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3-1. 蜘蛛の糸

 四月になった。

 暖かい陽射しが降り注ぐ晴れの日が続くようになり、いよいよ来週には新学期が始まる。けれど、今日はまだ寒い。外の空気は、薄い氷でもまぶしてあるかのように冷たかった。

 いつものように黒のダッフルコートを着て外へ出る。家を出てすぐは、マフラーを持たなかったことを後悔したが、自転車を漕いでいると体は少しだけ温まっていく。本当に、少しだけだけど。


 向かったのは石巖寺(せきがんじ)だった。自転車を駐車場に停めて境内に入ると、住職が若い坊主たちと一緒にいるのが見えた。

「こんにちは」

「おう、来たか」

 俺を見て手を上げた住職は、今年で七〇歳を迎えると聞いた。くっきりとした太い眉毛とぎょろりとした大きな瞳の周りには深い皺が刻まれているが、もう古希を迎えるお年寄りとは思えない貫禄がある。特別若く見えるわけじゃないけど、背筋をビッと伸ばして明瞭に言葉を発するせいだろうか。つるりとした坊主頭だから、頭に白髪が見当たらないせいもあるかもしれない。

 バイト先である『異浦(いうら)なんでも相談所』からの繋がりで住職と知り合い(寺の存在は元々知っていたけど)、たまに人手が必要な場合に呼び出されるようになった。家も近いから暇なときは小遣い稼ぎにちょうど良くて、可能な限り呼び出しに応じていたら、すっかり便利に使われるようになった。まぁ、労働対価をもらえているから別にいいんだけど。

 住職は仕事があるらしく、一緒にいた若い坊主――修行僧たちに色々言い付けて本堂のほうへ戻って行った。

 今日は境内の手入れ、庭掃除の手伝いをする予定だ。主に石灯籠や水鉢の汚れを落とし、落ち葉やゴミ拾いをする。掃き掃除は毎日しているそうだけど、石灯籠や水鉢の掃除は数ヶ月に一度のペースでやるらしい。

 除草剤と水で濡らしたブラシでコケを落とす作業は、冷たい空気の中では寒さが倍増する。ゴム手袋を貸してくれたが、じわじわ浸透してくる冷たさで指先がちぎれていきそうだ。「つめた…」と呟いて、肩をすくめた。

 一緒に作業する坊主たちは作務衣を着ていた。彼らの頭と薄着に見える作務衣姿により寒さを感じて、つい「寒くないんですか」と聞いてしまった。

「寒いよー」

「なんでこんな寒いんだろうな」

「はぁー、高圧洗浄機買えばいいのにな」

 ごしごしとコケを落としながら、若い坊主たちが愚痴っていた。名前――法名って言うんだっけ?――は知らないが、この人たちともすっかり顔見知りだ。比較的歳が近い人もいるおかげか、彼らの明るい性格のせいか、住職がいないところでは砕けた口調で話してくれる人も多い。

 黙々と、というよりは多少の雑談を交えながら作業していった。腕を動かしているからほんのりと体が温まってくる気がするが、手の先はかじかんでいるし、時折吹きすさぶ風は相変わらず冷たかった。

 一人の坊主が、「そういえば」と話を切り出した。

「惟くんって見える人なんだろ? こいつも見えるんだよ」

 そう言いながら、近くにいた坊主の肩を叩いた。叩かれたのは、おそらく俺とそんなに年齢が変わらない若い坊主だった。あまり見かけた記憶がないから、比較的新しく入ったのかもしれない。

 若い坊主は、「またその話ですか…」とちょっとうんざりした顔をしていた。その反応を気にせず、声をかけた坊主はニヤニヤと口元を緩めながら話を続けた。

「この間さ、法事があったんだよ。たしか三回忌だったかな。親族が四人、故人の息子家族が集まって。で、何事もなく法話が終わって、そのままここで会食をしていったんだけど。そのときに、こいつが血相変えて走ってきてさ。『あの家族、ちょっと変なんです!』とか言ってて」

 こいつ、と呼ばれた若い坊主以外、周りにいた坊主たちも「ああ、あの話な」と知った顔で笑みを零している。

「ずいぶん慌ててるから何かあったのかと思って、一緒に会食の様子を覗きに行ったんだよ。そっと様子を見てみたんだけど、特に変なところは見当たらない。六人座れるテーブルに四人で座って、静かに談笑しながら仕出し弁当を食べてた。あっ、ちなみに俺は全然見えないタイプな。それで、こいつに『何も変じゃないぞ』って言ったら、こいつ、めちゃくちゃ深刻な顔して、座っていた家族のテーブルの端っこのほうを指さして、『おばあさんの分のお弁当がありません!』って」

