狂気美食
※グロテスクな表現がありますので、苦手な方は注意してください。
魂を踏みにじられた時に、生まれる狂気。
ただひたすらに、相手の不幸を望み願う狂気。
これらの狂気は、まだまだ序の口。
人の欲と獣の欲が結ばれた時こそ、狂気の沙汰。
狂気の最果てとは、美食の最果てかもしれない。
* * *
昔々、というほど昔でもない、私のお父さんとお母さんが高校生の頃、お母さんの友達で料理が趣味の人がいました。
その人は料理を作るのはもちろん、盛り付けや彩りにもこだわる人で、その延長線で食器にも興味を持ち、お母さんの紹介でまだ店の名前が「我楽多堂」だった頃のうちにやってきました。
その人はたちまち、繊細なデザインのアンティークカトラリーに魅せられました。
高いものはもちろんあるけど、学生のお小遣いやバイト代でも十分手が届く値段の物もある、さらに高校の同級生の親がやっているという事から、敷居が低くて信用できると思われたのか、その人が「我楽多堂」の常連となるまで、長い時間はかかりませんでした。
彼女は、良いお客さんだったそうです。
いつ頃の年代のものがいい、どこそこのブランドのものが欲しいというこだわりはなく、純粋に自分が気に入ったものを買い集め、そしてただそれを飾って満足するのではなく、作った料理を盛って家族や友達にふるまうという正しい使い道をしてくれる人でした。
もちろん、学生なので店にはよくやってきてウィンドウショッピングはするけれど、購入するのは2,3か月に1度。
一度の買い物で購入するのは1万円以下のものばかり。奮発して2,3万円。
商売で考えたらさほどいい常連とは言えないけれど、とても大事に使ってくれていたことはわかっていたから、お父さんはその人を信頼していました。
そんな交流は高校を卒業しても、進学したり就職したりお父さんとお母さんが結婚して、常連だった友達が結婚してからも続きました。
その友達の旦那さんは、穏やかで優しい人だったそうです。
まだ二人が恋人だった頃はよく一緒に買い物に来て、どの食器でどんな料理を作るかを話し合ったりと、彼女の趣味をよく理解してプレゼントにうちの商品を買ってくれるような人でした。
でも、そんな日々はある日突然壊れました。
その友達が結婚して1年ほどたった頃、旦那さんのお父さんが亡くなり、それがきっかけで旦那さんのお母さん、つまりは姑がその友達の家に引っ越してきて同居するようになったそうです。
私からしたら夫が亡くなったからと言って、何でまだ新婚と言える夫婦の家に転がり込む理由はよくわかりませんけど、まぁ、大人には大人の事情があるんでしょう。
ただ、どんな事情があっても転がり込んできた立場である姑が、嫁であるお母さんの友達をいびってもいい理由にはなりません。
その姑は息子の選んだ嫁の何がそんなに憎いのか、朝から晩まで近所の人に嫁の悪口を針小棒大、あることないこと話し続け、買い物に出かけたら特に必要もない重いものを買っては嫁一人に運ばせ、嫁の分だけ洗濯ものを庭の水たまりに捨てるなど、嫁イビリを飽きもせず一日中毎日繰り返したそうです。
もちろん姑の悪行を知ったお母さんは友達を心配しましたが、友達は「私に至らない所があるから」「お義母さんに悪気はないから」と言って、ひたすらに耐えていました。
その忍耐の理由は、愛する旦那を産み育てた母親だからだったのでしょう。
でも、彼女の忍耐や献身は裏切られました。
よりにもよって、愛する旦那本人に。
ある日、お父さんが副業の方で出かけてお母さんが店番をしていた時、その姑と旦那さんがやってきました。
そして姑は乱暴に段ボールを置いて、その中身を売ると言いました。
うちは質屋でもリサイクルショップでもないのでそういう買い取りはしないのですが、お母さんは嫌な予感がしてそのことを説明せずに、段ボールの中身を確認しました。
……その中身は、彼女のコレクションであるアンテークカトラリーでした。
姑が嫌がらせとしてこれを持ってくるのは、許せないことですが普通に納得できます。
