第一章 噂
「聞いたか?鎮水県の役所に、また新しい県令が着任したらしい」
「役人になるためなら命を惜しまない者もいるものだ。鎮水県ではこれまで四人もの県令が命を落としているというのに、よくもまあ、また来ようとする者がいるものだ」
「今度の県令は高崇岳という名前だ。名前に『山』や『岳』の字が入っていて、なかなか力強そうだ。もしかしたら、川の祟りを鎮められるかもしれない」
「土で水を制すとは言うが、川の中の化け物まで抑えられるとは限らんだろう」
「まったくだ。前の県令・王虎臣は金の運命を持ち、虎年まれ。武官出身で、普通なら邪霊など寄せつけなかったはずだ。ところがこの地に来てからというもの、ついには遺体すら見つからなかった」
「鎮水県の役所で次々と人が死んでいるが、本当にあの……?」
「黙れ。もうすぐ日が暮れる。そんな話をしていると、命が危なくなる」
「見ろ、来たぞ。兵を引き連れている。少しは腕のある者かもしれん」
「もう見るな。日が暮れてしまえば、逃げることすらできなくなる」
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高崇岳は武官でありながら、昔からの習慣で夜も灯りをともして読書をし、その習慣は何年も続いていた。
夜の三時を過ぎ、そろそろ本を閉じようとしたそのとき――
部屋の暖かな灯りが、忽然と陰惨な緑色に変わった。
腕ほどもある太いろうそくから、半尺(約15cm)もの高さの青い炎が立ち上る。役所中のろうそくが次々と怪しい緑の光に染まり、門前の風除け灯までもが青白く変じた。それはあたかも、闇夜に獲物を狙う狼が血に飢えた目を開いたかのようだった。
陰惨な緑光に包まれた役所は、瞬く間に冷気が満ち、身の毛もよだつ雰囲気に包まれた。
「青い火……これは怪異の前兆だ」
昔からの言い伝えが脳裏をよぎり、高崇岳も冷や汗をかいた。思わず机の上の剣に手をやる。
「と……殿! 川の様子がおかしいです!」
兵士の顔は闇の中で青黒く変色し、血の気はまるで感じられなかった。
「外を見てくる」
高崇岳は剣を抜き、素早く書斎を出て、二百の兵を率いて川へと向かった。
しばらく進むと、激しく水が騒ぐ音が轟きわたる。進むにつれてその音は大きくなり、やがて雄牛の咆哮のような地響きへと変わった。
「殿! 川の水が激しく渦を巻いています。もしかして、蛟が暴れようとしているのでは?」
「ばかを言え。今は晩秋だ。蛟蛇はもう冬眠に入っているはず。暴れるわけがない」
部下を叱りつけながらも、高崇岳は川面一面に絶え間なく泡が湧き立つのを目の当たりにした。何か巨大なものが水面から姿を現そうとしているのは明らかだった。もしかすると、本当に蛟が驚いて暴れているのか?
やがて、川には驚くべき光景が現れた。
突然、直径五尺(約1.5m)ほどの水柱が空高く噴き上がった。白い水の帯は十数丈(約30m以上)もの高さまで上がり、轟音とともに四方へ飛び散る。川面はまるで煮えたぎる鍋のように泡立ち、次々と水柱が打ち上がり、その落下の衝撃は山々を揺るがすばかりだった。
空には暗雲が垂れ込め、風は荒れ狂う。空間そのものが数丈も押し縮められたかのような圧迫感があった。周囲の兵士たちは胸が苦しくなり、目には星がちらついた。
「あっ!」
悲鳴とともに十数人の兵士が、自分の意志に反して地面から浮き上がり、宙へと吹き飛ばされた。漆黒の雲の中へ消えると、続けざまに断末魔の叫びと血しぶきが飛び散った。変形した武具、血に染まった衣、何者かに砕かれた肢体が空から降り注いだ。
地面すれすれに強い旋風が巻き起こり、鉄鎧を着た兵士たちは吹き飛ばされて体勢を崩した。武器を捨てて大木にしがみつき風に耐える者、地面に伏せて両手を突き刺し身を支える者もいた。
激しい風の中で川には滔々たる大波が立ち、無数の触手を持つ細長い黒い影が川面に浮かび上がり、まさに水面を割って現れようとしていた。
高崇岳は剣を地面に突き立てて体勢を保ち、声を張り上げた。
「弓兵、構え!」
精鋭の侍たちが札を貼った貫通矢を弦につがえた、その瞬間――
上空が突然暗くなった。皎々とした月は雲に覆われ、百人を超える兵士たちは漆黒の闇に飲み込まれた。唐突に訪れた暗闇は終末の予兆のようで、絶望感が人々を襲った。
「刻限が来た。処刑を執り行え」
生気のない声が闇の中から漂ってくる。天から降り注ぐようにも、耳元でささやくようにも聞こえた。たった八文字が、八つの弔鐘のように兵士たちの心に重く突き刺さった。
轟! 轟! 轟!
