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「雷遁」

 王都周辺の森に潜伏して三日目。


 この辺りには、王都を目指すモンスターを排除するための冒険者の巡回があるらしい。ワイらが潜む森の外を、一日に何度か人間の足音が通り過ぎていく。


 ルリハの索敵糸が常に警戒網を張っとる。人間の気配を拾ったら赤紫の光で合図。ワイが動きを止めて帯電を抑える。通り過ぎるのを待って、また動く。


 その繰り返し。


 でも、潜伏してるだけでは強くなれへん。


 森の中にもモンスターはおる。E級の魔獣が何種類か棲みついとって、たまにワイらの拠点に近づいてくる。


 そいつらを相手に、ワイはトニトルスの体を鍛え続けた。


    * * *


 その日、森の奥から大きな気配が近づいてきた。


 ルリハの糸が反応する。赤紫の光。「大きい」「速い」「こっちに来る」。


 木々の間から、黒い影が飛び出してきた。


 黒牙猪。E級の上位。体長二メートル超の巨大な猪で、口から突き出した二本の牙が黒曜石みたいに黒く光っとる。突進力が凄まじく、まともに食らえばD級の甲殻でも割れるとされる暴れ馬。


 そいつがワイに向かって真っ直ぐ突っ込んできた。


 速い。


 木の間を縫うように走ってくるくせに、まるで速度が落ちへん。猪の突進は一直線。曲がらん代わりに、恐ろしく速い。


 正面から受けるのは危険。ブリッツチャージで迎え撃つ手もあるけど、あれは制御が難しい。木々の間では使えへん。


 横に跳ぶか。


 跳んだ。二本の脚でバネを効かせて、右に大きく飛び退く。


 猪がワイのいた場所を通過する。背後の木にドゴンッと激突して、幹が真っ二つに折れた。あの質量であの速度。当たったら甲殻ごと持っていかれる。


 猪が反転する。もう一度突進の構え。蹄が地面を掻いて、土煙が上がる。


 来る。


 ボルトストライクを撃つ。バチッ。角から紫電が走って、猪の額に直撃。


 怯まへん。


 E級上位の頑強さ。一発の電撃じゃ動きが止まらん。猪がそのまま突っ込んでくる。


 また跳ぶ。今度は左。


 猪が通過する。またもう一本の木を薙ぎ倒す。


 距離が近い。さっきより反応が遅れた。猪の牙がワイの甲殻を掠めて、ガリッと嫌な音がした。


 三度目の反転。猪の目が血走っとる。完全に怒り狂っとる。


 三度目は避けられへんかもしれん。


 その時、体の中で何かが閃いた。


 雷蜥蜴を喰った時に手に入れた生体電気。それが溶岩百足の熱変換能力と融合した時に、ワイの体内に新しい回路が生まれとった。


 電気が体を巡る。いつもの帯電やない。もっと深い。細胞の一つ一つが共振するような、全身が電気の塊になっていく感覚。


 逃げろ。


 頭がそう叫んだ。でも足を動かすんやない。体を、雷に変える。


 ワイは右斜め前方の大木の影をイメージした。あそこに行きたい。あそこに、今すぐ。


 体が弾けた。


 バヂッッ。


    * * *


 意識が飛んだ。


 飛んだ、というのは正確やない。消えたんやない。溶けた。


 ワイという存在が、一瞬だけ雷そのものになった。


 体の輪郭が消える。甲殻も角も腕も脚もなくなって、ただの電気の塊になる。音もない。温度もない。重さもない。


 あるのは、方向だけ。


 イメージした場所に向かって、雷が走る。木々の間を。空気を切り裂いて。光の速さで。


 ――着いた。


 バヂッ。


 大木の影に、ワイの体が再構成された。


 甲殻。角。腕。脚。全部が一瞬で元に戻る。


 でも、頭がぐらぐらする。


 意識が戻るまでに、ほんの一瞬やけど隙間がある。体が再構成されてから、脳が――蟲に脳があるのかは分からんけど――思考が追いつくまでの空白。


 その空白の間、ワイは完全な無防備や。


 目が見えてへん。音も聞こえてへん。体も動かへん。


