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2-1. 消えた桐箱

 

『まだ寝てるのか、呑気なもんだ』

 頭のすぐ上で、バカにするような小さな声がした。聞き覚えがあるような無いような、喉の奥で震えるようなしわがれ声だ。

 まどろみから意識がゆっくりと浮上していくとともに、何の声なのか見当がついて、軽くうんざりする。シッシッと頭の上を払うように手を動かせば、何かに手が触れてフッと感触が霧散するように消えた。しわがれた声が、俺を非難しながら遠ざかっていく。

 ゆっくり目を開けると、室内にはカーテンの隙間から朝の光が差し込んでいた。白っぽい光は、曇りがちな空の色を反映している。春休みだといっても、まだ東北地方の気温は低い。肌寒い空気が布団の隙間から入り込み、首に冷たさを感じた。

 寝ぼけ眼を擦りながら、小さく溜息をつく。部屋を見渡して目に入るのは、床の隅や机の上をうろうろしている異形たちだった。顔がないトカゲのような二足歩行の生き物、靄のように灰色のティッシュを丸めたような影、着物姿で頭は目玉の異様にでかい鳥……手のひらサイズじゃなかったら、さすがに悲鳴をあげたくなるような様相だ。

 部屋の隅で恨みがましい視線を向けてくる着物姿の鳥は、おそらくさっき俺に手で追い払われたやつだ。ブツブツ何か言っているが、ここは俺の部屋、いつまで寝ていても文句を言われる筋合いはない。

「ふう……」

 小さな溜息が出る。

 奴らはケラケラと笑うように動き回っては、ふっと消えたりする。所謂妖怪や怪異と呼べるものなんだろうけど、害のない小さなものはいちいち気にしても仕方がない。無限に湧いてくるそれを、静かに受け入れて、なるべく見ないふりをしながら、適当にあしらうしかないのだ。

 見慣れた光景。仕方ないことだと頭では分かっていても、毎朝溜息が出ることが多い。


 朝の支度を終え台所に降りると、味噌汁の香りが鼻をくすぐった。

「おはよう母さん」

(ゆい)、おはよう」

 茶の間のテーブルへ移動すると、いつもなら座って新聞を読む祖母の姿は見えなかった。

「あれ、おばあちゃんは?」

「もう出かけたよ」

 ずいぶん早いな、と思って時計を見ると針は既に九時を過ぎていた。

 母の「休みだからっていつまでも寝てないの。片付かないでしょ」という呆れた口調を聞きながら、食卓の上にいた異形を手で払う。文句のような鳴き声を無視して、席に着いた。

「どうかした?」

「何でもない。いただきます」

 母は当然ながら、俺の悩みの種は見えていない。子供の頃からこうだから、今はなぜとも思わないけど。

 箸を取り、用意されていた朝食を口に運ぶ。温かい味噌汁と白米、焼き魚、卵焼き、ほうれん草のおひたし、昨日の残りの肉じゃが(肉なし)。しらす入りの卵焼き、久しぶりに食べた気がする。このしらすの塩味が美味い。

「食べ終わったら、お父さんとおじいさんにお線香あげてね」

 母に言われ、味噌汁をすすりながら黙ってうなずいた。

 母がテーブルにつくと、ちょうどテレビでは天気予報が流れ始めた。ここ数日は時々晴れ間がのぞくけれど、曇天が続く見込みらしい。

「今日も寒いみたいだね」

 つぶやいた母が、ふと顔をこちらに向けた。

「惟、春休みの宿題は順調?」

「うん、ちゃんとやってるよ」

「あらそう」と安心した様子の母は茶こぼしに急須の茶葉を捨てながら、

「お勉強見てもらってるんでしょ? シロさんは昔から頭の良い人だったからね」

 遠い過去を思い出すように、母は柔らかく口元を綻ばせた。

 学校の勉強に関して、俺に教えてくれるのは主にシロさんじゃないけど。シロさんが俺を連れ回すのは――いや、余計なことは言わずに黙っておいた。



 朝食後、春休みの宿題を持って向かったのはバイト先の異浦なんでも相談所だった。

「おはようございます」

 おはようと言うには微妙な時間だけど。

 一見カフェや小さなレストランに見える建物の、深緑色の扉を開けるとベルがチリンと鳴る。いつものように顔をのぞかせると、入ってきた俺へと向けられた視線の中に一人、見知らぬ男性の姿があった。

