5:the man in the moon
(神子イグニス……)
身体は女、精神は男。殺された妹の身体に宿り、審判世界に戻ってきた……前回の勝者。正確には、数回前からの連続勝者。その数は二桁だったかそろそろ三桁だったか俺も正確には思い出せない。
たった一度犯した罪のために、逃れられない牢獄に落とされた彼は、これまでもこれからも無限に殺され続けるだけ。そのために生きている。
俺、ラディウス=レリックがどうして彼に仕えるか。利用されているだけ、それも概ね合っている。しかし“運命の輪”の中で、或いは全てのカードの中で、彼を最もよく知るのは俺になろうか。
(“共犯者”ってことなんだよな、俺は)
例外はいるにはいるが……俺の仲間達は、そこまで俺と彼のことを知らない。彼のことは卑劣な道化師の策に嵌まり、身体を女にされた本当の神子……くらいに思っているだろう。
数人は、神子が女であることを知らない者さえいるかもな。
そもそも本当にあるべき位を奪われたのは、その“道化師”の方だと知らず、偽物の神子を有り難がって守っているのだ。笑える話。
しかし破壊衝動は彼方が全て、一応此方は世界を守ろうとはしてる。神子に据えるなら、此方の神子で正解なんだが、本物にとっては面白くないことだろう。
(神子はわざと、軋轢を残す)
自分の死後に、仲間割れをさせるため。その時自分に成り代わった道化師を、自分ではないと部下全員に気付かさせられないと知っているから。守ろうとした物、作り築いた物全てを壊される。逃れられないなら、その時せめて一つでも多くが残るよう、彼は行動することしか出来ない。俺を手懐ける手段だってお持ちでしょうにね、嫌われるくらいの本音を俺へと零すのは……それも一つの信頼か。俺という人間のことを、彼は俺以上によく理解しているのだ。同じ時間を過ごした人間を見捨てられない、俺の弱さを。
反感を抱いたり逆らったこともある。混乱して取り乱すことも。でもまだ従ってる。知れば知る程、放って置けなくなる。気付いてしまった時から俺も、彼と同じ牢獄へ落ちたのだ。
(難儀なモンだ……“死亡数術”)
死ねば死ぬほど強くなる。それを教えたところで覚えている相手はイグニス様以外には存在しない。俺も“過去読み”持ちになる以前、何度この審判が繰り返されたか解らない。元々の俺は凄く弱い人間だ。それでも混血の端くれ、一つの数術は入手した。当たりかハズレか、普通の場合は大ハズレ。しかしこの特殊な状況に囚われて、俺の力は意味を得た。
本来コレは片割れが死んだ際、片割れに向かうはずの数術覚醒。だけどハズレの俺の片割れは、俺より先に死んでいて……誰にも引き渡されなかったこの“無駄”は、“意味”を俺へと刻んで行った。
「俺が便利だからって、使いすぎだぜ神子様よ……」
今度はどこに送り込まれることだろう。いい加減過労死するぜ俺?
