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未来虚空

 ラプラスの魔は誰にも飼い慣らせない。

 欲深き者は、食いつぶされる。

 無欲な人は、飢え死にさせる。

 知らないからこそ、人は夢を見る。

 未来なんてものは、虚ろで空っぽなぐらいがちょうどいい。




 * * *




 首筋に当てられた刃物よりも、私にとって体中にしみこんだ煙草の匂いの方が嫌だった。

 こんなことをする前に煙草をやめたら、こんなことをしないですんだかもしれないのに。

 本当に、バカな奴。


 私を後ろから羽交い絞めして、首に安っぽいカッターナイフを当ているのは、お父さんの中学か高校の同級生だった人。

 詳しいことは知らないけど、どうも借金があるらしくてお父さんにお金を借りに来たけど、お父さんからしたらこれは友達どころか知人と言っていいのかどうかも怪しいくらいの人。

 同級生だったのは確か、でもいつの同級生だったかも思い出せないレベルの付き合いだった相手で、現在借金を背負ってる相手なんか信用できるはずもなく、もちろん即答で断ったのにいつまでも居ついて金の無心をしてたみたい。


 私の学校が終わるころに、「今日は店の方に来なくていい。できれば、部屋から出るな」とメールを送ったのは、こんな転落人生の見本みたいなのを私に見せたくなかったのと、こういう事態を危惧したからだったんだ。


 危惧はしてたけど、さすがにこれは本当にやらかすわけがないとお父さんは思ってたはず。

 だから、何時間も断り続けてやっと諦めて帰る前にトイレを貸してほしいという頼み事はさすがに断るほど人でなしじゃなかったので、普通に了承したことをものすごく後悔してるんだろうな。

 大丈夫だよ、お父さん。お父さんは悪くない。


 悪いのは、そもそも営業妨害で通報しても良かったのに温情をかけていたのに逆恨みをして、トイレに行くフリをして住居スペースの方に忍び込んで、何かを盗もうとしていたところを私とお父さんに見つかって、そのまま一番近くにいた私を人質に居直り強盗をやらかしてるこれの頭なんだから。


 そんな脳みそが完璧に枯渇してるバカは言う。

 お父さんに向かって「娘は可愛いだろ? 嫁さんの忘れ形見なんだろう?」と、わかり切ったことをただ何度も繰り返して、肝心なことを言わない。


 もう誰が見ても強盗でしかないくせに、自分がしたことの責任をひたすら取りたくないこれは、「金をよこせ」という言葉を吐かず、お父さんが勝手に出したからもらってやったという事にしたいらしい。

 誰も納得できる訳のない理屈でも、自分さえ騙せたらいいのでしょう。

 もうバカ以上の言葉を誰か考えてこれに送って欲しい。


 お父さんはそんなバカという言葉ももったいないくらいの汚物を、もはや張り付けた笑顔すら浮かべるのをやめて冷ややかに眺めている。

 お父さんが何も言わないしやらないので、私は今少し困ってる。

 はっきり言って不健康極まりない生活をしてきたであろうこいつなら、お父さんと同い年の大人でも十分に私が勝つと思う。武器なんて何のハンデにもならない。


 でも、お父さんの様子からしてかなりキレてる。

 たぶん私に殴られた方が結果としては優しくて良かったと思える目に遭わされるんだろうなぁ、これ。

 同情なんて全くしないけど。


 私の後ろの居直り強盗は、何を言っても金を出さなければ、「娘にだけは手を出さないでくれ!」と懇願することもなく、ただ冷ややかに無表情でこちらをまっすぐ見続けるお父さんを不気味に思ったのか、私の首にカッターの先を当てて叫んだ。


「てめぇ! すかしてんじゃねぇよ!!

 昔からお前はいつもそうだ!! 何でもかんでも努力せずに手に入れやがってボンボンが!!

 娘より金が惜しいのか! クソ親父!!」


 ここまで的外れな罵倒だと、もはや怒りも湧きあがらない。

 それはお父さんの事じゃなくって、自分がそうなりたいという願望でしょう?

