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秋焦ガレル旅人

作者:須々木正(Random Walk)


「どうしたんだい、旅人さん?」
 細い街道沿いの小さな茶屋。茅葺(かやぶき)の平屋建築。軒先には縁台が二つ並んでいる。
 その前で立ち止まった旅人が、右の肩に引っ掛けていた大きめの巾着袋から手帳を取り出し、盛んにページをめくっている。旅人は三十前後といった感じの男。
 すると、茶屋の中からそれに気付いた人が出てきて声をかけた。
「峠之茶屋というのは、ここのことですか?」
 旅人は尋ねた。
「ああ、そうだよ。ここが峠のてっぺんだからね」
 建物にも縁台の脚に括りつけられた(のぼり)にも、書いてあるのは御茶屋の三文字。旅人はそれを見つめている。
 茶屋の人は、旅人の視線に気付き、言わんとしていることを察する。
「この峠にはうちしかないからね。御茶屋で十分だろ?」
 人通りの少ない街道。風になびくススキの野原、地蔵様の周囲を飛び交う鮮やかな色彩のアキアカネくらいしか見当たらない。改めて見渡せば、何一つ書かれていなくても問題ないくらいだと言える。
 旅人は再び手帳に視線を戻す。さらにページをめくってから、茶屋の脇を見遣る。
 その様子を茶屋の人はただ黙って眺めていたが、やがて同じ質問を繰り返した。
「どうしたんだい、旅人さん?」
 旅人は面を上げ、茶屋の人の顔を見る。
 茶屋の人は、肩にかかるくらいの艶やかな髪を後ろで結っていた。透き通るような肌、鼻筋の通った整った顔立ち。上背は旅人と同じくらいだが、やや細身。男としては華奢だが、女としては頑丈というくらいの体格。口調は男っぽいが、物腰は女っぽい。大きく茶の一文字が書かれた前掛けに、突っ掛けを履いている。
「ここには、秋が残っていると聞いて……」
 旅人は答える。茶屋の人はそれを聞き、旅人に一瞥やってから表情を崩す。
「なるほどね。久々だよ、アンタみたいなのは。もう今は誰もそんなものには見向きもしないからね」
 話が伝わったと思い、旅人は安堵感から僅かばかり緊張を解く。
「案内するよ。少しだけ待っていてもらっていいかい? 準備をしてくるから。あ、お茶でもどう?」
「いえ、お構いなく」
「……ああ、そうかい」
 茶屋の人は、突っ掛けをカタカタ鳴らして奥に消えていった。旅人は縁台に腰かけ、手帳に視線を戻しページをめくった。旅人の前を二匹のアキアカネが通過する。

 茶屋の人はあまり間をおかずに戻って来た。前掛けはなくなっているが、格好はほとんど変わっていない。敢えて言うなら、突っ掛けが草履になったくらい。街道を往く人たちと同様に、藁紐でしっかり足に固定している。
「それでは行きますか」
 茶屋の人は涼しげに微笑みかけた。
「茶屋は大丈夫なんですか?」
 旅人は、茶屋に他の人の気配がなかったので心配になるが、茶屋の人は戸締りをすることもなく歩き出す。
 茶屋の人は、建物の脇を通り裏手に回る。旅人もそれについていく。微かに色づき始めた木々の隙間を抜けた光が地面に斑模様をつくっている。
 完全に裏手に回ると、茶屋の人は旅人がついてきているか確認するために振り返る。旅人はしっかり後ろにいて、茶屋の人が立ち止まったタイミングで進行方向を確認した。
「こんなところに道が……」
 その場所からは、細い上り坂が続いていた。街道からは全くの死角になっていたので気付かなかったのだが。
 上り坂は街道と比べれば遥かに狭い幅だったが、人が二人並んで歩くには十分だった。ところどころ大きめの石ころがあったので、躓かないように注意する必要はあったが、しっかりと踏み固められた道だった。
 二人は並んで歩くことになり、自然と言葉を交わし始める。
「旅人さんは、秋を見に来たんだっけ?」
「そうです。ようやく念願が叶います」
「それは喜ばしいことで」
 茶屋の人はにこやかに答える。
 上り坂は、はじめこそかなりの傾斜だったが、その後は緩やかになっていった。しかし、先は長いようにも見える。
「疲れたら言ってくださいね」
「大丈夫です。一刻も早く見たいので、休む時間も惜しいくらいですよ」
「なるほど」
 茶屋の人は、それから暫く口を閉ざしていた。時々周囲を見渡し、斜面を下る心地良い風を感じた。
 ふと旅人が話し始めた。
「雅な風景、美味しい食、身体を動かす喜び、豊かな芸術が育まれ、知性に触れる読書体験。これほどまでに素晴らしい季節である秋が、なぜ消えてしまったんでしょうか?」
 隣を歩く茶屋の人は、旅人の顔を横目で見てから、少し間をおいて答えた。
「アンタは、雅な風景を見ないと死ぬかい?」
「……いえ、死にません」
 旅人は、予想外の返答に一瞬戸惑うが、短く答えた。
「美味しい食がなくても死なない。特別身体を動かさなくても死なない。豊かな芸術がなくても、読書をしなくても死なない。つまり、そういうことさ」
「はあ……」
「これらは、なくても死なない。生きていける。だから、どんどん削られてしまった」
 茶屋の人は立ち止まった。旅人も立ち止まる。
「だから、秋は、ここみたいに時代遅れで辺鄙な場所にだけ残ったのさ」
 上り坂は終わり、小さな家屋が点在する集落が現れた。

