13 初夏の終わりで
殿下がポツリと呟き、クウロが威嚇しながらその場を離れた瞬間、伯爵から紫紺の粒子が大量に溢れ出した。突風が生じ、髪が舞い上がる。ばちばちと放電する粒子を纏って、悪魔のようになったジュター伯がゆっくりと起き上がり、宙に浮き始めた。
「は、ははははは! 侮ったな、我が王の宿敵よ。儀式は完成した! 今宵、この地は混沌と絶望に支配され、偉大なるあのお方の礎となるのだ!!」
ジュター伯は高笑いをし、手のひらを天へと向けた。刹那、先ほどとは比べものにならないほどの風圧が生じ、伯爵の手のひらへと身体が引き寄せられる。部屋の天井——否、古城の頂上部分が崩れ、夕闇の空があらわになった。
「少々予定が狂ったか致し方ない。ロータス王子よ、とくとご覧あれ! この日のために集めた領民(生贄)の活躍を!」
私は身体が飛ばされないよう必死に殿下の背に掴まり、伯爵を見上げる。彼の手に紫紺の粒子が球となって集まり、次いで弾けた。すると、空に幾重もの魔法陣が浮かび上がり、禍々しい気配を放つ。
「あ、あれは一体!?」
私が驚いて叫ぶと、伯爵は得意げに話した。
「良い質問だ、小娘。大地を焼き水を毒と化し、人間を魔物へと変貌させる、忘れられた闇魔法である! 千の生贄を用いてようやく発動できる大魔法。たとえそこの反則的な存在であっても、発動してはこの魔法を止めることはできない!」
ジュター伯の言葉に私が不安になって殿下を見ると、彼は頷いた。
「うむ。大魔法と称されるだけあって、見事な陣の組み方だ。これはたしかに発動すれば余でもどうにもできぬな」
絶体絶命だというのに、殿下は軽い調子で答える。息を飲む私に、殿下は「ああ」と付け加えるように言った。
「心配はいらぬ、アザレア。発動した魔法を止められぬのなら、そもそも発動させなければ良い話であるからな」
「え?」
殿下の発言が理解できず、私が間抜けな声で聞き返すと同時に、頭上でピシリと甲高い音がした。
「な……!?」
伯爵が絶句して空を見上げる。つられて顔を上げると、空に浮かんでいた魔法陣にヒビが入っていた。次第にヒビは魔法陣全体に広がり、瞬く間にそれは粉々となって砕けた。
状況が飲み込めない伯爵と私に、殿下が「余が何も手を打たず、其方の前に現れたと思うのか?」と腕を組む。
「単純な話だ。千の生贄を用いる魔法とは、生贄を用いなければ発動できぬ欠陥のある魔法とも言える。ならば、その生贄として捕らえられた領民を全て助ければ、魔法の発動を阻止できるというわけだ」
ジュター伯は「あり得ない!」と叫んだ。
「生贄の保管場所はこの領地全体に隠していたはずだ! それも、一つではなく三十近くに分けて! 王都に悟られぬよう、この地の情報も全て管理していた。事前に儀式のことを知るなど不可能だったはずだ。だというのに、なぜ!?」
怒りと困惑をあらわにした伯爵に、ロータス殿下は淡々と答えた。
「手製の拘束具が仇となったな、ジュター伯。その大魔法は強力な代わり、魔法陣と生贄の魔力を同期させなければいけない代物だ。捕まった領民の逃亡阻止と魔力同期の時間短縮を兼ね合わせた手枷は、なるほど合理的ではある」
だが、と殿下は続ける。
「そのような複雑な代物を作れば、当然、製作者の魔力の残滓——波長が残ってしまう。吸血鬼となった其方の濃い魔力はことさらそうだ。ならば、それと同様の位相の魔力を編み上げ発信し、共鳴した場所を端から転移して当たれば、自ずと領民が捕らえられた牢を特定できるというわけだ」
魔力の残滓? 波長? 位相? 共鳴? 専門用語ばかりで何言っているのか全くわからない。
魔法に疎い私は途中から殿下の言葉に疑問符を浮かべていたが、伯爵は彼の話がわかったようだ。ジュター伯はカッと目を見開いて、わなわなと震えている。