 逆なでしそうで我慢してた呆れの溜息が出そうになったタイミングで、お父さんはようやく言葉を発した。


「何の努力もせずに、何かも手に入れたいのかい?」


 深淵の目のまま、お父さんは穏やかに(かす)かに微笑んだ。

 娘の私から見ても、この世のものとは思えないほど綺麗なのに底冷えする笑顔を張りつけた。


 その笑顔に、ようやく自分は誰を、何を敵に回したのかを少しは察したのか、後ろの男は一度体を大きく震わせる。

 その様子を無視して、お父さんは笑顔のまま右手を上げた。

 その手には、間違いなくついさっきまで手ぶらだったのに、いつの間にか大きな図鑑くらいのサイズの木箱があった。

 縦横全面に、木肌が隙間でしか見えないほど、パッと見は木箱ではなくて紙の塊かと思えるほどにお札を張りつけたその箱を掲げて見せて、お父さんは言う。


「なら、これをあげるよ」

 そう言ったと同時に、まずはお札が落ちた。

 剥がれかけのが限界を迎えたわけじゃない。しっかり箱の一部かと思えるくらいに張り付けてあったものが、花が散るようにパラパラと舞い降りていった。

 手品じみたその光景を、男がどんな顔で見ていたかは知らない。たぶん、大口を開けてマヌケ面をしていたんでしょう。


 箱が決して開かないように封じていたものがなくなり、お父さんは箱の蓋に手をかける。

 パンドラではないけど、開けてはいけない、出してはいけない悪魔を解放した。


「これは、持ち主の未来を教える。これを使えば、君が望む人生を歩めるかもね」


 言って差し出したのは、一本の巻物。

 まるで時代劇の小道具のようにやたらと真新しい巻物を、お父さんは居直り強盗に微笑んだまま差し出している。

 強盗は私の首に当てるカッターを震えさせながら、巻物とお父さんを交互に見てから、手と同じくらい声も震わせて叫んだ。


「ふ、ふざけてんのか!? そ、そんな都合のいいもの、この世にある訳……」

「別に信じられないなら、それでいい。ただ私は、これ以外を君にあげる気は何も一切ないよ」


 全てを言う前にお父さんは言葉を被せて、一歩前に出る。

 お父さんに近づかれて、強盗は私を引き寄せて「来るな!」と怒鳴るけど、お父さんはこの世のものとは思えない笑顔のまま、さらに一歩近づく。

 お父さんの影が、居直り強盗の影と重なる。


「君の選択肢は二つ。

 一つはこれを手にして、れんげを離して、そのまま家から出て行って二度と近づかない。

 もう一つは、地獄に堕ちる。

 ――さぁ、どちらを選ぶんだい?」


 選択の余地などないことを言い出し、また強盗は怒鳴ろうとしたけど声が出ない。

 声どころか、指一本動かないことに気付いたのか、呼吸と心臓の鼓動だけが早くなっていく。

 そんな反応を無視して、私は自分を掴んでいた腕を外してお父さんの元に寄る。


 お父さんは一度、私の頭を謝るように、そして余計なことをしなかったことを褒めるように撫でてから、部屋に戻るように告げる。

 私もこの後あの強盗がどうなろうが興味なんて一切なかったので、素直に二人を背にして自分の部屋に戻った。


 後ろで、お父さんの声がする。

「さぁ、どちらにするか選んだかい?」


 興味なんて一切湧かない。

 だって本当に、選択の余地どころか意味がないもの。

 違いはせいぜい、地獄に堕ちるのが今か後かってだけなんだから。




 * * *




「バカなの、あんた! いや知ってたけど!!」

 ナノさんにいきなり失礼極まりない断言をされた。

