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第四話 軽快なステップ


 意識があった。名前は思い出せなかった。自身の存在は空白で、記憶には靄がかかっている。

 意識が捉えたものは、横からの射し込む光だった。背の高い木の群の中、上を見上げても見えるものはない。暗闇がそこにはある。細長い木だ。巨木、と表現できるか些か不安を覚える。まばらなようで、どこか統制のとれたような生え方。幹に腕を回すと、多少は余裕が持てそうだという印象。弱弱しくてすぐにでも折れてしまいそうな木は、まるで生気を感じさせない。すべてが同じ物の様に思えてきて、気味の悪さを覚えた。

 闇は深いのだろうか。頭上、天井知らずの闇が見える。この一本一本の木の枝や葉が、何重にも折り重なって作られた闇なのだろうか。細い幹を見るとそうは思えない。しかし、どこか腑に落ちるところもある。ここはとても不思議な空間で、頭の中の常識が通用する場所ではないのだと、理屈抜きでそう思えた。

 もしかすると、木だと思った目の前の細長い物体は、頭上の闇が伸ばした根っこなのではないだろうか。この細さは、あの闇を下支えする物なのではないのだろうか。

 いや、そもそも光は上から降り注ぐものなのか。この遥かな地平線のむこうから伸びてくる夕暮れの様な茜色は、上にも下にもゆくことなく、あそこに常にあるのではないのか。

 不気味さが忍び寄った。二の腕をざわざわとさぶいぼが走って、上からそれをはらおうと擦る。気が付けば、底冷えするような重圧が喉を締め始めていた。

 ここはどこなのだ、とここに至って疑問を投げた。答えを求める視線が、周囲を彷徨い、そして白を捉えた。

 白は、長い髪だった。木々の間で大きく広がっては後を引き、その間間にそこかしこと現れては消えていった。

 手を伸ばした。最近どこかで伸ばした手だ。靄の中、頭の中に少しずつ光景が見えてくる。その時この手は何を掴んだ、或いは掴みたかったのだろうか。ありがとう、と言葉が蘇る。クラクションの音は、背景としてその言葉を際立たせた。記憶の中で、伸ばした手を、声の主は掴んで、ついで歩は自身の存在を思い出す。

 重圧は歩の耳元で囁いた。どうか終わらせてくれと。伸ばした手のむこうで、白がこちらを見ていた。

 赤い瞳と、キラキラと赤い白髪を持った彼女は、茜色の光を背負っていた。

 ここは何もかもが死んでしまった様な世界だった。

 

 

 覚醒は草木の青臭さだった。正面、青空がある。頭の下は濡れた服の感触を覚えていた。

 息が荒かった。歩は青空のむこうに赤を見た。息苦しさがまだ居座っている。落ち着け、と深く息を吐いて吸ってを繰り返す。一度大きく息をのみ、吐いた頃には、ただ青が見えるのみだった。汗ではなく、雨に濡れたティーシャツとチノパンの冷たさを、今は心地よいと思った。

「……急にはぁはぁし始めたから夢精でもするのかと思って、アタシはワクワクしていたわけなんだけど?」

 左、歩は低い声を聞いた。女の声。不意の声に上半身をガバッと起き上がらせて、そちらに首をむける。視線の先には少女がいた。鎖骨まで伸びる濡れた黒髪は、ただそれ一枚のみ羽織られた白シャツとのシンプルなコントラストを歩に見せた。かがんで不敵な笑みを少女は作っている。彼女の後ろの細い木の枝に、女物のティーシャツとホットパンツ、下着が掛かっていた。

「……ッ!!」

 驚きと恥じらいを覚え顔を勢いよく逸らした歩は、その動作の途中で地に着いた手首に痛みを得、表情を歪めた。口からは情けなく息が抜けた。

「イイねそれ。アンタ、今かっこ悪いよ」

 ケラケラと笑い出す彼女。その笑い声は、少女としては低かった。裸にシャツ一枚という姿にマッチしていて、不思議なことに大人びて見えた。粗暴さが行動や笑い声から感じ取れた。

