第ニ十話 カナン集落の警鐘
夕闇が迫る頃、第五小隊はカナン集落の入り口付近、防壁に隣接した広場を借りて野営の準備に取り掛かった。
「ほら、そこ! 杭が曲がってるわよ! ちゃんと腰を入れて打ち込みなさいな!」
広場にミラの鋭い声が飛ぶ。
彼女は手際よく荷解きを指示しながら、少しでも動きの鈍い隊員がいれば容赦なく指摘していく。
ルルもまた、黙々と、しかし正確な手つきでテントの水平を確認し、不備があれば無言のまま指を差して修正を促していた。
その喧騒から少し離れた風下で、ニコは一人、大鍋の前に陣取っていた。彼女の小さな背中には、鍋の前を一歩も譲らないという奇妙な威圧感がある。
「……よう、ニコ。今日の飯はなんだ?」
設営の合間、空腹に耐えかねたライアンが、大鍋の蓋を少しだけ持ち上げようと忍び寄る。
しかし、ニコは振り返りもせず、まな板の上にあった分厚い根菜のヘタを掴むなり、背後へ向かって正確無比に投げ飛ばした。
「ぶふぉっ!?」
それはライアンが何かを言いかけた口の中に吸い込まれるように収まり、そのまま彼の言葉を物理的に封じ込めた。
「まだ煮込みの最中!!腹が減ってるなら、それでも食べてなさい!」
「もがっ……ごほっ! ぺっ、何すんだよ……」
「当たり前よ!デニス! 火が強すぎるって言ってるでしょ! 灰を被せなさい。じっくり火を通さないと肉が硬くなるじゃない!」
料理に集中するニコが鋭く声を張り上げ、デニスが半泣きで薪を掻き出す。
「普段と性格が違いすぎる…」
周囲では、ミラたちの怒声とガストンたちの打ち込む杭の音が混ざり合い、慌ただしい喧騒が広がっていた。
その頃、ベリルはマルクとヴァルターを伴い、集落の最奥にある村長の屋敷を訪れていた。
屋敷へ入ると、村長は三人の姿を認め、ゆっくりと椅子から立ち上がった。ベリルがまず一歩前へ出て、隣の青年を紹介する。
「村長、紹介しよう。今回の任務に同行している、ヴァルター・グレイスタイン様だ」
その名を聞いた瞬間、村長の背筋がわずかに伸び、顔つきが公的な緊張感に包まれた。彼は丁寧な所作で深く一礼し、ヴァルターに向けて言葉を紡ぐ。
「……これは、グレイスタイン家の若君であらせられましたか。このような辺境の地まで足を運んでいただけるとは。カナン集落を代表し、心より歓迎申し上げます」
村長の声には、領主の一族に対する確かな敬意が込められていた。ヴァルターはそれを当然の権利として受け止めつつも、短く遮るように応える。
「よい。今は小隊の一隊員にすぎない。丁寧な挨拶は結構だ」
ヴァルターの無駄を嫌う態度に、村長はわずかに目を丸くしたが、すぐさまベリルへと視線を戻した。マルクが机の上に調査済みの地図を広げると、村長はその内容を慎重に覗き込む。
「沢が、枯れていると……?」
報告を受けた初老の村長が、信じられないといった様子で声を震わせる。ベリルは隣に立つマルクに軽く顎で促した。
「ああ。詳細は、実際に上流を検分したマルクから」
促されたマルクは、淡々と地図の特定の箇所を指し示した。
「上流で大規模な地滑りが発生し、水脈が完全に断たれています。このままでは、来年の種まきの頃には溜池が干上がってしまうかもしれない。今のうちに北側の古い井戸を掘り返すか、西の支流から水を引き込む準備をすべきだ」
村長が絶句する中、ベリルが重みのある口調で言葉を継ぐ。
「今日、我々は森の浅いところに潜んでいたシルバーウルフと遭遇した。本来あんな場所にいるはずのない魔獣だ」
「な……あのあたりにシルバーウルフが?」
「奴らも水を求めて必死なんだ。水場を失えば獣たちの縄張りも変わる。近いうちに、この村の水を狙って集団で降りてくる可能性が高い」
「縄張りが……変わるというのか」
「ああ。道中、俺たちの方でもできる限り討伐しておくが、村長も気をつけておいてくれ。しばらくは見張りを増やして、特に溜池の周りは目を光らせておいてほしい」
二人の言葉を、ヴァルターは傍らで黙って聞いていた。自分たちが道中で行っていた地味な調査が、この村を救うための手がかりとなっている事実を、彼は突きつけられていた。
村長の屋敷を後にする頃には、広場にはニコの作る煮込み料理の香りが漂い始めていた。明日からの過酷な状況を予感させながらも、小隊の一夜が静かに更けていく。