 そこには、街道沿いの茶屋のような茅葺建築と規模の小さな歪な畑が広がっていて、その間を縫うように幾筋かの細い路地が通っていた。集落はあまり広くないようで、周囲は赤や黄や橙に色づいた葉をつけた幹が並んでいる。
 人々は、唄を口ずさみながら畑仕事に精を出したり、軒先に敷いた茣蓙(ござ)の上で籠や草鞋を編んだりしていた。子供たちは、大人の手伝いをする者もいれば、無闇に歓声を上げながら駆け回っている者もいる。
「チューユ、その人は? 旅人かい?」
 二人が路地を進んでいると、籠を背負った老婆とすれ違った。籠の中には山菜や(きのこ)や芋が入っていた。
「そう。秋が見たいんだってさ」
「そうかいそうかい」
 老婆は旅人の顔を見る。
「腹は減ってないかね。良い芋が採れたし、()かし芋なんてどうだい?」
「いいねえ」
 茶屋の人は老婆の提案に賛同する。しかし、旅人はそれを控えめに制する。
「あ、あの……先を急ぎたいので」
 茶屋の人は、少し残念そうな顔で老婆に目配せをする。
「そうか。それなら、しょうがないねえ」
 老婆はその場を立ち去った。二人は再び歩き出した。
「急ぎの旅をしているのかい?」
「いえ、旅の目的は秋を見ることだけですよ。このときをずっと待ち焦がれていたので、居ても立ってもいられなくって」
 茶屋の人は、一度旅人の表情を覗き込むようにしてから、特に何も言わずに進んでいく。
 やがて、二人は集落で一番大きな建物の前に至った。石灯篭の間に短い石畳が続き、その向こうに柱の太さが目立つ外廊下が見える。
「手習所だ。子供たちが学問を身につけたりできるし、古今東西の知識を集めた書庫もある。そして、裏の離れは工房になっている。風景や人物を描いたり、土を練って焼き物をつくることもできる。登り窯もあるからな」
 ちょうど二人の脇を子供たちが駆け抜けていく。板の階段を駆け上がり、引き戸を開けて入っていく。
「私も時々ここの書庫で、寝食を惜しんで読み耽ることがある。誰でも入れるけれど、寄っていくかい?」
「いえ……」
「そうだな。先を急ぐんだったな」
 手習所の後は、ほとんど分岐もなく緩やかに弧を描きながら道は続いた。道は鮮やかに色づいた雑木林を抜けていく。落葉は地面も染め上げている。
 茶屋の人は、時々旅人の様子を見ながら、しばらく黙って進んでいく。旅人は、いつの間にか取り出した手帳を見ている。
「熱心に見ているが、その手帳には、何かとても大切な事が書かれているのかな?」
 茶屋の人がようやく話しかける。
「いえ。ただ、読み落としがないか確認しているんです。せっかくの機会を逃すわけにはいかないので」
「そうかい」
 茶屋の人は木漏れ日のような柔らかい表情でそう言った。
「ところで……ここには残った秋が、他のところでなぜ消えてしまったんでしょう? いったい、どのような違いがあってそうなったんでしょうか?」
 先程の問いとは、似て非なるものだった。
「なんでだろうね?」
 茶屋の人はとりあえずそう答えた。それは、分からないというよりも、問いを投げた者自身に考える時間を与えるような口調だった。
 旅人は答えに窮する。旅人から答えが出てこないことを悟ると、茶屋の人は話し始めた。
「秋を楽しみたいという気持ち、味わいたいという気持ち、そして、心の余裕を失ったから」
 旅人は熱心に聞いているが、腑に落ちたという感じではない。茶屋の人は続ける。
「限りある生を全うすることは、効率を重視し、そこにより多くのものを詰め込むことだと思うようになってしまったから」
 話は小さな(いとま)を挟み、静かに続く。
「それでも、結局人間なんて、一人分の人生しか生きられないのにね。詰め込んで詰め込んで、はち切れそうなほどになったって、二人分にはならないのにね」
 旅人は、なおも熱心に耳を傾けている。
「一を二にしようとした結果、人は秋という季節を失ったのさ。むしろ、季節を一つ失ったのだから、一より小さくなっちまったんじゃないかとさえ思えてくるけどね」
 雑木林は途切れる。二人はいつの間にか、集落の入口に戻っていた。
 旅人は戸惑い周囲を見渡してから、茶屋の人に向き直る。
「秋を見せてくれるんじゃなかったのか?」
 憤慨を抑えようとしても、口調は粗暴になってしまっている。
 茶屋の人は、顔色を変えることなく、眉一つ動かさず言う。
「それが答えだよ、旅のお方」




(おわり)



こちらは、創作サークルRandom Walkにて、「秋」をテーマにした作品をつくるという企画があったときに執筆されたものです。


▼関連ブログ記事 → http://ameblo.jp/random-walk2010/entry-12087237339.html


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