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闇の剣聖編⑥

 訳が分からない。一体どうして、これに血が付いているのだ。いやそもそも、この血は誰の血だ? まさか、まさかーーーー


「う、嘘だ・・・」


「お兄ちゃん・・・」


「嘘だ!」


 たまらず、ラグラは部屋を飛び出した。部屋の前で固まっていたジャスミンを力強く突き飛ばし、寝巻のまま家から走り出る。


「何で、何で…僕は…」


 無我夢中で走っていると、足元にあった石に躓いた。慌てて体勢を立て直そうとするも、足がもつれて上手くバランスが取れない。結果、ラグラは受け身すら取れずに地面にすっ転んだ。


「痛ッてぇ!」


 顎を強か打ち付け、脳が揺れる。いつもの訓練じゃ感じない、グワングワンとした脳の内部に直接来る痛み。こんな感覚はもう二度と味わいたくないな、と思いながら顎を擦る。


「ここは…」


 木剣を杖代わりに使って立ち上がると、ラグラは辺りを見回した。どうやらかなりの距離を走ったらしい、見慣れない場所だ。


「…って、そうだ。そんな事よりこの木剣に付いて考えないと」


 自分が先ほど杖代わりに使った木剣を見下ろす。木剣には変わらず、赤く濡れた塊が付着していた。


「夢だったら、良かったんだけどな」


 そう、夢であったらどれほど良かっただろうか。寝ぼけたラグラの見間違い、それなら良かったのに。


「でもまぁ、これがまだ血と決まったわけでもないし、そもそも誰の血かも分からないからな」


 走った事で少し落ち着いたのか、僅かだが思考がすっきりしていた。ラグラは冷静に、木剣の先に付いた塊を観察してみる事にする。木剣の先を、あらゆる角度からじっくり観察してみる。


「これは…どう見ても血だな」


 数分間の観察の結果、ラグラはそう断言した。文字通り血の滲むような努力をしてきたラグラだからこそ、こびり付いた血に関しては一家言あるのだ。


「じゃあ問題は誰の血か、だけど…」


 ここに来て、ラグラは言葉を止めた。まさか本当に市長の血なのか。それとも誰か別の人の血なのか。あるいは自分の血なのか。いや、自分の血であってくれ。


 その時、ラグラは一つの疑問に至った。


「いやそもそも、木剣で人間を殺せるのか?」


 木剣を指の腹で撫でる。確かに木剣は硬いので、人間を撲殺する事は出来るかもしれない。しかし、撲殺するには相当の力が必要だし、そもそも血など出るだろうか。


「いや、血は出るかもしれないけど、問題は力だよな…」


 ラグラもかなりの力はあるが、それでも人間一人を撲殺するには足りないだろう。ましてや相手は権力を持った大人。護衛だって恐らくいるだろうし、そんな護衛を倒してまで市長を殺せるとは思えない。


 何より、ラグラには市長を殺す動機などない。故に、ラグラは市長を殺す事はない。


「…ハハ」


 そこまで考えると、ラグラは地面に座り込んだ。


「そうだよな、俺が市長を殺す訳ないよな。何を馬鹿な事をーーーー」


『なあ。盛り上がってる所悪いんだが』


 ラグラが安堵の息を吐いていると、首に掛けたペンダントから声が聞こえた。闇将軍だ。そう言えば、最近はペンダントを首から掛けて寝るようにしているのだった。


「どうした? 闇将軍」


『いや、どうしたはこっちの台詞だ。いきなり叫んだと思ったら走りだしやがって。しかも急にブツブツ言いだしやがって。驚くじゃねえか』


「あ、ゴメン。ちょっと動揺しててさ」


『まぁいいや。そんな事よりお前に伝えたいことがあってさ…』


「どうした? 闇将軍」


 ラグラはペンダントを覗き込む。闇将軍の顔は見えないが、これで向こうからはラグラの顔は見えているはずだ(多分)。






『市長殺したの、お前だぞ』





「え?」


 再び思考が止まる。何を馬鹿な事を、と笑い飛ばそうとするも口が引き攣って上手く動かない。思わず止まってしまったラグラを尻目に、闇将軍は言葉を続ける。


『いや、正確にはおれが殺した。いやぁ、思ったより大変だったよ。まぁでも警備がぬるくて助かったぜ。まさかあんなにあっさり行くなんてな』


「ど、どうして…」


 引き攣った口から、ようやくその一単語が零れ落ちる。その言葉を聞いた闇将軍は声を荒げた。


『「どうして」? 簡単な話だよ。アイツと副市長は裏で魔王討伐の為に勇者に金を渡してたんだ。元とは言え魔王様の側近として、許せると思うか?』


 そう言えば、ジャスミンがそんな事を言っていた気がする。しかし、まさか。そんな事が。


「や、闇将軍…」


『何だ? まさか、おれに情でも沸いてたのか? おいおい、馬鹿にするのも大概にしろよ。おれは魔族でお前は人間。互いに殺し合う関係だ。一時的に協力関係を結ぶことはあっても、それ以上になるなんてあり得ねえんだよ』