 一秒。いや、もっと短いかもしれん。でもその一瞬が、永遠に感じた。


 意識が戻った。


 目の前を、黒牙猪が通過していった。ワイがさっきまでいた場所に突っ込んで、空を切っとる。


 避けた。


 猪が混乱して周囲を見回す。さっきまで目の前にいた獲物が消えた。あり得ないことが起きた、という困惑が猪の動きに出とる。


 今や。


 意識がはっきりしとる今のうちに。


 角に電気を集中。溜めなしの連射。バチバチバチッ。三発のボルトストライクが猪の側面に叩き込まれる。


 猪がよろめいた。三発同時は効いたらしい。


 追撃。ブリッツチャージ――いや、木が多すぎて直線突進は無理。


 走った。二本の脚で猪の横に回り込んで、二又の角を脇腹に突き立てる。ガゼンの教え通り、骨と骨の隙間を狙う。


 ズブリ。


 角が猪の脇腹に沈んだ。電気を流し込む。猪が痙攣して、どさりと倒れた。


    * * *


 息を整えながら、今起きたことを反芻した。


 体が雷になった。


 イメージした場所に、一瞬で移動した。


 でも、移動中は意識がなかった。体が雷と同化しとる間、ワイという存在はどこにもおらんかった。方向だけがあって、思考がない。


 移動先に着いた瞬間も、すぐには動けへんかった。意識が戻るまでの空白。あの一瞬に攻撃されたら、避けようがない。


 便利な技や。追い詰められた時の最終手段になる。


 でも、怖い技でもある。


 移動中に敵が進路を変えても、ワイは気づけへん。移動先に罠があっても、察知できへん。到着して意識が戻るまでの無防備を突かれたら、終わりや。


 使うたびに、賭けになる。


 ルリハが木の上から降りてきた。戦闘中は安全な高所に避難しとったらしい。翅が赤紫から瑠璃色に変わりながら、ワイの周りを飛び回る。


 ワイの体を確認しとるんや。さっきの一瞬移動で怪我してへんか。


 「大丈夫。新しい技覚えたみたいやけど、ちょっとヤバい技やわ」


 ルリハの翅がちかちか光る。「何があった」「説明して」。


 ワイは身振りと蟲音で説明した。体が雷になる。イメージした場所に一瞬で移動する。でも移動中は意識がない。到着後に一瞬の空白がある。


 ルリハの翅が赤紫に染まったまま、しばらく戻らんかった。


 怖がっとるんやない。考えとるんや。あいつの金色の目がぐるぐる動いとる。


 しばらくして、ルリハが飛び立った。


 森の中を素早く飛び回って、何本かの木の幹に瑠璃色の光糸をくるくると巻きつけていく。目立つ場所に。ワイから見える位置に。


 全部で五箇所。それぞれの木の幹に、瑠璃色に光る目印。


 戻ってきたルリハが翅を光らせた。短く、三回。


 「試して」


 ワイはルリハの意図を理解するのに数秒かかった。


 目印。


 ルリハが事前に周囲を索敵して、安全な場所に光糸を巻いておく。ワイはその目印が見える場所をイメージして雷遁を使う。


 光糸が巻いてある=ルリハが索敵済み=安全。


 ワイが敵と戦っとる間に、ルリハが素早く飛び回って安全地帯を見つけ、目印をつけてくれる。ワイは目印を見て雷遁で跳ぶ。移動先の安全が保証されとるから、到着後の空白を突かれるリスクが激減する。


 天才か。


    * * *


 実験した。


 ルリハが巻きつけた光糸の目印。五箇所のうち、一番近い木――十メートル先の瑠璃色に光る幹をイメージして、雷遁を発動する。


 バヂッ。


 意識が溶けて、再構成されて、戻った。


 目の前に、瑠璃色の光糸が巻かれた木の幹があった。


 成功。目印の場所にぴたりと到着しとる。


 ルリハの翅がパアッと瑠璃色に光った。


 これならいける。


 戦闘中、ワイが敵と向き合っとる間に、ルリハが高速で飛び回って周囲の安全を確認する。安全な場所に光糸を巻きつけて目印にする。ワイは追い詰められたら目印を探して雷遁で跳ぶ。


