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「二匹の旅路」

トニトルス=カブ◯リモン

 灰谷を後にして、西へ向かった。


 道なんかない。ガゼンの記憶の中にあった「王都は西にある」という情報だけを頼りに、荒野を歩く。


 ワイの体はトニトルスになって大きくなった。二メートル半。ヴォルトビートルの四倍以上のサイズ。一歩の歩幅も段違いやから、移動速度は前より遥かに速い。


 でも、ルリハはそうもいかん。


 ルリハの体長は八十センチ。ワイの三分の一以下。翅で飛べるけど、長距離を飛び続ける体力はない。


 最初の日、ワイが普通に歩いたら、ルリハが全然ついてこれんかった。


 振り返ったら、百メートルくらい後ろでルリハが翅を必死にはばたかせとった。翅の光が赤紫と瑠璃色の間を行ったり来たりしとる。焦りと安心が交互に点滅しとるみたいに。


 ワイは立ち止まって、ルリハが追いつくのを待った。


 追いついたルリハが、ワイの脚元にぽすんと着地して、はあはあ息を切らしとる。


 「……すまん。ワイ、歩くの速すぎたか」


 ルリハの翅がちかちか光った。怒りの赤とは違う。もっと複雑な明滅。


 ワイの蟲音の語彙は進化で増えたけど、ルリハの光のパターンは以前のまま。でも長い付き合いで、ニュアンスは読める。


 「大丈夫。でも、もう少しゆっくり」


 そういう意味やろう。


 それからワイは歩幅を半分に落とした。ルリハがワイの肩の辺り――甲殻の上に乗れることに気づいたのは、二日目のことやった。


    * * *


 ルリハがワイの甲殻の上に乗る。


 最初はおっかなびっくりやった。ワイの甲殻は常に紫電が走っとるから、触れたら感電するんやないかとルリハが心配しとった。


 試してみたら、光糸を甲殻に一本巻きつけるだけで絶縁になった。ルリハの光糸は雷を通さへん性質があるらしい。回復糸をワイの甲殻の上に数本張って、その上にルリハが座る。


