拳が痛い。
殿下が「なぜ余だけ……」と呟き精霊たちに笑われているが、知ったことではない。私は腰に手を当てて彼らを叱る。
「どれだけの人に迷惑をかけたと思っているのですか! 言い訳よりも、まず先に言うべきことがあるでしょう?」
「すまぬ」
「申し訳ありません」
二人は素直に頭を下げてきた。最初からそうしなさい。あと私だけに謝っても仕方がないでしょうが。
私は一緒に連れてきたリリアとイザベラに合図して、二人が持っていた鳥籠を渡してもらった。籠の中では精霊が飴やクッキーなどを食べながら寛いでいる。道中で捕まえてきたのだ。お菓子を餌に連れてきた彼らは『そろそろあそんでいいー?』と私に尋ねてくる。
精霊に「少々お待ち下さい」と言って、殿下たちに道中のことを報告する。
「とりあえず本館にいた精霊たちは捕まえてきました。全員いるか確かめてください。本館は酷いあり様ですよ。廊下は水でびしょ濡れ。窓は割れる、庭は荒らされる。厨房の食材は勝手に食べられる、文官の書類は落書きされる。宮廷の皆さまが困っています。即刻、後片付けと彼らに謝罪とお詫びを」
「面目ない……」
「かしこまりました……」
二人は項垂れながら了承した。殿下が鳥籠の中を確認すると「一匹足りない」と苦い顔をする。誰がいないのか尋ねると、殿下は「サラマンダーがいない」と答えた。
火を司る精霊であるサラマンダーは赤いトカゲのような見た目だ。火や炎を好むため、暖炉や厨房に隠れているのかもしれない。
サラマンダーの居場所に見当をつけながら、私は恨めしげに殿下達に言った。
「そもそも、なぜ今更になって精霊界との接続を試みているのですか? 半年前の事件からこれ以上の発展は見込めないと言って、研究を打ち切ったではありませんか」
半年前、殿下が精霊界に成り行きで飛んでしまったときのことだ。
現在、人間界と精霊界の空間は繋がっておらず、それぞれ完全に独立している。大昔はかろうじて繋がっていたため精霊を使役する魔法なども盛んだったが、今は完全に途絶えていたはずだった。
殿下はその大昔に繋がっていた空間を復元し、補強して回路を作ったらしい。そして繋がったかどうか確かめるために自らその空間に飛び込んだそうだ。
結果、行きは繋がっていたが帰りの経路は潰れていたため、学者総出で帰り方を模索し、なんとか人間界に連れ戻したのだ。
その際、精霊界から人間界の経路が復元し回路が完成したらしい。だが、回路は常に不安定である上にこれ以上補強できないため、研究はやめると殿下は言っていたのだ。
それから彼の興味は他に移ったように思えたのだが、半年も経って研究を再開したのはなぜなのだろうか。
私の問いかけに、殿下はわかりやすく動揺した。
「あ、えっと……その、シュナを雇ってから、また興味が湧いたのでな……」
目を泳がす彼に私は直感した。
何か隠しているな。
私がもう一度問い詰めようとすると、殿下の髪を弄っていた精霊たちが『だめよ!』と叫んだ。
『うそはだめよ! ロータス、うそはだめ!』
『うんうん。うそ、だめ』
『アザレア、教えてあげる』
森の化身であるフェアリーがクスクスと笑って殿下から離れる。
殿下が「待て」と慌てて彼女を掴もうとするが、他の精霊達に『だーめ』と頭を押され床に突っ伏してしまう。あんなに小さいのに殿下並みの力を持っているのだから恐ろしいものだ。
殿下が拘束されている隙にフェアリーは私の耳元に近づき、楽しそうに囁いた。
『あのね、あのね。ロータスはね、あなたのために私たちの王様に会いに行こうとしてるの』