与えられた指示通りの“掃除”をし、人が気付かぬように数術で保護もする。嗚呼、本当に利用されてるな俺は。
“お帰りなさい、レリック”
(帰って来ちまった……帰って来た)
繰り返される度、遠くなる記憶。写真以外の表情が、声が思い出せない俺の妹。彼女と過ごした年月よりも、俺がこの審判の中にいた時間が何倍何十倍となってしまったからか。
忘れるってこと。死ぬより、殺されるより辛い。酷い裏切りだと思う。許し、なのだろうかあの子は、彼は。
お帰りと、俺に声をかけてくれるのは……今の所二人、それに時々もう一人。
女だってのは卑怯だな。全然似てもいないのに、俺はイグニス様の声に安堵するんだ。それがこの牢獄の、戸が閉る音であっても。
何時しかあの子が、俺の家になっていた。今更突き放すことなんか、出来ない。
*
「お帰りなさい。で? 何突然すっとぼけたこと言ってるんですかアルゴールさん」
怒りと驚きから、僅かに俺を心配する色も隠れたイグニスの疑念の視線に晒されて、俺は欠けた利き手で頬を掻く。
「とりあえず、このスルメでも食べます? 他に大した物ありませんが」
「大した物無くて悪かったな。酒のつまみに合うんだよそれ。だがスルメで俺のHPは回復するのか……? どうせならそれっぽい野菜とかもう少し違う物を勧めてくれ」
イグニスは俺が、指の痛みで何かおかしな世界に頭がトリップしているのではと疑い始め、再び少し心配顔だ。何処から説明したものか。
そろそろ俺の任期が終わるのは知っていた。これが最後の仕事だと、思っていたのも確かだが……
「神子ってのは代替わりでな。その親衛隊っていうか、俺達みたいな人間は……代替わりで殉職するんだよ。裏を知りすぎてるからな」
それでも本来、後任を育てるまで引き継ぎの役はある。だから今回のことはかなりの異例。
「僕以外の者が後釜になったって言うんですか!? 一体何時!? あなた仲間と連絡取っていたんでしょう!? 」
問われた俺は気まずいが、不明な点は多々あった。
俺がシャトランジアを出るのを待ってやがった。俺と入れ替わる形で、シャトランジアに入った者がいる。そこから俺が仕えた人は、向こうの言い分を受け入れた。俺の報告を受けながら俺を泳がせた。その訳は……このイグニスを狙ってのこと。
「基本は数術か手紙のやり取りだったんだ。向こうも潜入中だ、迂闊には会えない。数回会ったのも、相手の部下。それを装う人間だ」
「つまり……」
「俺と情報のやり取りをしていた人間は……俺の仲間じゃ無かったんだよ」
次期神子の確保は完了した。しかし不審な点を感じ、俺も警戒をした。本国へこの子を送り届けるまでが任務だからな。
同僚と直接話したい、部下に話せるような機密では無い情報を得た。会いたいと言っても相手が渋る。諦めた振りをして、相手の拠点へ忍び入り……そこで俺は仲間の遺体を発見したのだ。
「俺達が始末されるっていうんだから、次期神子が見つかってしまったんだ。神子様とも連絡は取っていたがそんな話は聞かされていない」
「彼もグルってことですか? 」
「仲間の部屋から見つけたよ。これが次期神子様の情報だ」
「? 」
「俺の手掴んでみろ。普通は額なんだけど、お前くらいならこれで大丈夫だ」
渋りつつ俺の手にイグニスが触れたところで、彼のの頭に映像、音声、画像情報を流し込む。
「……な、なんですか、これ……」
次期神子は、自ら神子に会いに来た。彼の名前は“イグニス”。彼と全く同じ顔をしている少年。その事実を受けた本人は、受け入れがたい現実に、怒りか悲しみからか声も身体も震えていた。
神子になれば教会を従わせ、妹の行方を探ることが出来る。俺の言う希望、審判で最も有利な立場になれる。その可能性を他の他人に奪われたのだ。俺も彼に会わせる顔が無かった。
「お前さんの偽物が、お前の居るべき場所に収まった。わざわざ情報を残してくれたんだ、こいつは脅しだよ」
「脅し? 」
「お前の妹を、連れて行ったのは教会の者。この少年の配下だろう。屋敷まで侵入しておきながらお前を助けなかったのは、その方が都合が良い。お前が作品として殺されたなら、自分の地位を脅かす相手は現れないからな」
