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王牙-Ⅲ-

 男は足元の違和感に、ふと歩みを止めた。

 踏み締めた床の軋む音が、他と少し違ったのだ。


「なぁ、ここ」


 近くで物色していた仲間を呼んで、例の床とその隣の床を踏み比べてみせる。


「なんかあるな」

「地下……?」


 触れれば、床は簡単に外れた。

 完全に取り外せば、地下へと続く階段が姿を見せる。

 男は少し降りて、中がそんなに広くない事を察し、立ち止まって目を凝らした。

 あるのは野菜や缶詰め、漬物でも作っているのか幾つかツボも置いてある。

 その他は少しの日用品が備蓄されているみたいだ。


「いや、いないな」


 男はつぶやいた。


「そっちはいたかー?」


 すぐ後ろで控えていた仲間が、他の部屋を物色していた者たちに呼びかける。


「いや、どこにもいない」

「この家にはいないって事か」

「火、付けちまうか」


 そう言って彼らは燃料を家中に撒き散らし、何のためらいもなく火種を投じた。


「可哀想になぁ、何だってあんな小さな子供を」

「だから、せめてこっち側に連れて帰るんだろ」

「別に、ここで暮らす彼らに罪があるって事でもないんだけどな」

「俺らがやってる戦争ってのはな、こーゆーことなんだよ」



***********



 王牙は、縁側に敷いた布団の上で志姫と昼寝をしていた。

 黄昏しか移さない空とはいえ、今日は天気がいいみたいだ。

 身体を優しく包み込むようなぽかぽかとした暖かさが、気持ちいい。

 昼メシができたと、自分を呼ぶ母さんの声が遠くから聞こえる。

 そうめんが食べても食べても減らない、とかぼやいていたのを思い出した。きっと今日の昼メシもそうめんなんだろうなぁと思えば、少しだけ気落ちした。


「おにーちゃん」


 どうやらご飯の号令で完全に目を覚ましたらしい志姫に身体を揺すられる。けれど、もう少しここに居たくて、起きてはいても目は開けなかった。


「早く起きてよー」


 また、さっきよりも強く揺すられる。


「早く起きないとお母さんに怒られちゃうよ」

「……ん」


 瞼を開けば、ぼやける視界は全体的に暗い。次に、自分が寝ているのはふかふかの布団ではなく、硬く埃ぽい地面であるとわかる。

 目の前には、志姫がいた。


「おにいちゃん!」


 ゆっくりと身を起こせば、妹が飛びついてくる。

 見渡せば、ここは地下倉庫の中だと分かった。


「熱ッ……」


 中が、とんでもなく蒸している。

 夏でもひんやりとしていたここが、何故……?