 光糸が見える=安全。見えない=未確認。


 シンプルで、戦闘中でも判断に迷わへん。


 到着後の空白は消えへんけど、安全な場所に着くのが確定しとるなら、空白の一瞬を突かれるリスクはほぼなくなる。


 一匹では危険すぎる技が、二匹ならなんとか使える。


 仲間がおるから、できることがある。


 ガゼンが言うとった。「蟲族は群れで戦う」。ガゼンは蟲族全体のことを言うとったんやろうけど、今のワイにとっての「群れ」はルリハ一匹や。


 たった一匹の群れ。


 でも、その一匹がおるのとおらんのとでは、世界がまるで違う。


    * * *


 雷遁の練習を重ねた。


 ルリハが目印をつけた場所に次々と跳ぶ。五箇所の目印を順番に。正確に目印の場所に着けるかどうか。


 距離を少しずつ伸ばす。十メートル。三十メートル。五十メートル。


 距離が伸びるほど、意識が溶けとる時間が長くなる。五十メートルだと空白が一秒以上ある。戦闘中の一秒は致命的。


 逆に短い距離なら空白はほぼゼロに近い。五メートル以内なら、ほとんど瞬間移動と変わらん感覚で使える。


 使いどころの見極めが重要や。


 短距離=戦闘中の回避や位置取り。ほぼリスクなし。目印がなくても使える。


 中距離=ルリハの目印がある安全地帯への離脱。目印が見える範囲なら確実。


 長距離=緊急避難。目印なしでの跳躍。到着後に完全無防備になるから、本当の最終手段。


 「ルリハ、この技な。名前つけたいんやけど」


 ルリハの翅がちかちか光る。興味津々の瑠璃色。


 雷で遁走する。雷に化けて逃げる。雷になって移動する。


 「雷遁。どうや」


 ルリハの翅が短く二回光った。


 前に灰谷の迷宮で、菌類を示した時にルリハが返した光のパターン。あの時は意味が分からんかったけど、今は分かる。


 「いいと思う」


 ワイの三つ目の技が、名前を得た。


    * * *


 夜、森の中の拠点で、ワイは横になっとった。ルリハがワイの甲殻の影に潜り込んで、翅を淡く光らせとる。


 風に乗って、王都の音が聞こえてくる。


 人間の声。笑い声。怒鳴り声。馬車の車輪が石畳を走る音。鍛冶屋の槌の音。


 その中に、時々、意味が分かる言葉が混じる。


 「――蟲害が――」


 「――東の農村で――被害が――」


 「――ギルドが動くらしい――」


 蟲害。


 何度も聞こえてくる言葉。蟲が害をなしている、という意味やろう。


 ワイらは害虫。


 知性があっても。名前があっても。仲間を守るために戦えても。


 この街の人間にとっては、ただの害虫。


 角がバチリと帯電した。怒りか悲しみか、自分でも分からん感情が体を走る。


 ルリハの翅がワイの帯電に反応して、一瞬だけ赤紫に瞬いた。すぐに瑠璃色に戻る。


 大丈夫。ワイは大丈夫や。


 今はまだ、何もできへん。声も出えへん。言葉も通じへん。


 でもいつか、ワイが声を持った時。


 あの街に向かって叫んでやる。


 ワイらはここにおる、と。


 ワイらは害虫やない、と。


 その日のために、今は力を蓄える。


 雷遁で逃げ、ボルトストライクで戦い、ルリハと共に生き延びる。


 ワイらの旅は、まだ続く。


次回「第24話:王都カレドニア」――潜伏が長引く中、グロウの耳に入る人間たちの会話。蟲族殲滅の討伐作戦の全貌が、少しずつ明らかになる。

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