「な、なんて格好をしているんだ!?」

 歩は頬の熱を感じた。それは恥じらいと一緒になって耳にまで上がった。視線は少女からずらし、目に映るものは生える木々であるが、その枝に下着が掛かっているように見えた。脳に焼き付いて離れない光景として、下着と少女の秘部がある。歩は、頭の中の幻影から逃れられなくて目を閉じた。暗い瞼の内側に白がまだチラついていた。

「アンタ童貞みたいな反応するねぇ」

「ど、ど、……童貞なんかッ!」

「図星、だろ?」

 確信を持った少女の声。見透かされたような気がして、歩は更に熱を感じた。彼女の笑い声がこの場所の全てだった。

「……それはおれ、自分のシャツですよね」

 記憶の中の少女が羽織っていた白いシャツを思った。逃げの姿勢が口を開かせる。顔の熱はそのままに。

「これが一番に渇くかなと思ってさ。濡れたままだと風邪をひくっていうだろ?だから濡れたやつはそこら辺の木に引っ掛けて、渇くまで借りていようと思ってさ。嫌だった?」

 それが彼女の理由だった。笑い声にいたずら心をのぞかせて、彼女は素直に返答する。偽りのない言葉だと思った。歩は彼女の顔を初めてきちんと見てみたいと思えた。

 歩は手を動かした。先程まで歩が横になって頭を置いていた場所。確かそこには濡れた服があったはずだ。歩の考えが正しければ、それは優しさであるはずなのだ。歩の濡れたティーシャツとチノパンは、一緒に着られていたシャツをなくして寂しそうだった。

「これ……このパーカー。これは貴方のですか?」

 歩は手さぐりに求めていたものを手で持って少女に示した。濡れているパーカーは、しかし歩の熱が伝わって暖かかった。だがその温もりは、歩が伝えるより以前からそこにあったようにも思えた。

「そうだよ」

 飾り気なく驕らない声は歩の言葉を待っている。後を引かない少女の返答は、歩を気負わせなかった。

「これを貸していただきましたから、だから寧ろ感謝しています。ありがとうございます」

 言って、思い出したものは儚さだ。美しく艶やかな光景が思い出されて、このありがとうにはあの時のモノと同じほどの意味があるのかと思った。

 目を閉じて、誰に言っているのか。恥ずかしさはあるが、それ以上にそんな感謝が酷く不誠実に思えた。これは嘘だ。

 だから歩は目を開けて、少女を見る。やはり美しさがあった。壊れてしまいそうに思えて、だから確かにここにいる彼女は嘘ではないのだと、歩は向き合った。

「ありがとうございます」

 歩はこちらに向けられている笑顔に答えなければならなかった。強迫観念なのか、それともそうしたいと本心で思えたのか、歩にはわからなかった。

「いいっていいって、お陰で貴重で珍しい童貞君の反応なんか見れたし」

 はにかんで、少女は髪を耳にかけた。やはり恥ずかしさを歩は得た。目を逸らして伸ばされた足を見る。足元にバックパックとトートバックが置いてあった。

「まだ言いますか」

「アンタの反応に飽きるまでは続けるかも」

「性格、悪いですよ」

 言って、後ろめたさがある。歩の掌。そこには触れている草とその下の土、そして頬を叩いた感覚があった。思い出し、歩はもう一度少女を見る。

「あの時は、頬を叩いてしまいすいませんでした」

 謝罪して頭を下げた。申し訳ないという気持ちがあったから、歩は橋の上で彼女を追ったのだ。誤魔化してはいけない。紛らわしてもいけない。歩は、あの欄干の上の彼女に自分を重ねてしまったのだ。勝手をしたと、そう思っている。

「別に良いよ」

 だからその軽い返しが心底意外で、歩は驚いて顔を上げた。正面、「よ、っと」と立ち上がった少女は、本当にあとくされなく簡単にそう言った。合わせた手を上に伸ばしている姿は、冗談を言っているとは思わせない。