 ははは、と笑い出す周りに対して、「いいじゃないですか、その話は!」と当の本人は憤慨した様子だ。

「おばあさん、きっと一緒にご飯食べたかったんだろうな」

「三年経っても、まだ成仏できていないのか……そう考えると、良いのか悪いのか」

「つーか冷静に考えて、いくら不仲だったとしても法事で一人分だけ弁当頼まない嫌がらせとかしないだろ!」

「なぁ、おばあさん、穏やかに座ってたんだろ?」

「……はい。微笑んでました」

 若い坊主は散々いじられて不貞腐れていたけど、俺にはその気持ちがよく分かった。

 人間の幽霊は、時々生きているのか死んでいるのか分からないことがある。明らかに様子がおかしい場合や嫌な雰囲気を纏っている場合、影がなかったり、俺以外の周りが見えてないってことに気づけた場合は分かるけど。パッと見は普通の人間だと、死んでいることに気づけないのだ。まして、穏やかに並んで座っていただけなら、なおさら。

 つい「うんうん」と頷いてしまって、「あ、惟くんは気持ち分かる感じだ」と言われた。

「まぁ、そうですね。……お坊さんって、見える人ばかりじゃないんですね」

「そりゃあな。不思議な体験をすることは一般の人よりあるかもしれないけど、見えない人のほうが多いんじゃないか」

「そういうもんですか……」

 坊主たちはその後も、石灯籠の各部の名称を教えてくれたり、最近の法事で起きた面白い出来事やちょっと怖かった事件とか、掃除をしながら色々話をしてくれた。

 俺が高校生――歳下だから、気を遣ってくれているのかもしれない。でもこの時間がけっこう好きだった。

 ここでは見えることを否定されないし、むしろ当たり前に受け入れている人たちばかりだ。

 ……それに、ここには異形がいない。

 寺の清浄な空気のおかげなのか、住職の力が強いせいかは分からない。坊主たちは「見えない人のほうが多い」と言っていたけれど、住職ははっきりと見える人だ。以前、寺を訪れた人が背中にひっつけていたものを、手でバシバシと払っているのを見たことがある。害のない幽霊がいたり、供養のために曰くつきの物が持ち込まれることはあっても、嫌な雰囲気のものが勝手にのさばることはない。

 足を運ぶのがそれほど苦じゃないのは、この安心感のせいもあるのかもしれない。


 掃除用具の片付けのため砂利道を歩いていると、客殿の近くに池が見えた。それほど大きな池ではないが、夏頃に蓮の花を咲かせていたのを見たことがある。昨日今日は一段と冷え込んでいるせいか、池の表面にはうっすらと氷が張っていた。蓮の葉だけがいくつか氷の中に浮かんでいる。

 一緒に用具を運んでいた坊主が、まだ花が咲く時期ではないと教えてくれた。

「今は地下茎から伸び始めたばかりの、若葉が見られる状態なんだ。蓮が新しい生命の準備をしているところだよ」

 夏は綺麗に蓮の花を咲かせるが午後には閉じてしまうため、午前中のうちに観賞するのがおすすめ、だそうだ。

「毎年冬に入る前に池を掃除するんだ。良かったら、そのときも手伝ってくれよ」

 池掃除……薄氷に周りの景色が反射して底の見えない池を見ると、水底から何かにひっぱられそうなイメージが湧いてしまう。ここでそんなことは起きないだろうと思っても、なんとなく曖昧に頷くだけにしておいた。


 ちょうど昼も過ぎたくらいで、手伝いは終了となった。まだ庭にある全ての石灯籠や水鉢を掃除できたわけではないが、午後は応対予定が立て込んでいるらしい。

 腹が減ってきたから、ちょうどいい。手伝い賃を受け取ったら、何か買って帰ろうか。

(ゆい)! 君も来ていたのか」

 住職を探しに本堂へ向かっていると、後ろから名前を呼ばれた。

 振り返ると、薄いグレーのダウンジャケットに黒いデニムを履いた、細身の男がこちらへ向かってきているところだった。二十代後半か三十代前半くらいに見える、姿勢の良い、身なりの整った男性。よく見知った顔に、俺も「シロさん」と彼の名前を呼んだ。

「いやぁ、今日は寒いな」と言いながら近づいて来たシロさんは、鼻の頭をほんのり赤くしていた。

「すぐそこに車止めてきたんじゃないんですか?」

 境内総門前に駐車場があって、いつも彼はそこに白いSUVを停める。鼻の頭を赤くするほどの距離はないはずだ。

「少し景色を眺めてたんだよ。展望広場に出店が出ているのを知ってるかい? ポテトとクレープと、あと何だったかな」

 車を降りてから、しばらくウロウロしていたようだ。何事にも好奇心旺盛なシロさんらしい。

 石巖寺は標高六〇メートルほどの小山に建っている。境内総門前の駐車場の向かい側は展望広場になっていて、緩やかな傾斜には小さな公園もある。彼が言っているのは、そこで時折出ている出店のことだろう。冬休みには駐車場でキッチンカーがカレーやピザを売っているのも見かけた。

「何の手伝いをしてたんだ?」

「掃除です。石灯籠のコケを落としてました」

「はは、そりゃ重労働だったな。住職は?」

「いると思いますよ。何か用事ですか?」

 シロさんは持っていた手提げの紙袋を持ち上げた。どこにでもあるような白い紙袋だった。わざわざここへ持ち込むということは、供養が必要な品か……。俺がほんの少し身構えたのに気づいたのか、シロさんは「単なる差し入れだ」と笑った。拍子抜けした俺に、中には貰い物の栄養ドリンクが入っていると教えてくれた。

