表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/22

第二話 瞳

 一話二話とやたら長いものが出来てしまったと思っています(汗)

 三話からはもうすこし短くしたいなぁと思っています。


 黒い瞳がこちらを見ていた。

 真白はベットにうつ伏せて、自分に覆いかぶさって腰を振る男の荒い息遣いを耳元で聞いていた。肉と肉がぶつかる音、粘液が擦れあって出るくちゅくちゅという音。後ろから犯される自分が鏡に映し出されていた。

 悪趣味な部屋だ。真白は、自分の最も女性的な部分からこみあげてくる快楽を覚えながらそう思う。男に案内されたこのホテルの部屋に入った時にもそれは思った。単純な部屋だ。大きなベットに全面ガラス張りのシャワールーム。備えられたテレビ。それだけなら良かった。しかし一枚の大きな鏡が一際存在感を示している。鏡にはキャスターがついていた。自分たちで動かせというのだ。男が鏡を動かして、そうして見せてきたのはこの男に犯される真白の姿だった。だからか今日はやたらと後ろからが長い。四つん這いから両手を後ろに引っ張られて強制的に体を反らされたときは息が詰まった。高揚した自分の頬、だらしなく弛緩したその表情。見せつけられて真白は己の姿に笑った。

 黒い瞳がこちらを見ている。太った男のギトギトの汗が首筋に落ちた。メガネが肩に当たって、ついでざらついた舌が肩甲骨あたりを舐めた。

 黒い瞳はそれら一部始終を見た。

 お似合いだ、真白は息も絶え絶えにその瞳を睨んだ。

 男が一番強く腰を打ち付けた。ゴム越しにその感触が伝わってくる。



 今日も気持ちよかったよ、真白ちゃんはどうだった。ホテルを出たところで男が訊いてきた。気持ちよかったよ、と笑顔を顔に貼り付けて真白は答える。よかったー、と本気で嬉しがっているのだからこの男は幸せ者だ。ジンジンする股の感覚が気持ち悪い。あとで飲まされたこの男の精液を吐かなければならない。真白はセックスをした後の自分が世界で一番汚いものだと思っていた。

 夏の夕暮れがそうさせているのか、それともまだ鳴いている蝉の声がそうさせているのか、目の前の男は早くも額から汗を流していた。その汗が行為に及んでいるときのそれの様に思えて真白は目を反らした。薄手のパーカーのポケットに手を突っ込む。突っ込んだ手にお札が触れた。男から受け取った物だった。

 男が黙ったので真白はそちらを見た。目をつぶってこちらに顔を近づけてくる男がいる。顔はゆっくりと近づいてきて、真白の少し前で止まった。その意図を真白はすぐ理解した。理解したうえでどうしようかな、なんて言ってみせるから結局真白は自分自身をそういうふうにとらえているのだ。これでどうとお札をもう一枚出してきた男に笑顔をむける。お礼の言葉もそうして重ねた唇も、すべてはお金のため。生きていくため。その手段でしかない。

 また連絡すると最後に言って男は去っていった。その背中に手を振りながら、真白は受け取ったばかりのお金をポケットに突っ込む。財布は捨ててしまった。あの男から貰った物だった。肩にかけたトートバックの中に財布の代わりになるような物はなかった。入っているのは便利だからと捨てずに持っている男からのもらい物である携帯とゴム、それともしものためのアフターピル。ティッシュなどの小物だった。化粧品の類はお金の無駄と割り切って持っていない。化粧をしなくてもやりたいだけの男は,笑ってやれば簡単に釣れた。それで稼ぐことが出来ている。

 真白はパーカーのフードを被って歩き始めた。目的地は知り合いのアパート。適当にお金を払ったら一晩二晩泊めてくれる便利な所だった。

 道中にはコンビニがある。真白はそこで胃の中のモノを吐くことにした。



 真白はコンビニで買ったパンを頬張った。別にお腹が減っているというわけではない。むしろ食欲はなかった。それでも意味もなくパンを食べていた。空っぽになった胃になにかいれようと思った。だからパンを買った。それだけだ。噛んで、そうして口の中に広がったカレーパンの脂っこさとチーズの感触が気持ち悪くて、もう二度とこのパンは買わないと決めた。最後の一口はオレンジ味の炭酸飲料と一緒に流し込んだ。遅れてやってくる炭酸を堪えて唾をのんだ。パンを包んでいたプラスチックはコンビニのごみ箱に捨てた。ジャラジャラとポケットから小銭どうしが擦れる音がする。うるさくてコンビニの袋に入れてバックに突っ込んだ。