「な、なんで!?」

 服や下着を掛けていた木に近づいていく彼女を追おうと、歩は立ち上がってその背中に問いかけた。力んだ時に膝が痛んだ。それは仕事によるものであって、今歩の動作を止める理由足りえない。

「だって、アタシもアンタをぶん殴ったし、それでチャラだと思うんだよねー」

 それに、と枝にかけた下着を取って振り向いた彼女は、そのままの動きで大きく両手を広げて一つ息を吸う。

「アタシら、死んじゃったんだよ?」

 吸った息を吐き出すように、淀みなく少女は告げた。周囲を示すように広げられた両手、彼女の背後には木々が生え、その遠く奥まで続いていた。広い緑の中で、彼女の手に握られた黒のショーツが一際シュールに思えた。



 ここはどこなのだろうか。歩は、黒のショーツから慌てて周囲に目を向けそう思った。見渡す限りの緑。ここは森の中にできた僅かばかりの空間で、人工的なものは何もない。遠めに見ても山が見えるだけで、場所を示すようなものはなかった。

 歩は自身の心臓の鼓動が早まりつつあることを意識しつつ、ポケットに手を差し込んだ。スマホを引っ張り出して、電源を入れる。時刻はこの青空からは結び付かない深夜を告げ、電波が入っていないことをアンテナの横の小さなバツ印が示している。当然位置機能はその効果を発揮しなかった。

「ここは……どこだ」

 息が荒い。歩は、どうしてここにいるのか理由を考えた。雨が降る純金橋。ナトリウム灯の下を走る自動車。横合いからけたたましいブレーキ音を鳴らしながら突っ込んでくるトラック。そのトラックの光に、歩も少女ものまれたはずだ。

 考え、歩は気づいた。

「ケガが一つもない?」

 広げた五指。そこから目線を手前に引いて足先までを見るが、衣服から露出した部分に傷はなかったし、身に纏うティーシャツとチノパンにも汚れはなかった。ただ雨に濡れて、肌に張り付く感覚があるだけだった。

「だからさ、死んだんだって、多分」

 少女はシャツを脱いで枝にかけ、ブラジャーのホックをとめている。ティーシャツとホットパンツを着る動作は慣れた手つきで、動揺しているようにも焦っているようにも思えない。

「トラックに轢かれてさ、アタシら死んじゃったんだよ。でなきゃ今頃病院だって」

 少女は歩の白シャツを羽織った。シャツ以外はまだ濡れているように見えるが、それでも幾分かマシになったようだ。見る限り肌に張り付いてはいなさそうだった。

「なんでそう思うんですか?」

「ケガとかないし、知らない場所だし」

 不安はなさそうだった。少女は、テクテクとゆったりと落ち着いた足取りで歩に近づいてきた。目的がわからず、そしてその余裕さに歩は身構えた。

「殴ったりしないよ」

 苦笑、少女は足元のトートバックを手に取った。その言葉に、歩は無意識に歯を噛みしめていたことに気が付いた。込み上げてきたものは恥ずかしさと、その悲しさを少し孕んだ表情に感じた息苦しさだった。

「不安は……ないんですか?」

 目を逸らしている。下をむいてしまっている。歩の心には後悔があった。それは目の前の少女に対して抱いたものであった。そしてやはり父の言葉が頭のどこかにあった。胸を?きむしりたくなるような、そんな焦燥感に歩は堪らない気持ちであった。

