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第三話 光


ざあざあと雨が降っている。顔を横からうつ風もあった。自動車が純金橋の上を水を切りながらひっきりなしに走っていた。走行音に路面の水を切る音が重なっている。いつの間にか橋上のナトリウム灯が点灯していた。それらはすべて頬の痛みが連れてきたものだった。

正面、真白を叩いて怒鳴った男がいる。いや、怒鳴るという表現は適切ではない。こちらを見る瞳からは、不思議と怒りが感じられなかった。その瞳は真白を見ているようで、しかし何か他のものを見ているようにも思えた。揺れる瞳は切羽詰まったその胸中を思わせた。

真白は自分の頬に触れた。熱を帯びたそこを上から撫でて、再び自分は叩かれたのだと自覚する。途端にカッと頭に上がってきた熱を真白は感じた。

「…何しやがるッ!!」

真白は、その感情の赴くまま右手を握って振りかぶった。咄嗟の動きに反応しきれなかった男の体が、顔を起点に左奥へと飛んだ。真白はそのままの勢いで立ち上がって、後ろに走り出した。背後でこちらを呼び止める声がした。なりふり構わず真白は走った。

死ねなかった、それは走る真白の思考をいの一番に支配した言葉だった。橋下の水面を見やると、徐々に水面が遠ざかっていく様な気がした。怒りと悔しさが、走る真白についてくる。一緒に迫ってきた先の男の言葉が、真白を否定する。それが堪らなく悔しかった。

どうでもよかったのだ。もう何もかも終えてしまいたかった。この足はどこに向かっているのか。行く宛などない。帰る場所はずっとなかったし、かといって迎えてくれる場所もない。真白の心はいつも孤独で、体だけが人の体温を知っている。もうたくさんだ。とりあえずと生きるために稼いだお金も、そのために使った自分も、すべてに意味などなかった。思い返せば全部が嘘みたいなものだ。クソッタレな両親、クソッタレな友人、クソッタレな男ども、クソッタレな自分自身。積み重ねず、何も為さず、ただ快楽を貪ってきた。それは『真白』でなくても出来たことだ。ならば『真白』とは何だ。何だったんだ。

涙が止まらない。にじむ視界をヘッドライトの白い光と赤いテールランプが染める。すべてが遠ざかる。

死ねない。この足は真っすぐにしか進んでくれない。横にそれればいい。車道と歩道を遮る仕切りを越えて、身を投げ出せばいい。それだけではない。橋から水面に飛び込む手もある。どちらにせよ死ぬことが出来るはずだ。

なのに止まらない。身を投げ出すことも飛び込むことも出来なかった。男の瞳がこちらを見つめて離さない。男が誰を見ていたのか何を見ていたのかはどうでもよかった。ただ『真白』を止めたという事実が引っかかった。

わかっている。それは誰かに必要とされたい自意識が、死のうとしている人間を助けたという事実を、死のうとしている『真白』を止めてくれた、と過剰に美化しただけなのだ。そのことを、真白はわかっていた。わかってしまったから、尚更真白の足は止まってくれなかった。それほどまでに自分は今弱ってしまっている。

死への執着が喜びに変わる。弱さが、喜怒哀楽もすべて吐き出してしまった真白に、心を思い出させる。頬の痛みは真白のものだ。それは久しく誰も与えてくれなかったものだ。いや、真白を真剣に怒った人間は今までいなかった。両親も友人も、関係を持った男たちも誰も彼も真白に痛みを与えなかった。だとするとこの痛みは始めて得ることのできたものだ。真白の脳裏に焼き付いた双眸が、真白から死への執着を奪っていく。

自分本位の考えだ。男の真意など真白にはわからない。だから勝手に結論付けた。真白は泣きながらその瞳や痛みが大切に思えてきた。背後にはこちらを追ってくる彼がいる。そのことが何よりも嬉しい。

もはやまともな思考ではなかった。自分でも何を考えて、何を思っているのかわからない。

死を望んで、実際に行動に移そうとした真白。それを救ってくれた人がいた。馬鹿な事、としかってくれたことが嬉しい。向き合ってくれたことが嬉しい。そう思うと、申し訳なく思えてきた。

