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IURA-異浦なんでも相談所  作者: 相川 ヒゲ
4. 川面に揺れる名前
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4-1. 川面に揺れる名前

 新学期が始まり、早くも一週間が過ぎた。

 四月も三週目に入ると、風が柔らかさを含むようになり、朝や夜は少し冷えるけれど、日中は穏やかな暖かさが広がっていた。

 教室の窓から、外を眺める。多くの学校が桜に染まる中、この高校の校庭に咲くのは白い梅の花だ。風が枝を揺らして、白い花びらをゆらゆらと散らしている。

 まるで雪が降っているみたいだ。

 並んだ木の周りだけ、まだ冬の名残を引きずっているように見えた。


 休み時間になると、授業中の静けさが嘘のように色んな声が飛び交う。女子たちの甲高い笑い声と、男子たちのやたら大きな声が混ざり合って、日常を作り出していた。

 新学期から数日は余所余所しい緊張感や探るような空気が流れていた気もする。でも今はもう、いくつかのグループに分かれ始めていた。

 学校という箱の中には何百という人間がいて、誰かと浅く深く関わりながら日々生活している。

 生きるエネルギーに満ち溢れる場所なのに、だからこそ、明るい感情の他に焦燥や嫉妬、暗く淀んだ感情も生まれていく。

 そのせいか、人間以外もうろうろしていることがある。

 隅から隅まで目を凝らすと、余計なものが見えてしまう。ふらふらと動き回っていることもあれば、ただ一点に立ち尽くしていたり、誰かの体にひっついていたり、誰かが変な空気を纏っていたりする。

 俺は小さくため息をついた。

 おかげさまで、学校生活でちゃんと名前を覚えた人はほとんどいない。親しい友人もいない。でも煩わしさを考えると、それで気楽だった。

 そんな学校生活を送る上で、窓際の後ろの席はいいポジションだった。担任がくじで席を決めるタイプで良かった。出席番号順だと、『藤見(ふじみ)』はだいたい廊下側だから。

 教室の大きな窓は、時々変なものが外から覗き込んでくることもあるけど、天気の良い日はそういったことはほとんど起きない。今日は校庭も静かだ。さっきの授業で返された春休みの宿題――読書感想文の評価がすこぶる悪かったことも、気にならないような穏やかな空気だった。


 机に頬杖をつきながら外を眺めていると、斜め後ろのグループから、退屈しのぎの噂話が流れてきた。

「ねぇ、うちの学校の七不思議って全部知ってる?」

「えー? なに、知らなーい」

「っていうかうちに七不思議なんかあったっけ?」

 女子の話を盗み聞きするつもりはなかったが、不穏なワードが聞こえてきた。

 学校の七不思議。二年に上がった今頃盛り上がる話題でもないと思うんだけど、と呆れが半分、ちょっと嫌だなと思う気持ちが半分。

 ……そういう話をしていると寄ってくる、というのはあながち嘘じゃないと思う。

 昼間からこの教室に吸い寄せられてくるとは思わないけど、あまり良い予感はしない。聞きたくないなと思っても、つい耳は傾けられてしまった。

「昨日部活の先輩に聞いたんだよね。なんか、先輩のお兄さんの代で本当に呪われた人いるらしいよ。学校に来なくなって、そのまま辞めちゃったって」

「ヤバっ! めっちゃコワいじゃん!」

「えぇー、ホントかなぁ」

「ホントらしいよ! そんで、そもそもうちって七不思議とかあったんだって思ってさ。何個かは聞いたことあるけど、全部は知らないなって」

「あー、入学したときちょっと聞いたかも? でも覚えてないなぁ。どんなのがあるのー?」

 女子たちの会話は、どんどん進んでいく。

「なんかー、一つ目は校庭の梅の木に自殺した生徒の霊が出るらしいよ」

「うわっ、うちに自殺した生徒とかいるんだ。ヤバっ……」

「梅の木ってどの? まさか全部じゃないよね」

「えー、どれだっけ」

「それ分かんなかったら意味ないじゃん!」

 本気で怖がっている様子もなく、笑い声が響く。

 ……その話は嘘、少なくとも今はいないよ。校庭の梅の木は全部で八本並んでいるけど、人間の幽霊の影は見たことがない。

「あとはー?」

「夜、音楽室のピアノが鳴るんだって。ありがちだけど、写真貼ってあるじゃん、ベートーベンとかモーツアルトの。その写真から抜け出して、ピアノ弾いてるって。警備員が見たことあるらしいし」