川から三度の大きな音が響き、十里(約4km)にわたる処刑台が、荒れ狂う川の中からゆっくりと姿を現した。それは怒涛の上空に、冷たく不気味に浮かんでいた。
ずらりと並んだ絞首台には、棘のついた輪縄が風に揺れている。まるで嗤い顔の亡霊が、兵士たちの目の前を漂っているかのようだった。
「な、なんだ、これは……?」
「処刑台だ……鎮水の処刑台の伝承は、本当だったのか……」
兵士たちが驚きと恐怖に囚われる間もなく、肩に激しい痛みが走った。見下ろすと、五本のくっきりとした指の跡が鉄の肩当てに食い込んでいた。得体の知れない力に押され、百余名の精鋭兵士は川辺に無理やり跪かされた。
川辺に跪かされた兵士たちは、皆両手を背中に回され、頭を地面に押し付けられ、髻だけが空に向かって引き上げられている。口には何か詰め込まれたようで、頬が膨らんでいた。
突然、空中から縄が飛来し、兵士の首に巻きついた。そのまま勢いよく引き上げられ、生きながら絞首される。
辛うじて生き残った高崇岳の目に映ったのは、空中で足をばたつかせる兵士たちの姿だった。やがて足の動きは緩み、つま先を下に垂らしてぶらりと吊るされ、舌を出し、顔色は青黒く、目を見開いた無残な死に顔となった。不気味なことに、絶命した遺体の口元が微かに動いている。まるで彼を呪っているかのようだった。
「何者だ、この妖異は!」
高崇岳は剣を構え、声を枯らして叫んだ。「姿を現せ!」
すでに絶命した遺体が、縄を軸に空中で勢いよく回転し始める。縄はさらに締まり、首の骨を砕いていく。骨の砕ける細かな音が四方八方から響き渡り、冷たい戦慄が頭の先から心臓まで突き抜けた。
高崇岳は剣を激しく振るい、青い光で身を守りながら必死に叫んだ。
「出てこい! 本官は朝廷の六品武官、王朝の気運を身に宿す者だ。邪なものなど恐れはせぬ!」
五基の絞首台が高崇岳を囲み、高速で回転する。五本の縄が風に翻る旗のように円を描き、隙を伺いながら彼の力を削ぎ取っていく。
高崇岳の剣さばきは次第に緩慢になり、汗で顔色は青白く変わった。剣光の隙間からその表情がのぞく。
忽然と、一本の縄が飛来した。剣を振るう隙間をかいくぐり、その手首に絡みつく。縄が勢いよく捻られ、腕は折れてしまった。
「ぐっ……!」
叫び声が上がる間もなく、口に何かが詰め込まれ、声は封じられた。
手首の縄が強く引かれ、体は宙へ吊り上げられる。続けて五本の縄が四肢と首に巻きついた。屈強な体は大の字に引き伸ばされ、五方向から強い力で引っ張られた。
「びりっ……」
布が引き裂かれるような音とともに、四肢と頭部を失った胴体が縄の力で空中へ放り出され、鮮血をまき散らしながら落下した。縄はゆっくりと下がり、四肢と首は胴体から一尺(約30cm)ほど離れた場所に、元の形のまま並べられた。
「処刑終了。遺族は遺体を引き取れ」
不気味な声が忽然と響き、また跡形もなく消え去った。
絞首台の縄が緩み、遺体は地面へ落ちた。死にぎわの姿勢のまま背中を丸めて砂浜に伏す。続いて二百の兵士も次々と地面へ降ろされた。漆黒の処刑台も、ゆっくりと川底へと沈んでいく。
鎮水の川は、再び静かな水面を取り戻した。
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