自分は恩人を殴ったのだ。それも思いっきり。きっと痛かったはずだ。助けたのに殴り返されて、彼は憤っているに違いない。

謝らなければならない。精神誠意謝って、彼の慈悲に報いらなければならない。そのためならなんだってする。そのためのセックスなら大歓迎だ。真白は喜んで身を捧げよう。

「止まれ!」

彼の叫び声が聞こえた。真白は、純金橋の上を走る国道と脇道の合流地点まで走ってきていた。交通量の多い純金橋だ。そこに合流してくる車両も多い。そんな合流地点に飛び込むことが危ない、と彼は真白を案じたのだろう。なんて優しい人なのだろうか。セックスだけでは足りない。だが真白はそれしか知らない。

どう恩を返せばいいのかわからない真白は、そのことばかりに気を取られて、足元の段差に気が付かなった。盛大にこけてしまう。

「危ない!!」

切羽詰まった彼の声。起き上がって顔を横に向けると、トラックのまばゆいライトの光が迫ってきていた。ゆっくりとこちらに近づいてきている。

真白は直感的に自分の死を悟った。あれにのまれて自分は死ぬのだ、と。

真白は自身のことではなく、彼のことを思った。伝えたい言葉があった。真白は、地面に座り込んだ自分に必死で手を伸ばす彼を見た。彼もこちらを見ていた。念願の死よりも、真白はその伸ばされた手を望んだ。

 雨が降っていた。トラックのけたたましいクラクションもブレーキも、お願いだから今だけは。この言葉を、真白は世界の何よりも優先して彼に送りたかった。

「ありがとう」

 真白は光にのまれた。



 頬の痛みは当然のものだ。どうして真っ先に行動にでたのだろうか。声をかけるとか、歩には他に手段があったはずだ。許せない、そんな感情に従って、だから歩は殴り返されて、殴り返した女の子が走り出したから、その子のバックを慌てて拾って後を追いかけた。

 歩は、彼女の気持ちが少しわかった。理由はわからない。それでも動機があるから、彼女は欄干の上に立ったのだ。歩には出来ないことだった。そんな時には、決まって父の顔や言葉がよみがえる。それらが、歩に彼女の隣に立つことを許さない。

 羨ましいと思えることは贅沢なのだろうか。ひどく自分が哀れに思えた。

 とにもかくにも、歩は彼女をぶってしまった。そのことをまず謝らなければならない。

 だから追いかけた。そうして見えたトラックと、ブレーキを踏みながらハンドルをきる運転手だとか、その正面で倒れた彼女と、伸ばした手に伸ばされてきた手と言葉だとか、歩には贅沢なものが目の前に沢山あった。

 運転手には家族がいるのだろうか。一人でも関係ない。きっとその運転手が持つささやかさを、歩は奪ってしまう。彼女の壊れてしまいそうな笑顔が尊い。その笑顔の裏には何かがあるのだ。幸せなことだろうか、それとも悲しいことなのだろうか。

 歩は、ここにきて自分の足元だけが抜けてしまうような孤独を味わった。伸ばしている手はその様相を呈しているが、果たしてその中身には何があるのだろうか。ざわざわと、指先から崩壊していくような錯覚が歩を襲う。

 足は、体は前に出てしまっている。迫る車体のその前に。

 理解して、歩の喉をついて出た言葉があった。

「もうたくさんだ」

 歩はその迫る光を迎えることが出来てしまった。

 遠い日の痛みを何故か思い出した。張り裂けそうな胸の痛みもあった。本当に諦めがついたのか、それはわからなかった。

 こんばんは。作者です。3話は1、2話と比べて短くすることが出来たと思っています。しかし、やはり自分は、小説が苦手なのだと心の奥底から痛感した回でもあります。勉強嫌いで碌に小説を読んでこなかったからでしょうね。物語を書くことは好きなんですけど、自分の中で名前や顔だけの存在が書いた物語を読むのは苦手なんです(笑)だから表現の限界がすぐ訪れちゃうんです。誤字脱字も多すぎます><

 と長くなりましたが3話「光」です。ようやくエピローグを終えることが出来ました。よろしくお願いします。



 僕の友人がまた僕の前を走り出してくれました。僕は僕の覚悟を決めるためにトワイライトを書いていますが、それでもただ一人見てほしいと思っていた人が見てくれていて嬉しいと思います。追い付いてやる、と思わせてくれる存在がいて、だから僕は贅沢で恵まれた人間なんです。

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