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王牙 ―Ⅱ―

 集会があったその翌日、獣人の一族は公に、帝国側に付く旨を表明した。

 対して龍崇(りゅうすい)家は、当主個人が息子を帝国軍に所属させるだけであり、龍崇家としてはこれまで通り、内戦には何の干渉も行わない意志を公表。

 発表されたそれらの情報は、翌朝には帝国全土に広がる程の話題となった。

 そうして、帝国中の誰もが言った、帝国の勝利は確約されたも同然だと。


 あの日の集会から、王牙(おうが)の修行には更に磨きがかかっていた。

 修行に掛ける時間も、今までの倍以上になっているくらいに。


「おにーちゃーん! 見て見てー!」

「おー?」


 庭で修行している王牙のもとに、妹の志姫(しき)が何やら分厚い本を持って駆け寄ってくる。


「うんとねー、えーっと」


 地面に本を広げて座り込む志姫は、「こう!」という言葉とともに、手のひらをぱっと広げた。

 小さなその手のひらから、これまた小さな炎が燃え上がる。

 生まれた炎は一瞬で消えてしまったが、その場に確かな熱の余韻を残して消えた。


「え! なにそれすげぇ!」

「お水も出せるよ!」


 今度は、炎が消えた手のひらから少量の水が生まれ、手の中に収まりきらなかった分が溢れて地面を濡らす。王牙は何が起きているかさっぱりわからず、ただただ濡れた地面に目を見開くしかなかった。


「手品?」

「ちがうの! まほうってやつ!」

「まほう?」

「おとーさんがね、魔界に行った時買ってきてくれたこの本に書いたった! おにーちゃんもきっとできるよ」

「えぇ、本当かよ」


 志姫の持つ本に興味が湧いた王牙は、修行を完全に中断しその場に腰を落として胡坐をかいた。志姫はその膝の上に移動してすっぽりと収まり、自慢気に本を広げる。


「そもそもオレ、文字読めねーよ。志姫はすげぇなぁ」

「おにーちゃんが読めないところは、しきが読んであげるね!」

「王牙ー! 志姫ー! 晩御飯にするよー」


 家の窓から聞こえてくる母親の声。

 王牙ははーいと声を張って返事をした後に、膝の上で寛ぐ志姫を軽く叩いて立ち上がるように促した。


「……志姫、帰るか! まほうってやつご飯食べた後にゆっくり教えてよ」


***********


「志姫みたいな炎、やっぱしオレには出せないぞ」

「えー、じゃあカミナリは?」

「そんなの、もっと出ねぇよ」


 2人は、本を広げてああでもないこうでもないと言い合いながら、魔法の勉強をする。志姫が初めて王牙に魔法を見せてから毎日、王牙も志姫と一緒になって魔法の練習をするようになった。もちろん、文字は読めないため志姫に読み上げてもらっていたが。


「王牙、魔法というのはな、魔界の魔法使いや天界の天使が使うものであって、下界の俺たちには習得の難しいものなんだぞ? 志姫にはたまたまその才能があっただけだ」


 鍛錬と魔法の勉強の時間が半々になってきている最近の王牙には、流石の父も見かねたようすだった。


「父さんだって使えないんだから、使えなくたって大丈夫なものなんだぞ」

「“下界の”っつー事はきっとゴシソクサマも使えないんだろ? だったらなおさら、オレは使えないと。そいつより強くならないと従者でもなんでもないじゃん」

「あ、おにーちゃーん! これは? 少しの時間、姿を隠せちゃう魔法!」

「おぉそんなんあんの? すげえっ……えーと、なんて書いてあるんだ? 読んでくれ」


 全く聞く耳など持っていない息子の姿に、また父親は頭を抱えてため息をつく。

 しかし、その顔には微かに笑みが浮かんでいた。


 主従契約の話をしてからのいうもの、息子は変わった。

 目の前にあるもの、なんでも覚えて自分のものにしようという努力。

 ただなんとなくやっていたような以前の姿とは、まるで違っていた。

 どんどん、その背中は大きくなっていく。


「あなたー?」


 廊下から妻に呼ばれ、父親は腰を上げた。


「どうした?」

「あなたにお客様みたい……」


 その会話が聞こえていた王牙も、顔を上げ、父親の顔を見る。


「父さんに客? こんな時間に?」

「ああ、そうみたいだ。誰だろうな?」


 息子の問いに、父親も少し不思議そうに笑って答えた。


「集会所でお待ちいただいているみたい」

「わかった。すぐに向かおう」

「王牙、お母さんも付いていくから志姫の事頼むわね」


 上着を羽織って出て行く両親を追って、王牙も廊下に出る。


「結構かかる?」

「長くなりそうだったら、私は帰ってくるわ。時間になったらお布団敷いて寝てなさいね」

「ぁ……うん」


 王牙は口籠る。

 なんとなく、だが。

 離れたくないと、そう思った。


「はぁーい」


 返事をする志姫の方を振り返れば、本から目を離さずに手を上げて返事をしていた。その姿を見て王牙は、胸に覚えた言い知れぬ不安を押し殺し、片手をひらひらと両親に振って見送った。


「わかった、いってらっしゃい」


***********


「おにーちゃんは寝ないの」


 あれからどれだけ時間が経ったのか。

 里は妙に静まっていた。

 志姫は部屋の奥に敷いた布団の上で、眠そうに目を擦りながら、ころころと転がっている。

 王牙も隣に布団を敷きはしたものの、縁側に座り、外を眺めていた。


「志姫は寝てなよ」


 志姫には微笑みかけるも、視線を里に戻してすぐに王牙の表情は強張る。


(長くなりそうなら帰るって……集会所で話すような相手……帝国の人か?)