 ぼっとする頭で記憶を辿り──王牙は、陽だまりのように暖かい夢から醒めた。


「志姫!」


 ハッとして妹を抱き締める。

 姿を隠す魔法を使った後、どうやら気を失っていたらしい。

 志姫が無傷である事を確認し、地下をぐるりと見渡した。

 この熱は、どう考えても地上部分が燃やされているからだ。だけど、どういうことか蒸し焼きにはならずに済んでいるようだ。


「はぁ……はぁ、おにいちゃん、魔法、勉強しておいてよかった、ね」


 腕の中にいる志姫が、肩で息をしている。だいぶ疲労しているように見えた。


「ぇ、志姫……? お前まさか」


 この空間が、そこまで熱くならなかったのは、もしかして。


「魔法でここを……守ってくれてたのか」


 王牙の言葉に、へへっと笑う志姫。

 もう一度強く抱き締め、すぅと深く息を吸い込んだ。


「ありがとな」


 志姫の匂いがする。心が少し落ち着いた。

 もう、あいつらの気配はしない。

 ここから出るのが怖い。それでも出なくては。


 もう一度深呼吸をして、王牙は立ち上がった。


「志姫はここで待ってて、オレが外を見てくるから」


***********


 下から床を持ち上げて地下倉庫から頭を出せば、吹き付ける熱風に顔をなぶられる。

 予想以上の熱に一度、強く目を閉じて頭を倉庫の中へと引っ込めた。

 そしておずおずと、先ほどよりは控えめに、地上へと頭を持ち上げる。


「……そんな」


 王牙の視界に飛び込んだのは、どこまでも紅い光景だった。

 ほんの数刻前までは緑豊かな里だったのに、今やその面影などどこにもない。

 もともと建物があった場所には瓦礫が積み上がり、ところどころに炎が燻っている。

 もちろん王牙たちの家も、ただの瓦礫と成り果てていた。

 そして点々と、かつて仲間であった者たちが転がっている。


 見渡す限りの全ては破壊され、焼き尽くされていた。

 生存者も、まるで見当たらない。

 目の前に広がる圧倒的な絶望に、ただ立ち尽くす事しかできなかった。


 ふらふらとした足取りで王牙は丘を下り、誰か1人でも生存者はいないかとひとつひとつの瓦礫を見て回った。

 見る影もない家々。

 大量の血を流し、こと切れている仲間。途中何度も、王牙は吐き気を堪えながら歩を進めた。


 無意識のうちに辿り着いた先は、ただ一つ燃えていないこの里の建物、集会所。

 何故だかここだけ、炎が掛けられてはいなかった。


「う……」


 焦げ臭い代わりに王牙の鼻に付くのはキツい鉄の匂い。

 少し離れた位置からでも鼻を覆いたくなる程だった。

 集会所の入り口は、血の付いた足跡でいっぱいだ。


 それでもわかる。

 両親の匂いは、ここにある。

 怖い。入るのが、見るのが、確認するのが怖い。

 震える足を一歩ずつゆっくりと、引きずるように進めて、入り口へと立った。

 むわっと濃い血と内蔵の匂いが王牙を襲う。

 匂いだけで、堪らずその場で嘔吐する。

 下を向いた時、視界に入ったのは持ち主のわからない、誰かの腕だった。


 集会所には、折り重なるようにして、おびただしい量の人だった塊が放置されていた。その中には狼の姿をした者もいれば、半獣の者もいる。わかるのは全員必死に抗ったという事だけだ。


 とてもじゃないけど、この中には入れない。

 だけど、どうしても父さんと母さんの事は、ここからつれ出したい。

 もう、生きているかもとか、助かったのかもなんて淡い希望など持ってはいなかった。

 王牙は恐ろしいほど冷静に、この状況を飲み込んでいた。


 散らばる色々なものをなるべく踏まないようにして、微かな匂いを辿りながら、たどり着いた一番奥。

 王牙の視線の先は、自らの足元。

 折り重なる二つの影。

 まるで一つの影がもう一つの影を庇うかのように覆いかぶさっている。

 王牙は、すぅと目を細めた。


「父さん、母さん」


 その声は寂しく、この死の空間に吸い込まれていく。


 引きずるようにして、両親を外へと運びだした。

 来た時と違うのは、足元には注意しなかったこと。

 感覚がおかしくなって来たのか、2人を連れ出せれば何だっていいと、そんな風に思えていた。

 運び終えたころには自分の足も、その足が付ける跡も血塗れだった。

 両親を並べて寝かせて、しばらく2人を見下ろしていた。切り傷や刺し傷はあったが、幸い2人に酷い損傷はない。

 王牙にとって顔の良く知った者の死は初めてのことだった。

 死ねば人は、ここまで顔がかわるのか。

 匂いがしなければ、両親であることに気が付かなかったかもしれない。


 座り込んで、母の瞼を伏せてやる。

 その隣の父の瞼も同じ様に伏せてやった。


 悲しいとか、寂しいとか、そんな気持ちはまだ心に訪れてはいない。

 いや、本当に気がおかしくなったのかも知れない。

 先程までの動揺などすっかりなくなっていた。

 どこか遠い世界のお話を観ているような、そんな感覚に陥っていた。


「王牙! 生きていたのか!」


 不意に、後ろから掛けられた声にびくりと大袈裟なくらい体が反応する。

 振り向いて、王牙は息を飲んだ。


「叔父さん……?」


 声を掛けてきたのはしばらく前、王牙に『先祖が死神王家に仕えてたこと』を教えてくれた、あの叔父さんだった。

 いるのは叔父さんだけではない。叔父さんの奥さんが、叔父さんに肩を貸すようにぴったりと寄り添っている。何故こんなにも近いのか、二人の距離感を疑問に思う王牙だったか、すぐに答えへと辿りついた。


「王牙……お前は無事だったか」


 叔父さんの右脚の、膝から下がなくなっていた。

 切断面から零れ落ちる赤が、ヒタヒタと音を立てて地面を濡らしている。

 

「志姫も、います」


 叔父さんからの問いに対し冷静に答えながらも、王牙の視線はなくなった右脚と叔父さんの顔の間を行き来する。それに気がついたのか、叔父さんはハッと息を吐いて力なく笑った。


