籠の中の龍 -いちばん最初の初めまして-
死神が住まう下界には、禁忌とされる行為や、暗黙の了解はあれどこれといった法律はない。
だが、だからといって他人の命を奪っていいわけではない。
法で裁かれることはないといっても、さすがにここまで大量の命を手に掛けて野放しにされるほど無法地帯というわけでもない。
悪質なものであれば当然罰を受けることになるし、逃げれば追われる。
魂削武器生成を行った恐夜は極刑に当たるが、誰かが恐夜を殺そうとすれば千聖がその者を殺す。千聖を拘束しようとしたところで魔法で反撃されるため、打つ手がない。
おまけに千聖の方を殺そうにも仮にも彼は元とはいえ王家の長男。
簡単に手を下せる存在ではなかった。
そのため恐夜のことも千聖のことも裁くこともできず、膠着状態のまま数週間。
二人を帝国の城内に閉じ込めたまではいいが、それ以上手が出せなくなっていた。
かといって国として魂削武器生成を行った者と、大量殺人を起こしたものをお咎めなしで放置するわけにもいかない。
それに、こんな子供たった二人で帝国の兵がここまでやられたなんてことが世間に知れれば、帝国のメンツも丸つぶれになる。それを恐れた帝国が出した答えは、この事件を隠したうえで二人を管理下に置くというものだった。
表向きには帝国の戦力を向上させる一環で、一人の子共に魂武器生成を行わせたのだと。
処分できないのではなく、国を挙げてあえてやったことであり、帝国で管理するという条件のもと特例として処罰の対象にはならないということにした。
千聖の方は帝国軍の士気向上を目指す目的で王家からご子息を入隊させる。なんて理由で帝国管理課に引き入れ監視下におかれることが決まった。もちろんこちらも表向きな理由である。
恐夜と千聖が起こしたこの事件を知る者には緘口令が敷かれ、真実が世間に知れ渡ることはなかった。
恐夜はすぐ帝国の管理課に所属となったが、千聖には入隊までに2年の猶予が与えられた。
5歳という年齢の他に、聖我がそう強く希望したからだった。
入隊までの間で軍人として動けるだけの戦いの基礎を叩き込むことと、それから千聖の中に眠る魔法の知識をどうにかしたいと思っていたからだ。
このままにしておけば、千聖はまた人を殺すだろう。
軍人になる以上人を殺すことは当たり前だが、千聖の場合味方にすらその矛先が向いてしまいかねない。できれば千聖の中から魔法の記憶そのものを消し去ってしまいたいと考えていた。
「一時的に忘れさせる魔法でしたら存在しますが、完全に消し去るものは知りません。あったとしても、千聖の中には膨大な魔法の知識があるのですから、魔法を掛けようとすると跳ね返してしまうかも……」
記憶を消し去るために、燐湖も魔法の研究を再開した。
それでも求める魔法はどこにもなく、ただ時間だけが過ぎるのみ。
だが聖我の中にはひとつだけ、心当たりがあった。
生き死にを司る影の王家があるのなら、秩序を司る光の王家も存在する。
聖我の場合は「元」が付くが、とはいえ同じ立場の男。光の国、アスガルド王国の王──世界から神と呼ばれるその男の力なら……。
直接対面したことはないが、わかるのだ。
その男の力ならば息子の無秩序な力を消し去ることができるだろうということを。
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青空の下、一面に白い花が咲き誇る花畑があった。
銀髪を風に揺らしながら、男は手に持ったティーカップに唇を付ける。
遠くの空には風に乗って飛んでいく天使の姿が見えるが、今ここに在るのは自分と、優雅にパタパタと飛び回る美しい羽虫を追って走り回る愛娘のみ。
それでも、男は来るであろう来客を待っていた。
強い風が吹く。
真っ白な花びらがまるで螺旋を描くように舞い上がった。
「待ってたよ」
カップをテーブルの上に置き、男は優しく声を掛けた。
花びらが舞う中、いつの間にか目の前には黒いコートに身を包んだ青年が跪いていた。
その脇には幼い男の子の姿もある。
「その年の子を連れてここまで来るのは大変だっただろう」
「既にご存じだったんですね」
「うちの娘が来るって言ってたんだ。息子さんのことだよね」
同じ立場なんだから、そう畏まらないでよ。そう声をかければ緊張が解けたように、父親であろう青年はふうと息をはきだした。
帝国と王国。影と光。
本来ならば敵同士であるが、二人の間にそれらしい空気は存在しなかった。
この場を流れる空気はとても穏やかで、暖かい。
手を繋がれている男の子のほうは目の前に座る男よりも、花畑を走り回る娘のことが気になるようで、しきりに振り返っている。
「彼の中にある魔法の知識を消し去って欲しい。だよね?」
「あぁ……そうなんだが……俺は貴方なら可能と思ってここまで来たんだ」
「間違ってないよ。お望み通り消してあげよう」
「いいのか」
「だって、彼がこのままだと将来戦わなくちゃいけないウチが困っちゃうんだから」
ケラケラと笑う男の姿に、黒い青年は肩の力を抜いた。というか、正しく表現すると崩れ落ちるに近い心境であった。そんな父を心配そうに見上げる息子のもとに、虫を追いかけまわしていた娘が駆け寄ってきた。男の子の手を取ると、ふわりと愛らしく微笑む。
