その3【完】
ショウニンドウのオリツエ、というのは、「聖人洞の御律会」と書くようだった。それがわかったのは、村役場前の掲示板に貼ってある年間行事表でだった。
そろそろ腹が減ってきた。朝は称徳寺で出された大きなおにぎり二個と味噌汁で済ませたが、馬祖神社と地蔵ヶ原を回って市街地に戻ると、もはやお腹はぺこぺこだった。
役場の食堂に行くか、それとも別の場所を開拓してみるか。
錆の浮いた案内板を見ていると、稲荷食堂という文字が目についた。そういえば、今まで村の東側ばかり見ていて西側は見ていない。さっそく電話してきくと、十一時から開いていると言う。そこで、必ず行くからと約束してから向かった。
外観は、昭和情緒満載の古食堂だった。
ガラスケースの食品サンプルは茶色く変色して、値札だけが更新されている。
木の枠の引き戸を開く。
映画に出てきそうなメラミン化粧板のテーブルに、手作りのカバーが掛かった丸椅子。各テーブルには醤油とソースと塩の三点セットが鎮座している。客は一人もいない。
腰の曲がったおじいさんが、水の入ったグラスをお盆に乗せてホールに出てきた。
「いらっしゃいませ。ご注文をどうぞ」
「カレーとうどんのセットをお願いします」
「カレー丼?」
耳が遠いらしく、メニューを指さしてようやく注文が通った。
「ご一緒においなりさんはいかがですか」
どこで覚えたのか、ノリはファーストフード店だ。
「量を見てから考えます」
「へえ」
おじいさんはよぼよぼと厨房に入っていく。
神棚にはお稲荷さんが祀られている。隠れキリシタンの家系ではないだろう。
数分後、カレーとうどんのセットが出てきた。あまりおいしくないご飯にレトルトカレーがかかったカレーライスと、おそらくは地元の乾物を使ったであろう素朴なうどん。ナルトが乗っているのがアクセントか。仮に観光地となったとしても、名物になる可能性はなさそうだ。
スマホに電話がかってきた。
文化財調査課の同僚からだ。テレビ電話になっている。
「今、大丈夫ですか」
「あ、ああ」
店主の反応を見つつ電話に出る。
「大変なことがわかりましたよ。帰命一心アラカ、てのがあったじゃないですか。あれ、おそらく景教の『神と子と聖霊』です」
「はあ!?」
景教というのはネストリウス派キリスト教のことだ。中国では唐の時代に皇帝の庇護をうけて流行したがすぐに姿を消した。
「ミシカてのはメシアのこと、ネクサてのはたぶんラテン語のネクサスで『つながり』という意味です。アラカはヘブライ語のルーアハ、つまり、風、息、霊を示す言葉かもしれません」
「ふむ」
「ジョ経って話がありましたよね。あれ、たぶん『序聴迷詩所経』のことです。それには、デウスのことを天尊って書いてあるんですよ」
同僚は、プリントアウトした文書をかかげて見せる。『序聴迷詩所経』という題だけ四倍角で、そこだけはっきりと読めた。
「何、その迷った感じのお経」
「『迷詩所』てのはメシアの音写なんです。このお経――そちらで言うところの『序経』は『大蔵経』の中にも入っています」
『大蔵経』というのは仏教経典の大全集のことだ。とくに『大正新脩大蔵経』全百巻は、大正時代に日本の仏教学者が既存の『大蔵経』を元に編纂した集大成である。そこには、経律論の伝統的な三蔵に加えて、様々な仏教思想が収録されている。
同僚は付け足した。
「ただし『外教部』の中なんですけどね」
「なんだ、そういうことか」
私は笑った。
『大正新脩大蔵経』――略して「大正蔵」には、仏典以外の『老子化胡経』や「大秦景教流行中国碑」の文なども収められている。いわば参考文献だ。称徳寺では外教部のお経を『序経』という仏典としてとり扱っているのだろう。外教部ということは伏せて。
ふと記憶の底からわきあがるものがあった。
「景教流行碑の中にアラカって出てこなかったか?」
「えっ!?」
同僚は見えない位置にあるパソコンを操作する。
「えっと、これですかね。確かに『三一妙身無元真主阿羅訶』ってありますね。あ、弥施訶という言葉も出てきます」
「つまり、隠れキリシタンよりも前にすでにネストリウス派キリスト教が入っていたんだ」
「嘘でしょ!」
「景教の碑というと八世紀頃だっけ。奈良時代、天平文化の頃。そういえば称徳天皇という女帝もいたなあ」
「ですです」
大変なことになった。来日した神父たちは、景教が根付いている土地に来たとは思わなかっただろう。彼らはカトリックの教えを正統とし、村人は村に根付いた景教を正統とする。三位一体や聖母マリアといった基本的な教義は共通している。だから村民は潜伏キリシタンとして名乗り出たのだ。しかし、どこかで大きな食い違いが出てきた。そして、神父たちを追放した。――日本史を書き換える大発見だ。
電話をきると店主がにこにこしながら現れた。
「お稲荷さん、食べてきなさいますか。無料でおつけしますよ」
「あ、はい。ありがとうございます」
店の看板メニューにふさわしく、確かにおいしかった。甘めの出汁で煮込んだおあげに、ほどよい味付けの五目ごはん。いなり食堂と名乗るにはそれだけの理由があるのだ。
そろそろ他のお客さんも入ってきた。みんないなり定食を頼んでいる。
私は勘定をすませると表に出た。
聖人洞は、埠頭のあたりを東にぬけたその先にあった。砂浜に「御律会」と墨書した真新しい木の看板が立ててある。
称徳寺の住職がいた。今日は黄色い衣にローブのような黄土色の大きなころもをまとっている。
