8 実食!
俺はログハウスの扉の前で立ち止まって振り返り、再びムツメに念を押した。
「いいか、あんまり羊羹がすごいからって驚かないようにな。ありのまま、羊羹という存在の全てを素直に受け止めるんだ。そうすれば、羊羹は自然とお前に応えてくれる……決して抗おうとしちゃ駄目だぞ、いいな」
「……お主、それで十回目じゃぞ」
ムツメがうんざりといった様子で「はあ」と大きく溜息をついた。
「えっ、そんなに? てか良くそんなの数えてたな」
「何度も何度も何度も振り返ってベラベラベラベラと……いいから早う実物を見せんか」
ムツメは鋭い目つきで俺をギロッと睨みつける。な、なんだよ、善意で言ってあげてるってのに……まぁ、それだけ羊羹に期待してるってことだよな、うん。
俺は気を取り直して扉を開き、机の上に羊羹が鎮座しているのを確認すると、ムツメからも良く見えるように身を避けつつ「聞いて驚け、見て笑え! これが創業百五十年、法久須堂の自慢の一品だ!」と高らかに語った。
さぞや感動していることだろうとムツメの顔色を窺うと、何故かムツメは眉根を寄せ、黙りこくって羊羹を凝視していた。あれ、ちょっと思ってた反応と違うな。てっきり、「ひゃあ~! こりゃ素晴らしいのじゃ~!」ってな具合に派手に尻餅でもつくかと思ってたんだが。うーん、初めて見る物だから警戒してる、ってやつなのかな? しょうがないなぁ……。
俺は机に近づいて羊羹を手に取ると、ムツメに羊羹を見せながら出来るだけ優しく語りかけ始めた。
「ほら、怖くない、怖くない……怖くない、ねっ?」
「馬鹿もん! 怖がっとるわけではないわッ!」
ムツメがグワッと吠え、俺は「ひいーっ!」と悲鳴を上げながらどすんと尻餅をついた。良かれと思ってやった事なのに、ひどい……。
手をついて立ち上がろうとしていると、ムツメが怪訝そうな顔をして、
「それが、お主が魔法で出したという『ヨウカン』なのか?」
と尋ねてきた。「そうだよ」と答えると、ムツメは「ふむう」と声を漏らして羊羹をじろじろと観察し始める。いくらこっちの世界に無い物だといってもそんなに怪しまなくてもいいのになぁ、と思っているとムツメが再び口を開いた。
「……この『ヨウカン』とやら、魔力の含有量が凄まじいぞ。魔力を込めて保存できる魔石という物があるんじゃが、最上級の魔石が蓄えられる量の軽く百倍はあるな」
「へっ、魔力?」
ムツメからの思いもよらぬ言葉に思わず唖然とする。法久須堂の羊羹が魔力を蓄えてるだって? 一体どういうことだ? 法久須堂の羊羹の美味さの秘密は魔力だったってこと? ということは法久須堂初代店主、三隅京四郎は魔法使いだったの!?
「いやでもこれ、俺の世界のお菓子、食べ物だぞ? まぁ魔法で出した物だけど」
「ふむ、ひょっとすると魔法の影響かもしれんのう。召喚する魔法を見てみんことにはハッキリとは分からんが」
言われてみると、確かに黒い稲妻が迸ったり光を放ったりとやたら大仰なエフェクトが出てたもんな。エルカさんが四苦八苦して編み出した魔法の影響という可能性は十分にあるな。
「なるほど、じゃあ明日魔法を見てもらって解明してもらうとするか。んじゃ、今日の所はとりあえずこれ食べてみるか?」
羊羹の包装をガサガサと取りながらムツメに羊羹を見せると、ムツメは先ほどの怪訝そうな顔とはまたちょっと違ったしかめっ面になり、
「う~む、それを食うのか……? わしに魔力を食う趣味は無いんじゃが……」
と、露骨に嫌そうな素振りを見せた。
「おい、俺の目の黒いうちは法久須堂の羊羹を前にしてそんな態度は許さんぞ! ほら、怖くない、怖くない……」
「それはもう良いわ! むうう……わしとて『莱江山にその者あり』と謳われたムツメよ。『ヨウカン』何するものぞ!」
ムツメは自分に言い聞かせるようにそう言ったかと思うと、俺の手からがばっと羊羹を奪い取った。そして手に取った羊羹を見つめたまま少し固まり、やがて覚悟を決めたような顔になると、ぐあっと口を開き――がぶっと羊羹に噛り付いた。
「むうっ……ふぉれはっ……!」
ムツメはもぐもぐと口を動かしたまま、目を見開いて羊羹を凝視する。そのまま口を動かし続け、ごくりと喉を鳴らして飲み込んだ。そして少しの沈黙の後、
「う、美味い……」
と、弱々しい声でぽつりと漏らした。
「だろ? だろ? 法久須堂の羊羹はな、小豆は北海道十勝産の契約農家の物をふんだんに使い、寒天は天草等の海藻を秘伝のブレンドによって作っていて、オーソドックスで王道ながらも他所の店とは一味違った食べ応えが――」
「ま、待て待て! 聞き覚えの無い言葉を次々と並べたてられてもさっぱり分ふぁらんふぁい」
ムツメはそう言いつつ、ちゃっかりと二口、三口と羊羹を食べ続けていた。ふっふっふ、やめられない止まらないってやつか? ってもう半分無くなってるんですけど!?