 これで感電せずにワイの背中に乗れるようになった。


 ルリハを背中に乗せて歩く。


 不思議な感覚やった。


 朽葉の森で出会った時、ルリハはワイの三倍でかかった。弱った幼虫のワイを守ってくれる姉みたいな存在やった。


 それが今、ワイの背中の上に座っとる。ワイの歩幅に揺られながら、翅を畳んで甲殻にしがみついとる。


 守る側と守られる側が、完全に入れ替わった。


 でもルリハは不満そうやない。翅の色は穏やかな瑠璃色。ワイの甲殻の上で周囲を見渡しながら、時々光の信号を飛ばしてくる。


 「右」「何かいる」「小さい」「大丈夫」


 上空からの偵察ができへん分、ワイの背中という高い位置から索敵をしとるんや。


 ルリハなりの役割の見つけ方。乗せられてるんやない。背中の上から、ワイの目になっとる。


    * * *


 三日目の夜。


 荒野の窪地に身を寄せて、野営をした。


 ガゼンがおった頃は、あの鉄の甲殻が風除けになって、ルリハの光が灯りになって、三匹で体を寄せ合って眠った。


 今は二匹。


 ワイの甲殻がガゼンの代わりに風除けになる。ルリハの光が灯りになる。そこは同じ。でも、一匹分の隙間が、どうしても埋まらへん。


 横になったワイの腹側にルリハが潜り込んできた。ワイの甲殻と地面の間にできた空間に、ぽすんと収まる。


 小さい。


 ルリハの体がこんなに小さかったんかと、改めて思った。ヴォルトビートルの時はほぼ同じ大きさやったのに、トニトルスになった今、ルリハはワイの腕の一本で包めてしまう。


 ルリハが蟲音を出した。


 かすれた、高い音。普段のルリハの蟲音より長くて、抑揚がある。


 ……何を言うとるんやろう。


 語彙が足りんくて正確には分からんけど、音の調子で何となく分かる。


 寂しい、と言うとるんやないかと思った。


 ワイも同じや。


 「……おっちゃんの蟲音、もう聞かれへんのやな」


 ルリハの翅が一瞬だけ消えて、また灯った。暗い瑠璃色。


 「ガゼンが教えてくれた言葉で、ワイらは今も話しとる。ガゼンの蟲音は、ワイらの中に残っとる」


 ルリハが顔を上げてワイを見た。金色の複眼。


 「せやから、おっちゃんは消えてへん。ワイらが喋るたびに、おっちゃんの言葉が生きとる」


 自分で言うて、自分で泣きそうになった。蟲は泣かへんけど。


 ルリハの翅が瑠璃色に光った。強く。穏やかに。


 ワイの腕がルリハの体にそっと触れた。甲殻の指先で、柔らかい毛並みに触れる。


 何も言わんかった。


 ただ、二匹分の温かさを分け合って、夜を越えた。


    * * *


 四日目。


 荒野が草原に変わり始めた。乾いた灰色の大地に、ぽつぽつと緑が混じる。遠くに木立も見える。


 ワイの体が反応した。


 空気の中の魔素が変わっとる。迷宮の中ほど濃くはないけど、荒野より遥かに豊か。生き物の気配も増えた。


 そして、道。


 人間が作った道がある。地面が均されて、轍の跡がある。馬車が通った痕跡。


 人間の領域に近づいとる。


 ワイは道から離れた場所を選んで歩いた。人間に見つかるわけにはいかん。トニトルスの体はでかすぎる。銀灰色の甲殻に紫電をバチバチ走らせた二メートル半の甲虫が街道を歩いとったら、即座に討伐隊が来る。


 木々の間を縫うように進む。背中のルリハが常に索敵糸を飛ばして、人間の気配を監視してくれとる。


 ルリハの糸が人間の振動を拾うと、翅が赤紫に瞬く。ワイが止まる。人間が通り過ぎるのを待つ。通り過ぎたら、また進む。


 蟲族の旅は、隠れることと同義や。


 この大陸で蟲族は害虫。見つかれば殺される。知性があることを知る者は誰もおらん。


 ――まだ、誰も。


 レンは気づいとった。でもあいつ一人が気づいたところで、世界は変わらん。


 変えるためには、もっと多くの人間に知ってもらわなあかん。


 でも今のワイは言葉を話せへん。聞き取れるだけ。


 もどかしい。


 体は強くなったのに、声が出えへん。伝えたいことがあるのに、伝わらへん。


    * * *


 五日目の夕方。


 丘の上に立った。


 ルリハが背中の上で、翅を大きく広げた。


 丘の向こうに、街が見えた。


 でかい。


 石の壁に囲まれた街。高い塔がいくつも聳えとる。壁の内側にびっしりと建物が並んどって、煙突から煙が上がっとる。門の前を馬車や人間が行き交っとる。


 生まれて初めて見る、人間の街。


 王都カレドニア。


 ガゼンが語った「人間の国の中心」。冒険者ギルドの本部がある場所。蟲族を害虫として駆除する命令が出る場所。


 そして、ワイらが蟲淵へ向かう途中で、避けて通れへん場所。


 丘の上から見下ろす王都は、夕日を受けて橙色に光っとった。美しいと思った。こんなもんを作れる種族がおることに、純粋に感心した。


 同時に、怖いとも思った。


 あの壁の中には、何万人もの人間がおる。全員がワイを「害虫」と見なす人間が。


 「……あそこには近づけへんな」


 ルリハの翅が同意の瑠璃色に光る。


 丘を降りて、王都から離れた森の中に潜り込んだ。街から見えへん場所。でも、街の音がかすかに聞こえる距離。


 ここを拠点にする。


 王都の中には入れへん。でも、ここにおれば人間の声が聞こえる。断片的やけど、言葉を拾える。情報を集められる。


 風に乗って、人間たちの声が届いてくる。


 「――明日の市場は――」


 「――東のほうで蟲が――」


 「――討伐隊の編成が――」


 断片。意味を成すものもあれば、成さないものもある。


 でもワイの頭は全部を拾い上げて、蓄積していく。鳥のパターンを記録した時と同じ。音のパターンを集めて、意味を組み立てていく。


 時間はかかる。でも、いずれ分かるようになる。


 ルリハがワイの横で翅を畳んだ。瑠璃色の光を落として、闇に溶ける。


 二匹で、王都の影に潜む。


 ワイらの旅は、ここからが本当の勝負や。

次回「雷遁」

――道中のモンスターとの戦闘で、グロウは新たな技を覚える。だがその力には、大きな代償があった。

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