最果ての世界で(2)
凶刃に躊躇などない。
狙い過たずファラを両断せんと迫った剣は、しかしファラに近づくにつれて動きを遅くし、ついには完全に止まってしまった。
「なに?!」
僅か数ミリの距離、息がかかるほどの距離だ。
しかし、その距離は永遠といっても過言ではないものだった。
『殺傷能力を確認、空間の圧縮により大幅な到達遅延を発生。』
「何だか分かりませんけど、始めて見るやつです!」
とりあえずファラはトントンとステップを踏むように距離を開けた。
「でも、どうして今回はこんなことが?」
殺傷行為そのものは何度かあったが、ファラの記憶に不思議な力が働いた覚えはない。
『質問に回答。殺傷能力の有無の差によるものです。』
「つまり、今までは平気だから何もしなかったんですか?」
『はい。』
果たして本当なのだろうか。
疑問は頭の中に浮かんでくるが、流石にそういつまでも待っていてくれるほど男は優しくない。
一度剣を引くことで超圧縮の空間から剣を奪い返し、少し迂回しながら剣を突き出して突進を行ってくる。
その単純な動きを避けることは造作もない。
傍目にはまさに紙一重と言える僅かな動きにより、突き出された剣は光の残像を作りながら脇を抜けていく。
そう残像だ。
「かかったな!」
ニッと男は不敵に笑う。
そして剣を下から振り上げた。そういつの間にか剣は脇ではなく下へ移動していたのである。
「え、どうし――?!」
当然予測などしていなかったファラは驚きと共に迫る剣に目を見開いた。
『反応障壁を展開します。』
無慈悲な声。剣と何かがぶつかる音。吹き飛んでいく男。
それらは目を放していなくとも認識することが叶わない程に短い時間に起きた出来事だ。
ドクドクと激しく鼓動の音が聞こえる。
今のファラには心臓など存在しないから脳がかつての既往により錯覚を起こしているだけだが。
「ちっ、惜しかったのによ。」
クルクルと回って猫のように着地した男は残念そうな顔で剣を肩に担いだ。
「もう少しで、少なくともこの間の借りを返せたんだが。」
淡々とした様子。
まるで当然の権利だとでも言わんばかりの態度。
「アナタは、どうして戦うのですか?」
「あ?」
「そもそも、戦う理由があるように思えないです。何が目的なのですか?」
「まずは金だ。山の神を殺せば、ここを欲しがってる貴族連中からタンマリ報酬を貰えるからな。それと誇りだ。生涯不敗の男として、訳の分からねえポッと出に負けたなんざ生きているのも億劫になる恥なんだよ。」
「そんな事で――。」
――ブチ。
それは比喩でもなんでもなく本当に聞こえてきた音だ。
そして男の様子は急激に変化する。その体は湯気のような光を纏い筋肉が膨張して体が膨らむ。目は瞳孔が極限まで小さくなり、肌色の見えていた部分は欠陥が浮き上がり真っ赤に染まった。
「ふうううううぅぅぅぅぅ…………。」
長く男は息を吐く。
グッと足に力が入り一瞬の硬直、時が動き出すとともに先ほどの比ではない速さでファラへと迫る。
先ほどですら認識の怪しかったファラには当然に見えるはずがない。
「クソ野郎が!」
残された残像の連続が無数の線の集合となり気がついた時には次の動作に入っている。
「しねぇえ!!!!」
振り上げた剣の軌跡を辿れば下から刃が突き立てられた。「どうした? そんなもんか?」。右に動いた鎧のきらめきを追ってみると後ろに回られていた。「どこ見てんだ薄ノロ!」。まさに圧倒的な差といえるだろう。「話にならねえなあ!」。
「むむう……。」
表情を曇らせるファラ、傷は一つも付いていない。
その身に刃は確かに届いているように見えるが『事象削除。』という常軌を逸した現象を声が引き起こしているためだった。つまり攻撃は当たった瞬間にその事実が消滅するのである。
相も変わらずファラの理解外にある現象だが、痛くないのは喜ばしい事だった。
「これでは埒があきませんね。」
数度、先ほどのように反応なんちゃらを使ってみたのだが、今の男には些か威力が足りないようだ。
今はまだ攻撃が効いていると思っているが、時間が経てばファラガ無傷な事にも気がつくだろう。
「でも、素直に諦めてくれるようには見えませんよね。」
はてさてどうしたものか。
「……いっその事、少し強めで対応してしまいましょうか。」
『排除しますか?』
「死なない範囲で、です!」
『了解しました。手段の演算を開始、演算を終了します。』
男が大上段から剣を振り下ろした刹那、それは起きた。
男が、ファラが、世界が歪み僅かに暗くなる。男は不可視の力により床へ沈むように崩れる。
「う、ぐぅううう?!」
歯を食いしばり全身に力を込めても指先すら動くことは叶わない。
まるで海の水全てが体を押しつぶしているかのような感覚。次第に意識が遠ざかっていくのは空気を吸い込むことが出来ないからではなく、意識そのものが謎の力に引っ張られて下へ下へと体を離れて行こうとしているからか。
ピシリ。
床に白い筋が現れる。
ピシリピシリと音と共に数が増えていく。
そして遂に、耐えきれなくなっては大穴を開けて男は遥かなる闇へと落ちていった。
現実世界の二十倍の重力加速度によって、その姿が見えなくなるのは文字通りあっという間だった。
「さて。」
ファラは『意識の消失を確認。生存を確認。』という声の言葉を聞いてから、未だに涼しい顔で特等席から自分を見下ろしている女性を見た。
「満足していただけましたか?」
ニッと女性は笑みを浮かべる。面白いおもちゃを見つけた残虐な子供のように。
「ああ、いたく気に入ったぞ。」
パチンと指が鳴らされる。
女性を起点とし押し寄せる波が全てを押し流すがごとく、荘厳な空間を構成していた全ては微細に砕け風に舞う塵のように嵐を起こした。
何もかもが押し流され巻き上がり消え、目の前に現れたのは煌々と光り輝く巨大な星の一部。
それはファラが元の空間に戻って来たという何よりの証拠だ。
「さて、能力は分かった。故に単刀直入に言おう。」
彼方よりファラを見下ろす女性は、いつの間にか目の前に姿を現していた。
相も変わらず、その大きさには絶句する。後ろの星が隠れてしまうのだから。
「妾のものとなれ。」
キラリと女性の目は怪しい色の光を宿す。
その瞳を見ていると何だか頭の中がボンヤリと、言葉の全てが正しいような気がしてきて――。
『精神へ干渉を確認。第三警戒レベルの心理障壁を展開します。』
声が流れると同時に頭の中がハッキリする。
淀んだ空気に風が流れ込んだかのように。
「あれ、私はいったい?」
「妾の支配を拒絶するか、面白い!」
その手を口元に持っていき、ひどく楽しそうに女性は笑った。
「しかし、拒絶はいかんなあ……これは立場というものを教えてやらねばなるまい。」
笑いは嗜虐的な微笑みへ変化する。
ファラはその顔に今までに感じた事の無い寒気を感じた。