 突き放すような言い方。それが闇将軍の本音か。


 しかし、一体どうやって闇将軍は市長たちを殺したのだろうか。確か闇将軍はペンダントの中に閉じ込められて出てこられないはずだというのに…


『知りたそうな顔をしてるな? おれがどうやってあのゴミ共をブッ殺したのかを』


 教えてやるよ、と嘯き闇将軍は続ける。


『実はな、おれがお前にやったのは【肉体の合体】なんかじゃないんだよ』


「…え?」


『おれが行ったのは【乗っ取り】。対象の肉体を乗っ取る技だ。もっとも乗っ取りには条件があるが、条件さえ整えばどんな人類だって乗っ取れる。後はお前が寝静まったタイミングを計って、市長を殺しに行けばいい』


「じゃ、じゃあ…俺に肉体をくれたのは…」


『お前の肉体を乗っ取ったあと、動きやすくするためさ。やっぱり使い慣れた体の方がやりやすいだろ? あ、ちなみにこれもおれの技な』


 そんな馬鹿な。ラグラは震える声で問いかける。


「う、嘘だよね? 闇将軍。だってペンダント越しじゃ出来る事が限られてるって…」


『そんな物、嘘に決まってんだろ。おれを誰だと思ってんだ。ペンダント越しに街を一つ滅ぼすくらいの事は出来るさ。だがそれじゃあ意味がねえ。さっさとこのペンダントから出なきゃいけないんだ。魔王様の元に戻らなくちゃいけないからな』


 ガツン! と頭をハンマーで殴られたような感覚がラグラを襲う。




 嘘だった。全て、嘘だったのだ。


 


 騙された。何もかも、騙されたのだ。


 すると、ラグラのそんな心を見透かしたかのように闇将軍が告げる。


『おいおい、まさかお前今、騙されたとか思ってないか?』


 鼻で笑う音が、鮮明に聞こえてくる。


『騙すのなんて当たり前だろ。この世界は戦場だぞ? 裏切り、騙し討ち……何でもアリだ。それが出来ない奴から死んでいくんだよ。ルールなんて一つもねぇんだ。騙された奴が100%悪いんだよ』


「あ、あああああ…」


 その言葉に、ラグラの中で何かが壊れた。


 自分が市長を殺したのだと突きつけられた動揺、そして両親を魔族によって失って妹だけでも守ろうとしたにも関わらず、そんな自分の考えが根底から甘かったことを叩き付けられて、ラグラの精神が決壊を迎えたのだ。


『あーあ、壊れちまったか。まあいいや』


 瞬間、ドクン! とラグラの心臓が高鳴った。自分の中に異物が入ってくる感覚。たまらずラグラは地面をのたうち回る。


『なあ、何でこんなネタバラシをしたと思う? 別に明かす必要もないのに』


 それはな、と闇将軍が笑う。


『【乗っ取り】は、少しずつ相手を乗っ取る技だ。だがな、対象の精神が揺さぶられればより一層相手の肉体を支配出来るんだよ。さっきからの動揺に加えてこの精神の揺れ…このレベルなら、お前の肉体を完全に乗っ取るには十分だ』


「そんな…嘘だろ?」


『そこで見ときな。おれが人類を皆殺しにする様を。特等席でじっくりとな』


「や、やめろ…」


『さよなら、ラグラ。おれの為に体を鍛えてくれてありがとな』


 そこで、ラグラの意識は途切れた。





「ただいま」


 家に帰って来たラグラを見て、ジャスミンは反射的に椅子から立ち上がった。


「あ、お兄ちゃんお帰り。…どうしたの? いきなり家から飛び出しちゃったけど」


「ん、ああ、ちょっとね。驚かせてごめんよ、ジャスミン」


 そう言ってジャスミンの頭をなでる。ジャスミンは嬉しそうにそれを受けた後、ラグラの顔をまじまじと見つめてきた。


「どうした? ジャスミン」


「いや…お兄ちゃんなんか、雰囲気変わった?」


「まさか。馬鹿な事言うなよ。おれはおれだよ」


 そう言って笑う。ジャスミンはそれを見て、安堵の表情を浮かべた。


「そ、そうだよね。別人とかじゃないよね、お兄ちゃんが別人な訳ないもんね。私、何馬鹿な事言ってるんだろ」


「そうさ。おれが偽物の訳ないじゃないか。じゃあ、朝飯にしようか。おれ腹減っちゃってさ」


 それから72時間の間、その家では当たり前の日常が続いた。


 