「ちょ、ちょっと待って待って! 俺の分が無くなっちゃうから!」
慌ててストップをかけると、ムツメは「むっ」とひとつ唸り声を漏らし、パッと口元から羊羹を離した。
「おお、すまんすまん。存外美味くてな、つい食べ過ぎてしもうたわ」
「いや、そう言ってくれるのは嬉しいんだけどな。一日一個しか出せないからさ……」
「そういえばそんな事を言うておったな。いやぁ、しかしこのような甘さは初めてじゃな。果実の甘さとも違うし……昔、貴族の式典で、甘くて食べられる貴重な結晶で作られたという彫刻やらは食べたことがあるんじゃが、このヨウカンの甘みはそれとも違ってコクがあるというかなんというか……」
「たぶん小豆のおかげかな。単なる甘みだけじゃないっていうかさ、奥深さがあるというか」
「うむ、確かにそんな感じじゃ。お主があれだけしつこく言っていたのも少しは分かったぞ」
そう言ってムツメはうんうんと頷いて見せた。「少し」というのがちょっと引っかかるが、これだけ絶賛してくれるのは中々嬉しいものがあるな。しかし「貴族の式典」とは、ムツメってやっぱ顔が広いというか、結構偉い人なのかな? 魔法にも詳しいし……。
そんなことを考えていると、ムツメは、
「ふむ、お主がこれほどのものを味わわせてくれたんじゃから、わしも取って置きの物を披露するとしよう。ほれ、これじゃっ」
と言いながら、腰にぶら下げている瓢箪のようなものをくいと持ち上げてみせた。てっきり水筒か何かだと思ってたけど、その口ぶりだと違うのかね。ま、まさか、西遊記の金角銀角が持ってた相手を吸い込む奴じゃないだろうな!?
「おい、それで俺を吸い込むつもりか!?」
「阿呆、何をわけのわからんことを言うておる。これは月漣丹というてな、中から酒が出てくるのよ。それも無尽蔵にな」
「酒? それも無尽蔵に?」
すげぇな、異世界の瓢箪はどうなってんだ。
「これの作り方はな、まずゲツレントウという植物の果実を、二つの月が重なって魔力の最も高まった晩に収穫するんじゃ。それを年老いたドラゴンに咀嚼させてからこの中に詰め、それから莱江山に湧いておる魔力の染み出した泉に千昼夜つけておくのよ。さすれば魔力が存分に染み込み、酒が尽きることなく出てくるようになるというわけじゃ」
「はぁ~、すげぇな異世界……」
手順を聞いてもどうして無尽蔵に酒が出るようになるのか全く分からないが、とりあえず手間暇かかってるということだけは理解できた。ワケが分からないところが逆にファンタジーっぽくて良いな。
「というわけで、ほれ。遠慮せず飲め」
ムツメがぐいっと月漣丹を差し出してくるが、俺はそれを手で制し、
「いや~、実は俺って下戸なんだよね……」
と言って、ぽりぽりと頭をかいた。上司の杉下さんにも良く酒に誘われたものだが、俺は酒を飲まずに飯ばかり食べ、もっぱら杉下さんの愚痴の聞き役だったのだ。会計は杉下さん持ちだったから別にいいんだけどね。あとそれに、ドラゴンが咀嚼したものってなんだか衛生的にちょっとね……綺麗好きの俺には少々厳しいというか……。
「はあ? わしの酒が飲めんというのか!?」
「いや、だから飲みたくても飲めないんだって――おっ?」
俺が言い訳を述べていると、ムツメは左手を伸ばして俺の右腕をがしっと掴んだ。ムツメの指が右腕に思い切り食い込み、そのまま強く引っ張って俺の上半身を無理やり折り曲げにかかる。
「ちょっ、いでっ、いでででででっ! こ、コラッ! この手を離せッ!」
「なぁに、痛いのは最初だけじゃて……ほれっ、遠慮するでないッ!!」
そう言いつつ、右手で月漣丹の先端部分を俺の口元へと近づけてくる。俺はなんとか逃れようと身をよじるが、掴まれた右腕は万力のような力で固定されてびくともしない。か、体は小さいくせになんてパワーだこいつッ!
