託された写真
ここの空間の窓は開かない仕組みになっている。急いで立ち上がり、すぐ横の縁側の窓を開けた。
狸絆さんもこちらに歩を進めてくる。
「楽しそうなところ、邪魔してすまないね。今が見ごろだから、飾ってもらえたらと思って」
そう言って手渡されたのは、白藤の活けられた陶器の花瓶。
「ありがとうございます、置かせていただきます。この間は白い藤があるなんて知らなかったので驚いてしまいましたが……綺麗ですね」
「でしょ? 藤といえど色は別。けれど紫には紫の、白には白の。そしてどちらにも"藤"としての良さがあるというもの。違うけれど同じ。同じだけれど、違う。どちらも美しいものだね」
(違うけれど同じ。同じだけれど、違う……?)
それって、まるで――。
「気に入ってくれたのなら、良かった。ウチは白藤しかないからね。紫の藤が見たければ、鎌倉のあちこちで見られるけれど……そうだね、まずは鶴岡八幡宮なんてどうかな。鎌倉といったらな場所だし、ちょうど今が見ごろだよ。なんなら散歩がてら一緒に」
「用事が済んだのなら戻ったらどうだ、親父」
「マオさん」
私の背後ろから覗き込むようにして、窓枠に手をかけたマオさんが。
「俺達が休憩中だってわかってるんだろ? 紅茶が冷めちまう……って、まてまてなんで座るんだよ!?」
「いやあ、ひと休みしようかなって」
「あ、お茶、お持ちしますね」
「茉優!? 平気だ親父はすぐに本邸に戻るから……!」
「うんうん、我が息子ながらなんとも心が狭いねえ」
「いやなんでちょっと嬉しそうに言うんだよ」
「ついでだから私にもあのシフォンケーキ、ひとくちくれないかな? 私にはよくやっているのだから、別に構わないよね?」
「な!? 親父、いったいどこから聞いて……っ! って、やらないからな。親父のぶんは本邸に置いてあるから、そっちでゆうーーっくり堪能してきてくれ!」
「清々しいほど抜かりないねえ。面白くないじゃないか」
「俺は親父に面白さを提供する気なんざ、さらさらないんだが」
ほら、戻った戻ったと急かすマオに、「仕方ないなあ」と腰を上げる狸絆さん。
それから「ああ、そうだ。渡すものといえば」と襟元に手を入れ、
「これを茉優さんに渡そうと思ってたんだった。頼まれていてね」
差し出された写真に、思わず息をのむ。
「沙雪さんたちの写真、ですか」
受け取って確認する。
笑顔で顔を寄せあう風斗くん正純さん、そして菜々さんに、沙雪さん。沙雪さんの手には、カットされたシフォンケーキの乗るお皿が。
「りんごのシフォンケーキ……」
あの日、正純さんが焼いていた、沙雪さんへのプレゼント。
と、狸絆さんが指を円を書くように動かした。
(裏面……?)
不思議に思いながら写真を裏がえす。
そこにはボールペンで、「ありがとう! またあそぼうね」「ふうた」の文字。
それと、「私はいま、とても幸せです。沙雪」のメッセージ。
――幸せ。その言葉に、自然と頬が解けて、目の奥が熱をおびる。
ああ、やっと沙雪さんは長年の枷から解放されて、そう思えるようになったのだなと。
「最初の仕事からお手柄だったね。おかげで予定よりも早く軌道に乗れそうだよ。次の仕事も案外早く入りそうだ」
「マオさんが一緒に来てくださったおかげです。あ、すみません私ばっかり。マオさんもお写真見たいですよね――っ」
振り向こうとした刹那、とんと両肩に手が置かれた。
ふわりと白く柔い髪が視界をかすめ、すぐそばに、木漏れ日をはらんだ赤い瞳。
「見えた」
「あ……と、はい」
私を映しふわりと緩む双眸から、目が、離せない。
「それは茉優が持っていてくれ。記念すべき、初めてのお客様だからな。不要になったら俺が引き取る」
すっと瞳が狸絆さんに向く。
はっと我を取り戻した私は、途端に爆音をたてはじめた心臓に写真を引き寄せた。
(なっ……びっくり、した……っ)
当のマオはすっかりいつもの様相で、
「ほら、これで終いだろ。いい加減、大事な二人の時間を邪魔しないでくれ」
「お前はこれから共に住むのだからいいだろう? 茉優さん、たまにとは言わずいくらでも本邸に出入りしていいからね。そうだ、今夜の夕食はもう決まっているのかな? よかったら一緒に……」
「か・え・れ!」
ぴしゃんと勢いよく閉じられた窓。
驚いて固まる私とは対照的に、狸絆さんは笑顔のまま手を振って本邸に戻っていった。
「ったく、悪いな茉優。親父のやつ、未だに浮かれているみたいで、面倒くささに拍車がかかっちまってて……」
「いえ。親子仲が良いのは、素敵なことだと思います」
席に戻った私達は、再びシフォンケーキと紅茶に手をつけはじめる。
シフォンケーキ。汚れない位置に置いた写真の中で、沙雪さんの持つそれに目がいく。
包丁に慣れない正純さんが、沙雪さんのためにと、何度も練習して作った特別なケーキ。
苦手だと。自覚していることでも、大好きな人のためならば頑張ってみようと。
夫婦ならば、そう、思えるのだろうか。