 広がる里の風景は、いつもと何ら変わりなかった。だけど静かすぎる。

 しばらくしないうちに志姫の寝息が聞こえてきた。


「ふぅ……」


 声に出してため息をつけば、少しだけ心が軽くなる気がした。


 自分は一体何に怯えているのだろうか。

 戦争に参加する話があったせいで敏感にでもなっているのか……。


 また少し心を軽くしたくて、深く息を吸い込んだ時だった。


「……ん」


 微かに焦げ臭い。ような気がする。

 気にしすぎかもしれない。

 気のせいだという確証を得たくて、王牙は立ち上がり、里の景色を眺めながらさらに深く空気を吸い込む。

 見える限り、里のどこにも異変はないが、微かに焦げ臭いのは気のせいじゃない。

 耳は、さっきからピンと立っているままだ。無意識に多くの情報を得ようとしている。

 しばらく、何かの焦げる匂いを嗅ぎながら音を探っていた。


 ドン、と何度か遠くで聞こえてきたが、きっとどこかの家の生活音だろう。瞬時に頭ではそう理解する。それでも、握る拳のなかは何故だが汗でびっしょりだ。

 裸足のまま縁側から庭に降り、姿勢を低くし、腰丈ほど高さのある植え込みにすがたを隠す。葉の隙間からまじまじと里を見降ろして、王牙は息を飲んだ。見たこともない人影が次々と里に入ってくる。


 耳も、しっぽもない。

 あれは、死神?


 そして里に入ってきた影を見つけたのか、集会所の方からも似たような影が集まってくる。


 そしておもむろに散り散りになったと思えば、近くの民家に、火を付ける。

 王牙は思考が停止した状態で、ただその光景に見入っていた。

 異変に気付き民家から出てきた王牙の仲間が、不意を突かれて簡単に殺されていく。

 そうして段々と騒ぎは大きくなっていったが止める者は、既に居なかった。

 よく見れば、民家から出てくるのは女や身体の弱いものばかりだ。

 男たちの姿が見えない。


 それに、父さんと、母さんは?

 もしかしたら集会所にまだ……


「っ……志姫!」


 我に返って、王牙は眠っている志姫に駆け寄った。


「志姫、起きて志姫」


 できるだけ小さい声で、大きく身体を揺すぶる。


「ん……おにいちゃん?」

「逃げるよ」

「え?」


 里は、襲撃されている。

 自分たちだってこのままじゃすぐに殺される。幸い、この家は少しだけ離れた丘の上にある。だから、今ならまだ逃げるだけの時間はあるから、逃げて誰かを呼ばなきゃ。

 部屋の中、無造作に置かれた父の鞄に手を伸ばす。近くにある物を適当に詰め込んで、事態が飲み込めていない志姫の手を引き、無理矢理立たせるとそのまま廊下に出た。

 玄関に向かう途中、ちらりと外の光景が目に入り王牙は立ち止まる。

 この家の立つ丘に向かって坂を登ってくる影がいくつか見えた。


「うぁっ……」

「おにいちゃん? なんなの?」


 慌てて反対側へと逃げる。

 このまま玄関から外に出たら、間違いなく鉢合わせしていた。

 縁側から庭に出るのも、もう危ない。

 どうしよう、どうしたらいい。

 何処かの窓から外に出る?

 いや、すでに待ち構えてるかもしれない。だけど、このまま迷ってあたふたしているわけにもいかない。一度隠れて、隙を見て逃げるのが無難で、生存確率も高い気がする。


 急いで台所に向かい、一箇所、床を取外した。あるのは地下倉庫へと続く階段。

 此処には普段食べ物を貯蔵していて、小さな兄妹が身を隠せるほどのスペースならある。

 隠れるならここしかない。

 王牙の様子に、少しずつ異変を感じ始めた志姫も、王牙に従って地下へと入る。王牙はそれに続いた。

 内側から床を戻せば、地下室の中には一切の光が届かなくなり、真っ暗になる。


「おにいちゃん」


 小声で呼び掛けてくる志姫に、人差し指を口に当てて静かにと促した。


「誰が来たの?」


 しかし、志姫は王牙に聞く。


「わからない。けど、悪いやつ」


 天井の床に耳を傾けながら、なるべく手短に答える。


「お父さんとお母さんは?」


 ドキッとした。それは王牙にとっても今一番知りたい事だ。

 だけど、一番知りたくない事でもあった。


「大丈夫だよ。まずはオレたちが生き残らないと……」


 そう、きっと大丈夫だ。

 ここはきっと、見つからない。

 だから、ここで隠れていればきっと父さんと母さんが助けに来てくれる。


「きた! おにいちゃん、足音がする」

「っ……」


 遠くの床を踏む足音を聞きつけた志姫が、王牙の腕の中に潜り込んできた。

 王牙も、震える腕で妹の身体をキツく抱き締める。その身体もまた、震えていた。


「長の子供がいるのはこの家のはずだ。絶対に見つけ出せ」


 頭上から、男の声が聞こえる。


(オレたちを捜してる!)


 王牙はさらに強く志姫を抱き締めた。


 見つかるもんか。

 大丈夫、きっと、助けにきてくれる。

 父さんと母さんがきっと……。

 きっと?

 もしも。もういなかったら。

 オレは見ただろ。あの光景を。

 仲間が殺されてるのに、家が焼かれているのに、闘えるやつは助けに来なかった。来れなかった。

 気付いてるんだろ。もう。

 きっとなんて、ないんだって。

 オレと志姫を守れるのはもう

 オレしかいないんだって事。

 ここでこうして待っていたって、

 遅かれ早かれ、見つかるだろう。

 そうでなくても家に火を付けられて、蒸されて死ぬだけだ。


「……志姫、姿を隠せるまほう、あるんだよな、どうやるんだっけ」



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