「わたしのパパ、あなたのことをまっていたの!」
「……そうなの?」
「ねえ、おなまえは?」
「えっと、ちあき……」
そんな子供二人を眺めながら、光の王は穏やかな笑みを浮かべる。
「俺がこういうのもおかしいけれど、彼は神童だね。物凄い魔法の知識がある。ほぼ動作なしで使いこなしてしまうし、生まれつきの特性のせいで魔力に限りがない」
「あぁ」
「うちの娘もそうなんだ。俺の影響なのか、目で見たり、触れた魔法をトレースして自分のものにしてしまう。少し似ているけど千聖くんの方が強いね」
光の王は、とても楽しそうだった。
まるで自分の子供でも見守るかのように、その瞳に男の子を映していた。
黒の青年はその瞳に違和感を覚えながらも、理由がわからずにいた。
きっと、一生、その理由を知れることはないのだろう。
見えている世界が違うのだと、それだけはわかった。
「知識は消せる。だけど魔法を使える体質は変えられない。身体が記憶したことも消せない。だから、覚え直せば今ほどではないにしろ、それなりに使いこなすと思う」
「それは……仕方のないことだろうな」
「そうだね。それじゃあさっそく始めようか。千聖くん、おいで。ユキは向こうで遊んでいなさい」
二人とも聞き分けがいいのか、娘は言われた通り花畑の中を駆けていった。
男の子は少しだけ怯えながら男の元に歩み寄る。
男はそっと、男の子の頭に右手を翳した。
翳した手が淡い光を生み出し、消える。それはほんの数秒間。
たったそれだけだった。
「もう終わりか?」
「あぁ、なんだって奪うのはほんの一瞬だからね。これで彼は君が望んだとおり力を失った。自分には魔法の知識があったという記憶もない」
「借りができてしまったな」
「それはいいよ。この貸しは彼が出世して返してくれるのだからね」
何のことかわからない。そう言いたげな男の子は不思議そうに父親を見上げている。
そんな息子に対して青年はしゃがんで視線を合わせると「それでいいんだ」と優しく言い聞かせた。
「お前は決して力を求めるな。力を欲するな。力があれば何でも叶うと、そんな幻想を抱くような馬鹿な男にはなってくれるなよ」
魔法は彼を守るものであり、彼の望みを叶える文字通りの魔法だったのだろう。
けれども強すぎるそれは、持ち続けていれば恐怖の対象となり、いずれ討伐するべき魔物と呼ばれる未来になっていたはずだ。彼を守るはずの力は彼を殺すことになるだろうし、彼から自由を奪うことになっただろう。
「力があったって自由がなきゃなにも出来ないんだ」
それは青年の、父としての教えであった。
今はまだこの言葉の意味なんて少しも理解できていないだろう息子は、それでもしっかりと父親の目を見ていた。
見つめ合う父と子の間に、先ほど何処かに駆けて行った女の子がひょっこりと割って入る。
彼女の小さな手に握られているのは、花を編んで作られた冠。それを男の子の頭にポンと乗せた。
「かわいそうなちあきくん、これ、あげる」
「これは、ユキちゃんだったか? 君が作ったのか」
「うん、そうだよ」
「ありがとう。上手なんだな」
何も言わない息子に代わって父である青年がお礼を伝えると、女の子は少し恥ずかしそうにしながら自らの父親のマントの陰に隠れた。その姿に青年は思わず顔をほころばせた。
可愛らしい女の子だ。
「それじゃあ、つぎのはじめましてまで、バイバイ」
恥ずかしそうにはにかんで、小さな手を振りそんな言葉を向けられる。
聞こえてきた別れの言葉に、青年は思わず王へと視線を移した。
小さい子供の口から発せられる意味の分からない発言なんて、戯言だと捉えるのが普通だろうが青年はそうではなかった。どういう意味だと言いたげな瞳を、父である王へと向ける。
「あぁ……うちの娘の瞳には未来が見えてるみたいでね。あまりに強すぎるから、今日君たちが来たら、この力を封印しようと思っていたんだ。人の未来すら勝手に見て言葉にしちゃうから困ったものだよ」
「当たるのか?」
「当たらないのなら、俺はここで貴方達を待ってはいなかっただろうね。まあ俺にも先を見る力はあるのだけど、俺よりも娘の方が正確なんだ」
恋人、宿敵、命の恩人──運命の形には色々あるのだけれど
君は、運命というものを信じるかい?
そう問われた黒の青年は、何も答えず、子供たちを見やる。
息子の頭に乗せられた白い花の冠。それを乗せた少女は、彼を通して何を見ているのだろうか。二人には運命の繋がりがあると、そういいたいのだろうか?
「運命なんてものは──あるかもしれないが……最終的に自分の力で掴み取るものだと俺は思ってる。それに息子の名は自分で望む運命をつかみ取れるようにと、妻が付けた名だ」
その答えに純白の王は青い空を仰ぎ見た。
「それもそうか、ヒトの想いは強いから──」
次に見た時、そこには誰もいなかった。
広がるのは先ほどまでと同じ、青空の下、一面に白い花が咲き誇る花畑とそこを走り回る娘が居るだけの光景だ。
──君に期待してみようかな。
口に出さなかった思いは、白い花びらと共に空の青へと消えていった。
-----------外伝 籠の中の龍:完