「この看板は、昨日書いたばかりなんですよ」
和尚さんが教えてくれた。どうやら、観光資源として推進してほしいらしい。
確かに、海に向かって大きく口を開いた洞窟は見場がよかった。さっそく写真を撮っておく。支給品のスマホなので、撮影したデータはすぐにクラウドにアップされる。
「どうして聖人洞と言うのです?」
「いつ頃かは分からないのですが、昔の聖人がここで入定したという言い伝えがありましてね。わしらはその威徳を忍んで法要を行うというわけですよ。あとで村長たちが奥まで案内したいと言ってますから、どうぞ行ってみてください」
「あの、妙なことをおたずねしますけど、この場で皆さんの意見をうかがう、なんて機会はあるんでしょうか」
私は、馬祖神社で会った老人の話をした。
「ええ、よございますよ。オリツエに限らず『万機公論に決すべし』ですからなあ、ねえ、村長」
気がつくと、羽織袴姿の村長と三役がそばにいた。
「まことにその通りでございます」
「いわば村議会議員など飾りですわ。本当に重要なことは、みなの合議で決めます。それが何百年も続くこの村の伝統です」
「いわば直接民主制ですな。小さな村ならではのならわしですわ」
昨日の老人の自信がここから来ていたのかと思い知らされる。老人たちばかりのこの会場では、おそらくは変化を嫌う人が大半だろう。観光地にされたら村の秩序をわきまえない他所者があふれかえる、ゴミ掃除や騒音で無駄な負荷がかかる、そういったところか。ここは腹をくくってメリットを伝えるしかあるまい。
読経に御詠歌といった御律会の儀式はとどこおりなく終った。
頼みの綱の住職は、儀式がおわるとすっと帰ってしまった。聖職者は公的な場では俗事に口をはさまないのだろう。
「県庁の方が見えていますので、ぜひ一言お願いいたします」
村長の紹介に、私は卒のない自己紹介をする。そして、県庁から託された「新たな潜伏キリシタン関連遺産の発掘」、さらには観光資源の開発といった話をする。そして、村を去った子や孫の就業の場ができれば、また村が活気づくだろうと感情を込めて語る。
「……廃校になった小学校に子供たちが走り回る姿を想像してください。結論は今すぐに出さなくても結構です。ただ、あと数年もすれば全国的なドローン交通網が完成し、距離感が大きくかわります。それに備えて今から動き出すことをおすすめしたいのです」
もはやそれ以上言うことはなかった。
「ありがとうございました」
村長の言葉とともに礼儀正しい拍手が起きる。
それだけだった。
予想していた激しい質疑応答や侃々諤々の議論はなかった。村人は三々五々その場を去り、日常へと帰って行く。最初から結論は出ていたのかもしれない。
気がつくと潮が満ちつつあった。湾の奥だから荒波はない。ただ、粛々とせまり来る海水に聖人洞の前の砂浜はせばまっている。
「まあ、おいおい考えるっちゅうことですな」
三役の一人かがぼそりとつぶやいた。
私は、村長たちに誘われて聖人洞の奥へと進んだ。
さすがに不安になったのでたずねた。
「満潮になったら帰れなくなりませんか?」
「大丈夫です。奥から出られますから」
力強い返事だ。
「実はこの奥に鍾乳洞がありましてね。わしらが子供の頃はよく遊び場にしていたもんです」
「ここらなら観光地として開発しても問題ないと思いますんや。どうぞ、ご覧になってください」
懐中電灯の光を頼りに、砂の道をふみしめながら奥へと進む。
ところどころに漂着物が山をなしている。外国のペットボトルも多い。
「こりゃ大掃除せんといけませんなあ」
「ほんに、海に物を捨てるなんて、罰当たりな事ですわ」
暗に、オーバーツーリズムをあてこすっているような気もする。疑心暗鬼だろうか。
やがてあたりは鍾乳洞になった。水晶の柱も立っている。懐中電灯の光を反射して、幻想的な光景が広がっていた。その中を、村長たちですらちょくちょく迷いながら先へ進む。
「さあ、つきました。その先が聖人塚です」
洞窟の先端には、地上からの光が降り注ぐ場所があって、そこには大きな十字架が二本、立てられていた。
それには二体のミイラがしばりつけられていた。両手を広げて横木に縛りつけられ、キリスト像のように顔をうなだれている。美麗なカトリックの司の服を着ていて、ある意味即身仏のようでもあった。
「行方不明になったフランス人宣教師ですか」
「はい。フランソワ・ペルティエとアレクシス・ボネです」
「どうしてこんなことを……」
「貪欲の大罪をおかしたからです。村人に、収入の十分の一を差し出せ、さもないと最後の審判で地獄に落ちるぞ、などととおどしたと聞いています」
「そうそう。最初は父母に孝養をしろ、殺生をするな、盗みをするな、邪淫をするな、とまともなことを言っていたのがだんだんおかしくなって」
「ついには、世界の終りには怪物が出て来るとか、天使の軍団が人々を虐殺するとか言い出したそうですわ。これは詐欺師か邪教の徒であろうということになりまして、ついにはこのようにはりつけにしたと聞いています」
「まあ、最後には悔い改めて祈り続けていたと言いますから、まことに観音様のお力というのは偉大なものでございます」
村長たちは、二本の十字架に向かって唱えはじめた。
なーむー じいぼー かんぜおんー……
果たしてこれを世間に公表してもいいのだろうか。そもそも私はこの洞窟から出られるのだろうか。
背中を冷たい汗が流れ落ちるのだった。