 私が少しムッとしても、ナノさんは自分の言ったことを撤回する気はなくむしろ私を睨み付ける。


「何でそんな危ない目に遭って、あんたは平気なの!? しきみさんも、何で近づくなって言ってるのに、近づいちゃうの!? れんげが危ないじゃない!!」

 私の話を自分の事のように危ないと感じ、危機感がない私と危険な行動だったお父さんをナノさんは怒る。

 私を心配してくれたからこその「バカ」断言だったので、バカと言われてちょっと腹が立った気持ちは治まり、むしろ心配させてしまったことを申し訳なく思った。


「そして何より、何で一週間前の話を今頃話すのよ!? タイミングがわかんないわよ!! 笑い話とかならともかく、そんな話を今、私にしてどんなリアクションをお望みなのよバカ!!」

 ……どうも、一番の怒りポイントと私をバカバカ言う理由は、先週の話を学校の帰り道で唐突に話し始めたことらしい。

 やっぱり、申し訳なく思わなくていいや。


「別に特別なリアクションもコメントも求めてないよ。

 今頃話したのはちょっと思い出したからだし、先週話さなかったのは大したことじゃないからすぐに忘れただけ」

「……強盗に人質にされたことは、普通は一生忘れられないレベルで大したことよ」

 私の返答にもっともなツッコミをもらった。

 けど、普通がそうならなおさら私には当てはまらない。

 現にナノさんは自分で言っておきながら、「まぁあんたらしいわ」とため息をついた。


「でも本当に何で、今頃思い出して話したのよ?」

 私が普通でないことをよく知ったうえで友人関係を築いているナノさんは、それ以上私の居直り強盗に関するリアクションは追求せずに、何でこのタイミングだったのか気にして訊く。

 だから、私は答えた。

 先週すでに予想出来ていた、そして的中した結果を。


「今朝、ニュースになってたから。強盗が殺されたって」

「は?」

 物騒な内容に、ナノさんは言葉を失う。

 私が何を言ったかを理解したら、また怒涛のツッコミが来ることはわかっていたので、停止してる間にナノさんがツッコミ兼疑問で投げつけてきそうなことを話しておこう。


「お父さんが渡した巻物、あれは持ち主の生まれてから死ぬまでの一生が書き込まれてるの。

 で、その巻物に書かれてることと違う行動……例えば明日は雨が降るけど傘を忘れたせいでびしょ濡れになって風邪をひくって書かれていたから、次の日に傘をちゃんと持って行ったら、傘を忘れたせいで起こるはずだったことが全部塗りつぶされて、傘を持って行った未来の内容に書き換わるの。

 あのお父さんの元同級生の強盗がギャンブルで借金を背負ったみたいだったから、喜んで使ったんでしょうね」


「ちょ、ちょっと待ってよ! そんな巻物なら、殺されるなんてありえないじゃない!!」

 思ったよりも早く思考が回復したらしいナノさんが、抗議の声を上げる。

 うん、普通はそう思うよね。

 あの居直り強盗も、そう思っていたはず。


 お父さんは言った。

「何の努力もせずに、何かも手に入れたいのかい?」、と。

 言葉に嘘はない。

 あれがあれば、努力なんてほとんどせずに欲しいものを得られたはず。ギャンブル好きなら特に。


 でもお父さんは言っていない。

 何も失わずに全てを得られるとは、一度も、一言も言っていない。


「……ナノさん、私はその巻物の中身を見たことないから聞いた話でしかないんだけど、あの巻物は未来を書き換えたら本来の未来が塗りつぶされて、余っていた余白に変わった未来が書き込まれるの。

