53話 戦友との再会(天使vs狼男!?)
──今すれ違った少女、絶対、どう考えたって姫だった。
千聖は長い廊下の端、角を曲がり切って己の姿が確実に彼女の視界から外れたであろうタイミングで立ち止まる。左で作った拳を廊下の壁に叩きつけ、もたれかかるようして力を抜いた。顔の向きごと視線を足元に落とし大きく深呼吸する。
先ほどの対応で問題なかっただろうかと、ほんの少し前の行動を振り返った。
彼女の父親であるアスガルド王は、姫には魔界で、学生として生活させていると言っていた。魔界にいる学生でスマートフォンを持っていない人などほとんどいないだろう。であれば、彼女に渡したメモに書いてある数字の羅列は、電話番号であると気が付くはずだ。走り書きでちょっと字が汚かった気がするけど、番号はあっている。はず。
もう一度、ふう、と息を吐いて千聖は背中を壁に預ける。
あの一瞬で全身から汗が噴き出した。姫の容姿? そんなもの全く覚えていない。悪くはない気がしたが、いきなりの事すぎてシルエットでしか捉えることができなかった。確かに視線は絡んでいたが、黄金色の綺麗な瞳をしていることしか覚えてない。今思えば顔をちゃんと見ておくんだった、なんてもったいないことをしたんだ、と千聖は激しく後悔していた。
そして次に、自分は彼女の目にどう映ったか、が気になり始める。
今日のメインイベントは終わったし、と気をぬいていた。途中で気が付いてすぐに気を引き締めたが、自分の姿はどうだっただろう。髪は乱れてなかったか? ネクタイは曲がってなかった? いや、曲がっている以前に王間から出てすぐに緩めてしまった気がする。
「……おれやっちゃったかな」
思わず声にでた。今度こそ本気のため息をついて前を向いた千聖は、向かいの壁に大きな鏡が掛けられていることに気が付く。鏡の前に置かれた立派な机と、その上に飾られている高価そうな壺が少々邪魔だが、遠目から全体像を見るには使える。
鏡から少し離れた位置に立ち今更遅いが髪を整えた。ここの跳ね方が気に食わない。姫とすれ違った時もここは跳ねていただろうか。それにこの、一束だけ離れた前髪はなんなんだ。いつもこっち側に流しているのに、なんで今日はこっち側にあるんだ。城に入る前まではちゃんとなってたのに。どうして……
「おや? 龍崇将軍ではありませんか」
「ぬあああぁっ!?」
髪型に全神経を集中させていたせいで人が近くまで来ていたことに全く気が付かなかった。情けなくも奇声を発しながら飛び上がってしまった千聖は、すぐに声のした方へと視線を向ける。こちらを見て立ち止まっていたのは騎士団の団服を身に纏い、大きく白い羽根を背負う男。一連の様子に、見覚えのある彼はくすくすと上品に笑っている。
「フォールハウト……急にやめてよもぉ……」
「お久しぶりです。そんなところで、何をされていたのです?」
「いえ……特に何も」
「そうですか」
久しぶりに見る戦友の姿は、ヘーリオスで別れた時から全く変わっていない。
たった数か月前の話だがその姿の懐かしさに少しだけ胸が温かくなった。
変なところを見られてしまい気恥ずかしさに目を合わせられない千聖であったが、さすが爽やか代表フォールハウト、無駄に掘り下げたりしてこないあたり本当にいい奴だ。
「先ほど中庭で眠ともお会いましたが……お二人ともこの後のご予定は?」
「帝国に帰るだけ、だけど……」
「それはよかった。せっかくなので、もしよければ食事でもご一緒にいかがですか?」
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「いやー。久々っすね、ヘーリオスメンツ!」
「まさかまたこのメンバーで飯が食えるなんて思ってなかったわオレ」
「でもルークスってヴィオエラ基地の配属じゃなかった?」
「あ! 将軍、そこ聞いちゃいます?」
フォールハウトに連れられて千聖と眠が訪れたのは、アスガルド城付近にある小さな酒場だ。外観で見た印象よりも広く感じる店内は、汚くはないが、綺麗とも言い難い。木製で揃えられた家具は、目を凝らせばどれもこれもだいぶ年季が入っている。店内に窓はなく、中を照らす照明は暖色。席はテーブルとカウンターの二種類あるようだ。