 それもいないよ。大体ベートーベンとモーツアルトの写真って、写真じゃなくて肖像画のコピーじゃん。

 音楽室で変な気配を感じたことはないし、そもそも外国の有名な音楽家の幽霊が、こんな田舎の高校にいるわけがない。

「あと何だっけ、内容ちょっと忘れたけど、とにかく青道館(せいどうかん)に幽霊が出るらしいよ」

「あ、それは私も聞いたことある。夜遅い時間まで練習してると、上の窓から人の顔が覗いてるって」

「えぇ、やだぁ。部活行くとき前通るんだけどー」

 青道館(せいどうかん)というのは、剣道部や空手部が使っている道場だ。体育館とは別で、校庭のグラウンドの脇に並ぶ梅の木の裏側、部室棟の奥に位置している。かなり古く、何度か改修工事をしている建物らしいということは聞いたことがあるけど、運動部じゃない俺は部室棟のほうへ行ったことはなかった。まして建物内に入ったこともない。

 そんな噂があることは知らなかったな……。

「あっ、ねぇあとあの写真は? 呪われた家族写真」

「あれは七不思議ではないでしょ。てか私あれ部活の後輩から送られてきたんだよね。ふつー先輩に送らなくない? マジ送り返そうかと思った」

「えーっ! そんな子いるんだ。テニス部でしょ、何て子?」

「――って、茶髪の子知らない? ◯◯中の子」

「あっその子知ってるー!」

 女子の会話は、いつの間にか別な話にスライドしていった。話題の移り変わりはいつも早い。母と祖母も、梨奈(りな)さんもそういうところがある。


 どうでもいい話題になり、女子たちの会話から興味が逸れたときだった。

「ねぇ、藤見(ふじみ)くん……だよね?」

 机の前に立ち、話しかけてくる女子がいた。

 さっきまで盗み聞きしていた女子のグループの誰かかと思ったが、変わらずおしゃべりを続けているのが聞こえるから違うようだ。

 目の前に立つ女子は、黒いストレートの髪が肩につくくらいで、制服のブレザーの前を開け、中に制服と同じ紺色のカーディガンを着ていた。カーディガンの裾から指先だけ出して、スマホをぷらぷらと揺らしながら持っている。

 同じクラスの子だったと思うけど、名前は覚えていない。

 勝気そうな大きな吊り目をこちらに向けて、口元には緩く笑みを浮かべていた。

「今ちょっといい? あのさ、連絡先交換しない?」

「えっ……」

 誰かに連絡先を教えてと言われたのは、クラスの連絡に使うからと学級委員に言われたとき以来だ。

 思いもよらない申し出に、驚くと同時に感じるのは、嬉しさではなく少しの不信感だった。

 つい「何で?」と、口にすると、一瞬女子の眉間に皺が寄る。

「なんでって、……別に良くない? 同じクラスなんだからさ、連絡先交換しようよ」

 スマホをいじりながら、彼女は俺から目をそらした。ちょっとだけイラついたように、「もうすぐ休み時間終わるから、早く」と付け加えた。

 ふと気づいたけど、彼女の後ろ、少し離れた席から俺たちの様子を窺うように見ている女子がいる。彼女の友達だろうか。

 普段同年代との付き合いがない俺でも、彼女の申し出が友好的な気持ちからくるものではないことくらい分かる。

 ……でも、断る理由も思いつかなかった。クラスメイトだから、と言われて、嫌だとは言いにくい。

 渋々スラックスのポケットから二つ折りの携帯電話を取り出すと、それを見た彼女は「はぁ!?」と素っ頓狂な声を上げた。

「えっ嘘ぉ、スマホじゃないの!?」

「はぁ…?」

「マジ、じゃあ送れないじゃん……やっぱいい!」

 ムッと口をとがらせると、背を向けられた。

 呆気にとられたまま後ろ姿を目で追うと、さっきこちらを見ていた友達の席へ行ったようだった。

 彼女の声が大きかったせいか、いつの間にかクラスメイトの大半がこちらを見ていることに気づく。「何、どうしたの?」とひそひそと声を潜めている。……いや、潜めてないな、俺に思いっきり聞こえてるし。

 四方八方から不躾な視線を向けられて、居心地が悪い。けれど、俺に何があったのか直接聞いてくる人はいなかった。



 次の授業が始まっても、脳内はさっきの出来事を繰り返していた。

 ……何だったんだ、一体。

 最初から友好的な雰囲気は感じられなかった。何が目的なんだと思ったけど、携帯だと何かがダメだったのか? 連絡先って、電話番号とかメールアドレスだよな、シロさんや梨奈さんとは電話かショートメールだし。

 何がしたかったのか分からないまま、もやもやとした気持ち悪さが募る。

 彼女の態度から、良い感情を向けられている気はしない。だから本人に直接聞くのは……面倒くさい。

「はい、じゃあ次の行から。えーっと今日は、十七日だから……」

 教師の声に、意識が授業に戻る。

「十七足す十七で、三十四! 出席番号三十四番は……ミキさん。次の行から読んで」

「はい」

 名前を呼ばれたミキさんは、短い返事をして、立ち上がる。教科書を読み始めたのは、さっき俺に声をかけてきた彼女だった。

 ミキ、はたぶん苗字だろう。……たぶん中学も違うはずだし、一年のクラスが一緒……ではなかった気がする。いや、クラスメイトの顔と名前をちゃんと覚えていない俺の記憶力は、全く当てにならない。