「俺は足を持ってかれちまったが、家内は丁度出掛けていて難を逃れたんだ」


 そばの瓦礫の山を見つめる叔父さんの瞳は、どこか遠くを見ているようだった。


「叔父さん、一体何が……」

「革命軍だ……革命軍が帝国とは組まずにこちら側に付くようにと要請しにきていたんだ。お前の父さんは反対した、もちろん、それはこの里の総意だ。だが……革命軍と組む意思が全くないとわかれば奴らはいきなり……」


 そこから先、言葉を詰まらせた叔父さんは、続く言葉ではなく、俯いて嗚咽を漏らす。


「叔父さん……」


 支える奥さんの手を振り切って、王牙に向かって、地面に崩れ落ちるようにして、土下座をした。


「すまない、俺だけが生き残っちまって……誰の事も……俺の無力さがっ……」


 頭を地面に擦り付けるようにして、泣きながら言葉を紡ぐその姿に、王牙も地面に足をついた。


「俺に、もっと力があれば……すまない、王牙っ……みんな……許してくれ……」


「違う、なんで……」


 どうして叔父さんが謝らなくちゃならないんだ。何も悪くないのに。

 叔父さんだって家も、仲間も、足も失っているのに。

 オレたちが一体何をしたっていうんだ。どうして、こんなことになるんだよ。


 地面についた両手で、王牙は拳を作る。

 己の手は小刻みに震えていた。

 それが恐怖からくるものなのか、怒りなのかはわからない。


『どれだけの自由があっても、力がなくては何も成せない』


 脳内に響いたのは、いつか集会所で聞いた父の言葉。


「オレ……帝国に、行く」


 その言葉は、無意識に唇からこぼれ落ちた。


「王牙……?」

「……でないと、みんなが死んだ意味、ないから」


 そうだ。

 これが、帝国につくと知った革命軍の仕業なら尚更。

 オレは生き残った。だから、与えられた役目を果たさなければならない。

 

 帝国に行って元王家の血をもらえば、本当の力が手にはいる。

 元王家である龍崇家に仕え、国の役に立ち、目立つことがみんなの夢だ。

 それに力さえ手に入れることができれば、革命軍をどうすることだって出来よう。

 帝国と獣人が手を組むことを嫌って里を襲ったのなら、帝国に自分がいるだけで、革命軍への復讐にもなる。


「志姫ちゃんの事は? どうするの?」

「オレが連れて行きます」

「そうか。俺たちは……残るよ。みんなをちゃんとした眠りにつかせてやらないと。もしかしたら逃げて生き残った奴らがいれば、戻ってくるかも知れない」

「叔父さん……」

「強いな、お前は本当に」


 流石はあいつの息子だ、と呟いて、また涙を溢しながら王牙の頭をがしがしと撫でた。


「父さんと、母さんを、よろしくお願いします」


 王牙は深々と頭を下げて一礼したあと、叔父の顔を見ずにそのまま走り去る。

 早くも気が抜けてしまったのか、目からは次々に涙が流れ落ちてきた。

 先ほどの拳と同様に、何を意味する涙なのかは、今は、自分じゃわからない。

 涙を腕で拭いながら、志姫の待つ場所へと走った。



 地下倉庫の奥で、志姫は丸まっていた。

 人の気配に一瞬驚く様子をみせるも、王牙とわかれば寄ってくる。


「おにいッ……」


 寄ってきた妹に対し、王牙は容赦なく拳を妹の鳩尾に食い込ませた。

 気を失い、倒れ込んでくる妹の身体を受け止め、そのまま外に運び出す。

 その身体の暖かさに、心が苦しくなった。


 こんな世界は、志姫に見せたくない。


 王牙は崩れ落ち、

 その場で志姫を抱き締めた。


 戦争とはなんだ。

 誰を恨めばいいのか、憎めばいいのかわならない。

 力のない自分か、死神か、革命軍か、帝国か、龍崇家か。


 王牙は、吼えた。


 いや違う、その内のすべてであって、どれでも無い。

 忌むべきなのは、戦争などしているこの世界そのものだ。


 全てを敵に回せる力が欲しい。

 自由があっても

 力がなくては何も成せない。

 そう父は言っていた。

 今ならよくわかる。


 絶対に、手に入れてみせる。




 ---------------- 外伝 王牙:完





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