千聖たちは、店の奥にある4人掛けのテーブル席につき、先ほど合流したルークスを含めた4人でテーブルに並べられた天界の料理を囲っていた。なんでもこの酒場はフォールハウトとルークスの行きつけらしく、開店前にも関わらず4人のために店主が店を開けてくれたとか。帝国から来た千聖と眠は良くも悪くも周りの注目を集めてしまうため、他に客が居ないのは大変気楽で居心地がよかった。
「実は今、昇格の為に王都で勉強中なんすよ。自分、ヘーリオスではたまたま歩兵部隊を任せてもらいましたけど、ちゃんと自分の部隊を持ちたいって、あれからずっと思ってて……」
「ヘーリオス作戦で貴方に憧れたそうですよ、龍崇将軍」
「え、おれ? 何かしたっけ……?」
「何言ってんすかもーー! 共闘作戦を成功させた英雄じゃないっすか!」
「ほー、英雄ってかぁ、千聖がなぁ……ねえな!」
「なんかお前にそー言われるとムカつく!」
千聖は隣でカッカッと笑う眠の足を、テーブルの下で思い切り蹴っ飛ばしてやった。英雄扱いは困るし、ガラでもない。けど眠に馬鹿にされるとなると話は別である。いってぇー! なんてはしゃぐ眠を無視しながら、千聖は手元の小皿に盛った料理を口に運んだ。
並べられた料理はどれも馴染みないものだったが、店主の腕がいいのか誰が作っても上手くできるようなレシピなのか、どれもこれも美味しい。
なかでも千聖は『白みがかったよくわらない肉を見たこともない草のような野菜で合えたサラダっぽい何か』が気に入って、先ほどからそればかりに手を伸ばしていた。
この居心地のいい空間にも、店主が出してくれる美味しい料理に対しても、何一つ文句はない。しかし、不便に感じていることが一つだけあった。
本当に些細なことなのだが、腰かけている椅子に背もたれがないのだ。
この酒場には、背もたれのある椅子が一つもない。いや、この酒場だけではなく城下町で見かけた飲食店の椅子、そのほとんどに背もたれがなかった。聞けば、それは天使の象徴とも言える羽根の事情によるものらしい。なんでも飲食店では客の収容人数を増やすため、羽根を背中に対して垂直に畳むマナーがあるらしく、そのため椅子に背もたれがないのだとか。
確かに、全員が横に羽根を広げたら邪魔くさいだろう。
「背もたれのない椅子ってちょっと不便だな……」
「そもそもでっけー羽根がずっとついてる時点で不便そうだよな」
「それを言ったら、貴方の尻尾こそなかなかに邪魔くさそうですよ、使い道もありませんし」
「一番楽なのは死神ってことっすねー」
若干失礼な発言をした眠に、フォールハウトがニヤリと口角を釣り上げてお返しする。
眠は口元をぬぐいながら隣に座る千聖にだけ聞こえる音量で「アイツ意外と言うよな」とつぶやいた。お前の尻尾は嬉しい時に振る用だもんな、と千聖は目の前に座る二人の天使を観察しながらフォローする。フォローになったかどうかは不明だが、千聖はそのつもりで言った。
話しながら大皿からパイを一枚とり、手元の小皿に移し替えるルークス。
フォールハウトは甘めの冷製スープをスプーンに掬って上品にすすっている。
天使である二人はその背中に大きな羽根を背負い、その頭上には金色に輝く環を浮かべている。
二人の姿を見て、千聖は先ほどの謁見を思い出していた。
よく考えれば玉座の椅子には背もたれがあった。
それに、王には羽根も、黄金の環もなかったのだ。
「王様って、天使じゃないの?」
「え、あぁ。あの人、天使じゃあないって話っすよ。だからって元の種族がなにかも知られてないっすね……自分が生まれた時から王ってあの人だったんで、そこまで気にしたこともないっすけど」
「アスガルド王──光の王は、神様とも呼ばれている存在ですから。光の王にまつわる話のほとんどは伝説として語られておりますが、その話もどこまでが本当のことなのか。僕たち天使でもわかっていないんです」
「へー、伝説ねぇ。例えば?」
ほんのしばらくの間、骨付きの肉に齧り付き静かにしていた眠がテーブルに身を乗り出した。
気のせいか、彼が口にした『伝説』という言葉には、少し馬鹿にするようなアクセントがついていた気がする。しかしフォーハウトはそんなこと気にした様子もなく、手にしていたスプーンをテーブルに戻し、口を開いた。




