5
すっかり片付いたお茶会会場の隅で、サラはぼんやりと薔薇を見つめていた。
王弟殿下とカルゴは、女性たちを馬車まで見送るといって行ってしまった。いっしょに下がろうとしたサラは、なぜかカルゴに「待っていてくれ」と言われてひとり、残されている。
片付けに来た侍従が、気をきかせて椅子を一脚置いて行ってくれたのでありがたく座って待っているのだが、なぜ自分だけ待たされているのかわからない。
「すまない、待たせたね」
ふと、背後からかけられた声に振り向けば親し気な笑みを浮かべた王弟殿下がいた。どきりとはずんだサラの胸は、殿下の後ろにいつも通りの渋面で立つカルゴを見つけてほっと落ち着いた。
「あなたのおかげでみんなと良い雰囲気で話ができたよ。うわべだけでない彼女たちの気持ちも聞けたし、カルゴの言う通りあなたを招待して良かった」
「え?」
殿下のことばにサラはきょとりと目をまるくした。
このお茶会にサラを招待したのはカルゴだったのか。けれど、それはどうして。
―――カルゴはわたしが殿下と結婚すればいいと思っているの……?
ちくり、胸を刺す痛みに押されてカルゴに目を向けた。
「さて、では私はお暇するとしよう。ああ、そうだサラ。先月、誕生日だったんだってね? おめでとう」
「え? あ、はい」
さらりと告げた王弟殿下は、サラたちに背を向け颯爽と立ち去っていく。その後ろには、庭園の影にいたのだろう護衛騎士たちが続く。
カルゴがその場で見送っているのだから、サラも習って横に並び遠ざかる背中に頭を下げた。
下げながらも、サラの頭のなかは「どうして殿下がわたしの誕生日を?」という問いでいっぱいだ。
「……気に入ったか」
ふと、カルゴの声が落ちてきてサラは顔をあげる。王弟殿下の姿はもう見えなくなっていた。
「ええと?」
カルゴの問いの意味がわからず首をかしげるサラに、カルゴが目を細める。
「お茶会だ。サラはこういうのが出る物語が好きだっただろう」
「……もしかして、海歌姫や月夜姫のような?」
サラがそういったお姫さまの出る物語を表立って読んでいたのは、子どものころだけだ。大人になってからは密やかな楽しみにしていたから、カルゴはいまも読み返しているなど、知らないはず。
それなのに。
「ああ」
当然のようにうなずいてから、カルゴはぴたりと動きを止めた。じわり、と眉間のしわを深くしてガーゴイルめいた顔になってからうなるように声を出す。
「……もしや、いまはもう興味がない、か?」
聞くひとによっては脅すように聞こえるのだろう、けれど付き合いの長いサラにはそう言うカルゴの声ににじむ不安が聞き取れた。
「ううん! いまも大好き。このお茶会の準備は補佐官がする、って。もしかして、あの女性たちを選んだのは……」
「いいや。彼女らは書類審査で選ばれたから、俺は関わっていない。彼女らに物語の姫を見出したのはサラだ」
まさか王弟殿下の結婚相手探しを私物化したのか、と恐る恐る聞けば、カルゴはゆるりと首を横に振った。
ほっと息をついたサラは改めてお茶会の会場を見渡した。鮮やかな薔薇に囲まれたティーパーティ。飾りつけもおしゃれなテーブルも片付けられてしまったけれど、そこにあったのは確かにサラが思い描いていた物語のなかの景色だった。
「それじゃあ、この素敵な空間を作ってくれたのはカルゴなのね。わたしが夢見てた、お姫さまのティーパーティ」
「ああ。その、もうひとつの誕生日プレゼントのつもりだ。さすがに舞踏会は無理だったからな……」
渋い顔をするカルゴに、サラは思わずくすりと笑ってしまう。
「いい年して、お姫さまになりたいわけじゃないもの。それに、踊りかたなんて知らないし―――」
言いかけたサラの手を取って、カルゴが引いた。
やさしく、けれど力強い彼の腕にされるがまま足を進めた先は、バラに囲まれた庭園の真ん中だ。
「簡単だ。腕をあげて、もっと俺にくっついて」
「え? え?」
驚いているうちに、サラの右手にカルゴの指が絡み左手は彼の肩に回すように乗せられてしまう。
背中を支えるカルゴの腕と密着した腰に押されて、サラの脚が勝手に後ろに踏み出させられる。
「踏み出して、スライド。スライドして、足を戻す」
「え、え、え!」
「ワン、ツー、スリー。ワン、ツー、スリー」