信じられなかったのは、彼女の趣味を「素敵だ」「いいね」と言っていた旦那もそこにいること。
お母さんは確認として、本当に売っていいのかを尋ねましたが、旦那の方は気まずげに目をそらすだけで何も答えず、姑が一人勝手に「息子の稼ぎでこんな贅沢!」とわめいていたそうです。
お母さんはその反応で、悟りました。
その旦那は優しくて穏やかな人ではなく、強いものには文句を言えず、自分に被害が及ばないように黙って物事が終わることをただ待っている卑怯者であることを。
何故ならその段ボールの中には、彼がプレゼントで贈ったものも全てあったから。
買い取れないと断ったら、それこそ友達のコレクションはどこに売り飛ばされるのかわからないし、もしくは彼女の目の前で粉々に壊されてもおかしくはないと思ったお母さんは、そのコレクションをとりあえず買い取りました。
品物を一つ一つ点検している時、旦那の方は自分が持ってきた妻のコレクションはもちろん、カトラリーのコーナーも決して見ようとはせず、自分が持ってきたもの、自分がしたことから背を向け続けました。
どこまでも、弱くて卑怯な男です。
コレクションを買い取って、姑と旦那が店から出てすぐにお母さんは友達に連絡をしました。
友達の愛情に胡坐をかいで、自分の母親を諌めないばかりか友達が大切にしているものを売り飛ばすことに協力した旦那にお母さんは自分の事のように怒りましたが、友達の反応は意外なものでした。
ただ一言、「そう」と静かに彼女は電話で言いました。
そしてその後、買い取りはしていないのに買い取らせてごめんなさいと謝ったのはいいのですが、そのコレクションを返して欲しいとは言いませんでした。買い取り金額を払うとは言いましたが、もうその食器はいらないと言ったのです。
お母さんは自分が「勝手にしたことなのだから、お金なんかいらない! 必ず返す!」と言いましたが、友達は頑なに「いらない」と答えました。
大切なコレクションだったけど、姑と旦那のせいで嫌な思い出がついてしまったからいらなくなったのかと思い、お母さんはお金の件だけは断って、友達に旦那とは別れることも視野に入れて話し合うべきだとだけ話して、電話を切りました。
その電話から一月後です。
友達が高層マンションから飛び降りて、自殺したという連絡が入ったのは。
遺書の内容は短く、夫宛に「私がいなければいいのでしょう? 貴方はお義母さんと末永く、一緒になってください」とだけでした。
お母さんは自分がもっと早くに、もっと親身になって説得していればよかったと後悔して、悲しみました。
けれど、お母さんをそれ以上に悲しませて、苦しませる事実が後日、判明しました。
友達が姑を殺していたことが判明したのです。
それも、自分のコレクションが売り飛ばされた直後、つまりは自殺する一か月前に。
しかし自分の母親が妻に殺されたことを、旦那は妻が自殺するまで……いえ、自殺しても気づきませんでした。
何故、姑が殺されていることに気付いたかというと、妻が死んだと聞いて丸一日はさすがにショックでほとんど何もできず、何も食べられずにぼーっとしていたそうですが、ふと、そういえば母親の姿を全く見ていない、母に妻が死んだことを伝えていないことに気付き、母の部屋を開けました。
男はこの時点では気付いていませんでした。もしかしたら、気付いていたかもしれないけれど、あの日と同じように背を向けて、見ないふりを続けていたのかもしれません。
母は妻のコレクションを売り払った日からずっと、姿を見るどころか声も聞いていないこと。
朝は「まだ寝てる」、夜は「もう横になった」、休日は「友達と出かけた」という妻の言葉を鵜呑みにしていたことに気付かず、ふすまを開けました。
そこで見たものは、大量の芳香剤と消臭剤、天井まで届いたどす黒く変色した血の跡、そして普通の和室には似つかわしくない真新しい大型の冷蔵庫でした。
大量の血痕に悲鳴を上げて、旦那はすぐに警察に通報しました。
そして警察が来るまでの間に、旦那は好奇心か、それとも罪悪感か、「まさかそこまでするはずはない」という希望に縋ったのかは知りませんが、彼はもう一つの扉も開けてしまいました。