「数術を使える! 今の僕なら…………なのに、こいつの名前がわからない!! どんな言葉を吐いたって、呪いは僕へと返ってしまう」
「イグニス……泣くな。まだ、一つ考えがある」
一度だけだ、たった一度だけ。俺は何も知らない振りで、聖教会へとシャトランジアへと向かえば良い。
「審判に必要な物を、俺が教会から盗み出す。それを使って君は、時が来るまで耐えるんだ」
口で言うのは容易い。しかしこの作戦に、この子の協力が必要不可欠。そして失敗すれば……共に命を落とすだろう。そんな危険な橋を渡るくらいなら、死亡を装いなりを潜める? ならばやるしかない。最低でもあの屋敷は壊さなければ。
「待って下さい、アルゴール……さん」
「イグニス? 」
「僕も、行きます。どちらの計画も」
(おいおい……)
俺の腕を掴んだだけで、隠した情報まで引きずり出したか。本当に、じーさん以上だよこの子の力は。
「相手に気付かれる前に、僕が壊れて自害のために数術を暴走させた。そういう風を装うためには、僕があそこを壊さなければ。教会が、僕を助けなかった理由は僕を死なせるためじゃない。時が来るまで僕の居場所を把握して捕えておきたかったから……だと思います」
「つまり、今すぐ俺が教会に戻るのは得策ではない……か? 」
「ええ。それをやるなら、直前です。それまで貴方は僕と一緒に……死んで下さい」
*
審判九十八年。季節はまだ春に至らない折、セネトレア第一島近海、メイクィン男爵領メイクィン島で数術爆発が起きる。此方の狙いでは、九十九年まで引き延ばしたかったが、難しかった。
生存者はなし。混血の暴走による数術を止めるため、あの男が禁弾“数値分解弾”を使用した模様。屋敷丸ごとを呑み込んで、死体も生きた者もすべてをそれは呑み込んだ。アレを使用されては過去読みでも正確な解析は不可能。
相手の狙いを考えたなら数術で燃やした後にその場を離れ、数術弾を使用したものと思われるが、相殺を狙った相打ちとも受け取れる。
「先代死神は、どんな男なんですかチャリス様? 」
「アルゴルか……あれは儂の配下でもっとも幼いカードでな。儂の在位中に運命の輪で唯一、死神は代替わりをしておる」
僕がここに来た頃は、まだ出歩くことも出来ていた。そんな神子だが、冬から次第に具合が悪くなった。それも“あいつ”の仕業だろう。
僕を呪うには、僕の呪いが解らない。しかしまだ在位中のこの方の名前なら解る。それはお前が生きて居ると言っている証拠でもあるのに。でも……どうせ審判まで死ねないのだ、彼方もそれを理解しての行動か。
まだ僕が神子に就いてはいないけど、次期神子として教会内の仕事は僕が引き受けるようになっていた。
「あれが道化師だと知って、それでも支えるような男ですか? 」
仮にもアルゴール=メイクィンは貴方の部下であったはず。貴方への恩より出会ったばかりの混血を選ぶのかと問えば、先代は僅かに苦笑する。
「君が、あれの始末の手を抜いた。それが答えでは無いのかね? それに、その予言ならば私も知っているよ、イグニス君」
普段の爺モードから、真面目な口調に切り替えられた先代様。それにより一瞬で、場を包む空気が張り詰める。
「本来の後継者が、私の後を継ぐことがより大きな厄災を産む。君の存在が、彼と世界の良心だ。或いは私の死神も」
「…………」
「審判の儀式を行う者には、利点がある。当然奴は狙ってくるだろう」
「空白の、予備カード」
塔が出現するまでそのカードは無意味だが、それまでに失われたカード一枚に置き換わることが出来る。これは塔の鍵が足りなかった場合の補償。儀式を行う者は、その白紙カードを得て、選んだ相手に宿らせることが可能。
「聞きにくいことですがチャリス様。アルゴールは……、童貞ですか? 」
「君の言いたいことは解るが……もう少し言葉を選んでくれないか? 寿命が五年縮まるかと思ったわ」
「大丈夫です、貴方の余命はそんなにありません」
「フォローになっていないのぅ……」
僕の言葉に咳き込んだ、先代の背をさすりながら僕がフォローをしてみるが、先代は少し引きつった顔で僕を見ていた。冗談として成立しておらず、素直に笑って良いのかどうか解らない様子。
「それなりに任務で遊んだりはしたのだろうが、そこまでは私にも解らん。もしそうだった場合、鍵としてあの男は使えないことになるが」