 調査員の白椛祐介(しらかばゆうすけ)――シロさんと向かい合うように、テーブルを挟んでその男性が座っている。

 おそらく相談か依頼に来た人だ。挨拶したほうが良いか、扉近くのテーブルにいた事務員の梨奈(りな)さんとシロさんへ順に視線を泳がせると、シロさんに手招きされた。

「ちょうどいい、君もこっちへ」

 呼ばれるままに、男性へ軽く会釈してシロさんの隣の椅子に腰かけた。

「彼は藤見(ふじみ)と言います。僕の助手なんです」

 男性へ向けて、シロさんは俺を紹介した。

 助手じゃなくて、ただのバイトだけど。そう思ったが、客人の前で口を挟むとややこしいので、「よろしくお願いします」と挨拶するだけにしておいた。

 コートを脱いでいる間に、シロさんが俺も同席させるようお願いしていた。「構いません」とはっきりした口調で答えた男性は四十歳くらいだろうか。ネイビーのジャケットを羽織り、横に置かれたベージュのコートはきっちりと畳まれている。身だしなみはしっかりしていて、生真面目そうな印象だ。ただ、その表情には余裕がなく、何かを急かされているように眉間に深いシワが刻まれていた。痩せていて、表情のせいかやつれているようにも見えた。

「こちらはご依頼にいらした根本(ねもと)さんだ。ちょうど相談内容をお聞きするところだったんだ」

 シロさんは男性――根本さんを俺に簡単に紹介すると、「それで」と根本さんへ向き直った。

「ご相談内容をお伺いしましょう」

「……はい。先週、私の父が亡くなりました」

 シロさんの傍らで黙って聞いていると、俺の前にそっとコーヒーが置かれた。事務員の梨奈さんが小さく会釈して去っていく。湯気を立てているコーヒーは良い匂いだと思うけど、あんまり好きじゃない。普段も頼まないことを梨奈さんは知っているはずなのに、と思ったが、シロさんと根本さんの前にも同じカップのコーヒーが置かれていた。さっき助手と紹介されたし、バイトの高校生だと悟られないように合わせたのかもしれない。

「それは……ご愁傷様です」とシロさんが相槌を打った。

「ありがとうございます。父はここ数年病気がちで伏せっていたので、覚悟はしていました。葬儀は滞りなく終わり、遺品の整理をしようと父の部屋を片付け始めたのですが……無くなっている物があることに気づいたんです」

「無くなっている物?」

「ええ、父が書斎机の引き出しにしまっていた桐箱です。これくらいの大きさで、父はそれを本当に大事にしていました」

 根本さんは言いながら、両手を使ってその桐箱の大きさを教えてくれた。子犬一匹が収まる程度の空間が、彼の両手の間にあった。子供の靴箱とか小さめの救急箱とか、そのくらいのサイズのようだ。

「箱の中に何が入っていたかは知らないんです。ただ、父は本当に大事にしていて、生前に失くしたり、誰かにあげたりすることは考えられない。……父はその箱を『これは父さんの宝物で、守り神なんだ』と言っていました」

「守り神、ですか」

 隣でシロさんがほんの少し前のめりになったのが分かった。

「はい、父はよく私に『これは父さんの宝物なんだ』『これがあるから、父さんはここまで来れたんだ』というようなことを言っていました。箱そのものではなく、中に保管している物ですね。その中身を見せてくれることはありませんでしたが……見せてと言っても、『いつか見せる』などと誤魔化して、結局見せてくれることはありませんでした。子供の頃にこっそり見ようとしたこともありましたが、書斎の机は引き出しに鍵がかけられるようになっていて、勝手に開けることは出来なかったんです」

「なるほど」

「火葬が終わってから、お世話になっている弁護士の先生が来たんです。体調を崩していて、通夜と葬儀の日は来られなかったそうで。持ってきた父の遺言書には、桐箱を棺桶に一緒に入れてほしいと書いてありました。あの世に持っていきたい、と。ですが、それを知ったときには火葬は既に終わっていて……」