冷蔵庫の、扉です。
警察が到着した時には、旦那は喉に指を突っ込み、ひたすらに胃の中のものを吐き続けていました。
もう出てくるものは胃液すらほとんどないのに、指を乱暴に突っ込みすぎて喉の奥が傷つき、血を吐いてるのに、それでも狂ったように嘔吐し続けたのです。
いえ、実際に彼は狂っていたのでしょう。
彼は見てしまい、そして気付いてしまったからです。
冷蔵庫に中にあった、自分の母親の残骸を。
そして、その中に残されてはいない部分が、どうなったかを。
遺書の内容がどうして「一緒に生きてください」ではなく、「一緒になってください」だったのかを、気付いてしまったのです。
妻は、お母さんの友達は、自分の青春であり、数々の思い出であり、自分の魂そのものであるコレクションを、愛している、そして同じくらい自分の事を愛してくれていると思っていた旦那に裏切られ、奪われ、売り飛ばされたこと、魂を踏みにじられたことに気付いた時から、壊れてしまっていたのです。
彼女はお母さんから電話で知らされた翌日、姑を殺して、買って来た冷蔵庫の中に解体した姑を詰め、そして一月掛けて彼女は旦那に復讐しました。
いえ、狂った彼女にとっては姑を殺したことも、その後の行為も、復讐ではなくもしかしたら二人の望みを叶えてやってるつもりだったのかもしれません。
旦那は気付きませんでした。
薄味好き、野菜好きの妻がその一か月間、やたらと味の濃い肉料理ばかり作るのは、姑がそういう料理が好きだからだと思っていました。
気付いたのは、冷蔵庫の残骸を見てから。
自分が昨日まで食べてた肉は全て、姑の、自分の母親の肉だと気付き、彼は正気を失いました。
人を不幸にしないと気が済まない姑と、愛する女性を守れず逃げ続けた旦那は、こうしてお望みの通り、末永く血肉を共にして一緒になりましたとさ。
めでたし、めでたし。
* * *
「どこもめでたくない!」
私の話が終わった瞬間、ナノさんがスパンと私の頭を叩きました。
響菜野花さん。私が小学校に入ってから、ずっと仲の良い友達。
今日も遊びに来てくれたのはいいけど、ちょっとだけ店番をしなくちゃいけなかったから、それに付き合ってくれてたけど、私の怪談がどうもお気に召さなかったのか結構本気怒ってる。
怪談をリクエストしたのは、ナノさんの方なのに。理不尽。
「私がリクエストしたのは、学校の花子さんがどうのこうのとかいう話であって、こんなドロドロの嫁姑話かつ、オチがグロイ実話じゃない!!」
何も言わなかったけど、どうも私の顔は本音を流暢に語っていたらしく、ナノさんからもっともな言葉をいただいた。
「そうだね。ごめん、ナノさん」
「……いや、そもそもあんたに『普通に怖い怪談』をリクエストした私がバカだったわ。でも、そういう系統の実話はやめて。お肉食べれなくなっちゃいそうじゃん」
私が謝ると、ナノさんは少し笑いながら言った。どうやら、口で言うほど怒ってもさっきの話がショックでもないみたい。
まぁ、彼女も私ほどじゃないけどちょっと霊感がある方で、ある程度は心霊現象とかグロテスクな話に耐性を持ってるからでしょうね。
だからと言ってやっぱり友達に話す内容ではなかったと今更になって思うので、一応私はもう一回謝っておく。
「本当にごめん。お父さんがちょっと出て行ってるのがそれ関係だったから、もう怖い話と言われたらこれしか思い浮かばなかったの」
「え? もしかしてまだ続きあるの!?」
私の言い訳に、ナノさんは驚きの声を上げる。
「うん。一応、おまけみたいな後日談が」
「何それ、聞かせてよ」
やっぱり嫌がった割には続きをせがむという事は、口で言うほど気にしてなかった。
まぁ、実話と言っても私たちが生まれる前の話だからね。現実味がなくて、ただの「怖い話」としか思えないのは当然。
でも一応、今度は前置きで注意しておく。
「……今度こそ、お肉が食べられなくなっても知らないよ?」
「あそこまで聞いたのなら、最後まで聞きたいわよ。今度は怒らないからさ、教えてよ」