「なるべく、強カードは残したいですね。奴の手の内に、予備が落ちるのは避けたい」
塔の鍵は各スート、四枚が必要。これに数値は問われない。問われるのは、身体における穢れの概念。
「が……あの男は、割と奥手で」
「え? 」
そうだっただろうか? 過去の記憶を思い返してみて、納得と疑問が同時に起こる。
(確かに言われてみれば……)
一部の技は凄いから、それなりの手練れだと思っていたが……
「そもそも№13になるような者が、死に相反する行為に傾くとは思えない」
「それ、かえって最悪です。審判前にカードを盗まれないことが前提となりますよ」
「他に適当な者にカードを宿らせる可能性は? 」
「有り得ませんね。クラティラ! 」
「はぁい! 」
戸の隙間から此方の様子を窺っていた、部下の名前を僕は呼ぶ。この子の力は凄いけど、やる気にムラがあるのが問題だった。
「君には、籠絡任務を任せる。君でも君の傀儡でも良い。行き恥晒しの死神を、第一の凱旋に落とし込め」
「わぁ♪ ラディウスの前任って神子様の恩人じゃないの? 」
白髪に薄い紅目の混血児。その目は珊瑚のように美しい。でもそれ以上に彼女の魅力を語るなら、外見全て……かもしれない。華やかな面立ちに、女性らし過ぎる蠱惑的な身体。はっきり言って、目の毒だ。こんな場所にあるならば。
「些細なことです、世界の前には」
「ね、神子様? 私がただで動かない女なの……わかってますよね? 」
「次に君が帰ってくる頃に、君のドストライクな同僚をスカウトしておくと約束するよ」
「もぅ! そんなこと言われたら……私任務に集中出来ないぃ! 」
上機嫌になりながら、彼女は何故か僕へと飛びつく。
「私はぁ、神子様でもいいんだけどなぁー♪ あっれー? 神子様また胸大きくなってませんか? 駄目ですよ、人間らしく振る舞いすぎるのは。成長止まって背が伸びない分、栄養全部ここに行ってしまいますからね」
「お年寄りの前で刺激が強すぎますよ」
禁欲生活●十年な老人の目の前で、美女が中身男の外見美少女の胸でも揉んでみろ。神への祈りをはじめながらも、微妙に反応してるじゃないか。
クラティラの得意とする数術は特殊だが、男に対しての魅了能力はかなりのもの。アルゴールくらい誑し込むのは訳は無い。神に仕えて半世紀以上、そんな聖職春枯れ爺をここまで苦しめるとは。これは力が鈍っていないことを彼女が示したと好意的に解釈すべきか。
「あああ、主よ何故私のような爺を苦しめるのですか、嗚呼っ! ええい運命の名を借りた悪魔めぇえええええ! 」
「落ち着いて下さい先代様色ボケ爺様。一応こんなのでも僕の部下です、悪魔呼ばわりは止めて下さい」
「神子様やっさしぃー! 」
「そして君は僕の体をまさぐるな」
ギメルの胸触るな。揉むな。しかし相手が女性な分、邪険にも出来ずに僕は嘆息。この子の注意を逸らすために、彼女のスカウトも予定通りに行わなければ。
「胸なら貴方と同格の子がいるでしょう。ルキフェルは好みではないんですか? 」
「私、男の子っぽい女の子がタイプです。イグニス様はぁ、理想型の完成形に近いんですよ! 女体の檻に囚われた少年の魂っ! あ、魂というのはこの場合下半身の意味ではなく」
「そ、そういう解説は良いからっ! 君の実力は痛いほどよくわかったから! これ以上は止めてくれ! 僕あの爺の下の世話とかする趣味無いですからね!? 時給とか出るわけでもなしっ! 」
「イグニス君……恩人たる儂の下の世話が出来ぬと!? それでも世界を愛し救う次代の神子か!? 」
「僕(の本体なら兎も角、ギメル)の手で変なモノ触る気は無いですからね。精霊使って遠隔操作で掃除させます」
「くぅう………よくぞ言った!! 素晴らしい!! その高潔な魂こそ、神子にとって何より必要なものと言えよう! 」
「それっぽいこと言って誤魔化そうとしてますけど、床を這うの止めて下さい。……ん? 違う!? お前チャリス様では無いな!? 」
相手の数値に異変を見つけたことで、綻びていく視覚数術。現れたのは好色そうな笑みを浮かべた白髪の爺だ。
「貴方という人はっ! 自分の仕える主になんてことをしてるんですか!! 」