「な……!? そ、そんなでたらめな! 私の魔力と波長を合わせただと!? 魔力の位相は生まれ持って固有の数値だ。それを弄るなど聞いたこともない! そ、それに、転移だと? 転移の術だと!? 私が十年以上研究しても使うことが叶わなかった、転移の術を使ったというのか!?」
また殿下がとんでもないことをやってのけたのですね。説明ありがとうございます、伯爵。
ジュター伯は語気を荒げ、両手を天にかざすと、先程の紫紺の粒子を大量に集めた。怒り心頭といった様子で、彼は叫ぶ。
「ロータス王子……いえ、殿下! 私はあなたが大嫌いでしたよ。神に愛されたあなたは、そうやって私たち凡人の努力を嘲笑い、あっさりと追い越すのですから! あなたさえいなければ、私はこうして化け物にならなくて済んだのに! いや、違う。吸血鬼となった私よりも、あなたこそ、真の化け物ではありませんか!」
ジュター伯は歪に笑う。私がカッとなって言い返す前に、殿下は伯爵の悪意を豪快に笑い飛ばした。
「化け物か、それは困るな。余は王になる男だ。化け物程度と評されては、近い未来国を背負う立場としては些か頼りないというもの。余はまだまだ未熟者であるな」
伯爵の発言に凹むどころか、自分はまだ未熟者だと言い切る殿下に、私は目を剥いた。
ロータス殿下が未熟者なら私はなんなんだろう。ミジンコ? ミドリムシ?
私がふざけたことを考えていると、伯爵が何やら叫んだ。顔を上げれば、ジュター伯が集めていた紫紺の粒子の塊がどんどん大きくなっている。私と殿下、二人ぐらいならすっぽり飲み込めそうな黒い球は、ばちばちと何度も放電を繰り返しており、側から見ても爆発寸前だとわかった。
これってかなり危ないのでは? とようやく危機感を抱いた私は、殿下の腕を無意識に握っていたようだ。殿下の手が私の手に重なり、彼は安心させるように微笑んだ。
「心配はない、アザレア。未熟者であれど、余は守るべき者を違えたりはせぬ」
ふと殿下の右手を見れば、いつの間にか武器が握られていた。
生者の魂を刈り取る死神を連想させるような、白く煌めいた大きな鎌だった。見れば、すぐ近くにいたクウロもいない。白銀のドラゴンは一体どこにいったのだろうか。
殿下は自分の腕から私の手をそっと離させ、大鎌を上段に構えた。
「ユリウス・アル・ジュター。其方の十四年に渡る王国への忠義に敬意を払い、余が自ら引導を渡そう」
ジュター伯は高笑いをし、叫ぶように言った。
「私を殺せるものなら殺してみろ、我が王の宿敵よ!」
伯爵は言い終えると、集めた黒い球に雷を纏わせ、私たちへ勢い良く投げた。
びりびりとした衝撃が肌に伝わってくる。一瞬で迫ってくる黒い球に恐怖して、目を閉じそうになった瞬間、殿下が一歩だけ踏み出した。
たった一振り。
上から下へ、音もなく振り下ろす。
白銀の刃が緩やかに弧を描き、空を斜めに裂いた。白く煌く鎌の先端が、傷だらけの床に触れた瞬間。
空間が割れた。
大鎌が振り下ろされた軌道をなぞるように、全てが裂ける。黒い球も、部屋も、空気も、音も。そして、伯爵も。まるで最初から存在しなかったように、裂けた部分が消えている。
目前まで迫ってきていた黒い球は消滅し、ジュター伯は斜めに身体を裂かれていた。肉の一部を失った伯爵は、皮一枚繋がった首のまま喋った。
「不死身の私の魂を奪うとは……やはり、あなたは化け物でございますよ……」
血を吹き白目を剥いた彼から、私は目を逸らせなかった。ゴトゴトと床に伯爵の身体が落ちる。異質な光景から目が離せないでいると、不意に戻ってきたクウロが嬉しそうにそちらへ走って行った。彼女はパクリと床に落ちた物を食べるとそのまま咀嚼し始め、しばらくしてから飲み込んだ。
