32歳女性の場合 last part
彼との時間はとても愛おしく、辛かったことが何もなかったような感じがした。嫌なことが頭の中から消え去って、ただ目の前にある現実だけが私のことを包んでくれた。
本当に思う人の隣にいると時間は早く過ぎ、胸は高ならずに安らかだった。お互いに入浴を済ませると、T Vを見ながらお互いに身を寄せた。
「色々ありがとう。宗介に、私は救われた。」
男性特有の少しがっちりした肩に頭を乗せた。これが私なりの精一杯の甘えだった。彼の首元からはシャンプーの匂いと彼本来の匂いが混じって、安心するいい匂いがした。彼は何も言わずに、精一杯甘える私の頭に手を乗せた。彼の手は温かく、しっかりトリートメントをした私の髪の毛を梳かすに撫でた。私の意識は徐々に薄くなっていった。今日は感情がかなり動いたから、疲れたのかもしれない。もしくは、安心して自分の思ってくれている人の匂いに心が落ち着き、眠くなってきたのかもしれない。消えてゆく、意識の中で私は、精一杯心をこめて彼に一言言った。
「大好きだよ。」
自分が確認に来た時には、すでに薫さんの姿はなかった。
「間に合いませんでしたね。」
「仕方ないよ。でも、彼女にとってはいいことだったかもしれない。幸せのまま、何も感じることもなく、消えたのが。」
「切なかったですね。」
「そうだな。」
「ここでの、世界って、現実の情報をもとに世界を作るんですよね?」
「そうだけど?」
「宗介さんは実際どうだったんですかね?」
「彼は彼女のことを本気で思ってたよ。彼女の葬儀で誰よりも泣いてたし、お墓参りの時も、そう言っていた。」
「なら、尚更切ないです。」
「そうだろ。だから自殺はダメなんだ。どんなに絶望で黒く塗られたとしても、その上からまた違う色を塗ることができる。塗ってくれる人がいる。でも、そのことにはなかなか気づくことはできない。人の感情も、心の中も読めるものじゃないから。だから、大切な人ほど、思っている人ほど、正直な気持ちを伝えることが必要なんだ。失わないために。その人を繋げるための楔になるために。」
「そうですね。でも、正直、薫さんが羨ましかったです。そんなに自分のこと思ってくれている人がいるなんて。」
「人間は求められると答えたくなる。彼は彼女を求めることを行動で示した。彼女は求められたからそれに答えた。でも、いつの間にか自分も求めてた。好きっていう感情はそんなもんだと思うよ。」
「恋愛経験もないのによく言えますね。」
「まあ、見てきたからな。切ないものを何度も。」
「伯斗さんは、人を好きになるとかないんですか?」
「わからない。でも、しおりのことは自分の中では特別だよ。初めてできた、自分にとって大切な人だから。」
あまり考えずに口から言葉が出てしまった。言った自分が恥ずかしくなって、しおりの方を見れない。
「嬉しいです。私も、そうですから。」
彼女の口から出た意外な言葉に思わず振り向いた。目があった。血液が体をのぼり、かっかするのがわかった。しおりは目を背けることはなく、何か決心したみたいに目に力を入れて、少し自分を睨んでいるように見えた。
「薫さんを見て私決めました。自分の気持ちには正直になるって。好きです。私を伯斗さんの支えにしてください。」
その言葉とともに、限界を迎えた世界は幕を下ろした。