「ほっほっほ。何、チャリスが恥をさらしては哀れと思ってのぅ、途中で入れ替わってやったんじゃ」
無駄に大きな数術使いやがってこの爺。室内に人が隠せそうな場所……僕が開いたクローゼットからは申し訳なさそうな顔の先代様が現れる。僕がクラティラに気を取られていた一瞬に、色ボケ爺の方が数術を発動させたのだろう。
「すまない……イグニス君、私はクロートめに」
「良いんですよ、僕は貴方でしたら洗濯、お召し替えくらい手伝いますよ。そっちの爺は自分で川に洗濯でも行きなさい。どうせならカーネフェルのザビル河でも行って流されて海洋まで運ばれて頭冷やしてきなさい」
先代に肩を貸し寝台まで運ぼうとする僕の、背後で別の爺の声が上がった。
「いけませんのぅ次期神子様。視覚触覚数術を駆使しようとも、これはあまりに無防備ですじゃ」
クラティラ……じゃないなこの手はこの指は。だってもっと嫌な感じがする。触れられた場所から皮膚が爛れていくような……背筋が凍るような感覚だ。
「いけませんなぁ、体が冷えておるようじゃ。血の流れが良くないですのぅ。こうしてしっかり揉んで血行をよくしなければ」
「僕の(ギメルの)身体になんてことを!! 貴様のナンバー欠番にしてくれるっ! 」
先代を寝台へ置き、手を空けた僕は精霊数術と蹴りとを使いセクハラ爺を追い詰める。しかしこの爺、無駄に動きが速い! というか無駄遣いしすぎだ! 純血のくせに何故死なない!! 空間転移なんてもの軽はずみに使ったら、純血なんて脳死か廃人確定っていう危ない代物なんだぞ!?
「ほほほっ! 次期神子様は本日の下着も白と」
「くっ! 下着見せても骨を断つ! 今日がお前の命日だ№0っ! お前の血でこの穢れを浄化するっ!! 」
「イグニスさまーそれ余計に汚れそうだから止めた方がよろしいわ」
肩で息をする僕に、部下から軽い調子の声が飛ぶ。
「セネトレアで動きがあったようですなぁ」
「見に行ったんですか? 」
「はて、何のことじゃろう」
この狸爺! こいつの厄介なところは表に出した煩悩で感情数を読ませないこと。そして自分の年齢、老化を逆手に取りって嘘も相手に読ませない。数術使いにとって相性が悪い相手は接近戦に長けた筋肉達磨以外に、自分より上手の数術使いの存在もあるだろう。
(はっきり言って、この色ボケ爺は化け物だ)
代々、運命の輪のメンバーは代替わり……神子の死によりそれを追い、殉死し黙す。だというのにこの糞爺は数代前から生き延びている。どんな数術を使っているかは知らないが、はっきり言って老害だ。シャトランジアのためにならないことはしないと聞かされているが、果たしてどうか。幾度の記憶を継いだ僕であっても信用できない唯一のメンバー。
僕より生き延び、カードでも無い。それがこいつの強みだ。歴史の表舞台にも出ないこいつが毎度影で何を企んでいるか、僕はその全貌もまだ把握していない。今の所セクハラ以外の害がないから放置しているとも言える。この爺相手に消費する時間は確実に無駄なのだ。今だってこうして何分無駄にされたことか。
「この人はガチムチ特別監視老人ホームにでもぶち込んでおいて下さい。これは僕自ら手がけた首輪です。とっておきの数術組み込んでおいたのでありがたく受け取るんですねクロート翁! 」
「ほほほ、自らのトラウマをも手段として取り入れる。やりますのぅ」
「黙れ狸爺っ!! 」
「どんな数術を仕掛けたんだイグニス君?」
「それはですねチャリス様。基本をいくつか、他は僕の言霊数術ですよ。“僕に逆らったらお前は死ぬ。僕を裏切ったらお前は死ぬ”」
本人の前で笑って僕は言霊数式を展開。聞いた時点で効果は絶対。首輪にも何回もかけてやったから更に強まる。首輪を拒むことは裏切りにカウントするよと告げながら、僕はクロート爺に首輪を付けた。変態爺も事の次第に真顔を見せる。
「老人相手に、容赦ありませんのぅ」
「本当にぶち込まれたくなかったら、さっさとまともな仕事してきて下さい」
「セクハラするなと言霊数術で縛らないのか? 」
「セクハラレベルを上げたら抹殺しますが、あの程度ならまだ。楽しみ全てを絶ってしまえば要らぬ反感を買いますからね」