 三日後。ラグラの家が強引にノックされた。


「はい……えっ?」


 玄関の扉を開けたジャスミンが、驚愕の表情を浮かべる。そんな彼女を押しのけて、憲兵隊が中に入ってくる。数は五人。全員同じ服装を着ているため、見分けが付かない。


「ここにラグラと言う者は居るか? 市長、及び副市長殺害の容疑で事情聴取を願いたい!」


「ちょっ、ちょっと、何なんですかいきなり⁉」


 ジャスミンが憲兵隊に食って掛かる。その時、ラグラが自室から出てきた。


「騒がしいな、何かあったのか?」


 その言葉に憲兵隊員の一人が一歩前に進み出て、ラグラの前に立つ。


「市長と副市長殺害の容疑で、事情聴取願いたい。これは任意だ」 


「お兄ちゃん、市長さん達を殺したってどういう事⁉ 嘘だよね⁉」


 騒ぐジャスミンを手で制し、ラグラは憲兵隊員の目を見る。


「ここでおれが違うと言っても、信じてはくれないんだろうな。だったら応じるべきだ」


「お兄ちゃん!」


「心配するな、ジャスミン」


 ラグラはジャスミンに微笑みかける。


「おれは無実だ。きちんと証言すれば、分かってもらえるさ。むしろここで証明しなくちゃ、疑いは強まるだけだ。だからこそ、きっちり白である事を証明するために行ってくる。なに、すぐに戻って来るさ」


 そう言って、玄関に向かって歩き出す。そんなラグラの後ろを、憲兵隊が続く。


「お兄ちゃん、必ず戻って来てね!」


 そんなジャスミンの声に迎えられ、ラグラは家の外に出る。そうして街に向かって歩いていると、憲兵隊の一人がラグラの方を向いた。


「それにしても、随分と物分かりがいいな。他の奴もこうだったらいいのだが」


「物分かりがいい、ねえ。単に自分の無罪を信じてるだけなんだがなぁ」


「無罪を信じる、か。本当にそうか?」


 ラグラはそこでようやく、話しかけてきた憲兵隊員の方を向いた。


「どういう意味だ?」


「お前の余裕さの根源は、無罪を信じることなんかじゃなく強者故の余裕に見えてな。まるで自分が戦えば負けるはずがないと言った余裕。それに見えてしまってな。ま、ただの勘なんだけどな」


 そう言って笑う憲兵隊員に、ラグラは不敵な笑みを浮かべる。


「もし本当にそうだったら、どうするつもりだったんだ?」


「もしお前が本当に強かったら、か? ハハ、それはあり得ないな。我々は日々厳しい鍛錬を積んできた強者ぞろいだ。いくらお前が強かろうと、我々が負ける事はない」


「そうかよ…」


 瞬間、ラグラは目にも止まらぬ速さで肘打ちを繰り出した。肘打ちはちょうどラグラの真後ろを歩いていた憲兵隊員の鳩尾にヒットし、意識を刈り取る。素早く倒れた憲兵隊員の腰から剣を鞘ごと抜き取ると、ラグラは腰を落とした。


「おまっ…」


 ラグラの挙動に気が付いた憲兵隊員が、腰にぶら下げていた剣を抜くーーーーよりも速く、ラグラの剣が首を刎ねていた。視認する事を許さない速度の抜刀術。立て続けに起こった出来事に、残された憲兵隊員は混乱する。


「い、一体何が⁉」


 瞬間、右手に剣、左手に鞘を持ったラグラが疾風の如く動いた。剣は首を、鞘はこめかみをそれぞれ攻撃し、同時に二人を戦闘不能に陥らせる。


「こ、このッ!」


 ここに来てようやく、最後の一人が剣を抜いた。その剣に向かって、ラグラは左手に持った鞘を叩き付けた。


「ッ、何て強さだ…」


 よろめいた憲兵隊員の心臓目がけて、ラグラは剣を突き刺す。剣は寸分違わず憲兵隊員の心臓を貫き、その命を奪い取った。


「…ま、こんなもんか」


 剣を鞘に収めると、ラグラは髪を掻き上げた。


「さて、早く魔王様の元に戻らなくちゃな」

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