 そして、巻物の長さ自体は決して変わらない」


「……え?」

 ナノさんはポカンとした一言発して、また停止。

 その停止している状態で、私ははっきりとした答えを出す。


「未来の書き換えには、巻物の余白分だけという制限があるの。

 その人の元々の寿命によって余白の量は違うし、変える未来の内容の分量にもよるけど、つまるところは未来を変えれば変えるほどに自分の寿命を縮めるってこと。

 余白がなくなれば、それはもう変える余地もない、確定事項の最期になる」


 努力をしたくないなら、それ相応の対価が別に必要だという事に気付かなかった強盗は、自分からさっさと一週間足らずで寿命を使いきった。

 これはただ、それだけの話。


 ナノさんは少しだけ顔色を悪くさせる。

「……その巻物、ちょっと欲しいって初めは思ったけど、絶対にいらない。見たくない。

 自分の未来がわかるのに、変えたら寿命が減るなんて怖すぎるのに、それでも使ってしまいそうなのが怖い」

 青ざめた顔で、ナノさんはそう言った。

 うん、それが正しいよ。

 あれは、あの巻物に宿っているであろう量子論の悪魔、ラプラスの魔は誰にも飼い慣らせない。


 だから、さっさと回収しなくちゃ。


「あれ? れんげ、そのままどっか行くの?」

 いつもとは全然違う場所で分かれようとする私に、ナノさんが首を傾げて尋ねる。

「うん。ちょっと用事があるの」

 理由を話そうかと思ったけど、面白がってついてこられたら困るから、私は「じゃあ、また明日ね」と会話を終わらせる。


 たぶんナノさんは私のその対応で、用事が霊関係であること、自分を連れて行く気がないことも察したのか、素直に「バイバイ。また明日」と言って別れた。

 そしてそのまま、私は駅まで行って切符を買う。


 ……乗り換えはなかったけど、5駅先って結構遠い。

 お父さんが自分で回収するって言ってたんだから、任せておけばよかったかな?

 そんな今更な後悔をしつつも、ここから先はそう遠くないからまだマシだと自分に言い聞かせる。


 死体が発見された川はまだパトカーやら野次馬とかで騒がしいけど、警察はまだ犯人や殺された場所を特定できてないから、あれが居ついてるところはまだ静か。

 あれは、自分の死体が捨てられた川から車で10分ほどの公園にいた。

 川よりここの方が駅から近くて、楽で良かったと思う。

 そんなどうでもいいことを思いながら、今時珍しい落書きだらけで汚い公衆トイレの裏手を覗くと、そこにいた。

 奴はうずくまって、ぶつぶつ何かを言い続けている。


「渡さない渡さない渡さない渡さないこれは俺のものだ」


 自分が死んだという事実すら気付かず、それは巻物を抱きかかえてうずくまって、虚ろな目でただ繰り返す。

 別にその通りずっとこれが抱えて持っていてくれたらこちらとしては逆に助かるのだけど、ただでさえ生きていた頃から欲望だけで動いていたのが、本当に欲望の塊になられたらその巻物以上に百害あって一利もない。

 動いたり自分から見せたりしない分、巻物の方が億倍マシ。


 ぶつぶつと呟き続けるそれに、私は近づく。

 足音に気付いたのか、それは顔を上げて血走った目で私を睨み付けるけど、吐き出す言葉は「渡さない!!」だけ。

 それ以外の言葉はもう思い出せないのか。オウムの方がマシな有様。


 血走った目で睨み付け、よだれを垂らして口を耳まで裂くほどに開いて、首を伸ばしてこっちに噛みつこうとしてきたそれを、持っていたリコーダーで払った。

 たった一日で人間の姿も捨てるって、本当にこれには欲望しかなかったのね。


 生前はかすかにあった知性さえも失っていたけど、とことん自分が痛い思い、損をすることを嫌う性質は健在なのか、たった一発殴っただけでそれは怯えた目で私から逃げようとする。