僕の睨みに数術で姿を消したクロート翁。まともな仕事をしてきてくれれば良いのだけれど。一応あれでも教会内では最高クラスの数術使いだ。純血であのレベルまで至ったのだから、実力者なのは事実だろう。
「操作の解らぬ車輪が不安か? 」
「はい。何なんですかあの爺は」
「そんな顔をすると、君もまだ子供だなイグニス君」
自分で自分の顔は見えない。今となっては解るけど、鏡が無ければ解らないのは変わらない。
「全員が私や君を有り難がるような組織では、神子は判断を時に誤る。あのような道化者も必要なのだよ」
「そういうものでしょうか? 」
一応は先代様の言葉に耳を傾けながらも、僕はまだ腑に落ちないでいる。
此方に残された時間は一年とあと少し。それと同じだけの時間、儀式道具を守らなければならない。これまで厳重な警戒、戦力を敷いてもそれは失敗に終わった。“アルゴール”という人間は、不安定な立ち位置に在る。全力で排除しようとすれば、彼もカードに組み込まれて生き延びる。隙を見せれば盗まれる。
盗ませた上で、彼が空白カードを与えられる前に始末する。そのために今回は泳がせてみよう。僕はそう考えた。
「それで、君は今度は何をしているんだいクラティラ? 」
「わぁ凄い! 触り方で私とクロート様区別できるんだ? 」
「そろそろそれ、止めてくれないかい? 」
「ううん、駄目。これはいけない。数術破られたら防御力が低すぎる」
「クラティラ……? 」
「ね、イグニス様! 今からデート行こっか! 」
「は!? 」
「任務前の前払いご褒美! 」
*
いや、ちょっと待ってくれ。クラティラに引きずられるまま変装させられ来てしまったが、これはどういう羞恥プレイだ。そ、そりゃ僕だってちょっと前まで“道化師”やってたよ。あの男を苦しめるために女物の服着てノリノリで女口調演じて見せたさ。普段の礼服だってスカートみたいな物だし屋敷じゃメイド服とか着せられてたから服装に関しては何も言わないよ。だけど!!
(クラティラ!! 僕は女物の下着は嫌だっ! )
(駄目よ♪ もし視覚&触覚数術破られたらどうするんですか? 男のはずの神子様に、その乳は危険だわ! 大丈夫! 小さめに見える下着を探してあげます! )
何の因果か。これが報いか? 悪いことはいっぱいした。してきたけど……部下と女物の下着を買いに来るような不幸がこれまであっただろうか?
(ギメルの身体は止まってる。成長しないはずなんだけど……)
本来コレは死体だ。死体を数術で無理矢理動かしている。勝者の願いで、死ぬ直前の身体……傷を治して死んだ直後の、魂が抜けた身体に復元された、が正しい。ギメルに被憑依数術の才能は無いため、生きた彼女の身体に僕は宿ることが出来ない。かと言って、剥製のままではボロが出るから仕方ない。人間らしい腐らぬ死体。どうせ生きては居ないのだ。本来は飲まず食わずで構わない。しかし人に怪しまれるからと、人間らしい振る舞いが出来る機能は残された。その代償で食べたり飲んだりした分は髪や爪が伸びるのと、何故か胸に栄養が行く。これは神様連中の嫌がらせだろうか? この身体は生と死どちらの力も借りているから、意気投合した嫌がらせに違いない。
《あの神子は、これで正体を隠すのが難しくなるだろう! これで本来の神子も好機を得られる。盤面は平等だ》
《折角女の身体に宿ったのですから、生の喜びを知るべきでしょう! 女と分かり易いよう、胸はあった方が良いですね! 》
とか数千とか数億年ぶりに意見が一致したんだろうな、どちくしょう。どこかに胸囲の数値を奪うような数術使いはいないだろうか。数術に不可能は無いんだ。きっと何処かにいるはず! あの爺を人生のリストラをさせてそういう能力者をスカウトしたい。割と本気でそう思う。
(そりゃ、僕が“ギメル”を演じることがあるなら……ないよりはあった方がいいけどさ)
ギメルの死を、まだアルドールに教えることは出来ない。身長を靴で誤魔化すにしても、あまりが意見が変わらないのはおかしい。ギメルが死んだと思わせないためには、外見の分かり易い変化は必要。髪の長さとか胸囲が成長していれば、あの馬鹿はコロッと騙されてくれる。しかし怪しまれたら視覚数術は破られるもの。あまり大掛かりなことは出来ない。
(こんな風にシャトランジア出歩いて、もしもあの馬鹿に見つかりでもしたら大事だ)