「め、目が! 回る! あ、ちょっと!」
カルゴのするがままくるくると回されて、彼に引っ張られた上半身につられてサラの脚が勝手にステップを踏む。
正しいかどうかもわからない。ただただ、振り回されるままついて行くのに必死で、ようやくカルゴが立ち止まったとき、サラの息を切れ切れになっていた。
「はあっ、はあ、もう! こんなおばさんが、ダンスなんて!」
整わない息のまま、文句を言ってやろうと見上げたカルゴがあまりにも近くて、サラは息をのんだ。
そういえばまだ背中に腕を回されたままで、腰は密着している。踊り終えて気が付くと、その事実が恥ずかしくてサラは耳まで熱くなった。
「サラ」
熱くなった耳に、カルゴの声が吹き込まれる。
びくり、と震えたサラの背中に回った腕にぐっと力がこもる。まるで、離さない、とでも言うように。
「舞踏会は開いてやれない。ダンスの音楽を奏でる楽団も用意できなかった。それに、なんだ、お姫さまのドレスが似合ううちに、言えなかったが……」
背中に添えられたカルゴの手が熱い。
けれどそれ以上に、サラを見つめるカルゴの瞳が熱を持っていて、サラは目を離せなくなる。
「俺と、結婚してくれないか」
ぶわりと、サラの胸に熱いものがこみ上げる。初恋だった。いつからか、カルゴのそばを居心地がいいと感じていた。
けれどサラは頷けない。
少女のころなら、笑って頷いていただろう。
二十代の自分は、きっと涙を流して、それでも「はい」と答えただろう。
三十代だったなら、どうだろう。「今さらよ」と言いつつ、彼の手を取っただろうか。わからない。
けれど、四十を超えてしまったサラは、頷けない。
うつむいて、カルゴの視線から精いっぱい逃れながら唇をかみしめる。
「……だめよ。わたしただの孤児だもの。それにもうおばさんだから。子どもを生むには年を取りすぎてしまった」
カルゴは王弟殿下に気に入られて城で働いているけれど。
彼の実家は王都でも有名な商家だ。だから庶民に教育を施すなんて試みを王城から託されたのだ。そのおかげでカルゴと出会えた。そのおかげでサラは働き口を得た。
カルゴにも、カルゴの実家にも王城にも、すべてに多大な恩がある。
それを仇で返さないためにサラにできることは、カルゴの手を取らないこと。できるなら、跡取りを産める若い娘さんと彼の仲を取り持って……。
ぽろり、と涙がこぼれた。
ずっと、彼の幼馴染の立場で満足していようと思っていたのに。もしかして、もしかしたらと夢見る時期をすぎてから「結婚してくれ」と言い出すカルゴが憎くなった。
諦めようと思って生き続けて、ようやく諦めたところだったのに。
突き放そうと押したカルゴの胸は、けれど離れるどころかサラをぐっと抱き寄せてすき間をなくしてしまう。
「いいんだ。親父を説き伏せた。弟にも頼み込んだ。後継者争いを起こさないために子どもは成さないと誓ったから……そのせいでサラをずいぶん待たせてしまったが、もう文句は言わせない」
サラの目からぽろり、と涙がもうひとつぶ。けれど今度は喜びの涙だ。
「ほんとう、に?」
「ああ。俺は、サラが……サラのことがずっと好きだった。これからもずっと、そばにいてくれ。いや、いてください」
ぎゅう、と抱きしめられて、サラは涙が止まらなくなる。
「結婚式には、サラの好きな物語の姫になぞらえたドレスを作ろう。俺は王子さまという柄ではないが……」
ガーゴイルのような顔で眉を下げて困ったように言うカルゴに、サラは泣きながら笑った。
「こんなおばさんをお姫さまにしてくれるんだから、カルゴはすてきな王子さま。わたしだけの、王子さま」
サラのことばに微笑んだカルゴはやっぱり怖い顔だったけれど、それでも、サラはとても幸せだった。
ルクロス「理想のプロポーズについて考えてるうちに時間が経ちすぎたっていう話は……」
仕立て屋「黙っておいてやりなさい。サラが悲しむから家を出るわけにもいかない、けれど子を成せなくなる年になるまで待っている間にほかの男に取られたらどうしよう、と思い悩み続けたガーゴイルがようやく告白をしたのだから」
王弟殿下「ははは。わたしの婚約者探しをプロポーズのための場にしようっていう考えが、いいよねえ。彼の豪胆なんだか繊細なんだかわからないところ、好きなんだよね」