その1
日本でのコロナ禍の始まりの年、全国の大学は開店休業状態に陥った。
関西の大学で助手をしていた私は、生まれ故郷であるN県の文化財調査課の調査員に応募して採用され、ようやく日々の糧を得られるようになった。仕事は、県内にある古い文化遺産を調査してデータベース化すること。図書館、博物館、文化財がある現場、そして県庁を行ったり来たりする生活だ。最初にあたった寺で貴重な文化財を見つけて、一目置かれる存在になれたのは幸運だった。
そして、しばらくして訪れたインバウンド景気。「潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産として登録されたことは、観光産業には追い風となった。
データベース化の課程で、とても奇妙な事例に出会った。
明治年間、大浦天主堂のベルナール・プティジャン神父に信仰を告白したA村の人々が、明治二十二年の大日本帝国憲法で信教の自由が認められた十年後、我々はキリシタンではなく仏教徒だ、と県と外国公使に抗議したという記録が残っていたのだ。曰く、我らが信仰していたのは慈母観音であり、唱えていたのは真言である、キリスト教とは一切無縁である、と。そのことがわかったのは、A村に小さな教会堂が建てられ、外国人神父が来るようになったのがきっかけだった。
私は、文化財調査課の課長から未知の潜伏キリシタン関連遺産を発掘するよう言われていたので、この件を深掘りしてみることにした。
A村は断崖絶壁に三方を囲まれて、現代では珍しく車が走れる道が通じていない。隣のK県から船に乗って行くしかないのだ。それも地元の漁師さんと交渉して頼むしかない。まさに陸の孤島と言うべき場所だった。
漁船は、両腕のように広がる半島の間を奥へと進む。その先の森の合間にいきなり村が見えた。古びた家の屋根にはパラボラアンテナが並び、奥の高台には古そうな寺、その近くには崩れ果てた教会堂らしい建物が見える。私は漁師に礼を言い、木製の古びた桟橋に降り立った。
あらかじめ連絡しておいたので、村長以下村の三役がそろい、紋付羽織袴で出迎えてくれた。県職員の菜っ葉服を着た私は、恥ずかしさに身がすくむ。
「ようこそおいでくださいました」
腰をかがめて丁寧に挨拶された。
村の人たちに名前と役職を告げられたが、陽光と潮風にさらされてしわだらけになった顔はよく似ていて、すぐに誰が誰か区別がつかなくなった。
「まずは村役場へご案内いたします」
村の中程にある鉄筋コンクリートの建物へ向けて歩く。横には消防団の詰め所と廃校になった小学校があった。ここは高齢者ばかりの限界集落である。そして、坂と細い道ばかりで車はあってたとしても通るのが難しい。港から続くメインの通りの両側には、昔の遊郭跡らしい建物や、風呂屋を改装して作った雑貨屋があった。
役場の二階にある村長室に案内される。飴色の壁板は、明治頃の洋館を思わせてここがコンクリートの建物の中だということを忘れさせてくれた。壁には往年の村の写真が飾られていた。白黒写真の、若い男女の笑顔がまぶしい。
改めて名刺交換をする。名前と役職は紐付いたが、やはり顔は識別出来ない。ひょっとしたら姓は違っても血縁関係なのかもしれない。
出されたお茶で口を湿すと、私は本題に入った。
「県としましては、世界遺産のブームに乗って新たな潜伏キリシタンの遺跡や遺物を掘り起こし、新たな観光資源としたいと考えているのです」
地元のメリットを強調する。
村長は、にこにこしながら話をきく。そしておだやかに言った。
「残念ながら、ご期待には添えないと思うのです」
「と、おっしゃいますと……」
「まず、ご理解いただきたいのは、この村が元々、漂着者で成り立っているということなのです。その中には、雲仙・天草から逃げてきたキリシタンもいたかもしれません。明治頃に名乗り出たのは、そういう家の子孫だったのでしょう。けど、村をあげてキリシタンだった、などということは一度たりともなかったのです」
「けど、プティジャン神父の日記には、この村から多くの人々がつどって来て信仰を告白したとあります」
「そりゃあ、物見遊山の衆でございます。バテレン教――失礼、キリスト教に帰依するという強い意思があったわけではなく、ただ大浦天主堂が物珍しいので見に行ったというだけでございますよ」
村長立ち上がるとは、壁にかかった大きな地図を伸びる差し棒で示した。
「この突端に馬祖神社とありますでしょう。私らはこれが航海の女神である媽祖を祀った神社ということで縁を感じ、数年に一度、台湾や東南アジアの媽祖ゆかりのお廟にお参りに行っております。だからといって、私ら全員が道教を信仰しているというわけではない、それと同じことなのです」
納得のいく説明だった。けど、私の仕事は今を生きるキリシタンのフィールドワークではない。残されたキリシタンの痕跡を探すことなのだ。
「あの、お願いしておいたお寺の見学については……」
「住職に話は通してあります。今からまいりましょう」
田舎の村らしく、一度トップに話を通しておいたら物事はとんとん拍子に進む。お茶を飲み干した私は、三役に先導されて大通りを上がりきった先にある称徳寺へとむかった。
「ようこそおいでなさった」
頭をきれいにそり上げたお坊さんがにこやかに出迎えてくれた。五十か六十くらいか。黄色い衣に首から黄土色の絡子(四角形の略式の袈裟)をかけている。禅宗系の格好だ。私は、県庁から来た文化財の調査官であること、願わくばマリア観音とされるご本尊を見せていただきたいていうことを正直に言った。
「よろしいですよ。どうぞこちらへ」
本堂にあげてもらう。
「政教分離のお立場もあるでしょう。儀礼は一切はぶきます。こちらへどうぞ」
ありがたいお心遣いだった。
私は、個人の心情としてご本尊に一礼して合掌する。ご本尊は、慈愛に満ちた顔の、赤子を抱いた観音像だった。
「県史の記述では、背中に十字の紋様があるとありましたが……」
「どうぞ、ご覧になってください」
本尊の裏側へと招かれる。一般の信徒たちが立ち入れる場所ではない。本堂に正座した村長たちの羨望の視線が痛い。
「村の皆様もどうぞ。何、仏像とは月を指さす指のようなもの、月を見ずして指をありがたがっても、なんともなりませんでな」
村長たちも、恐縮しながらあとに続く。
「これが、問題になった十字架ですわ。何を勘違いしたのか、キリスト教のマークにされてしまって、観音様にはまことに申し訳ないことです」
確かに、観音像の背中には十字架に似た模様が刻み込まれていた。ただ、その先端には三日月型の突起がついていて、卍の意匠と言われればそう見えなくもない。
「これは左マンジとも右マンジつきかねますね」
「ええ。ええ。むしろミズノトですな」
和尚さんは、私を試すような、冷ややかな笑みになる。
そう、癸の甲骨文や金文の形は、四隅に向かって十字架が突き出した形なのだ。説文解字では、これが四本ψになる。密教の法具である羯磨にも見えなくもない。
「癸の四十五度回転ですね。写真をとってもいいですか」
「ええ、どうぞ」
私は県庁の資料に加えるべく、スマホを差し込んで観音像の背後の刻まれた模様を撮影する。そのあと、観音像の全身も撮影させてもらう。次の県史が出るときは、この写真が使われるかもしれない――そう思うと感慨深い。
「お隣の教会堂跡は、こちらで管理されているんですよね」
「ええ。どうぞご自由に見ていってください。私らはここでちょっと打ち合わせをいたしますでな」
私は本堂を出て、隣りの朽ちた教会堂への道を歩んだ。