外出のための変装は念を入れては来たけれど、今度はそれを別の者に怪しまれる結果になった。
「……なんで、君まで来ちゃうかな」
「み、……様は、この女と一緒にそんなにデートしたかったんですか!? 」
涙目でこっちにすがりつく少女シスター。この子が僕の最後の切り札、ルキフェル。混血の髪色を隠さぬままに追ってきた彼女へと、視覚数術をかけカーネフェル人を装わせたが……追い付かれたのが街中だったら危ないところだった。平等を説くシャトランジアでも、混血への差別意識はまだ根強く残る。
「この方の普段着や下着は私がいつも買っているんです! クラティラみたいな最近入った女に任せられません! 」
「ルキはこれどう思う? “お嬢様”はこういうの、似合うと思うなぁ」
「き、気安く呼ばないでよ! って何コレ!! こっちは紐だし、こっちは何よ!? 隠すところ殆ど無いじゃない!! あ、穴!? 何コレ信じられない!! こ、こんな破廉恥な物この方に着せるつもりなの!? 変態っ!! 上の下着選びで何で下の下着ばかり持ってくるのよ!? 」
制約により、僕は相手に知られるまでは僕の正体を言葉や文字で語れない。例外は“不慮の事故”。それから“過去読み”と“先読み”だ。
真実を知った者の口から別の者に伝えられることには制約が無い。早期に先代神子との接触を図りたいのはそのためだ。僕の運命の輪に、僕が秘密を抱えたままではサビが出来、車輪が上手く回らなくなる。先代の口から僕についてを、僕の仲間に伝えて貰う。そのためにも、奴より早く先代を籠絡する必要がある。
(それについては上手く行った)
神子は代々男と決まっている。女の体で神子にはなれない。それを大々的に暴露されては、この地位を道化師に明け渡す隙に繋がる。僕の体は最高機密。それを守るためにはそれを知った上で支えてくれる仲間が必要。
(だが、零の神がまた何か企むとも知れない。油断は出来ない)
女性の部下に、僕の身体のことを知っていて貰うのは助かるのだけれど……時折こうして玩具にされるのだけ、どうにかならないものか?
店の外のベンチに座り、時が過ぎるのを待つを選んだ僕の隣に、遅れて部下が一人やって来る。
「服選びは良いの? 」
「ルキフェルに追い出されちゃった♪ 」
懲りない笑みで答えるクラティラ。彼女は変態爺には劣るが、上位のナンバー。数術使いとしての力は優れている。僕の複雑な感情数を見て取って、彼女の笑みには悦びの色が浮かんだ。
「そんなに僕を見て、楽しい? 予言してあげるけど、君の最後の恋の相手は僕ではないよ」
「それでも私が貴方という人間に興味を持っているのは事実です」
「数術サンプルとして? 」
「“世にも歪な乙女”として」
「怒っていいかな? 」
「ふふふ、駄目」
機嫌を損ねたお詫びにと、彼女は彼女なりの数術見解を僕へと告げる。そういう話は嫌いではない。
「知ってますか神子様。感情数は脳や心から生じる物と考える学者も多い。ですが私から言わせればそれは大きな誤りです」
「心の在処? それは肉体に宿るか、精神に宿るか? そういう話? 」
「感情数は一つではありません。それを組み合わせて最も適した言葉や数値で表現しているだけ。こうしてよぉく見つめれば……貴方からも二つの心が数値が見えてきますよ」
「……へぇ、例えばどんな? 」
「そうですね……例えば」
「っ!? 」
売り言葉に買い言葉。数術学に浸る者として張り合ったのが誤りだ。
「女の私に近付かれたら、貴方の精神は高揚する。だけど貴方の身体はそうじゃ無い。それはいけないことだと思って、拒絶の色を示すのですわ。だからそれを組み合わせ、貴方の感情数は戸惑いとなる」
突然のキスをしてきた彼女を振り払い、椅子から飛び退く僕を見て、彼女は楽しそうに悲しそうに笑うのだった。
「クラティラ……ぼくは、一応……聖職者、なんだ。あと、こういうの……ルキフェルが、見たら……困る、だから」
泣くな。取り乱すな、こんなコトで。もっと余裕で踏ん反り返れ。そう思うのに、それが出来ない。泣いてる? 僕が……? どうして? “彼女”に見られたわけでもないのに。これが、“彼女”の身体だから? 泣いているのは、僕ではなくて……ギメルなのか?