 日は落ちている。鈴虫の鳴き声を背景曲に歩いていた。股の感覚も既になくなっている。風で靡く黒髪を耳にかけた。鎖骨のやや下まで伸びた髪だ。切りたいと揺れる毛先を見て思う。

 もっと伸ばさないの、と言ったのは先ほど真白を買った男の言葉だっただろうか。髪が長いほうが好きなのだと言っていたが、生憎伸ばす気はなかった。今の生活を始めて二年経ったが、年を重ねるごとに自分があの女に似てきているようで気に入らない。顔だけは良い女だったからお陰で自分の顔も良いということには感謝している。顔が良いという要素は金になる。他はすべて捨ててしまいたかった。長い髪を振って、自分の女の部分を増長させるのはあの女の手段だった。そうして男を誘惑するろくでなしだった。だから真白は髪を伸ばさなかった。

 あのメガネの男には感謝している。家を出て間もない自分を買って、それから長い間大金を自分に落としてくれた。どんな仕事をしているのか、はたまた家が家なのか、男は他の男よりお金をくれた。服や財布を買ってくれたし、あろうことか携帯も買い与えてくれた。自分に何を思ってそんなことをしてくれるのかは皆目見当がつかない。しかし大量のお金を落としてくれるのだから、今回のような悪趣味なお遊戯にも付き合った。それでも髪を伸ばしてくれという言外な願いだけは聞けなかった。

 暗い夜道を月明りと街灯の明かり、時折走る車のヘッドライトが照らす。随分と地に足の着いた光景だと真白は思った。吐いて捨ててしまえるような立場にある自分が、夜風や鈴虫の鳴き声に心落ち着かせることが出来るのなら、きっと真白にとってそれほど幸福なことはない。何もないからこそ、真白は今どうしようもないのだ。路傍の小石を蹴って、唾を吐く。コンクリートについたシミに、真白は自身を重ねてしまえた。本当にどうしようもない。



 インターホンを鳴らした。ここにくることは事前に連絡している。行く、とだけ送ってコンビニのトイレに入った。以降携帯は見ていない。

 ドアのむこうから声がした。女の声だ。ガチャリとドアが開く。茶髪の女だ。高校から帰ってそのままなのか制服を着ている。やっぱり来たのねアンタ、真白は茶髪の女の苦々しい表情を見て、奥の部屋でズボンを履きなおしている男を見た。金髪に染められた派手な頭の男。アパートの一室はギトギトした香水のにおいと、男女のにおいに満たされていた。女は制服の乱れをよそよそしく直しているが、自分の首元に着いたマークにまで気はまわっていないようだった。

 返信をみてないだろうと問い詰められたので、真白は素直に見てないと女に携帯の画面を見せた。その眼前で返信に既読を付ける。チラリと見えた画面にはくるな、とあった。この目の前の光景も含めて予想通りだった。女はイイところで邪魔が入ったことにイライラしているようだった。茶髪の背後まできた男を見ると股間の勃起はおさまっていないようだった。急いでいたのかベットは乱れたままだし、ごみ箱の中身もその周辺も散らかっていた。中身の入っていないのに伸びているゴムを見て違和感を覚えるのは性というものだろうか。

 真白に文句を言おうと口を開いた茶髪に金髪が肩を回す。それだけでセックスをしているように見えた。その行為をするための道具が二つ、茶色と金色が目の前にいる。

 男は女を自分の家に誘っているようだった。続きをしようとか、明日は休みだから朝までだとか、そういうことを真白の前で簡単に言ってしまえるような男だった。女はその誘いに応じた。手近なカバンに着替えなどを突っ込んで玄関に、真白に部屋の鍵を渡して、高くつくから。低い声と怒りの込められた眼光。それとは対照に女の後を追って部屋を出る男は真白の体を舐めるように見た。もっと大きかったらドストライクだったよ、そう耳元で囁かれた。背後でドアが閉まった。

 うるさい、そう口にすることも何もかもが億劫に思えた。室内に入って籠ったにおいが鼻を刺激して仕方ないから窓を開けた。眼下を歩く二色。男の手が女の臀部をまさぐっていた。吐き気がして顔を逸らした。逸らした先に姿見がある。黒色の女性器がそこにうつっていた。