「ほら、先っちょだけ! 先っちょだけじゃから!」
「おい俺の世界だとそういうのパワハラって言うんだぞ! いやセクハラか!? だ、誰かーッ!! お、犯され――むぐぐっ」
抵抗も虚しく、とうとう俺の口に月漣丹の先っちょが差し込まれ、中の酒が一気に注ぎ込まれ始めた。そのまましばらく酒を飲み込まず口に含んだまま耐えていたが、次から次へと月漣丹から酒が湧き出て押し込まれるため、俺はついに我慢出来ずにゴクリと飲み込んでしまった。前に一口飲んだだけでも顔が真っ赤になってフラフラになっちゃってたのに、こんなに一気に飲まされたら頭がフットーしちゃうよぉっ!
思わず全身に力を込めてぐっと身構える。しかし、予想とは裏腹に不快感がこみ上げてくることはなかった。俺は「あれ?」と思いながらも、まるで赤ん坊が哺乳瓶でミルクを飲ませてもらっているような格好で――実際は強引もいいところだが――酒を飲み続けた。
そしてようやくムツメが俺の口から月漣丹の先っちょを引き抜き、俺は「ぶはっ」と息継ぎすることが出来た。更に俺が「ふはあ」と大きく息を吐くと、ムツメが目を輝かせながら「どうじゃ? どうじゃ?」と尋ねてくる。俺は先ほど羊羹を口にした時のムツメと同じように少し呆けてから、
「う、美味い……」
と、弱々しく呟いた。何かの実が元になってるってだけあって、濃厚な桃のようなフルーティな味わいで喉越しもすっきりとしている。これならいくらでも飲めそうだ。
「そうじゃろう、そうじゃろう! なんじゃお主、イケる口ではないか。結構きつい酒なんじゃがな」
「おい待て、きつい酒つったか? 俺が倒れたらどうするつもりだったんだよ!?」
「いやいや、お主はエルカ・リリカの眷属じゃろう? 神の眷属がちょっときつい酒如きにやられるはずがない、とちゃんと見越した上でのことよ」
そう言ってムツメは「かっかっかっ」と笑って見せた。本当にそこまで考えてたのかは怪しい所だが、確かにきつい酒を豪快に飲んだにしては体に何の変化も見当たらない。以前は一口飲んだだけで七転八倒だったのに……肝臓とかも強靭になってるのかもしれないな。エルカパワー半端ねえ。
「さて、それじゃ酒盛りといくか……と、少し薄暗いのう」
言われてみれば、すっかり日は沈んで部屋は薄暗く、突き上げ窓から差し込む月明りが慎ましく室内を照らすだけだった。
「う~ん、でもこの小屋って照明の類が何も無いんだよね……」
「おお、そうじゃ、お主に光石をやろう」
ムツメが懐から小さな水晶の欠片のような物を取り出し、「ほれ、これじゃ」と俺の方に差し出して見せた。
「コウセキ? この水晶のこと?」
「うむ、これはな、魔力を込めるとそれに反応して光を放ち始めるのよ。ほれ、このように――」
途端、その小さな水晶から光が放たれて、程よい光量で室内を照らし始める。おおっ、ハイテク……いやローテクになるのか? どっちだ?