(ギメル……君は)
まだ好きなのか、あいつが。そんなに好きだったのか、あいつが。こんなことくらいで君の身体は心は悲しむのかい?
(アルドール……)
あいつはきっと、君のことを忘れていくよ。彼は人を好きになれる、愛せる才能がある。多くの人に惹かれていくんだ。そうして自分の世界を広げる奴だよ。その時あいつは、きっと君を選べない。僕が君を願えなかったように、あいつも。
(それでも、君は……きみの、こころは)
君はもう居ない。それでもこの肉体は、微かに残った君の心は痛み悲しむのか。そう思うと僕はとても辛く……だけど少しだけ、嬉しく思う。君はもう居ない。それでも君を近くに感じるようで、僕は嬉しい。クラティラでも、複雑すぎる僕の心を理解は出来ないだろう。この“戸惑い”は、全て僕から生まれるものだと決めつけている。その上で、僕の狼狽える様を彼女は面白がっているのだ。
「イグニス様。貴方は完成されたようで不安定。とっても素敵」
もしも男に迫られたらどうなるのかしら? そんな皮肉を彼女は呟く。僕の精神はそれはいけないことだと言うけれど、“彼女”の身体はどうだろう。それが好きな相手だったら、この“檻”は僕をどんな風に苦しめる?
「ちがう……僕は、僕なんだ」
見誤らない。間違えない。贈られたものだけ、受け取ったものだけを僕は返す。それが誠意だ。嘘ばかり続けなければいけない僕に出来る、せめてもの。あいつや、君たちに……僕が出来る唯一のこと。僕は嘘を吐く。多くを騙す。だけど僕はもう、“道化師”じゃない。あいつとは違う!
「貴方自身の心と、体から芽生える心と、どちらが本心かご自分の意思か解らなくなってきたのではなくて? 男らしさの中に芽生えた女々しさに、クラティラはクラクラです」
「……っ、僕にちょっかいを出すなら、僕が元の体に戻ってからにしてくれ」
そんな日は、たぶん来ないだろうけど。そんな心も読まれたのかな。彼女は悪戯を企む子供みたいに無邪気な悪意を湛えて言った。
「嫌です。そしたら貴方は、そこまで嫌がってくれないでしょう? 」
嬉しそうに笑う彼女に一瞬ある女性を重ね見て、死んでいる僕の鼓動が声を荒げる。
「クラティラ……君は」
君は誰だ? 僕はどんな風に彼女を助けた? 彼女を僕の部下にした? 過去の記憶の中の彼女は、こんな風に僕を笑ったか?
(きみは、誰だ……? )
僕の心を見透かして、妖しげな美女はふわりと笑う。
「クラティラ=カイゼリンは、貴方の車輪ですわ? これまでも、これからも」
運命が、僕の知らないところで変わってしまった? 神々がまた僕の有利を切り崩す何かを仕込んで来たと見る?
(なんてことだ……)
何より信頼できる、唯一秘密を明かせる相手。運命の輪……僕の手足の中にまで、神の悪意は浸食したのか? どうする……別の者を任務に当たらせるか?
(いや……)
泳がせる、確かめる。そのために、彼女をやはりセネトレアに送り込もう。
「“№3女帝”」
「はい」
「任務だ。僕と共に、セネトレアに向かえ。そして……ラディウスと合流後、任務の遂行に当たれ、いいな? 」
答える言葉は当然、それに従うものだった。
(何を企む……クラティラ)
僕だって、君の心は朧気ながらでもつかみ取れるよ。その上で僕を不審がらせて、何を楽しむ。今度の君は、何を求める?
イグニスと、ラディウスの微妙な関係。ギメルの秘密をさっさと暴露してしまった以上、しばらくは空白の予備カードを巡る二人の死神カード。ゲーム開始以前のカードを巡るお話になりそうです。