 根本さんは何かを思い返すように、額に手を当てた。

「書斎の引き出しの鍵は、父のよく着ていたカーディガンのポケットから見つかりました」

「その鍵が見つかって、引き出しの中を確認したら無かったというわけですね?」

「あ、いえ、鍵は葬儀の前に見つけていたんです。ただ葬儀の準備でバタバタしていて、すぐ開けて確認することは出来なくて……。あとで確認しようとは思っていたのですが」

 根本さんはその鍵を玄関に置いている小物入れの中に入れていたらしい。普段は家族が鍵を置いている小物入れで、親族以外はそこに鍵があることは知らないそうだ。

「弁護士から話を聞いてすぐ確認したときには、もう引き出しの中にはありませんでした」

 根本さんはそう言って、テーブルの上で握りしめた拳をゆっくりと開いた。指先は微かに震えている。

「葬儀の間は人の出入りが多いので、もしかしたら誰かが持っていったのかもしれない。そう思いましたが、ポケットに入るような小さい物ならまだしも、桐箱はそこまで小さな物ではありません。勝手に持っていく人物がいたら、私や家族の誰かが気づいたはず……」

「お父上の大切な物が無くなったことは、よく分かりました。……警察には相談されたんですか?」

「いえ……おそらく身内なんです、持って行ったのは。父が大事にしていたことは親族以外知らないし、父の書斎は家の奥の方にあるので、家族以外が入っていれば誰かが気づいたと思うんです。今ちょうど親族だけが家に残っているので『父の桐箱を知らないか』と聞いたんですが、皆知らないと言う。でもきっと、家族の誰かが持って行った。だから、警察沙汰にはしたくないんです」

 根本さんは、テーブルの上で拳をぎゅっと握りしめると、額に汗を浮かべ、シロさんを見つめた。

「父の桐箱を、見つけてほしいんです」


 ・


 国道三四七号の鍋越峠を走る白いSUVは、山形県尾実村(おみむら)へ向かっていた。

 冬、鍋越峠は通行止めになることが多いそうだが、もう三月が終わろうとしている現在、日中の通行は可能となっている。

 助手席からは、道路と山しか見えない。特に今の時期は木々が青々と茂っているわけでもない。正直退屈な風景だった。

「夜間通行止めか、早めに出て良かったな」

 電光掲示板を見て、シロさんが運転しながら話しかけてきた。これから楽しいことでも起きるような期待を含む明るい口調だったけど、対照的に俺の口からは溜息が漏れた。

「何で俺まで……」

「君以外出払っていたんだ。どうせ暇だろ、早く終わったら温泉に寄ろうじゃないか」

「もしかして、それが目当てで泊まりにしたんですか?」

 根本さんの依頼を聞き終えると、シロさんは今日中に探し始めると約束をした。つまり自宅へ行くということだ。軽く引き受けていたから、まさか目的地が県外だとは思わず、シロさんに「ちょっとついて来てくれ」と言われてつい了承してしまった。

 昼食後、家まで送ってくれて、着替え諸々の準備をして、現在に至る。

「君の母親だって快く送り出してくれたじゃないか。あ、帰りは土産を買っていこうな。たしか甘い物好きだっただろ」

「はぁ……」

 早く終わったら温泉なんて簡単に言うけれど、探し物がすぐ見つかる保証もない。調査中は根本さんの家に泊まることになったが、初対面の人の家、まして葬儀が終わったばかり。そこへ飛び込むのが楽しそうだなんて、到底思えなかった。

 しかしいつまでも不貞腐れていても仕方がない。気分を変えたくて、話を依頼内容へ戻した。

「根本さんはああ言ってましたけど、家族は『知らない』って言ってたんですよね。家族や親族が何人いるのかもよく分からないですけど……やっぱり葬式に来ていた誰か、知り合いとかに盗まれちゃったんじゃないんですか?」