 でも、地縛霊となってるせいで殺されたこの場から動けない。

 私はこちらを責めるような怯えた目も、聞き苦しい悲鳴も無視して巻物を抱える腕をもぎ取って、巻物を回収しておいた。


 そしてそのまま、あれは放置してさっさと踵を返す。

 もがれた腕を再生できるほどの力もないから、ああしておけば他人に危害を加えることもないので除霊はしなくてもいいでしょう。

 用件は済んだから、さっさと帰ろう。もうそろそろ5時。お父さんに私が学校帰りに回収するって言っておいたけど、早く帰らないと心配する。


 そう思っているのに、私の足は止まる。

 止まって、自分の手の中にある巻物に視線を落とす。

 ラプラスの魔が宿るそれを見て、思う。


 ここに書かれた自分の未来に興味はない。

 私が自分の命を支払っても変えたかった未来はもう通り過ぎた。

 3年前に、通り過ぎて二度と訪れない。


 だから私の考えることは、あまりにも意味のない仮定。

 もしも3年前にこれの中身を私が見ていたら……その仮定の現在を思い浮かべようとしたのに、想像がつかない。

 それくらいに、現在の生活に慣れてしまったことが、悲しくはないけど寂しかった。


「……私は、バカだ」

 ナノさんの言う通りだ。私に怒る資格はない。

 そもそも、あの過去を変えたのならきっと未来は大きく変化しすぎて、私が今生きているのかどうかも怪しい。

 本当に、無意味な仮定。

 私は自分がされて一番嫌だったことをしようとしてるだけ。


 私は過去の未練を頭から振り払って、……どうあがいてもいつもいつだって頭の片隅から離れない未練を見ないふりして、トイレの裏から出てきた。

 そのタイミングで、声をかけられた。


「……あれ? 羽柴さん?」



 一瞬、「誰?」と思ったけどすぐに思い出す。

 今年初めて同じクラスになった、出席番号が一番違いで私とナノさんの間に挟まる男子。

 私の後ろの席の男の子。


「日生さん?」




 * * *




 私が「日生さん?」と言ったら、彼は少し苦笑した。たぶん、さん付けが女子扱いみたいで嫌なんだと思う。

 でも私は年下以外は男女問わずさん付けが癖になってるから、そこは諦めてもらう。

 どうしてもいやだと主張してくるのなら努力するけど、こちらから悪口でもないのにわざわざ変える努力をするほど、この人と私の間には何もない。


 ただのクラスメイトでしかないのだから。


 日生さん自身もそう思ってるのか、特に文句も何も言わず彼は「どうしてこんなところにいるの?」と訊いてきた。

 ……ちょっと用事があったからと答えつつも、それはあなたの方にも言えると思った。

 なんか真新しい自転車に乗ってるけど、まさかそれでここまで来たの?


