19歳男性の場合 part1
自殺は犯罪になり得ない。罪を償う人間が死んでいて、その罪を裁くことができない。
死は救いと色々なところで言っているのを聞くことがある。そりゃあ、自分は救われるだろう。救われて、苦しみから逃げることで楽になる。何も感じないから。
でも、自分以外は救うどころかさらに傷つける事になる。人は一人では生きていけない。もともと、孤独に耐性のある人間なんて存在しない。生まれてこの方、人と関わらずに生きてきた人間なんて存在しない。草食動物と違い、人間は自分で立つことすら時間がかかってしまう。少しずつしか成長できない生き物。その辺の草を食べて生きていけるものでもなければ、不快なことがあれば泣き、誰かに助けを求める。一人で生きてきたという人間がいるなら、俺はそいつをぶん殴ってやりたい。
自分だけ救われる自殺に正義は一切なく、悪行以外の何者でもない。可哀想でもなければ、悲しむ必要さえない。むしろ怒りを覚えるべきなのだ。自分勝手に人を傷つけて自分だけ楽になりやがって。誰の許可得て死んでんだ。てめえに使った時間を返せってな。
でも、そんなことできるはずもなく、接してきた人間には少なからず情が芽生えており、その人のことに関して一喜一憂した人もいる。悲しみを抑えることはできずに、人は自分を責める。当たる相手がいないから。話して楽になることでもないから。自分の思いが届いていなかったことに絶望を覚えて、自暴自棄になる。
自殺を可哀想と思う思想は、命の価値を歪め、自分の価値感に疑問を抱いてしまう。命はどうしても消費期限があるもの。制限があるからこそ美しいという人もいるが、俺はそうは思わない。色々な人の人生の後悔を見てきて、制限があるから美しいと感じたことはない。自分を取り囲む人やもの、環境や時間。全てが合わさってやっと命は美しいのだと思う。美しい命には人が寄ってきて、その人の影響で色々なものが綺麗になっていく。それはその人が死して尚残り、受け継がれていく。命の価値はそこにしかない。生き物としての本能は生きているうちに自分の痕跡を残すこと。それが遺伝子であれ、物であれ、思想であれ。だから、自殺は裁かなきゃいけない。罪になり得なくとも。命の美しさが霞んでしまうから。
俺が言えた口ではないが。