 葬式で何かを盗んでいく人間がいるなんて考えたくないけど、桐箱って高級な物が入っているイメージがあるし。

「君、桐の箱があったら盗むのか」

「いや盗まないですけど!」

 ふざけて聞いているのは分かっているけど、つい言い返してしまった。

 シロさんを横目に、幼い頃、父が亡くなったときのことを思い出す。葬儀中は人の出入りがやたら多かった。根本さんは親族以外なら気づくはずと言っていたけど、来訪者は皆同じような黒い服を着ているし、不特定多数が家の中をウロウロしていたら、言うほど一人一人が何をしているかなんて見ていられないと思う。……俺の場合、当時は今以上に生きている人間とそうでないものの区別がついていなかったから、余計多かったように思ってしまうのかもしれないけど。

「なぜ警察に言わず、うちに相談に来たんだと思う?」

「え? ……だって、根本さんが警察沙汰にはしたくないって言ってたじゃないですか」

 俺の返答に、シロさんはうっすらと口角を上げた。

「大事な物が無くなった、親族は知らないと言っている。俺も君と同じ意見で、聞いた話だけだと家族以外が持っていった可能性は捨てきれないと思う。鍵は玄関の小物入れの中に入れていたと言っていたが、そういう家は多いだろう。玄関なんて特に、誰でも手を伸ばせる場所だ。……だが根本さんは身内が犯人だと断定している口ぶりだったな。なぜだと思う?」

「なぜって……」

 そう言われてみると、なぜ根本さんは親族の中にいると断言していたんだろう。シロさんの言う通り、葬儀中ずっと玄関に張り付いていたわけでもあるまいし、家族以外が盗んだ可能性だって考慮してもいいはずなのに。

 車はトンネルへ入った。このあたりが県境らしく、宮城県から山形県へ入っていく。

「大事にしていた守り神……あまり外部に漏らしたくないものなのかもしれないな。うちへ依頼に来た理由を、『知人に相談所のことを聞いたことがあって』と言っていただろう。うちが何でも相談所と言いつつ、オカルト染みた依頼が多いことをおそらく知っているな」

 根本さん自身から、嫌な気配はしなかったと思う。ただ少し焦っているような、切羽詰まっている様子は感じられた。失くしたものを早く見つけたいからだと思っていたけど……桐箱の中身は、何か曰くつきの物なんだろうか。

「……根本さんは、本当は中身を知っているってことですか?」

「それは分からないなぁ。あの様子じゃ知らないとは思うが……自分が貰い受ける気ではいるようだな。覚えてるか? 亡くなったお父上は、自分と一緒に棺桶に入れてほしいと遺言を残しているんだ。息子にあげるとは言っていない。まぁ火葬が終わってしまった以上、貰っても問題ないとは思うが」

『なんでも相談所』なんて胡散臭いところへ、わざわざ片道二時間かけて依頼しに来るくらいには早く手に入れたい物なんだろう。シロさんはそう言いながら、薄く笑った。

 父が大事にしていた物がなくなった状況というのは、俺にはあまり実感は湧かないけど、もし母が大事にしていた物が無くなったら、やっぱり早めに見つけてあげたいと思うはずだ。片道二時間かけて相談しに行くより、まず警察へ相談するかもしれないけど。遺品整理や掃除のプロとか。

「早めに見つけて、墓前に供えてあげるつもりなのかもしれないですよ」

「……君は優しいな」

 俺を揶揄するような言い方ではなかった。シロさんは一瞬こちらへ向けた視線を、「君の言う通りかもしれない」と言いながら前へ戻した。

「遺言通りにしてあげられなかった負い目が、彼を焦らせているのかもしれないな。少なくとも、遺品の整理をしている間に出て来るかも、なんて楽観視はしていないようだった。あらかた部屋の中は自分で探したんだろう」

 トンネルを抜けると、車は急なカーブを曲がった。車線幅がやや狭い気がするし、路面の凹凸も多いようでちょっとだけ乗り心地が悪くなった。

「親族はたしか、弟や従兄家族が弔問客の対応や片付けのために滞在していると言っていたが。さてどうやって探すか……荷物を勝手に漁るわけにはいかないしなぁ」

 困ったような口ぶりだけど、表情が好奇心を隠しきれてない。シロさんはこういうことに首を突っ込むのが好きだよなぁ……。

 窓の向こうには、ちらほらと家屋が見え始めた。着実に目的地に近づいている。


 亡くなった父親、

 葬儀に集まる親族、

 消えた桐箱の行方。


 ……やっぱり、同行は断れば良かったかもしれない。


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