「もうあの人も歳だからな、たまには労わってやらないと」

 揶揄いを含んでいるような、本心のような、どこか掴みどころがない。シロさんが飄々としているのは、いつものことだ。


 俺とシロさんが本堂へ入ろうとしたとき、ちょうど住職が出てきた。

 住職が「寒い中ありがとうな」と俺を労いながら差し出してきたのは茶色い紙袋だった。シロさんが持っているものより、二回りほど大きい。受け取ると予想より重さがあって、小さくガラスのぶつかる音がした。覗き込んで見えた中身は、茶筒と思われるものが二つに、醤油か食用油の瓶が数本。……檀家さんから貰った物か。

「今日は現物支給だ」

「ありがとうございます」

 ……たまに、こういう日もある。三時間程度の労働だし二千円くらい貰えるかなって期待してたから、ほんの少しがっかりしたけど。茶筒や醤油は、母と祖母が喜ぶだろう。たぶん、ちょっと良いやつだし。

「あと、これもやろう」

 住職は別に持っていた薄い箱から、手のひらに収まる包みを取り出した。薄い皮に花模様が刻まれた和菓子、最中だった。

「蓮の花だな」

 隣から覗き込んできたシロさんが言う。

 シロさんの分はないのかと思ったが、俺にくれたのが最後の一つだったらしい。住職は空になった薄箱を潰して畳んでいた。

 最中か……。あんこは嫌いじゃないけど、薄皮が口の中に張り付くから、実はあんまり好きじゃない。でもせっかくくれたのに、「好きじゃない」とは言いにくい。

 家に帰ったら母か祖母にあげよう。そう考えて、コートのポケットへ押し込んだ。


 住職へ差し入れを渡したシロさんが、車で送ってくれると言うので甘えることにした。(ちなみに、住職は差し入れが栄養ドリンクだと知ると、あからさまに肩を落としていた。)

 高校の入学祝いに買ってもらった折り畳み自転車は、シロさんの車の後ろに載せた。

 途中、家に寄ってもらって、受け取った労働対価を母に渡す。

「良いお茶じゃない! いいの、貰っちゃって?」

「くれたんだから、いいんじゃない」

「あらそう」と喜んだ母は、俺の隣にいたシロさんに「送ってくれてありがとうございます」と改めて礼を言った。

「いいんだよ、このあと一緒に行くしな」

「それはそうですけど」

 母はじっとシロさんの顔を見ると、「シロさんはいつ見ても本当に若々しいですねぇ」と呟いた。

「私はすっかりおばちゃんになっちゃいましたよ」

 年相応 (たぶん)の母は、片手で自分の頬を押さえながら、「はぁ」とわざとらしくため息を漏らした。本気で悲しんでいるわけじゃないんだろうけど、たしかに一緒にいるところを見ていると、とてもシロさんが母より年上とは思えない。

「はは、そんなこと言うなよ。君は昔からかわいらしいままだ」

「やだシロさんったら、お世辞が上手ですね。あ、そうだ、お線香あげていきませんか? あの人もシロさんが来たら喜びますよ」

「……ああ、そうさせてもらおうかな」

 つい最近、父と祖母に線香をあげたばっかりだと思うけど。それでも、シロさんは母の誘いに乗るようだったから、その間に自分の部屋に荷物を取りに行った。

 シロさんの見た目を「若々しい」で済ませる母はかなりおおらかというか、けっこう大雑把な物の見方をしているのかもしれない。それとも、何かあるとは思っても、言わないだけなんだろうか。


 宿題を持って、また車に乗り込む。

 今日はバイトが無い予定だったけど、シロさんが行くというので相談所へ一緒に乗せて行ってもらうことにした。あそこで相談すれば、残りの宿題も何か良い感じにアドバイスを貰えるかもしれない。

「宿題ならこの前終わったって言ってなかったか? 和華子が『惟くんちゃんと終わらせてえらい!』って褒めてたぞ」

 ハンドルを切りながら、シロさんが和華子さんの口調をマネして言う。ちょっと似てる。

「問題集とプリントは全部終わりました。読書感想文だけ、まだ残っちゃってて」

「読書感想文かぁ……俺は苦手だったな。筆は進むんだが、俺が書く内容は教師の求める感想じゃないらしくてな。何度書き直したことか」

 苦い顔をするシロさんに、学生時代から自由な人だったんだなと思うとなんだか少し笑えた。

「君の父さんはそういうのが得意だったはずだ。書斎に本がたくさんあるだろう。題材はもう決めたのか?」

 死んだ祖父と父が使っていた書斎は、今も変わらず残っている。父の先輩で、祖父とも交流があったシロさんは何度も入ったことがあるそうだ。生前の彼らが並んでいる姿は見たことがないけれど。

「課題図書はクラスごとに決まってるんですよ。俺のクラスは、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』です」


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