呆然としていた私に、クウロが声をかけてくる。ギャア、と彼女の鳴き声を聞いて正気に戻った私は、へなへなと腰を抜かした。
——化け物。
伯爵の言葉が脳裏に横切った。心臓が早鐘を打つ。殿下の背中が先ほどと違って歪んで見える。
寒くもないのに身体が震え始めて、私は自分で自分の肩を抱いた。無理やり止めようとしても、止まってくれない。理性で抑えきれない本能の警鐘に、私は歯を食いしばる。
「アザレア、怪我はない——」
殿下が振り返る。私へと伸ばした手が、途中で止まった。
「………」
殿下は固まり、一瞬だけ顔を強張らせた。だけどすぐに何もなかったように、困ったように笑って、私に声をかけるのだ。
「すまぬ、アザレア。怖がらせたな」
そう謝りながら伸ばした手を引っ込めようとする。
——ダメだ。
私はあの手を掴まないとと思い、反射的に手を伸ばした。だが、腰を抜かした状態では殿下の腕に届かず、私の手は空を切る。
私は焦りながらも、声が震えないよう気をつけて殿下に言った。
「……で、殿下!」
中途半端に放置された手でビシッと殿下に指を向け、私は彼と目を合わせた。
「——もう! あんな大技を出すなら事前に仰ってくださいませ! 見てください、びっくりして腰が抜けてしまったではないですか!」
私は頬を膨らませ、いかにも怒っていると態度で表す。
驚いているからか、何やら言い淀んでる殿下に、私は一気に畳み掛けた。
「そもそも! 婚約者決めのときから思っていたのですが、殿下はお一人で自己完結しすぎです。今回のことだって……まあ、クウロはサプライズですから仕方がないとしても、伯爵の正体を知っていらっしゃったなら、一言ぐらい私に仰ってください! 偶然吸血鬼のことを知ったとき、私は生きた心地がしませんでしたのよ!?」
「い、いや、それは、確証が持てなかったからで……」
「では相談してください! それとも私は相談すらできないほど、頼りない存在ですか?」
「そういうわけでは……ただ、アザレアを危ない目にあわせるわけには……」
「殿下だって十分危険な目に合っています! 殿下が私の身をご心配くださるのなら、ご自身もまた私に心配されているのだと知ってください! だいたい、私は考えるより先に身体が動く人間です。前世の母にも言われました。私を危ない目に合わせたくないのなら、一緒に行動する方が手綱を握れて却って安全だと! 私という女はそんな性格なのですから、今度からは殿下も気をつけてください!」
「えぇ……?」
色々と理不尽なことを私に言われ、殿下が困惑する。対して私は本音を多少ぶちまけたので、胸のもやもやが取れて気分がスッキリしていた。怒った態度から一転、私は雰囲気を和らげ殿下に微笑んだ。
「本来は伯爵のことや領地の問題など事後処理がありますが、それは一旦置いときましょう。もう私くたくたです。疲れました」
だから、と言って、手を伸ばす。
「帰りましょう? 一緒に、城へ」
「………」
殿下が恐る恐るといった様子で指に触れる。殿下に手を取られた瞬間、私はガッチリと強く握り直した。冷たくて、剣の稽古で皮が固くなった手のひらだった。
びくりと殿下の肩が跳ねる。私はもう一度彼の手を強く握り、名を呼んだ。
「帰りましょう、ロータス殿下」
殿下は強張っていた身体から力を抜き、穏やかに笑った。
「……ああ。帰ろう」
殿下が腕に力を込め、私の身体を起き上がらせる。繋いだ手は離さず、私たちはクウロを呼んだ。
今日は少し蒸し暑い。私の手がわずかに熱くなったことも、殿下の手が冷たくなくなったことも、全部気候のせいだろう。
一年の中で最も陽が長い季節。初夏が終わり、本格的に夏が始まろうとする頃だった。