言質を取ったので、私は手慰みに商品のカトラリーを磨きながら、おまけのような後日談を始めた。
「……売り払われたカトラリーはね、しばらくは気付かなかったんだけど、お母さんが友達を悼む気持ちで何気なくカップの一つにお茶を注いだら、ミルクティーのはずがどす黒い赤色になって、錆の匂いを発したらしいの。
それでお父さんが詳しく見てみたら、……姑の悪意がびっちり全部に、カトラリーの模様を塗りつぶすようにこびりついてたの」
「うわっ……自業自得とはいえ、殺されて息子に食わされたんだから、そりゃそうなるかもね」
ナノさんが引きつつも、納得した。
でも、違う。その解釈は間違い。
私は首を振って、正解を口にする。
「違うの。あのこびりついた悪意は、姑が死んだ後に憑いたものじゃない。生前に、売り飛ばす際に憑いたもの。
姑はね、何が何でも嫁を不幸にしたかったの。嫁の楽しみをすべて奪って、何もかも台無しにしたかったの。だから、売り払ったものを買い戻しても、彼女の楽しみを台無しになることを心の底から、呪いになるぐらいに望んで、楽しみにしていたの。
その結果が、その食器を使ったら食べ物全てが血の味がするっていう、呪いのカトラリーセット」
さすがにこの底知れない悪意に、ナノさんは血の気を引かせた。
「……え? じゃあ、今日しきみさんがちょっと出かけてるのは、その食器の呪いを解くため?」
やや青くなった顔でナノさんは尋ねるけど、それも私は否定する。
「違うよ。そもそも、その呪いがそう簡単に解けるのなら、解けなくても壊す気があるのなら、とっくの昔にそうしてるよ」
私の答えに納得した後、「じゃあ、今日の用事って何?」と尋ね返す。
ナノさん、好奇心は猫を殺すよ。
殺される前に、あまり踏み込むのは良くないと教えも兼ねて、教えてあげる。
「私には理解できないけど、世の中には信じられないものを食べる人がいるよね。
猿の脳みそとか、虫とか。材料は魚とはいえ、くさやとかシュールスレミングスとか食べる人も、信じられないよね?」
私の遠回りのな言葉ではさすがに察することが出来ず、ナノさんは首を傾げる。
それを横目で見ながら私は、磨き終えた皿を棚に戻し、隣のカップを取り出して磨く。
磨きながら、カップの底を眺めながら続きを語る。
「呪いは解けない、でもお母さんの友達の魂そのものだから壊すこともできない。困ったお父さんは、あるものを食べたくて仕方ない人に、物は試しにいくつか譲ったの。
そしたらその人が大喜びで、それからその人と同じ食べ物の好みの人がたまに、買いたいって言うようになったから、お父さんはそういう人たちに売ることにしたの。
ある意味、その食器を大事にしてくれるから、友達の魂も守られるって思ったの」
私の言葉に、初めの方は意味がよくわかってなかったみたいだけど、だんだんと察してナノさんはさらに顔色を悪くさせた。
あ、これは言っとかなくちゃお父さんが誤解される。
「お父さんはね、そういう特殊な食べ物の好みが罪深い、何でこんな好みを持ってしまってるんだ? って悩み苦しんでる人が間違いを犯さないために売ったり譲ってるんであって、だれかれ構わず売ってるわけじゃないんだよ。
今日だって、見ればだいたい犠牲を出したか出してないかわかるから、確認のためにわざわざ直接届けに行ったんだから」
「……うん。大丈夫。そういう事はすごく信用してる。……っていうかしきみさん、そういうのもやっぱり見てわかるんだ」
私の言葉に顔色が悪いまま、ナノさんは肯定してくれた。
お父さんだけじゃなくて、私もだいたいわかるんだけどなー。
まぁ、それはどうでもいいかと思いながら、カップを棚に戻す前にもう一度、カップの底を眺めて見る。
ゴロリと転がった、眼球と目が合う。
眼球だけでそれは、ニヤニヤ笑う。嫁の料理が、趣味が、魂が台無しになり、踏みにじるのが楽しくてたまらないと言わんばかりに。
そんな哀れな眼球を見下ろして私は思う。
残念だったね、名前も知らない姑さん。
貴方の悪意も狂気も、それはとてもおいしく頂かれているわ。
悪食の行きつくところ、人肉嗜食の方々が。