 込み上げてきた吐き気に耐えられずトイレにかけこむ。胃液と混じってぐちゃぐちゃになったパンの油と白いチーズに何故か懐かしさを覚えると同時に、茶髪と金髪がその光景に重なった。汚物を受けた水の中でゆっくりと混ざっていく。真白は何にでも自分を重ねてしまった。

 真白はトイレの中で電気もつけず床にへたりこんだ。宙に視線をむけてはどこを見るというわけでもない。鈴虫の鳴き声、外を走る車の音が三つ。真白にとってすべてが遠い出来事の様に思えた。

 その中にあって、手は勝手に己の股間をまさぐり始めていた。単純で潔い行動。簡単な行動はぐちゃぐちゃの頭に快楽をもたらした。そうして真白に、自分はやはりどうしようもないのだと思わせた。



 真白の初めては中学生の時だった。

 その相手は父だった。碌でもない人間だった。

 父も母も真白を何かしらの道具として見ていたのではないか。ストレスのはけ口とされ、暴力の対象とされ、挙句性欲の対象になった。

 幼い頃から両親に痛みを与えられ続けた真白であったが、だからこそ、それこそいたいけな少女の様な夢があった。それは幸せな家庭。自分を愛してくれる人がいる。迎えてくれる人がいる。子供もいて、生活が苦しくても、みんなで笑顔一杯の生活を送りたいという幸せな夢。それを思うと、今目の前の、この瞬間の痛みにも耐えられた。どんな苦しみにも折れずに立ち向かうことが出来た。

しかし、真白に降りかかる暴力はさらに過激になる。

酒に酔った父は、寝ていた真白を襲った。抵抗もむなしく真白は汚された。それから地獄のような日々に拍車がかかった。

 毎晩のように父に犯された。逃げようとした。家出をした。追ってきた父に捕まって、真白は昼夜もわからない物置の中に閉じ込められた。物置の扉があいたときは、決まって父が真白の体を求めてきた。逃げたことを責められた。頬を叩かれる。それは行為に及んでいるときも続いた。

真白が従順に、父の言うことを何でも聞くようになるまでそれは続いた。

母はそれを知っていた。ようやく真白が物置から出ることが出来たときの母のやっと終わったのねの一言が決定的だった。

真白は何でも父と母の言うことを聞いてやった。それでも心だけは支配させてたまるものかと、崩れそうな理想を胸に抱いて耐えた。

いつか終わりが来るのだと、そう思っていた。

 高校受験はさせてもらえなかった。働けと、お前は体を売ってこいと、そう父と母に言われた。

真白は逃げた。もっと遠くに、捕まらないように出来るだけ早く。

幸いなことに、真白には県外の高校に進学するという友人がいた。アパートを借りるというから、事情を説明して、なんとかその友人についていった。誰か大人に相談しないのか、そう友人は言った。真白の頬に張り付いて離れないヒリヒリとした恐怖心がそれを拒んだ。足跡を残すことを真白は避けた。

そうして真白はここにいる。友人は最初甲斐甲斐しく世話をしてくれたが、いつからかその態度も冷たくなった。ごくつぶし、一度そう呼ばれたから、友人から真白はそう思われているのだろう。納得して、どうにかしようと思った真白に残された方法は、知っていた方法は、体を売ることだった。

だから真白は今もこうして初対面の男と身を重ねていた。男からは酒のにおいがした。それはろくでなしの男を思い出させた。それでも昨夜の茶髪の部屋のにおいよりはましだった。

男はゴムをしていなかった。拒んでも男は聞く耳を持たない。こっちのほうが気持ちいいじゃん、そう言われてこの男も自分を道具として扱っているのだ、と真白はこのセックスをただの快楽を得るための行動と割り切った。割り切れる自分が馬鹿らしく思えた。割り切れる関係の中にいることが現実を遠ざける。

出来てしまうという不安が、ピルがあるから別にいいかという諦めになった。それはやがて快楽に変わった。

真白はセックスをするための機械になった。



パーカーのポケットに入れていたお金が無くなっていることに気が付いたのは、ホテルを出た後だった。恐らく茶髪の家に落としたのではないかと思った。昨日は激しく一人でしていたからだろう、と真白は思った。

トボトボと力なくアパートに向かった。お腹の中に熱がある。気にしすぎなのではないのか。これは真白の執着が感じさせるものなのではないのか。落ちて落ちて、こんなところでこんなことをしている自分にも、まだ夢とやらが残っていることに真白は驚いた。望んでもいないセックスを自分はしている。そんなことはわかっていた。