 結局何だったのか、分からないままに終わるんだろうな……。

 ……穏やかな一日になりそうだったのに。

 はぁ、と周りに聞こえないように、本日二度目の小さなため息を漏らした。


 ・


 放課後のチャイムが鳴ると同時に、教室の空気は慌ただしくなる。帰り支度をして、行く先はそれぞれ部活、遊び、帰宅……大半が教室を出て行った後、俺も重い腰を上げた。

 吹奏楽部の練習音がどこからともなく聞こえてくる。校舎を出るまでに何度かジャージ姿の生徒とすれ違った。体育館の渡り廊下の方へ、だるそうに重たい足を動かす生徒もいれば、昇降口へ向かって颯爽と走り去っていく生徒もいた。

 ……今まで、部活をやってみたいと思ったことはなかった。

 かといって、嫌悪感や劣等感を覚えたこともない。けど、少し気後れはしているのかもしれない。

 何かが扉から覗いているとか、何かが後ろをついてくるとか、そういうことに気づかない人生だったら、俺も部活をやってたのかな。放課後は、どこかの誰かと遊んでいる日もあったのかもしれない。

 時々、ごくまれに、そう考える。


 普段は校舎の昇降口側にある正門から帰るが、今日は目的地に近い校庭側の正門から出ることにした。

 グラウンドの隣、正門までのコンクリートの道の横に、梅の木が並んでいる。もう半分くらいは散ったのかな。枝は寂しくなってきているけど、そのうち緑色の葉をつけ始めるんだろう。

 ふと、グラウンドから聞こえる陸上部の掛け声に交じって、反対側――梅の木の背後から、剣道部の甲高い掛け声が聞こえてきた。部室棟の奥には、剣道部と空手部が使っている道場、青道館がある。

 ――『青道館(せいどうかん)に幽霊が出るらしいよ』

 今日聞いたばかりの話を思い出す。

 ちょっとだけ覗いてみよう。いることが分かれば、今後不用意に近づかないよう気を付けることができるし。本当にいたとしても、遠くから見るだけなら大丈夫だろう。

 そう思ったのは、柄にもなく春の陽気にあてられたからかもしれない。

 部室棟のほうへ足を進めると、見渡す限り、外に人影はなかった。

 ゆっくり視線を向ければ、深い紺色の瓦屋根を戴いた古い建物がひっそりと佇んでいた。

 青道館からは、竹刀がぶつかる乾いた音やキュッと床を擦るような音が漏れ聞こえてくる。扉は閉まっているのに、大きな掛け声が外まで響いていた。

 体育館と比べると、二回りほど小さい。年月を経て黒ずんだ木造の壁が、どこか周囲を拒絶するような威圧感を放っている。

 建物のすぐ脇に、一本のケヤキの木が立っていた。青道館の屋根より背が高い。芽吹き始めたばかりの瑞々しい葉が日に透けている。

 下の方に視線を移していくと、その根元だけは、まるで日光を吸い込んでいるかのように影を落としていた。

 ――あっ。

 心の中で呟いたときには、もう遅かった。

 木の影に、誰かが立っている。

 遠目に見ても分かるくらい薄暗い気配。

 誰か、と感じたけれど、人の形が黒くぼやけているように、輪郭が揺れていた。

 ――()()()も、俺に気づいた気がする。

 目が合っているわけでもないのに、そんな気がする。首の後ろが静かに鳥肌立った。

 悪意や敵意を感じるほどの強い気配はないけど、こういうときは気づかないふりをして、関わらないのが一番だ。

 グラウンドのほうへ戻れば、運動部も多く、活気ある空気に満ちている。早くそっち側に戻ろう。

 視線を逸らし、来た道を戻ろうと一歩後ずさった。その時だった。

「だって仲良い子に送るわけにいかないじゃん? どうなってもいい奴に送らないと」

「だからってさぁ」

「でも携帯って写真送れないんでしょ。ありえないし」

「携帯って送れないんだっけ」

 部活棟の扉が開いて、数人の女子生徒が笑いながら出てきた。その中心にいたのは、俺にスマホを突き出してきた彼女だった。

 髪を結んだジャージ姿で、友達と顔を見合わせて楽しげに喉を鳴らしている。

 思わず、声が漏れた。

「あ、ミキさん」

 小さな、独り言のような声だった。けれど、こちらへ向かってきていた彼女たちの耳には届いたらしい。

 彼女たちの視線がふいに俺を捉え、ミキさんとは目が合った。

 彼女の口元が一瞬引きつり、口を閉じる。彼女たちは一様におしゃべりをやめ、手で髪をいじったりしながら、黙って俺の横を通り過ぎて行った。

 そのままグラウンドへ向かった彼女たちに一歩遅れて、俺もグラウンドのほうへ向かう。視界の端に見えていた黒い影はいなくなっていた気がするけど、定かではない。

 俺は足早に学校をあとにした。


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