「で、今度は魔力を吸い出すと……このように光が消えるというわけじゃ。ほれ、お主もやってみい」
ムツメが光を消した光石を俺にひょいと投げ渡した。やってみいと言われても、魔力の込め方なんて分からないんだが……とりあえず適当に力を込めてみるか。
光石を手のひらに乗せたまま適当に「ふんッ!」と力んでみると、瞬く間に水晶が光を放ち始め――その勢いはとどまることなく、部屋の中が光に満ち溢れて真っ白になってしまった。強烈な閃光が俺の目に突き刺さる。
「うおおっ! 目がっ、目がああああああああああああああッッ!!!」
慌てて手をギュッと握るも、こぶしの隙間から光の筋のようなものがいくつも飛び出し、光石はなおも強く光り輝いていた。こ、光量やばすぎるだろコレ! 目が潰れる!
「阿呆、魔力をしこたまぶち込む奴があるか! 自分の魔力量を考えんか! 早う魔力を吸い出せ!」
「す、吸い出せって言ってもどうやって!?」
「光石から自分の方へ力を移動させる感覚でやってみい!」
言われた通り、握りこんだ光石から俺の方へエネルギーを移動させるイメージをしてみると、ようやく光が落ち着いて程よい明るさになった。ほっ……よ、良かった。
「あ~、めちゃくちゃ眩しかった……」
「全く、光石をこんなに輝かせる奴は初めてじゃわ……む、そこにあるのはなんじゃ? 使い魔か?」
使い魔? と疑問に思いながらムツメの視線の先を覗いてみると、ヨウカちゃんとカンタ君のぬいぐるみが光石の灯りにやんわりと照らされていた。さっきまで薄暗かったから目に入らなかったらしい。
「先ほどお主が作った土人形に似ておるようじゃが……」
「ああ、これは俺の世界のぬいぐるみ……人形みたいなもんだよ。ヨウカちゃんとカンタ君っていうゆるキャラを模してるんだ。かわいいだろ?」
俺はヨウカちゃんのぬいぐるみを手に取り、ムツメに「ほら、かわいいだろ?」と手渡しした。ムツメはぬいぐるみを受け取ると「ふむう」と一言漏らし、ひっくり返したりして観察し始めた。
「なっ、かわいいだろ? なっ?」
「何度もしつこく言わんでええわい! これはお主が直接こちらの世界に持ち込んだ物なのか?」
「いや、俺の持ち物だけど、直接持ち込んだわけじゃないな。そこの布団……寝具と一緒にエルカさんがこの家に送り込んでくれてたんだ」
ムツメはそれを聞くと「ははあ、なるほどのう」と声を漏らした。む、このパターンは……まさか、ぬいぐるみにも何か魔法がかかってるのか? 実はヨウカちゃんとカンタ君には自我が芽生えてるみたいな!?
「なあ、ぬいぐるみにも何か魔法がかかってるのか!?」
「うむ、これは……形状を維持する魔法じゃな。王侯貴族や教会なんかが保有する貴重な宝物にかけたりする魔法じゃ」
「えっ、形状維持……シャツかよ……」
ムツメの解析結果は俺の期待とは全く異なるものだった。なんだ、自我じゃないのか……形状記憶ぬいぐるみってとこか?
「何ぞがっかりしとるようじゃが、これはこれで結構強力な魔法なんじゃぞ。王家の持つ国宝なんかにもかけられたりする魔法じゃからな」
「へぇ~、国宝か。そりゃ確かにすごいな」
ヨウカちゃんとカンタ君はある意味国宝クラスってことか? まぁこんなに愛くるしいんだから、当然といえば当然だな。もし王家の人間に会う機会があったら正式に国宝認定してもらうよう頼んでみるか。
「さて、それじゃ改めて酒を酌み交わすとするか。おっ? こりゃ座り心地が良いのう」
ムツメはどかっと俺の布団の上に座ると、感触を確かめるようにぽんぽんと布団を叩いた。
「ああ、それ結構な高級品だからな。良質な睡眠のためにあちこちの百貨店を巡って選んだんだ」
「ヒャッカテン? また聞いたことの無い言葉が出たのう……ほれ、お主もここに座って酒を飲め。それからお主の世界の話をもっと聞かせろ」
「おお、いいぞ。長い話になるからな? 覚悟しとけよ?」
「おおよ、望むところじゃ」
俺はムツメから月漣丹を受け取ると、ムツメと向かい合う形でドンと布団に腰を下ろし、長い思い出話を語り始めた。