雨が降りそうだ。真白は玄関先でひりつく頬に触れつつ空を見上げる。昨夜の金はやはり茶髪の部屋にあった。インターホンを鳴らして出てきた茶髪に事情を話して中に入れてもらおうとしたが、茶髪はそれを許さなかった。手に現金をもって、これは私のものだと言い張った。今までアンタの面倒を見てきたんだから当然だと、女は主張した。食い下がる真白の頬を女が叩いた。いい加減にして、痛みと共に女から送られた言葉。

真白は暫く放心していた。部屋の中からは男と女の声がする。クソ野郎となじることは簡単だった。しかし怒りが込みあがってくることはない。ああそうかと諦めがついてしまった。面倒を見てもらったしな、仕方ないよな、吐き気が代わりに込みあがってきた。

真白は当てもなく歩き出した。行く宛などなかった。もう自分には何もない。本当にどこかどん底に落ちて後はのたれ死ぬだけだ。

今まで何をしてきたのだと自身に問いかける。すると再びお腹が熱くなった。股の間がジンジンしてきた。それが自分のやってきたことだ、こうやって今まで生きてきたのだ、真白にはそれがすべてだった。真白は自覚する。

自分はただセックスをするための道具なのだ。

いつの間にか純金橋の上を真白は歩いていた。降り始めた雨がその体をうちつける。

ポケットに入っている先ほどの男から渡されたお金も、肩にかけたバックの中の小銭も、身に着けているもの持っているもの、得た関係もすべて、真白は体で手に入れた。ただ行為によって得たものだ。

しかしそれは自分でなくても出来たことなのではないのか。真白だからではなく、ただ女として見られ、その道具として扱われ、誰もかもが必要としたのは真白ではないのだ。真白には自分がわからなくなってしまった。自分の名前から現実味が感じられなくなる瞬間だった。喪失の感覚は痛みを伴わなかった。

笑いが止まらなかった。道具として扱われることが嫌で嫌でたまらなかった。だから逃げたのに、自分は逃げた先でも同じことをやっている。そしてその行為をついには快楽を得るためのものと真白はしていたのだ。言い逃れはできない。苦しみから逃げるために昨夜茶髪の部屋で己がしたことを真白は忘れていない。

真白は笑い続けた。自分が馬鹿みたいに思えて仕方なかった。笑い続けてよじれてしまいそうなお腹を押さえて、橋の欄干にもたれかかる。バックの中から携帯の着信音が聞こえた。痛む腹を押さえつつ、やっとの思いで携帯を取り出す。画面を見ると太ったメガネの男からのメッセージが表示されていた。ヤりたい、長ったらしいオサソイがそこにはあったがようするにそういうことだった。

ここにきて怒りがこみあげた。振りかぶって勢いよく携帯を川に投げ捨てた。高い金で買える女、という肩書に真白はうんざりした。

もうたくさんだ。そう思うと眼下の黒い水面がすぐ目の前にあるように感じられた。ここからあそこに落ちるとすべてが終わるのではないのか。徐々に近づいてくる水面が、この地獄を終わらせてくれる唯一の救いのように思えた。

だから真白は欄干の上に上がった。自分の頬を流れるものが、涙なのか雨なのかわからなかった。何もかもがどうでもよかった。いつかの鏡の中の真白が脳裏をよぎる。今の真白をお似合いだとそいつは言った。その通りだと、真白は目を閉じた。

その時だった。あの水面に飛び込もうと足を前に出しかけた真白の体を、誰かが後ろに引っ張った。

真白は歩道の上に引きずり降ろされた。引きずりおろした誰かが、真白の下でクッションになったおかげで痛みはない。しかし不意のことに真白は呆然とした。

生きている。終わらせようと欄干に立ったはずなのに、自分はまだ生きている。

その事実を真白は理解できなかった。

そんな真白を誰かが呼んだ。真白の命を拾った誰かだ。男の声だ。真白はそちらをむいた。

だが振り向いたはずの視界は、グルンと元の位置に戻る。ヒリヒリと頬が痛む。真白は男に頬を引っ叩かれていた。


「馬鹿なことをするんじゃない!!」


 男は怒鳴った。痛む頬に向けていた意識が男に向く。走ったのか何なのか男の肩は激しく上下していた。


「全部嘘になるだろう!!」


 男の瞳がこちらを見ていた。真白を見ていた。

今にも泣きだしそうな声だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