 私は思ったことを少しだけ丁寧な言い方を取り繕って言ってみたら、本当にその通りだった。

 新しい自転車が嬉しくて、放課後にどこまで行けるかとひたすらに自転車をこいで、この公園までやって来たらしい。しかも、友達連れという訳でもなく、一人で。

 ……男子の考えることとやることって、本当にわかんない。


「……そう。でも、もう帰った方がいいと思う。もう5時回るし、それにこの近くで殺人事件が起こったから危ないですよ」

「マジで!?」

 今朝、結構大きく報道されていた事件を知らないのか、どこで起こった事なのかは把握してなかったのか、私の言葉に日生さんは目を見開く。

 まさか、このトイレの裏こそがその殺人の犯行現場だとは思わないでしょうね。


 それはいい。っていうか、この人はさっさとここから離した方がいい。

 私は日生さんを今年の4月に初めて見た時、ものすごくびっくりした。

 この人、妙に彼岸に近い位置に魂があって、常にほんのわずかだけど黄泉の匂いがする。

 一度、臨死体験でもしたのかな? ってくらいあの世寄りの存在で、今現在霊感がないことが奇跡に近い。


 別にそんな人だからいつどこで霊感が目覚めてもおかしくないんだけど、さすがに自業自得とはいえ私とお父さんが原因な霊の影響で霊感に目覚めてしまったら、罪悪感が湧く。

 だから私はもう一回、「早く帰ったら?」と言った。


 なのに、彼は私に尋ね返す。

「羽柴さんは電車で来たの?」

 その質問の意図が理解できず、とりあえず私は素直にうなずく。


「そっか、良かった。俺、二人乗りできないんだよね。

 羽柴さん、ランドセル前かごに入れなよ。駅まで送ってく」


 彼は、当たり前のようにそう言った。

 ただのクラスメイト、まだ付き合いは一か月にも満たない、これだけ長く話すのも今日が初めての私に、彼はごく自然に笑いかけて言った。

 その笑顔に、3年前に失った面影を見た。


 母の面影を、見た。


「……いい。大丈夫。いらない」

 何故かそれが、胸が痛くなるほどに苦しくて居心地が悪くて、だから私は断って帰ろうとしたのに、日生さんはためらいなく私の手首を掴んで、少しだけ怒ったように強く言う。


「ダメだ。羽柴さん、自分で言ったじゃん。この近くで殺人事件が起こったから、危ないって。

 俺は男だからいいけど、女の子を一人で帰すのはダメだ」


 男だから何がいいのか、私が、女の子が一人で帰ることの何がダメなのか、その理由を尋ねてもきっと彼自身もよくわかっていないはず。

 それでも、彼の目はゆるぎなかった。

 真っすぐ私の目を見据えて、手首を掴んだ手は痛くないのにしっかりと握りこんでかなり強く振り払わないときっと外れない。


 その目も、その手も、何よりその言葉がとても居心地が悪い、なんだかよくわからない気持ちを胸の中に溜めるものだった。

 なのに、私は……


「……わかった。お願い」


 そう言って、ランドセルを肩から降ろしていた。


 ランドセルは降ろして日生さんの自転車前かごに入れるけど、巻物は一応手に持っておく。

 万が一、日生さんが中を見てしまうのを防ぐためだった。


「? 羽柴さん、それ何?」

 なのに私は、居心地の悪さに対する意趣返しなのか、日生さんの質問にいつもなら絶対にしないであろう答えを返した。


「未来が書かれた巻物。見たい?」

 馬鹿正直に答えた挙句、中身を見るかどうかを尋ねた。

 もちろん、見せる気なんて全くなかった。見たいと言われたら、「嘘だよ」と答えるつもりだった。


 けれどこの人は、私の予想をとことんどこまでも裏切る。


「ん~……いいや。別に」

 信じていない、初めから冗談かと思って答えたのかと思ったけど、続いた言葉で私の言葉が完全に失われた。


「未来って、わかんない方が楽しみに出来るから」


 私の言葉を信じてる、信じてない以前の問題だった。

 当たり前のように、当然のように自然体で、彼は誰もが見過ごしてしまうそんな当たり前なことを口にした。

 未来はわからないから、夢を見れる。希望を持てる。

 だから、いらない。見る必要がない。


 彼はそう言って、何人もの犠牲を出したこの悪魔の存在を完全に否定した。


「――貴方は……」

「? 羽柴さん、どうかした?」

 何かを言いかけて、言葉に詰まる。

 彼を形容する言葉が、思い浮かばなかった。


「……何でもない」

 だからそう言って、私は自転車を押して歩く彼の隣を歩く。

 駅まで10分もいらない距離だったけど、会話なんてほとんどない、気まずくて居心地の悪い時間だった。

 ……もっと前から彼と話をしていたら、関わろうとしていたら、そうじゃなかったのかな? とか、私はあの時彼をどう形容したかったんだろう? とか、歩きながらひたすら考えた。


 日生さんに送ってもらって別れた後も、電車の中でも、家に帰るまでずっとそんなことを考えてて、帰ってお父さんに言われるまで右手に持った巻物の存在を忘れていた。


 振り切れずにいた過去への未練も、見ないふりじゃなくって本当に見えていなかったことに気付いたのは、巻物の存在を思い出したのと同時だった。




 * * *




 これが、ソーキさんに興味を持ったきっかけ。


 そして見る気は全くないけれど、あの日私が巻物を見ていたらそれから約一月後がどう書かれていたのか、いまだに少し気になる。


 私の全てが一変するほどの恋に落ちると書かれていても、きっと当時の私は信じない。

 けど今ならこう思う。


 信じないのは、ただの意地だって。


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