「ない」

 短い言葉は躊躇いを知らない。

 バッ、っと顔を上げた。少女を見る。真っ直ぐな瞳は、歩を射抜いて逃がさない。力強さではない。そこにあるものは解放感である。歩には理解できない自由がそこにはある。

「自分は、不安、です」

 遠く、見上げた青い空。拳を握ることはもうできなかった。

 死んでいるのか、それとも生きているのか。

 そんなことはどうでもいい。

 いや、どうでもはよくないのだ。どちらであっても、結局何かしらの問題がある。考えなければならないことがある。それでもどうでもいいと言ってしまえた。

 歩は諦めの言葉を覚えている。どんな時でも忘れなかった父の言葉、その痛み、怒り。それらを歩はあの瞬間なくしたような気がした。

 見詰めるのは手だ。だらしなく広がる両手。そこから何かが無くなってしまったような気がした。

「心配すんなって」

 空っぽさを掴むものがある。歩の手より小さな手。ひんやりとした少女の手が、歩に手の形を思い出させた。

「アタシは自分が死んだのか、って思ってさ、何となくウキウキしてるんだ。ウキウキしてるし、気持ちいい。背伸びして目一杯息をしてさ、それが気持ちいいんだ」

 少女の笑顔がある。歩はそこに儚さを見た。そして諦めのような、そんな解放感も見た。

 欄干の上の彼女はこれで救われたのだろうか。歩は、目の前の少女にもう一度自分を重ねてみた。それでもどこかズレている。重く垂れこめた暗雲が胸中にあるのだ。言葉があるのだ。怒りと諦めの両方が歩を掴んで離さない。

「さて……」

「どこにいくんですか?」

 少女は歩き出した。歩の手を放して。支えを失ったような気がして、歩はその背中に手を伸ばそうとした。

「わからない。でもここにいても何もなさそうだし、天国なのか地獄なのかわからないけど、殺風景でつまらないんだよ」

 彼女は楽しそうだ。その言葉にその口調に深刻さなどはない。軽く踊るようにそう言って、宛もなく歩き出すのだ。

「早く来いよ」

 少女はそう言った。

 その声に、歩は慌ててバックパックを背負った。パーカーをもって、彼女の後を追う。追わなければならない。今歩は一人でいると、自分を保つことが出来るかわからなかった。

 彼女は歩が来るまで待っていた。どうやら彼女の中で歩は待つだけの価値がある存在のようだ。誘って待ってくれる人がいるということを、歩は救いに思った。

 追い付いた。少女はパーカーを指さして、「着たら?」と冗談めかした。無理ですよ、と歩は無理矢理に笑ってみせて彼女にパーカーを差し出した。

「持っててくれ」

 少女は言い切りを見せた。理由を聞いた。

「アンタ気が付いたらどっか行きそうだし、そういうの旅の道連れ的にはアウトでしょ。だから持っててくれ。そうしたらアンタどこにも行かないだろ」

 歩はその言葉に返す言葉を持っていなかった。納得をした。そうして優しさが有難かった。彼女にこうもさせる自分を情けないと思った。

「あの」

「ん?」

 歩の声に彼女は振り向いた。渇いてきている彼女の髪が、少し揺れた。

「名前、教えていただいてもいいですか?」

「ん、言ってなかったっけ?」

「言ってないです」

 歩は彼女の名前を知りたかった。そして自分の名前を知ってもらいたかった。どこかわからないところにいて、だからこそ知りたいし、知ってもらいたかった。

「真白。そう呼んでくれ」

 彼女は、真白はそれだけを口にした。

「アンタは?」

 待ち望んでいた返し。歩は答える。

「霧島歩、です」

 言って、一つ胸のつっかえが取れた気がした。安堵を感じた。

「歩、敬語なんて使わなくていいよ。アタシはそんな大層な人間じゃないから、さっきから鳥肌がたちまくって仕方ない」

 二の腕を擦りながら真白はそう言った。気にしていたのだろう。

 歩は頷いた。真白について歩き出す。

 どこにむかっているのかは二人ともわからない。どうなるのかも、どうすればいいのかもわからない。ふと背後を振り向きたくなった。立ち止まりそうになる。しかし、振り向いたところでどうなるのか、またどうすればいいのかもわからなかった。歩は過去を切り離せない自分を内心笑った。真白の清々しさを羨ましいと思った。

 軽快なステップは歩には似合わない。

 おはようございます。4話、軽快なステップです。日曜夜七時か月曜の七時に投稿しようと決めましたが、しかし難しいですね。完成したの、月曜の朝六時五十五分くらいで、かなり焦りました(笑)後半急ぎ足になってるんだろうなぁ、と反省。来週はもっと余裕を持ちたいです。


 さて、この回ですが、書きたいことは書けたのかしらと。書くことが出来ていたらいいなぁと思っています

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